第14話 こんな感情、知らなかったはずなのに
さて――と、俺はベッドの上でひとつ大きく息を吐いた。
急にデートの約束なんかしちまったが、正直言って、そんな呑気なことをやってる場合じゃないのも確かだ。
今の俺の立場は雷導兵候補生。訓練スケジュールは分刻みで組まれてて、許可外の外出なんて場合によっちゃ減点対象になる。しかも意識の混濁と記憶のズレをまだ報告していない俺は、正式には“経過観察中”の身だ。
だが。
「……最近ろくに連絡も返してねぇしな」
クロエのあの怒った顔。あの睨み。
別に怒鳴り声を浴びせられたわけでも、泣かれたわけでもないのに、胸のどこかがズキンと痛んだ。
向こうの世界で、誰かにこんな風に心配された記憶なんて――ほとんどない。
バイト、課題、ラーメン屋の仕込み。親父と小言の応酬をして、店が終わったら漫画喫茶で寝て。……そんな生活じゃ恋愛なんて片隅にも置けなかった。
だけど、この世界での俺――ライにはクロエがいる。
だったら、せめて今は――
ちゃんと向き合わねぇとな。
部屋の棚から普段着を引っ張り出す。とはいえ、候補生用の私物なんてたかが知れている。黒の薄手パーカーに、下は戦闘訓練でも着てるパンツをそのまま。裾をまくって、ブーツの中にしまいこむ。胸元のタグには“R-0719”の番号。……これ、外に出ると地味に浮くんだよな。ま、仕方ないか。
髪をざっと整えて、タブレットで現在の区域状態を確認する。
《中環層 第五区:人工庭園エリア》――現在、立ち入り制限なし。
予定通り、そっちでクロエと合流だ。
「……よし」
ドアを開け、静かな寮の廊下へと足を踏み出す。
寮舎――正式名称 《候補生居住第三区》。
外装は金属フレームと灰白の耐震パネルで構成され、構造的には居住施設というより半地下型のシェルターに近い。天井には青白く光る導雷管。雷霊素を直接通すその装置が、夜でもこの通路を明るく照らしている。
廊下を抜けて中庭に出ると、眼前に広がるのは整然と並んだ高層区画。
《リング・アーバン層》――エレクトロニアの中環都市。
光導管を這うように走る吊り下げモノレール《雷鱗ライン》がビル群の間を縫うように高速移動し、時折閃光のような尾を引いて消えていく。
夜の街を照らすのはネオンじゃない。霊素塔から放たれる雷霊光だ。
空に浮かぶマナ分散板が、青白い帯を広げて天井のように広がっていた。
地上ではマナ適合型の自動搬送機が滑るように道路を移動し、各区画へ物資を運ぶ。
その合間を縫って、市民たちが街を歩いている。皆、軍人か研究者か――あるいはその家族だ。こんな軍事都市で恋人と街を歩くってのも、ある意味で貴重かもしれない。
エリアゲートへと向かう途中、俺はふと反対側の空を見上げた。
そこには、中環層からさらに高く聳え立つ上層区画 《スパイア・クラウン》の尖塔が見える。
超高層研究棟群。
そこにはリアナがいる。あの、冷たくて優しくて、俺の記憶を混乱させる教官が。
クロエと約束してなければ――
いや、違う。今はクロエの時間だ。
俺はそっと胸元を押さえる。
さっき、クロエに「忘れてもいいけど、置いてくのはやめなさいよ」と言われた時、なぜか――目頭が熱くなったんだ。
……なんだよ、これ。
こんな感情、知らなかったはずなのに。
エリアゲートに到着すると、そこにはすでにクロエの姿があった。
ジャケットの袖をまくり、手すりにもたれてる。
風になびく長い髪。空気中の雷霊素が淡く光り、彼女の輪郭を照らしていた。
まるで、都市の灯りのなかで一番輝いているのは彼女だと言わんばかりに。
「……来んの、遅くない?」
「いやいや、俺の方が先だったってことで手打ちで」
「……ふーん。ま、許してあげる」
クロエはそう言って、すこしだけ笑った。
都市の光が、二人の影を長く引き伸ばしていく。
「で、どこ行くの?」
