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第28話 あたしの顔見てたくせに


挿絵(By みてみん)






……結局、俺はクロエの家で朝を迎えてしまった。


ずっと隣で寝息を立てる彼女の気配を感じながら、ろくに眠れた気がしない。いや、実際にはほとんど寝てない。閉じようとしたまぶたの裏で、何度も彼女の顔や昨夜の記憶がフラッシュバックしてきて、神経が完全に覚醒してた。


俺、マジであのまま暴走しなかったの奇跡じゃね?


……はあ。


ベッドの上、隣に目をやれば、クロエがすやすやと気持ち良さそうに寝ている。ちょっと寝癖がついてて、髪の先が鼻にかかってるのが可愛い。


でも。


いや、可愛いとか言ってる場合じゃねえ。これはマジでヤバい案件なんじゃないか? 外泊申請は確かに出したし、LCAの寮規定には“外部家庭との短期滞在を禁ず”とは明記されてなかったけど、まさか“同じ候補生の家”って、想定されてるパターンなのか……?


「……うーん……」


そのとき、隣でクロエが小さく唸った。

寝返りを打って、布団の中から手を伸ばしてくる。無意識なんだろうけど、その手が俺の寝巻きの裾をくいっと引っ張るもんだから、変な声が出そうになった。


「おーい、ちょ……起きろよ……クロエ?」


そっと呼びかけてみるも、彼女は完全に夢の中らしい。ぼんやりした表情のまま目をこすって、小さくあくびをする。


「ん〜……ライぃ……あと5分……」


甘えた声で俺のシャツをぎゅっと掴んでくる。しかも寝巻きの襟元がずれて、肩がまた半分露出してる。ちょ、ちょっと待て、この状況は……!


「おい、クロエ。ほんとに起きろ。マジで、点呼7時からあるんだって」


俺は必死に声を落としながら、そーっとベッドから体を起こした。自分でも分かるくらい動きがぎこちない。身体に気を使いすぎて、まるで地雷原を歩いてるような気分だ。


寝巻き――もとい、クロエのふわふわパジャマ――を身にまとったまま、そろりと部屋を抜け出す。下着なんてもちろんつけてない。昨日、洗濯機と一緒に放り込まれた俺の服、そのまま乾燥機に入ってるはずだ。


階段を降りて、脱衣所の奥にある乾燥ボックスの前で立ち止まる。


(……あれ? どれが俺のだっけ)


ふとガラス越しに見えたのは俺のTシャツとズボン、それに包まれた下着類。きっちり畳まれてるあたり、たぶんクロエがやってくれたんだろう。……うん、ありがたいけど、色々複雑だ。


ボックスの扉を開け、あたたかい衣類を抱えてその場で着替えを始める。ようやく“自分の服”を身に着けた瞬間、なんか全身がしゃっきりした。


(……やっぱり落ち着くわ)


と、そこへ――


「……ん〜……おはよ」


振り返ると、クロエが階段から顔を出していた。パジャマ姿のまま、まだ眠たそうな顔で髪をかきあげている。肩までしかない丈のシャツの裾が揺れて、見てはいけないものが見えそうになる。


「ちょ、待てって! その格好で出てくんな!」


「え〜、いま誰もいないし、いいじゃん」


無防備すぎる笑顔に、思わず頭を抱える。


「……マジで勘弁してくれ。俺の理性が死ぬ」


「もう、朝からそんなん言って〜……ちゃんと寝れた?」


「寝れるか、あんな状況で……!」


思わず声を荒げると、クロエはくすっと笑った。


「んー、じゃあ今度は、もっとリラックスできる夜にしてあげよっか?」


「やめろって!マジで!」


笑いながらキッチンに向かうクロエを見送りながら、俺はつぶやいた。


(……やっぱり、この子、色んな意味でやべーわ)


