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第18話 夜はまだこれからっしょ?



中環第六市街アーク・スピアの中でも、やや奥まった住宅街。高架や中層ビルが密集していた区域から少し離れたこのエリアは、都市の喧騒が一段落したように静かで、空間にもゆとりがある。道の両側には低層の戸建て住宅が立ち並び、それぞれに手入れされた植え込みや自動散水装置が配置されていた。


クロエの家も、その一つだった。


「ここがあたしんち」


「へぇ……」


住宅地に佇むツートーンの外壁が特徴的な二階建てのその家は、シンプルながら上品なデザインで、近代的なスクエアフォルムが印象的だった。玄関前には小さな庭と、腰高の赤茶レンガの外塀。スライド式の自動ゲートを抜けて中へ入ると、すぐに深い緑の茂みが視界に広がった。


クロエがセンサーに指をかざすと、玄関の施錠がカチリと外れた。


「今日親いないから、自由にしてっていいよ」


「マジで……? でもなんか落ち着かねぇな」


「なにそれ、緊張してんの?」


「……まぁ」


「そんな気使わないでよ。こっちが気まずくなんじゃん」


クロエはいたずらっぽく笑いながら、リビングに先導する。室内は外観同様、シンプルながら落ち着いた配色でまとめられていた。白い壁紙に、ナチュラルウッドの床。天井照明は霊素光の間接照明が使われていて、暖色系の柔らかい光が室内を包んでいる。


「そこのソファ座ってて。あたし飲み物出すから」


「あ、ああ……ありがとう」


彼女に言われるまま、雷牙はリビング中央のソファに遠慮がちに腰を下ろした。ふわりとした座面の感触が妙に柔らかくて、思わず姿勢を正してしまう。やっぱり人ん家って落ち着かないな……と内心でぼやきながら、目の前のテーブルに視線をやる。


テーブルの上には、彼女が最近使っているらしいタブレットと、未開封の霊素エナジードリンク。端の方には家族写真と思しきフレームも置かれていた。クロエの笑顔はそこでも健在で、その横に写るのは恐らく彼女の両親。母親は柔らかな雰囲気で、父親はがっしりとした職人気質がにじむ表情をしていた。


「〜んふふ〜♪」


キッチンからは鼻歌交じりのクロエの声が聞こえる。冷蔵庫を開ける音、コップに何かを注ぐ音、冷却装置の作動音……どれも生活感に満ちていて、まるで彼女の日常に触れているようだった。


ライとしての記憶の中では何度も聞いた彼女の話――「家は古いけど悪くない」「親父はリペア工」「地元はちょっとボロいけど愛着ある」……そんな断片的な情報が、今、目の前で“現実”として立ち上がってくる。


――これは、夢でも過去でもない。今こうして目の前で、クロエという人間の「生活」の中に自分が踏み込んでいるという実感。


その感覚に戸惑いながらも雷牙はふと、手元にあったテレビのリモコンを手に取る。


「……どんな番組やってんだ、この世界じゃ」


ぽつりと呟いて、電源を入れる。


画面が瞬時に霊素波を読み取り、色彩豊かな映像がリビングに映し出された。


【▶ 霊素ニュース24 ~中環層エディション~】


『続いての話題です。先ほど、アーク・スピア第七街区にて、未認可型霊素装置の暴走が確認され、警備ドローン部隊が一時展開されました。制圧に当たった雷導候補生の応答記録によると、違法に調整された霊素共鳴器が発火の原因と見られており――』


映像は、路地裏で煙を上げる霊素発生装置と、鎮圧する白装束の機動隊員たち。


『なお、被害は軽微で、住民に怪我はありませんでしたが、連合政府では市街地における霊素機器の使用制限を見直す方針を示しています。霊素技術の民間普及が進む一方、違法改造による事故は増加傾向にあり――』


