第13話 爆雷ガール参上
◇
違う。……これは「俺」の人生じゃない。
そう、何度も何度も頭の中で繰り返す。朝の点呼で軍靴の音が響くたびに、訓練場の赤茶けた砂を踏みしめるたびに、その違和感はむしろ強まっていった。
俺の名前はライ。雷導兵候補生番号 《R-0719》。毎朝5時に起床、6時から体術訓練、7時に霊素測定。8時からは座学――「雷霊素の共鳴特性とその応用理論」。おいおい、理論もなにも、こっちは昨日の疲労共鳴で半分意識が飛んでるってのに。そう思いながらノートを開いてる俺の指は、何故か“とんこつスープ黄金比”とかいう謎メモを書き始めていた。
訓練中にふと、走り込みの最中に肺の奥が焼けるように痛む。その瞬間――頭の中に別の情景がぶわっと広がる。大学のグラウンド。夕暮れの空。キャッチボールをしていた仲間の笑顔。アホみたいにでかい声で笑ってたあいつら。汗と芝生の匂い。……ああ、あれだ、俺、あのとき「普通の青春」ってやつをしてたんだ。
だが現実はどうだ? 今の空気は鉄の味がするし、隣を走るのはムキムキで無言の兄貴(24)と、マナ過剰で常時ビリビリしてる女(17)。全員、「今日も霊素共鳴頑張ろう!」みたいなテンションで、全然頑張りたくない俺を容赦なく追い越していく。
射撃訓練でトリガーを引けば、標的を貫いた銃声の直後に――謎の記憶がまた蘇る。寸胴鍋のフタを開ける「カーン」という音。厨房の中、油とスープの香り。汗だくでラーメンをかき混ぜる自分。……いやいや待て、それ何の記憶だ? 俺、ラーメン屋やってたのか? ていうか、振ってたのが菜箸じゃなくて銃だったら、今ごろ厨房は焦土だろ。
俺は――誰なんだ?
ラーメン屋を夢見てた神谷雷牙なのか。
雷導兵計画の中で生まれ変わった「ライ」なのか。
二つの記憶が俺の中でぐるぐる交錯して、毎日頭の中が渋滞していた。
ベッドに沈み込んでいた俺の思考は、天井の無機質なライトを見つめながら堂々巡りを続けていた。もうラーメンの匂いもしなければ、あの店のテレビの雑音もない。あるのは無音の天井、白い壁、そして寝汗を吸ったこの固いマットレスだけだ。
――その時、
カンッ。
ドアの金属ノブが、乾いた音を立てて回った。
「は……?」
誰かが訪ねてくる予定はなかった。こんな時間に。
「おい、開けなさいよライ。いるのわかってんだからね?」
その声に、俺の心臓が跳ねた。
一瞬で、脳裏に“彼女”の輪郭が浮かんでくる。翡翠色のロングヘアに、ギラリと光るピアス。紫の瞳に、ツンと尖った口元。いつも肌を大胆に晒すその服装――戦闘訓練よりも都市のクラブに似合いそうなその雰囲気は、彼女をひと目で“普通ではない”と理解させるには十分だった。
ドアが勢いよく開く。
「やっっっっっと開いたわね、ほんとムカつく……!」
入り込んできたのは、ギャル然とした美少女――クロエ・レインだった。
髪は濡れている。軽くシャワーでも浴びてきたのだろう。水滴が肩からTシャツの黒地に染み、胸元の大胆な切り込みから覗く谷間に滴る。ピアスとチョーカー、目を惹くネイル。腰まで伸びた髪をかき上げながら、彼女は俺の部屋の中央に仁王立ちした。
「……えっと」
「なーにその顔。忘れた? あたし、あんたの彼女ですけど?」
その一言に、思考が数秒止まった。
ああ、そうだ。
この世界での俺――ライには、彼女がいたんだ。
「……クロエ、か。」
「うっわ、今思い出した感じ出すのやめて? まじで引くから」
クロエは腕を組み、ヒールを打ち鳴らすように片足を軽くトントンと踏む。その仕草がやたらとサマになってて、俺は目のやり場に困った。
「最近全っ然、連絡くれないじゃん。訓練終わりに一言も返さないし、見かけても無視。何? あたしと付き合ってた記憶も飛んだわけ?」
言葉のトゲはあるが、それは彼女なりの心配の表れだと直感で分かった。怒りよりも、寂しさが滲んでいる。
……ごめん、クロエ。
正直、こっちの記憶と向こうの記憶が混線してて、お前の顔を見ると“誰だったっけ”ってなるんだよ。
でも、そんなこと面と向かって言えるわけないだろ。
「いや、違うんだ。ちょっと色々あってさ」
「“色々”で通じるほどチョロくないんだけど?」
やばい。やばいやばいやばい。
……完全に怒ってる。
クロエのヒールのトントンがもはや地雷原のカウントダウンにしか聞こえない。あのピアスの揺れも警告灯に見えてきたし、なぜか目の奥から“すぐ爆発します”ってサインがビンビン伝わってくる。
(まずい……これは……雷導兵の模擬戦より怖いやつだ)
“何? あたしと付き合ってた記憶も飛んだわけ?”
