第24話 空と海と
どっから話せばいいんだっけな。
さっきまで目の前にあったはずの記憶が、話そうとした瞬間、急に遠くに行ってしまうことがある。まるで電車の窓から見ていた景色が、駅に止まったとたんスッと消えるみたいに。
昨日まで、手の届く距離にあったはずなのに。
今こうして言葉にしようとすると、言葉の端端にあるものがどこか“借り物”みたいな手触りになっていくのが怖い。
だけど、あの場所に“いた”んだ。俺は。
坂道を駆け上がって、転んで、また笑って。
友だちと肩を並べて歩いたあの汐見町の夏に、俺は確かに生きていた。
子どもの頃って、不思議と「自分にはなんでもできる」って思えてた。
空だって飛べそうな気がするし、海の中にもぐったら、どこまでも遠くまで行ける気がしてた。
実際には飛べないし、遠くへなんて行けやしないんだけど――それでも。
夏休みの午後は、だいたい決まって“探検”だった。
町の裏手に伸びる路地裏、蔦に覆われて誰も寄りつかなくなった空き家の塀、商店街のいちばん奥で使われなくなった倉庫のシャッターの前。
そんな場所に足を運んでは、「秘密基地」とか「最終拠点」なんて、それっぽい名前を勝手につけてはしゃいでいた。
それは地図にない宝を探すみたいな、真夏だけの特別な遊びだった。
なかでも俺がいちばん好きだったのは、坂道のてっぺんから見下ろす町の景色だった。
神谷商店のさらに上、ほとんど人が通らない高台に、ぽつんと小さな神社があった。
木の鳥居は静かに佇み、苔むした参道には誰の足跡もない。セミの声だけがまるで時を刻むように、境内に響いていた。
神社の奥へ進み、石段をひとつふたつ登ると、視界がふっとひらけて――
潮風に揺れる商店街の赤い提灯。洗濯物の影が落ちる民家の屋根。海沿いの防潮堤と、遠くに見える漁船の白い軌跡。
遠くには江ノ島大橋がゆるく弧を描いていて、時おり自転車を押す観光客の姿が点みたいに見えた。
眼下には、汐見町のすべてが広がっていた。
瓦屋根の家々、くすんだ看板が並ぶ商店街、そして遠くに見える、きらきらと光る海の帯。
まるでこの町ぜんぶが、そっと掌にのっているようで――
小さな路地を走る子どもの声や、商店街のスピーカーから流れる音楽、魚屋の氷のはじける音――
誰かの笑い声や、地面に落ちる影。塩の匂いが混ざった風。
そしてその向こうには、真っ青な空と海があった。
ちょっと霞んだ水平線と、真夏の陽射しに滲むような空の境界線が。
どれもが見慣れているはずなのに、まるで別の世界みたいに静かで――
風が吹くと木々の間からほんの少し潮の匂いがして、
ああ、夏なんだなって、胸の奥がきゅっと締めつけられる。
あの場所に立つたびに思ってた。
この風景を、ぜんぶ自分だけのものにできたらって。
でも同時に、きっと俺たちは、ずっとここにいられるわけじゃないんだろうなって。
あの景色を、俺は何度も見ていた。
何度も同じ場所に立って、同じ風に吹かれていた。
けれど、その頃の俺には――
その景色がどれほど大切なものだったのか、まるで分かっていなかった。
坂の向こう、海のきらめきのさらに先を指して、
「あっちの向こうに、世界があるんだ」
そんなふうに、漠然と思っていた。
この町はスタート地点で、いつか俺は、もっとすごい場所へ行くんだ――って。
大人になってから思う。
あの場所こそが“世界のすべて”だったのに、俺はそれに気づかないまま、外を目指してたんだって。
たぶん、あのときの俺は――
“世界”ってものを、もっと遠くにあるものだと思ってた。
テレビの向こう、ネットの向こう、知らない街、知らない誰か、知らない景色。
そこに行けたら何か変われるって、本気で思ってた。
この町から出て、もっとでかい場所で、もっとすごいことをやるんだって。
なんの根拠もなく、ただの焦燥と期待だけを抱えて毎日を過ごしてた。
