第10話 俺の夢は湯気と寸胴にあったはずなのに
訓練生としての新しい日常が、静かに、だが容赦なく始まった。
隔離室から解放され、あの閉鎖空間からようやく脱出した俺は、ほとんど猶予もなくそのまま寮生活に組み込まれた。再会したレオンとユリウスの顔を見て「やっと知ってる人間がいる……」と内心で泣いたのも束の間、俺の身分はすでに「雷導候補生ライ」として登録されていた。どうやら、出所と同時に就職が決まっていたらしい。
朝は、機械的な鐘の音で目覚める。
まだ街が薄闇に包まれている時間帯、尖塔都市エレクトロニアの先端が蒼白い雷霊素の光を放ち、それが部屋のカーテンを透過して室内に幻想的な青のグラデーションを描く。まるで都市そのものが夢を見ているような、そんな朝。だが情緒に浸ってる余裕なんてものは存在しない。
起床と同時に、共鳴音が施設全体に流れる。都市中枢にある《共鳴塔》から発せられる低音のリズムは、体内の雷霊素を同期させるためのものだと教官が言っていた。いわば都市と自分の“呼吸を合わせる”儀式。最初は気持ち悪かったけど、今は……なんだか、朝の歯磨きみたいな感覚になってきた。
点呼は広場に整列して行う。
吐く息が白くなるほどの寒さの中、並んだ候補生たちは、規則正しく声を合わせて番号を叫ぶ。俺の左ではレオンが「イチ!」とバカでかい声を張り上げ、右のユリウスはまるで時計の針のような正確さで「ニ」と呟くように応答する。そのリズムに釣られるように、俺も自然と「サン!」と声を上げていた。気づけば、もう数に違和感すら覚えていない。
朝食は大広間の食堂で。
白い大理石の床、高い天井、壁には雷導連合の紋章が飾られている。長いテーブルに候補生たちがぎっしりと並び、無言でスープとパンを口に運ぶ。スープは淡泊だが温かく、胃に染みる。けど個人的には、もう少し出汁のコクがほしい。いや、それはラーメン脳のせいかもしれない。
午前は走り込み。
これがまたキツい。見渡す限りの砂地の広場を、号令に合わせて周回する。肺が熱を持ち、脚が棒になる。それでも俺の身体は止まらなかった。というか、止まるという選択肢をどこかに置き忘れてきたみたいに、自然と前に進んでいた。過去の俺なら倒れてる。けれど今の俺は違う。……どうして?
午後の訓練は武器訓練。
銃器の分解、組立て、照準の合わせ方、呼吸の整え方。最初はまるで異国の道具を扱ってる気分だったけど、手が勝手に動く。引き金を引けば、弾は正確に的を撃ち抜いた。指に残る金属の匂いが、なぜか心の奥でラーメンの湯気と混ざる。
「なんで俺の脳内、銃の引き金と寸胴の蓋が並んでんだよ……」
思わず心の中でツッコミを入れる。
記憶の混線か、それともこの世界が俺に“そうあってほしい”と押しつけてくるのか。分からない。でも、銃を握る手も、菜箸を握っていた手も、今やどちらも「俺の手」だ。
夕方は模擬戦。
廃ビルを模した訓練場で、チーム単位で突入訓練を行う。レオンは相変わらず突撃バカ、ユリウスは冷静な司令塔、俺はその中間で咄嗟に動く係。あれ? これ、高校の文化祭のときも似たような役回りだった気がする。だとしたら俺、前世から変わってねえな。
そして夜。
また食堂で食事。疲れきった仲間たちがパンを齧りながら笑い合い、時にはうつ伏せで寝そうになりながらも、なんとか一日を終える。レオンにドカッと背中を叩かれて、ユリウスに「反応遅い」と冷たく言われる。それを聞いて笑い返す俺がいる。昨日までは「なぜここにいるのか」で頭がいっぱいだったのに、今は「明日の訓練、また坂道ダッシュか……」って愚痴を考えてる。