「またかよ……最近、暴走事故多くねぇか?」


「ねー、ホントにさ。ってか下層の方から流れてくる違法パーツ、もっと規制すりゃいいのに」


クロエが冷たい飲み物を手に戻ってきて、ソファの隣に腰を下ろす。小さなカップには、淡い青の霊素冷却水が注がれている。


「ありがと」


「どういたしまして、彼氏くん」


茶化すように笑いながら、クロエは雷牙の肩に軽くもたれかかる。


テレビでは次の話題に切り替わっていた。


『続いては特集、“雷霊素都市エレクトロニア、その成長の裏側”』


『産業技術部・第六設計課が発表した最新レポートによれば、霊素交通網の再編により、来年度までに中環層全体の平均移動効率が14.8%向上する見込みとのことです――』


映し出されるのは、都市全体を網の目のように走る霊素軌道の3Dモデル。計画図の横には《雷導中央計画室》《都市均衡戦略班》といった文字列が踊る。


「便利になるのはいいけど、なんか、あたしたち置いてかれそうだよね。街だけ先に進んでさ」


「……そうだな。なんか未来だけが加速してて、自分が止まってる感じ…だよな」


最近、寮のロビーに置かれた《候補生向け情報端末》や、毎朝届く《エレトゥス連合広報紙》を読むようにしていた。最初は文字や用語の意味すら分からず、ただ流し見るだけだったが、少しずつ「この世界の仕組み」が頭に馴染んできた気がする。


雷導兵制度の成り立ち、霊素適合率の意味、都市間の電磁ネットワーク構造。何より、この“エレクトロニア”という都市の輪郭が、ようやく自分の中で実体を持ち始めていた。


――あのビルの下層には、整備されてない流通区画があって、違法パーツが出回る。

――中環層は表向き安定して見えるが、霊素過密区域ではしばしば共鳴障害が起きている。

――「上層」と「下層」の格差は、ただの経済問題じゃなくて、霊素制御環境そのものの違いに根ざしている――。


この世界の「ルール」。生き残るための地図。

それを、自分なりに少しずつ読み取ろうとしていた。


それでもまだ全然わからないことばかりだ。

けれど、あの頃――この世界に来たばかりで、全てがノイズだった時に比べれば。


「でもさ――今は、ちゃんとここにいるじゃん。あんたと、あたし。雷導兵とか訓練とか、そういうの抜きでさ」


雷牙はその言葉に、ふっと肩の力が抜けるのを感じた。



今が“いつ”なのか、正直もう分からなかった。

「こっちの時間」では確か“SE 2000年”。だけど、俺の中に残ってる“昨日”は、令和の東京で大学のレポートを投げ出してコンビニに走った夜だった。

じゃあ俺は、過去から来た人間なのか。それとも、未来から来た、別の“何か”なのか。


記憶と現実が混ざり合って境界線がぼやける中、肩に触れたクロエの髪が、ふわりと腕のそばに落ちてきた。

軽く帯電した霊素粒子が揺れて、淡い匂いが鼻をかすめる。甘くて、温かくて、どこか懐かしい。

これは確かに“ここ”にあるものだ。現実だ。そう思いたくなるほどに。


その指先が、そっと俺の手に触れてくる。

細くて冷たくて、でも少し震えてるようにも感じる。


彼女の手を、俺もそっと握り返した。

その手が存在している今が、きっと“ここ”なんだと、そう信じたかった。


――この世界が「雷」のように、形のない光の連なりだとしたら。

掴もうとすればすり抜ける。見えているのに、実体がない。

だとすれば俺は、どの瞬間に存在しているんだろう?

この手に触れてくる“温もり”だけが、俺を「今ここ」に繋ぎ止めてくれている気がした。


ふと、視線が逸れる。

自然と、クロエの胸元に視線がいってしまい――慌てて目を逸らした。


(……ちょ、ちょっと待て俺、落ち着け)


いや無理だろ。近いって。距離感ゼロだし。

ていうか、何気にスタイル良すぎなんだよな……。

そういうのって、普通もっと“見せる側”が自覚してコントロールすべきじゃないのか……?


