第7話 経過観察
訓練初日。
といっても「さあ今日から頑張ろう!」なんて張り切れる状況じゃなかった。俺はまだ状況を半分も理解してない。昨日まで(体感的には)大学生で、ラーメン屋を継ぐ未来しか考えてなかったのに、いまや軍服着せられて兵士候補生だ。いや、無理だろ。ラーメン鍋と寸胴が俺の武器であって、銃や剣じゃない。
そんな俺をよそに、帝国は容赦がなかった。
「経過観察扱い」ということで、俺は隔離室から引きずり出され、寮と呼ばれる場所へ移送された。警備兵とリアナに囲まれて歩く廊下は、相変わらず無機質で、壁の導管が低い唸りをあげていた。足元の床は硬質で、足音が一定のリズムを刻む。
そして辿り着いた先――鉄の扉が開いた。
そこに広がっていた光景に、俺は思わず息を呑んだ。
狭いが生活感に満ちた部屋だった。
木製の机の上には散らかったノートと筆記具。壁には古びたポスターや訓練計画表。窓際には、埃をかぶったマグカップが置かれている。ベッドの上にはきちんと畳まれた軍服と、使い込まれたタオルが投げかけられていた。
……あれ? 俺、ここに住んでたっけ?
心臓がざわついた。
この部屋は俺の知らないはずの空間だ。けれど、視界に入るもの一つひとつが、俺の記憶を呼び覚ましていく。机に刻まれた小さな傷も、タオルに残る洗剤の匂いも、すべて「知っている」。
頭の中に、鮮明な映像が流れ込んできた。
深夜まで同室の訓練生とくだらない話をしていたこと。早朝、まだ眠い目をこすりながらベッドを抜け出し、廊下を走ったこと。教官に怒鳴られて肩をすくめたこと。
壁際のポスターを見た瞬間、隣で笑っている別の訓練生の顔が浮かんだ。名前までスラスラと口をついて出てくる。
「おいライ、また寝坊かよ!」
……声が聞こえたような錯覚すらした。
いや、待てよ。俺はこんな経験をした覚えはない。してるはずがない。だって俺は日本で、大学のキャンパスで授業を受けてたんだ。バイトのシフト表に文句言いながら、ラーメンの仕込みを手伝ってたんだ。
なのに、どうしてこんな映像がこんなにも鮮やかに浮かぶんだ。
俺は机に手を置いた。木目のざらつきが指に触れた瞬間、吐き気がこみ上げた。まるで「日本の記憶」が遠のいていくように感じられたのだ。
大学の講義室、友人の笑顔、父ちゃんのラーメン屋の匂い。どれも霞がかった映像みたいに曖昧になっていく。
……怖い。
自分が本当にどこに属しているのかわからなくなる。
この部屋は俺の「現実」なのか? それとも「偽りの記憶」なのか?
背筋が冷えた。
そこへ、扉が開いた。
リアナが入ってきた。軍服のラインがきっちり整っていて、まるで一枚の絵画から抜け出してきたみたいに隙がない。
彼女の姿を見た瞬間、また別の記憶が流れ込んでくる。
訓練場で彼女に叱咤される俺。銃を構える腕を直される俺。時に冷たく、時に優しく微笑むリアナ。
……いや、嘘だろ。
これ以上「知っているはずのないリアナ」を俺に植え付けるな。俺の知っている彼女は、こんなところにいるはずがないのに…
「顔色が悪いな」
リアナが淡々と告げる。
「経過観察はまだ続く。無理をするな。ここは君の部屋だ。落ち着け」
「……俺の部屋?」
俺は乾いた声で問い返す。
リアナは一瞬だけ瞳を揺らし、しかしすぐ冷たい色を取り戻した。
「そうだ。君がここにいたことは記録に残っている。すべて君自身の痕跡だ」
痕跡。
その言葉に、俺は机に置かれたノートを開いた。文字が書き込まれている。整然とした筆跡――そして、それは確かに俺の字だった。
心臓が跳ねた。手が震えた。
ここに確かに俺がいた証拠が残されている。
だけど俺は知っている。俺は日本で、父ちゃんの横で寸胴をかき混ぜていたんだ。講義に遅れて、教授に怒鳴られていたんだ。
なのにこの部屋の「俺」は、まるで別の人生を歩んでいたようにありふれた痕跡を残している。
――どちらが、本当の「俺」なんだ………?