感情も記憶も、すべてが不安定な俺の“いま”を、何気ない笑顔で吹き飛ばしてくれる存在。

混乱して、揺れて、何もかもが見えなくなりそうなときでも――それでも変わらず、傍にいてくれる誰か。


……こうして見ていると、クロエって、本当に眩しいんだよな。


「朝ごはん、どうするー? 冷凍でピザあるけど?」


「いや、遠慮しとく……てか、もう6時だろ。そろそろ出るわ」


「そっかー、ちぇー。ま、いつでも食べたくなったら食べていいよ?」


「人ん家の冷蔵庫勝手に開けるほど無神経じゃねーよ…」


「んふふ、じゃあ“彼氏”特権ってことで許可〜♪」


クロエはピザの箱をキッチンに戻すと、そのまま俺の隣に並んで洗面所へ向かった。


「歯磨きしよーっと。あ、そっち先使う?」


「いや、お前先でいいよ」


「ありがとー♪」


パタパタと洗面台に向かっていくクロエの背中を見送りながら、俺は制服のボタンをつけ直す。

こうして一緒に朝の支度をして、なんとなくタイミングを合わせて玄関に向かう――それだけのことなのに、妙に落ち着く自分がいた。


ドライヤーの音、洗面台の水の音、クロエの小さな鼻歌。

静かな朝の空間に、それらが当たり前のように響いている。


数分後、クロエはポニーテールに結んだ髪を揺らしながら戻ってきた。


もう着替えも済んでいて、手には小さなトートバッグ。中にはいつも持ち歩いているイヤホンと、携帯充電器、それからたぶん、ガムか何かが入っているんだろう。

目をこすりながら階段を下りてきた頃の寝ぼけた雰囲気は、すっかり抜けている。

けれどシャツの裾はまだ少し乱れていて、俺が何度も目を逸らす理由がそこにあった。


「今日は晴れそうだねー」


「……そうだな」


クロエはカウンターに肘をつきながら、俺の方をじっと見ていた。

なんとなくその視線を感じて顔を向けると、慌てて視線を逸らされる。


「……なに?」


「んーん。なんでもない」


そう言って微笑む彼女に、何も言い返せなくなる。

言葉にしないものが、確かにこの空間には存在していた。


俺は荷物を肩にかけ、財布と鍵をポケットにしまった。

クロエはというと、スニーカーの紐を軽く引きながら、まるで小さな冒険にでも出かけるような顔をしていた。


「準備、できた?」


「おう。行くか」


「うん!」


勢いよく玄関に向かう彼女の背中を見ながら、俺もあとに続く。

まるで決まった日課みたいに、それぞれがタイミングを合わせるわけでもなく、自然に並んで扉の前に立つ。


無言のまま履いた靴の音が、ぴた、と玄関の静けさに溶けていく。

この沈黙すらも、気まずさよりも安心が勝るのは、きっと今の俺たちだからだ。



玄関の扉を開けると、涼しい朝の風が頬を撫でた。


エレクトロニアの中環層――第六市街アーク・スピアは、朝日を浴びてどこか幻想的な色に染まっていた。雷霊素の軌道管が空中に伸びる都市構造。建物の合間を走る霊素導管が、かすかに青白く脈動している。


ネオンが落ち着き、代わりに霧のような霊素塵が空に舞うこの時間帯。高層区の影が街路をゆっくりと横切っていき、舗装された通路に揺れるホログラム広告の光が、まだ目を覚ましきらない住民たちの背を照らしていた。


朝のアーク・スピアは、昼の喧騒とは打って変わって静かだった。整備ドローンの羽音。自動販売機の再起動音。どれもが都市の“心音”みたいに響いていて、思わず深呼吸したくなる。


「……うわ、いい天気」


後ろから、クロエの声が聞こえた。


制服の上から簡易コートを羽織り、すでに訓練モードに切り替わっている彼女。髪は雑に結ばれて、若干寝癖が残ってる。だけど、いつものギャルっぽさとはまた違って、今朝のクロエはなんか――“らしい”って感じがした。