その一言に、俺の中の防衛本能がフル回転を始めた。
(やべぇ、これは地雷原どころの騒ぎじゃねぇ。俺は今、“爆心地”に立ってる)
慎重に言葉を選べ。下手なことを言えば、次に俺が目を覚ますのは訓練所の医務室だ。というか、前にもこんなことがあった気がする――“謝るタイミング逃して三日無視された地獄ウィーク”ってやつが。あれは本当に堪えた。三食「は?」で返されるあの冷凍庫みたいな空気、もう二度と味わいたくない。
(落ち着けライ。思い出すんだ、クロエとの付き合い方……!)
ギャルだ。ギャルは機嫌を取るにもテンポが命だ。中途半端に真面目ぶって「ごめん、心の整理がつかなくて……」なんて言ったら即死だ。理由は聞いてない、結果を出せ。それがギャル対応の基本。
俺は深く息を吸った。
(ここは、ひとつ、華麗にかわすしかねぇ……!)
「あー……俺、最近ちょっと脳みそがバグっててさ……」
「都合悪くなるとすぐバグるのやめてくれる? それ初期不良だから返品案件」
キレッキレの返し。これだよ。これがクロエ・レイン。マナ共鳴より鋭く、実弾よりも重いツッコミをしてくる候補生きっての“爆雷ガール”。
その圧に耐えながら、俺の脳内では全力で“打開策会議”が開かれていた。
「作戦名:怒れる彼女の機嫌を300秒以内に取れ」
議長:俺。
参加者:俺の焦り、俺の本能、そして日本で培った「デートに誘えばだいたい何とかなる理論」。
(……よし、賭けるしかねぇ)
目の前で腕を組んで仁王立ちしてるクロエに向かって、俺は全てを懸けて言葉を発した。
「……なら、埋め合わせする。今日さ、空いてる?」
クロエの紫の瞳が一瞬だけ揺れる。
「は?」
「今から、街出ようぜ。中環層の第五区……人工庭園、空いてたろ? あそこなら立ち入り制限ないし、夕焼けきれいだって、前お前言ってたじゃん」
「え、ちょ、ちょっと待ってよ……! 急に何、デート誘ってんの? アポ無し?」
「予定とかあったらアレだけど……お前に会いたかったのは本当だ」
口から勝手に言葉が出ていた。俺自身も驚いたくらい。
「……っ」
クロエは唇を少しだけ尖らせ、目をそらす。
「そーいうの、ズルいんだけど。……ったく、しょーがないなー……」
言いながらも、クロエは俺の部屋の壁のフックから自分のショートジャケットを手に取って羽織った。
「20分後にエリアゲート前集合。あたしの方が先に着いたら、ジュース奢りね?」
「はいはい、分かったよ」
「……ん。あとさ」
扉のところで、ふとクロエが振り返る。
さっきまでのギャルモードとは違う、少し素の表情。
「忘れてもいいけど、置いてくのは……やめなさいよ」
「……ああ。分かってる」
扉が閉まったあと、俺はしばらくベッドに座ったまま動けなかった。
この世界での“俺”には、確かにクロエって彼女がいて。
多分、たくさんの時間を一緒に過ごしてきたんだろう。
記憶がつながらない。でも、心はちゃんと反応してる。
――そうか。これが、ライってやつの人生なんだ。
胸の中に、小さな音で“雷”が鳴った気がした。




