第15話 なんかもう、色々ぐちゃぐちゃだよ
青い光が静かに道を照らす。都市照明のほとんどが霊素に依存するこの街では、夜という概念が曖昧だった。
人工的な太陽が落ちた後でも、エレクトロニアは眠らない。
正確には、眠ることを許されない。
中央塔から吹き出す霊素の粒子が空を満たし、地表の導雷管が薄く燐光を放つ。
それはまるで都市全体が巨大な回路基板で、自分たちはその上を歩く小さな電子のようだと――ライはふと思った。
クロエと並んで歩いているのに、足取りはどこか宙に浮いているようだった。
「で、最近の調子はどうなの?」
クロエがぽつりと訊いてきた。
その声が妙に柔らかくて、俺は返事に詰まる。
霧のような都市の空気。
霊素灯の照明がガラス張りのビルに反射して、まるで夜空をもう一枚足元に張りつけたようだった。
あれほど近未来的で整った街並みなのに、そこにはどこか東京の下町を思わせる、ざらついた人の営みがあった。
人々が座って談笑している屋外カフェ。
流れるような広告ホログラムの裏で、
売店の老婆が笑顔でパイプ椅子を並べている。
喧騒のないざわめき。
整いすぎた美しさの中に、人のぬくもりが垣間見える。
工業音が遠くで反響している。何層にも積み上がった高架軌道の下、足元では雨が降ったわけでもないのに、薄く濡れたような路面が淡い光を帯びている。霊素の粒子が空気に溶け、肌に微かなしびれを残して流れていった。
その道沿い、小さな屋台風のラーメン店があった。ポリ製の暖簾には店名もなく、無骨な自動調理装置がカウンター奥で静かに湯を沸かしている。だが、その無機質な店の隅で、若い店主が使い込まれた布巾で机を丁寧に拭いていた。背後の棚にはなぜか昭和の日本のグラスや、小さな招き猫の人形が並んでいる。
通り過ぎた風が、ビニール製の椅子を軽く揺らす。遠くから聞こえてくるのは子どもたちのはしゃぎ声と、霊素タクシーの滑走音、そしてどこか懐かしいラジオのような音楽。低く、ジャズにも似た旋律が都市の喧騒の下に流れ続けていた。
クロエがふと足を止めた。足元には、昔ながらのマンホールがあり、その表面に水色の反射が揺れている。「こういうとこ、けっこう好きなんだよね」と彼女は笑う。雷牙は頷きながら、無意識にその光景を見つめていた。自動ドアの開閉音、人の笑い声、グリッドパターンの街灯……それらが、かつて東京の深夜に歩いた静かな裏通りと重なる。
“ここは異世界”という意識が、一瞬だけ溶ける。都市が吐き出すノイズにすら、どこか懐かしさを感じた。きっとこの都市は、ただ未来を突き進むだけの場所じゃない。人が過去から持ち込んだものたちが、電光の隙間にまだ息をしている。そんな空気が、この場所にはあった。
「……なんかもう、色々ぐちゃぐちゃだよ」
俺はそう呟いて立ち止まり、前方に広がる霊素水路の向こう――街の夜景を見つめた。
霊素塔のひとつが、ゆっくりと光の層を切り替えていく。
白、青、淡い紫。すべてが静かに脈打つように変わる。
それはまるで、自分の呼吸とリンクしているようだった。
「正直……今、自分がなんでここにいるのかも分からない」
「兵士としての訓練に没頭してるっていうか……没頭してるフリをしてるだけな気もする」
「なんでこんなに必死なのか、誰に勝とうとしてるのか、それすら分かんなくなってさ」
クロエは言葉を挟まず、黙って聞いていた。
俺は続けた。
「東京にいた時の俺って、もっと単純だったと思うんだよな。
大学通って、ラーメン屋継いで、たまに遊んで……未来って、なんとなく続いていくもんだと思ってた」
「でもこの街じゃ、そうじゃない。
未来は、選ばれたやつだけに用意されてるみたいだ。
それが“雷導兵”ってやつなら、俺はそれにならないと……“ここ”にいられない気がして」
「東京よりもずっと発展してるのに、なんか……俺の居場所が見つからないんだ」
視線を横に向ける。クロエが、いつの間にか彼の横顔をじっと見つめていた。
彼女の目は優しかったが、どこか寂しそうでもあった。
その表情に、何か言いたげな沈黙が貼りついている。
この都市で生きるということは、訓練に耐えるだけじゃない。
“感情”をどうやって殺すかを、毎日少しずつ試されることだ。
それでもクロエは、こうして俺の手を握ってくれる。
ライはふと、彼女の顔を見ながら思った。
――この時間も、つい最近まで“なかった”はずのものだ。
“記憶の中の彼女”はいた。でもこうして目の前で声を聞き、温もりを感じる今は、確かに新しい。
「……なんか変なことばっか言って、ごめん」
「ううん、いいよ」
クロエは柔らかく笑い、それからちょっと肩をすくめて言った。
「じゃあさ――そういう時は、パーッとカラオケでも行こうよ」
その明るさは、都市の青白い光とはまったく別のもっと“生きた”色をしていた。
「え、カラオケ……?」
「そう。歌うの、楽しいじゃん? ぐちゃぐちゃな気分の時は、頭で考えずに声出すのが一番だよ。
ほら、あっちに『シンフォニア館』あるでしょ。安くて部屋きれいだし、何よりマナ導音対応してるし」
冗談まじりのクロエの言葉に、ライは思わず笑った。
どこか現実感がなかったのに、その一言がすっと“地に足を着けた”感じをくれた。
「じゃあ……行くか。歌で、このぐちゃぐちゃ全部ぶっ飛ばしてやる」
「いいね、それ!」
クロエは嬉しそうに言って、彼の手をぐっと引いた。
その手はあたたかく、しっかりしていた。
まるで、見失いそうな自を導いてくれる“灯”のようだった。
そして二人は、霊素のネオンが織り成す街の中へ――
未来でも過去でもない、“今”という瞬間に溶けていくように歩き出した。