夜、ベッドに横たわりながら天井を見つめた。
灯りは淡く揺れ、壁を青白く染めている。遠くから聞こえるのは、候補生たちの笑い声や足音。生活感に満ちていて、まるで長年ここにいたような錯覚を強める。
俺の意識は、日本にいた俺をかき消し、この部屋に馴染もうとしていた。
気づけば父ちゃんの声よりも、リアナの叱咤が鮮明に聞こえる。
大学の講義室よりも、訓練場の砂埃の匂いが鮮烈だ。
俺はベッドの上で呟いた。
「……俺のラーメン人生、どこいったんだよ」
誰も答えなかった。
ただ、遠くの笑い声がこの部屋を現実に縫い止めているように響いていた。
息苦しさを拭うように無意識に立ち上がり、寮室の扉をそっと開けて廊下に出た。
深夜の施設内は薄暗く、床に埋め込まれた照明が足元だけを照らしている。すれ違う人影もない静かな空間を抜け、俺は屋上へと続く階段を昇っていた。
外の空気が、喉の奥まで突き刺さるように冷たかった。
金属と湿気の匂いが混ざった空気はどこか機械的で、自然とは異質な清潔さを持っている。だけど、それでも“地上”の空気だった。少し安心する。ただ少し、寂しくもなる。
機械都市エレクトロニアは、上空から見れば一枚の精密回路に酷似している。
都市中心を貫く《雷導主塔》は、霊素波を都市全域へ放射する巨大な神経核であり、その塔から伸びる幾千の霊導管が、円弧状に都市の各層へと流れ込んでいる。光の帯は金属の街路に沿って配置され、全ての建造物はその“神経網”に沿って配置されている。都市の表層はまるで静かに痙攣する皮膚のように、薄蒼の脈動で微かに明滅していた。それはまるで塔の拍動にあわせて、都市が呼吸しているようでもあった。
その光景は、候補生寮の屋上から見上げた現実であり、同時に――
いつの間にか“この世界”を受け入れつつある俺の視界のフィルターを通して見えているものだった。
見下ろせば、上層 《スパイア・クラウン》は光沢のある刃物のようだ。統帥宮と参謀棟、学術院、それから空路ドックの唸り――どれも音を立てずに速い。塔の肩口に装着された無数の共鳴子が、都市全域へ基準周波を撒布する。舗道の石は乾いていて、幾千もの人々が行き交う雑踏や喧騒の靴音が夥しく正確に吸い込まれていく。
中環 《リング・アーバン》は、生活の厚みでたわむ。市場ではマナ灯の傘に果実の赤が乗り、工房は金属の焼ける匂いを吐き、劇場からは拍手が薄くこぼれる。光の導管は手すりのように街路に沿い、緊急時にはそのまま防御幕へと反転する。
下層 《アンダーグリッド》は、配管と廃線、そして人の生活が絡み合う迷路だ。旧導管が骨のように露出し、錆の粉が空気に混じる。ところどころに《鎮魂廟》の小さな礼拝室が口を開け、さらに深部には共鳴が歪んだ「ディストーション・ブロック」が縫い目のように点在している。
この巨大な都市の心臓部――そこに、《雷導中央育成局(LCA)》がある。
上層に展開する五角形のメインキャンパス。下層には訓練棟、適合化棟、霊素試験区、戦術演算ラボ、そして《共鳴試験塔》が都市神経に直結するかたちで接続されている。
移動通路は立体的に二重化され、霊素粒子と情報データを同時伝送できる霊導膜が張られている。書くと案内のようだが、実際は歩くだけで肺の奥が金属の苦味を覚える。
ここでは、すべてが塔の鼓動に従う。
霊素光は時間に応じて蒼から白へと変化し、食堂では配膳ドローンの動きに合わせて人々が列をなす。候補生の居住階層は等級ごとに明確に分離され、動線も生活圏も管理されている。
俺は、柵に手をかけて夜風を受けた。
霧がかった空に浮かぶ《雷導主塔》のシルエットは、都市全体を支配する神経のように見えた。塔の脈動に呼応して、導管がほんのわずかに光を帯びる。淡く、呼吸するように。
その灯りがどこかで誰かを照らし、また誰かの夜を守っている。
きっとこの瞬間も、訓練場で自主訓練してる奴がいて、仮眠室で夢も見ずに眠る者がいて、指導官室でレポートに追われてる教官もいる。
そんな“都市の鼓動”の一部に、今の俺も含まれているのだと思ったら、背中にじんわりと重さが落ちてきた。
……ここに、居るんだな、俺。
思わずそんな言葉が喉元まで上がった。
でも口に出したら、本当に戻れなくなる気がして、俺はただ唇を噛んだ。
俺の居場所は――ここなのか?