でも、今になって思うんだ。
俺が“すごいこと”だと思ってたことなんて、本当はこの町の“当たり前”の中に、全部詰まってたのかもしれない。
――父ちゃんの店を継ぎたいと思ったのも、きっと。
坂の途中にある、ちっちゃな木造の店。
引き戸の前にはいつも自転車が並んでて、暖簾が風に揺れて、出汁の匂いが町中に漂ってる。
昼には近所の職人さんが汗だくでやってくるし、放課後には中学生たちが小銭握って餃子だけ頼んでる。
夜になると酒場代わりに使う常連さんたちがやってきて、ビール片手に世間話。
父ちゃんは無口な男だけど、ラーメンの味には一切妥協しない。母さんは口うるさいけど、接客になると誰よりも笑顔が似合う。
俺が小学生の頃は、ただ「ラーメン屋の息子」ってだけだった。
誇らしくもなかったし、かといって恥ずかしくもなかった。
それが“普通”だと思ってた。
でも――中学の終わりごろだったかな。
ある日、ふとした拍子に、自分の“将来”みたいなことを考えることがあって。
そのとき、思い浮かんだのが、ラーメンだったんだ。
なんでだろうな。
カッコいい仕事とか、金持ちになるとか、そういうのじゃなくて――
ただあの店の湯気の中にいる自分が、なぜか一番しっくりきたんだ。
思い返せば、その日は夏休みの夕方だった。
いつものように店の手伝いをして、洗い物を終えたあと、軒先に腰かけて休んでた。
汗ばんだTシャツ、濡れたままの前髪、ふと見上げた空には、うっすらと夕陽がにじんでた。
坂道の向こうでは、駄菓子屋のシャッターが閉まる音がして、遠くからは風鈴の音がかすかに響いてた。
それと混じって、磯屋の団子を焼く香ばしい匂いと、汐見鮮魚店から運ばれてきた氷の冷気。
蝉の声はもう勢いを失っていて、代わりに夜の虫の音がポツポツと聞こえ始めていた。
そのすべてが、まるでラーメンのスープみたいに、じんわりと心に染みてきた。
「……ああ、俺、この空気が好きなんだな」
そう思った。
特別なきっかけなんてない。ただの一瞬の“気づき”。
でも、それが俺の“始まり”だった。
それからは、父ちゃんの動きをもっと真剣に見るようになった。
スープの仕込み、タレの配分、麺の湯切りの仕方。
母さんの手際の良さや、お客との距離の取り方。
すべてが“技”であり、“文化”であり、俺にとっての“日常”だった。
この商店街には、そんな“技”がそこら中にあった。
汐見鮮魚店の大将は、魚を一目で見分ける。
磯屋の婆ちゃんは、季節を読むように甘さを調整する。
駄菓子屋のミナト屋は、子どもたちの小さな“今日の気分”を誰よりも理解していた。
暮らしの道具屋のじいさんは、「物にも人にも相性がある」って言ってた。
俺は、それら全部を見て育った。
それらが全部、俺の中に“記憶”として溶け込んでる。
あの夏、坂道を自転車で駆け上がったときの息切れ。
汗まみれのまま厨房に立ったときの高揚感。
父さんに初めて「まあ、悪くねぇな」と言われたときの誇らしさ。
商店街の人たちが「雷牙の餃子、うまいな」って笑ってくれたときのあたたかさ。
たぶん俺が目指してた“世界”って――もう、その中にあったんだ。
ラーメンって、たった一杯かもしれない。
でもその一杯に込められるものは、どこまでも深い。
この町の音と匂いと、笑い声と、誰かの疲れと、誰かの喜びと――
そういうのが全部ひとつになって、湯気の向こうに立ち上がっていく。
俺は、そんなラーメンを作りたかった。
そしていつか、俺の店で、誰かが疲れた顔で入ってきて――
「……うまいな」って、ひとことだけ呟いて、また笑って帰っていく。
そんな風景を、思い描いてた。
坂の上から見た、あの汐見町の全景の中に。
俺のラーメン屋があって、誰かの人生の中の“止まり木”になっていたら。
それだけで、俺の人生はきっと幸せだったと思う。
――そんな夢を、ずっと見てた。