クロエがそう問いかけてきたのは、都市中環層・第五区のゲートを抜けて、人工庭園エリアへと続く歩行デッキに差し掛かったときだった。
夜気は思いのほか柔らかく、空気中を流れる雷霊素が微かにきらめいている。クロエの髪がふわりと風に舞い、散った粒子をまとっていた。
「……うーん」
俺は正直、返事に詰まった。
デートに誘ったのは勢いだった。
クロエの機嫌を取らなきゃってのが先で、肝心の「どこへ行くか」なんて、一切考えてなかった。
「何それ。ノープラン? ダサ」
「いや、そう言うなって……」
苦笑いしながら後頭部を掻く。
……だけど、頭の片隅に引っかかってたんだ。
クロエとの日々。どこかでこうして二人で街に出て、何気ない時間を過ごしていた――そんな記憶。
それは“ライ”としての記憶の中だけの話だ。
けれど不思議なことに、俺の脳は、その記憶を“確かに存在したもの”として認識していた。
まるでそれが「雷牙」としての自分よりも、もっと深く刻まれているような。
思い返せば、いつもこんな風に始まっていた。
一日に一度の自由時間。2時間だけ外出許可が下りる。候補生とはいえ、都市の管理区域の一部にはアクセスが認められていて、そこにはレクリエーション施設やカフェ、資料展示館などが点在していた。
「今日は歩こうよ」
「またバイク? たまには歩いて観たいんだけど」
「しょうがないな、クロエさんのご命令ならな」
……確か、そんなやり取りをしていた気がする。
エレクトロニアの中環都市は、“機能美”と“実用性”の両立をコンセプトに設計されている。
街の路面は雷霊素を効率よく循環させる導電素材で構成され、いたるところに霊素拡散塔が立ち並ぶ。それらの塔が青白い光を放ち、都市全体を幻想的に照らしている。高架歩道は多層に分かれ、徒歩とホバーカーが交差することなく移動できる構造だ。
そして、その中心に位置するのが《共鳴プラザ》。
プラザでは霊素の流れを可視化したホログラムアートや、都市に貢献した雷導兵の記録映像が上映されている。
子供たちは光の粒を追いかけ、大人たちはベンチに座ってそれを眺める。
軍都でありながら、この都市には確かに「市民生活」という彩りが存在していた。
その中を、俺とクロエは歩いていた。
手をつなぐことはなかったけど、隣に彼女がいると不思議と心が落ち着いた。
気だるげで口は悪いのに、興味のあるものに近づくと彼女は子供みたいな目をする。
それが可愛くて、ついからかいたくなって、怒られて、でもまた笑って――
「おい、ボーッとしてないで歩きなさいよ、ほら」
「わ、わかってるって!」
俺は現実に引き戻されて、足早にクロエの後を追った。
「思い出してた? 前のこと」
唐突にそう聞かれて、俺はギクリとする。
「……あぁ、まぁな」
「あんたさ、最近ほんと変だったもん。急に連絡よこさなくなったかと思えば、訓練の時もぼーっとしてさ。……記憶、混乱してるんでしょ?」
その言葉に、俺は返す言葉を失った。
図星だった。
そして、きっとクロエはわかってた。俺が“雷牙”と“ライ”、ふたつの狭間で揺れていることを。
「でも、思い出してたってことは……少しは“こっち”を選んでくれてるってことだよね?」
そう言って、クロエはちょっとだけ笑った。
その笑顔を見て、俺は答えを言葉にする代わりに前へ一歩踏み出す。
「共鳴プラザ、行こうぜ。たしか、夜の霊素ショー、あれ、すげー綺麗だったろ?」
「……ふふん、よく覚えてるじゃん」
「まぁな、そーいうとこは記憶力いいんで」
「あっそ。じゃ、忘れないうちに案内しなさいよ、リーダーさん」
「へいへい、承りましたお嬢様」
肩を並べて歩く。その距離は、かつてよりほんの少しだけ近かった気がする。
都市の空は、霊素塔の光に染められて、星すら霞んで見える。
けれど――
その隣で微かに笑う彼女の横顔が、今の俺にとって、何よりも確かな光だった。