それとも、まだ“あっち”なんだろうか。
頭の片隅で、寸胴をかき混ぜていた父ちゃんの姿が揺れている。
湯気に霞んだ厨房。古ぼけた時計。テレビから流れる再放送の時代劇。
……あの時間は、確かに俺のだった。
でも、それはもう取り出せない宝物みたいに、ガラス越しの記憶になっていく。
それなのに、エレクトロニアの夜景は鮮やかだった。
霊導光が筋道のように流れ、どの光にも「意味」があるように見えた。
訓練棟の屋根に反射した薄青の輝きが、夜風に揺れる。無音の音楽みたいに、俺の目を奪って離さなかった。
「……こんなに綺麗に見えるの、ズルいな」
小さく呟いた声が、風にかき消された。
やがて、階段の下から足音がひとつ。
「――やっぱり、ここにいたか」
聞き覚えのある声に振り返ると、そこにはリアナがいた。
訓練服の上に薄手のコートを羽織り、いつものように背筋を伸ばして立っている。
でもその表情には、訓練場で見せるような厳しさはなく、どこか――親しみのような、遠慮のような、そんなものが滲んでいた。
「不安か?」
俺は答えなかった。
リアナは柵に寄って、俺の隣に立った。少しの間だけ、沈黙があった。
そして、ぽつりと呟くように言った。
「最初は、誰だって混乱する。思い出せないのも、混ざるのも、ここでは珍しいことじゃない」
「……記憶のこと、か?」
「君は“特異事例”だ。霊素適合率、神経伝導値、訓練反応……全てが正常とは言えない。だが逆に、それだけ“可能性”があるということでもある」
「可能性、ね……」
その言葉が、妙に白々しく聞こえた。
俺は、未来になんて期待してなかった。ただ、あの日々を、ラーメンの匂いを、あの時間を、全部捨てたくなかっただけだ。
「俺は、あっちの世界で……誰かの息子で、大学生で、バイトして、ふつうに――」
「分かってる」
リアナが、静かに遮った。
「記憶は失っても、身体が覚えている。心が覚えている。それを否定しようとは思わない。だけど――」
彼女はそこで言葉を切り、塔を見上げた。
「君は今、ここに立っている。君の足で、君の意志で」
「……そんな立派なもんじゃねえよ」
「それでも、今ここにいることは変わらない。それは、君自身が決めた“証拠”だと思うよ」
リアナの言葉が、都市の鼓動と重なって胸に染み込んでくる。
俺は、あえて彼女の顔を見なかった。ただ、その言葉の熱を背中で受け止めていた。
しばらくして、リアナは軽く肩をすくめて笑った。
「まあ、今は悩め。全力で。ここはそういう場所だから。悩んで、もがいて、泣きたくなったらまたここに来ればいい」
そう言って、彼女は踵を返した。
階段を下りる足音は、さっきよりも少し軽かった気がする。
夜風がまた吹いた。
塔の光はまだ、静かに脈打っていた。
俺はもう一度、都市を見下ろす。
ここに「俺」がいる――それを確かめるように、指先をゆっくりと握りしめた。
まだ迷ってる。まだ全部、納得なんてできてない。
でも――
この世界の空気を吸って、この都市の地面を踏みしめて、
少しずつ、俺は「ここでの自分」に輪郭を与えている気がした。
ゆっくりと深呼吸をして、俺は屋上をあとにした。
明日がどんな一日になるかなんて分からない。
でも、今はそれでいいと思えた。
なあ、父ちゃん――
俺もうちょっとだけ、こっちで頑張ってみるわ。