だが彼女は、まるでそれを気にしていない様子で淡々と隣に座っていた。

茶化したり押しつけたりするわけでもなく、ただ“そこ”にいるような自然さで。


ドクン、と胸が高鳴る。


――ああ、そうか。

この感覚だ。

不確かな世界の中で、俺が「現実だ」と感じられる唯一の瞬間。

クロエの存在は、まるで雷のように一瞬で俺の中のすべてを照らしていく。


何もかもが霧の中にあって、確信なんて持てやしない。

でも――今だけは、ここだけは。

この触れている時間だけは、きっと……本物だ。



「……つーか、ヤベぇな」


ソファの背もたれに寄りかかっていた雷牙が、ふいに身を起こして時計に目をやる。壁面に埋め込まれた霊素パネルの時刻表示が、22:42を示していた。


「こんな呑気に寛いでる場合じゃねぇ……門限、23時なんだよ、俺」


「え、もうそんな時間? いいじゃん、別にちょっとくらい……」


そう言って、クロエは冷蔵庫から取り出した缶ビールをパシュッと開け、そのままトン、と雷牙の手元に差し出す。


「ほら。飲んで落ち着こ。夜はまだこれからっしょ?」


「……いやいや、そーいうノリで済む話じゃねぇって。俺、今“経過観察”中なんだぞ? ほかの候補生と違って、何かあったらすぐ報告義務だし……マジで怒られるやつだこれ」


「えー、じゃあ“外出届”出せば?」


「……外出届?」


「知らないの? LCAの候補生用デバイスに申請機能あるでしょ。“帰宅延長”か“他候補生の居宅滞在”にチェック入れとけばOKだよ。ちゃんと管理システムに記録されるから問題なし」


「……マジで!? そんなんあったのかよ……」


雷牙は驚きつつ、自身のポケットから取り出した小型端末に目を落とした。


それは《エーテル・コンソール》と呼ばれる候補生専用の携帯情報端末。スマホのように見えるが、雷霊素波で都市インフラと直接同期されており、ID認証・スケジュール管理・出退勤記録・訓練ログ・位置情報などがすべて一元化されている。


エーテル・コンソール――通称エコルを起動すると、霊素UIが淡く浮かび上がる。画面内に表示される“LCA候補生ポータル”から「外出申請」→「緊急帰宅延長」→「居宅滞在申請」と順に選択していく。


「……へぇ、あったんだなこんな項目……」


「そ。友だちはいつも“外泊ルート”で出してるけど。まぁ一般窓口入学組だと、管理そこまで厳しくないし」


「……クロエって、そういや一般の候補生だったよな」


「ああ、うん。ライは確か……下層からの“雷導支援枠”だったっけ?」


「……そう…みたいだな。孤児上がり…っつーか、記憶にあるのは曖昧だけど、少なくとも“制度育ち”なのは間違いないな」


LCA――すなわち《雷導育成機関》には、大きく分けて二つの流入ルートがある。


一つは、都市部の学校からの推薦や一般選抜を経て入る「一般候補生」。彼らは市民権や教育履歴を持ち、エコルも比較的自由に運用できる。都市階級の上層〜中環層からの進学者が多く、寮生の門限や行動制限も緩い。


もう一つが、雷牙のような「支援枠候補生」。これは下層域出身の孤児や、施設出身者などを対象とした特殊育成プログラムであり、国家が“雷導兵の素体”として早期に育成するための制度となっている。彼らは施設単位での行動管理が基本で、すべての外出や通信に監視が入る。門限も厳しく、逸脱すればすぐ監査対象となる。


「ま、だからあんたはしんどいよね。評価も管理も、ぜんぶ一個上乗せで見られてる感じでしょ?」


「……まぁな」


「でもさ、今みたいに届出出して申請が通れば、へんにビクビクする必要もないんだしさ」


クロエはそう言って、自分のエコルを操作しながら俺の端末を覗き込む。


「ほら、“滞在先候補生”の欄はあたしで選んで……“滞在理由”は“状況報告共有”でOK」


「“状況報告”……って便利な言い方だな」


「でしょ? わりと万能ワード」


そうして提出を終えると、画面上に《LCA管理局に提出されました:ID番号27398/雷導候補生滞在申請 22:48》の文字が表示された。


「よし、これでとりあえず大丈夫っしょ。……ってことで、あたしはちょっとシャワー浴びてくるね」


「え、あ、あぁ……」


クロエはビールの缶を軽く持ち上げ、「冷蔵庫、好きに使っていいから」と言い残して、廊下の奥へと消えていった。


雷牙はソファに沈み込みながら、エコルの画面を見つめたまま小さく息をついた。


――制度で生きるってのは、便利さと不自由さの両方が同居してる。


エコルの画面には、クロエの名前が“滞在者承認済”として記録されていた。

その一行が妙に温かく、けれどどこか切なく感じられた。


この都市で自分が“許されている”という証明のようでもあり、同時にそれが“制度の上でのみ許された関係”であることも、どこかで痛感していた。


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