表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/48

第22話 面倒な話だ



翌朝。


まだ陽が昇りきらないうちに目が覚めた俺は、寝巻きのまま外に出たあと湧き水で顔を洗った。冷たく澄んでいた山の空気が頬を撫でて、昨夜の残滓がすっと引いていくような気がした。


厨房へ戻り、いつものように米を研ぎ始める。手元で揺れる水音だけが静かな山の朝に優しく響いていた。だが手は動いていても、頭の中では昨日の焚き火のやり取りが繰り返されていた。


……昨日のことが、どうにも頭から離れない。


面倒な話だった。空賊のレースだとか、旧知の技師だとか、俺には関係ない話のはずだった。


――だった、はずなのに。


イグザス・ベルネロ。


その名を耳にした瞬間、胸の奥がざらりと波立つ感覚があった。


思い出したのは、まだ戦の続いていた頃。帝国と反帝連合の全面衝突で、空すら真紅に染まっていたあの時代。俺が“蒼竜騎士団”の第一戦隊を預かっていた頃の話だ。


前線の空に、突然姿を現した漆黒の飛空艇――あれは確か〈デラ=カルマ級魔導巡空艇・第四試作機〉、通称〈ノクティリカ〉。見るからに異様な艦だった。巨大な魔導推進器、常時展開される多層障壁、魔力砲塔、排熱フィン。あの艇が空に浮かぶだけで、戦局の色が変わるような威圧感があった。


その艇を操縦・管理するために派遣されたのが、当時まだ技術局の准上級技師だった“イグザス・ベルネロ”。


初対面の印象は、正直言って――ひょろっとした頼りない眼鏡の男、だった。


白衣の上に薄汚れたマントを羽織り、髪は跳ねてて、足元は野戦に向いてないような革靴。正直、こんな奴が前線に来ること自体冗談かと思った。


だが、実際は違った。


「この艇には、まだ“人の命を運ぶ”資格がありません」


初日のブリーフィングでそう言い切ったのを、今でも覚えている。

開発者本人が、だ。軍上層部が“最新兵器”として大々的に投入しようとしていた〈ノクティリカ〉に対し、彼は真顔で“欠陥がある”と言い放った。


「推進器の熱放散が未調整。砲塔の展開時に魔力干渉が起き、制御が不安定になる。艦内の魔力循環も過負荷ぎみで、長時間の航行は不可能」


的確で冷静な指摘に、俺を含めた戦地の指揮官たちは驚きと共に、少しだけ笑った。

こんなことを軍本部で言えば、即クビどころか粛清もあり得る。けれど、イグザスはそれを恐れていなかった。


「現場に命を預けさせる以上、完璧な状態でなければ私は認めません。私は研究者である前に、技術者ですから」


……その一言で、俺の中で彼の印象はがらりと変わった。


技術者である前に、彼は1人の人間だった。


戦場という場所でそれを貫ける奴は少ない。ましてや、帝国という組織の中では。


その後、俺たちは何度か共同戦線を張ることになった。


砦の防衛戦。後方支援からの離脱作戦。嵐の中の空中戦。


特に覚えているのは、魔導嵐の夜、負傷兵を乗せて強行離脱を試みたあの一戦だ。


あのとき、俺の部隊は囲まれていた。全方位から魔導砲と召喚兵の波。退路は塞がれ、空すら閉じていた。もはや打つ手はない――そう思ったとき、空の彼方から〈ノクティリカ〉が突入してきた。


あの黒い船体が、燃え上がる夜空を裂いて現れたときの衝撃は今でも忘れない。


砲撃をかいくぐり、真っすぐに着陸。しかも、あの無茶な航路を魔力干渉もなく突破していた。

艦首にいたのはいつもの白衣の男。無線越しに聞こえたその声は、やけに淡々としていた。


「乗れますか? あと二分が限界です」


そのとき、彼がすでにすべてを読み切っていたことを悟った。


俺たちは三十名の負傷兵を抱えて突入し、ギリギリで脱出に成功。あの戦は今じゃ帝国の記録にも残っていないが――あの一艇が、三十の命を救ったのは確かだった。


……思えば、イグザスの言葉にはいつも芯があった。


たとえば、こんな言葉も覚えている。


「空は、誰かのために飛ぶもんじゃない。自分が飛びたいから飛ぶんだ」


戦術理論でも戦略命令でもない。あいつ自身の“飛行”に対する純粋な愛着が、そこにあった。


その後、彼は技術局から“自ら離れた”。

派閥争いでも粛清でもない。あくまで、自分の理想を追いかけるためにだ。


「組織にいる限り、私の理論は完成しない」

そう言って正式な手続きを経た上で、帝国の枠を飛び出した。


報酬も名声も、彼にとっては些細なものだったのだろう。

それ以降、彼は独立技師として各地を放浪し、“空を支配しない飛行術”を研究している――そんな噂を耳にしたことがある。


今どこでなにをしているのかと思えば、…そうか。飛空挺の研究を続けているのか。

アイツらしいと言えばアイツらしいが、帝都にいれば設備も人員も揃っているものを。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