「行こっか。あたし今日、Zone-A23で空域訓練だからさ、途中まで一緒だし」


「おう、助かる」


肩を並べて歩き出す。駅までは十数分程度。通学路というには少し入り組んだ路地を抜けながら、朝の都市を歩く。


アーク・スピアの街並みは独特だ。地上区画には鉄骨造の古い集合住宅が並び、窓にはカーテンではなく“霊素遮光膜”が貼られている。霊素干渉を防ぐための生活仕様らしいけど、慣れてないと異様に感じるかもしれない。


一方、空中にはスカイブリッジが何層にも重なり、霊素バスや空挺スクーターが上下に行き交う。都市全体が“立体的に生きている”ような感覚を覚えるのは、この高低差があるからなんだろうな。


朝の霧が漂う中、霊素フィルターの光が差し込んできて、クロエの頬がぼんやりと光って見えた。


「……なに見てんの、変な顔」


「いや、街が綺麗だなって」


「ふーん、ウソつけー。あたしの顔見てたくせに」


肩を突っつかれて、思わず苦笑いが漏れた。


「あんたさ、こういうときは素直に“綺麗だな”って言っときなさいよ。女は褒められると機嫌よくなるんだからさ」


「それ、自分で言う?」


「言うわ。自覚あるし?」


クロエはそう言って小さく笑った。


でもその笑顔には、昨日までとは違う柔らかさがあった。


そう――“何かを乗り越えた”後のような、そんな空気。


通りすがりの店先では、屋台のおじさんが準備中のワゴンを開いていた。油の匂いが立ち込めて、どこか懐かしいような感覚がこみ上げる。霊素で温められた鉄板の上には、すでに焼き目のついたパンが並び始めていた。


「なんか食ってく?」


「いや、さすがに時間ギリだわ」


「ちぇー、じゃあ今度おごって。ここ、チーズまじヤバいから」


そんなやり取りをしているうちに、俺たちは駅前広場にたどり着いた。目の前にそびえるのは、中環第六市街の中心駅――《アーク・スピア中央第五駅》。霊素駆動の自動改札ゲートがずらりと並び、アーチ状の駅舎にはホログラム広告がいくつも浮かんでいる。


始発便が出発したばかりなのか、プラットフォームは朝の活気に満ちていた。通勤用のスーツを着た市民、霊素整備課の作業服を着た若者、そして同じLCAの候補生らしき制服姿もちらほらと見かける。


構内には、雷霊素を利用した浮上式車両スパークレールが、滑るように停車していた。銀白の車体の側面に浮かび上がるホログラム表示が「中環第4区方面行き Cライン09便」と切り替わる。


「……じゃ、ここまでか」


クロエが足を止め、少しだけ名残惜しそうに笑う。


「あたし、反対ホームだから。次の便、Eライン23便」


「そっか……じゃ、また後でな」


「うん、頑張ってね。ライ……じゃなくて、雷牙♪」


軽口を残して、クロエはスキップするような足取りで別の改札へ向かっていく。


その背中を見送りながら、俺は自分の行き先を再確認した。


中環第4区――雷導兵候補生用の育成施設や訓練棟が集まるエリアだ。俺が通っているZone-A17は、その中のひとつに過ぎない。


気を抜いたら置いていかれる場所。記憶が曖昧とか、心が揺れてるとか、そんな言い訳は通じない。


改札ゲートにエコルをかざすと、雷霊素の反応音が鳴り、緑色の光が通過許可を示した。


「雷導候補生・認証完了。中環第4区方面行き、出発三分前です」


機械音声が響き、俺はスパークレールの車内へ足を踏み入れた。


……ほんの数時間前まで、布団の中でクロエとぬくもりを分け合っていたとは思えないくらい、今の俺の頭は完全に“訓練”モードに切り替わっていた。


(……でも、それでいい)


発車までのわずかな時間。俺はドア脇の窓から、クロエが消えていったホームをじっと見つめていた。


――さあ、今日もまた、戦いが始まる。

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