不思議なもんだ。
ここは地球じゃない。大学でもない。俺の知ってる世界でもない。
それでも――この日常が、少しずつ、俺の中に“馴染んで”きている。
ラーメン屋のはずだったのに。
今の俺は、軍靴を履いた兵士の卵である。
――訓練を終えた俺は、文字どおりフラフラになって部屋へと戻った。
一日の締めくくりは、例の寮の一室。質素を通り越して無機質な空間だ。鉄製のベッドがひとつ。真っ白な壁。窓もあるにはあるけど、外はいつも通り灰色の霧に包まれていて、星のひとつも見えやしない。
ドアが「ピシュッ」と軽い音を立てて閉まり、俺はその場で崩れ落ちた。
今日も――走った。撃った。転んだ。怒鳴られた。撃たれた(まあ、訓練弾だけどな)。
「ふぅ〜……」
無意識に、ラーメン屋で寸胴のフタを開けるときの癖で、手を腰に当てながらため息をつく。そろそろ肩にチャーシューでも乗っかってきそうな疲労感だ。
シャワーを浴びようかと思ったけど、もはやその気力すら残ってない。
服もそのままベッドにバタンと突っ伏すと、スプリングの跳ね返りがダイレクトに背中に来て、体中から「イテッ!」という悲鳴が脳に届く。
「これが……筋肉痛ってやつか……」
いや、違うな。
これは単なる筋肉痛じゃない。
たぶん、無理やり訓練に適応させられている身体の悲鳴だ。
この世界では、属性霊素(魔力)とかいうエネルギーで身体能力を底上げされているらしい。走れる距離も、出せる力も、反応速度も、全部“本来の自分以上”に引き上げられている。
そのせいで身体は動く。動けてしまう。
でも――中身はついてきていない。
筋肉は限界を超えて酷使されていて、神経は休む暇もなく刺激され続けている。
まるで身体そのものが、「こんな使い方、想定してないんだけど……」と訴えているみたいだった。
俺だって聞きたい。
なぜ朝から晩まで全力で走らされ、地面に伏せさせられ、銃を撃たされなきゃいけないんだと。
でも不思議なもんで――
今日の訓練中、レオンが「ライ、カバー入れ!」って叫んできて、俺が反射的に前に出て、ユリウスが「よし、右から回り込め」とか淡々と言ってくる、そのやりとりが、なんだか嫌いじゃなかった。
「……俺、馴染んでんのか?」
独り言を呟いて、自分でもゾッとした。
最初は「こんな異世界ふざけんな!俺はラーメン屋になるんだぞ!」って叫んでたのに、いまじゃ「明日の訓練、雨だったらいいな」とか考えてる。願望のスケールが小さくなってきてる。
人間ってのは、環境に慣れる生き物だって話は知ってたけど……おいおい俺、順応しすぎじゃないか?
ふと、ベッドの横に置いてあった支給端末を手に取る。
小さな画面には、「明日の訓練予定」「霊素同期率の記録」「共鳴レベル:安定域」など、いかにもSFな単語が並んでいる。大学でスマホをいじってた頃とはまるで違う世界。でも、指の動きはなぜか迷わない。不思議と、こういう操作には慣れている。
それは、俺の中にある“もう一つの記憶”がそうさせているのかもしれない。
異世界の俺。戦士として生きた誰か。魔獣と戦った過去。
それが本当に俺なのか、それともただ埋め込まれた情報なのか、まだ分からない。でも、もう「他人事」としては切り離せないところまで来てしまっている。
「ラーメンのスープも、寝かせると味が染みるんだよな……」
意味不明な独り言を吐いてから、我ながら笑ってしまった。
俺の頭の中では、銃の構造とラーメンの出汁が混ざってる。雷霊素の流れを読むための“霊感”と、ネギの切り口を見分ける“職人の勘”が、同じフォルダに収まってる感じ。
「……なんだこれ」




