第6話 俺のラーメン人生どこいった?
風がないのに、どこか冷たい空気が肌を撫でる気がした。
訓練場には独特の緊張感が漂っていた。兵士候補たちの掛け声が規則正しく響く中、俺だけが異物のようにその場に立ち尽くしている。まるで舞台の袖から間違って表舞台に出てしまった役立たずのエキストラだ。
リアナはそんな俺をちらりと一瞥し、なにか言いかけたが、言葉を呑み込むように視線を外した。
「君には特別な適応訓練が用意されている。案内するわ」
「え、あの……もう今すぐ帰るって選択肢は?」
俺の必死の訴えもむなしく、リアナは一歩も止まらず歩き出す。
その背中に導かれるまま、俺は半ば引きずられるように訓練場の端にある、やたら厳重な扉へと連れて行かれた。
内部は想像以上にハイテクだった。
白を基調とした廊下に、天井を走る青い霊素管。低い振動が床から伝わり、まるで建物そのものが生きているような錯覚を覚える。
「ここは“適合化棟”。雷導兵としての適性を検査し、必要であれば遺伝修正や神経再構築を行う施設よ」
「へえ~……っておい待て、今さらっと言ったけど、それ、絶対ヤバいやつだよな!? “再構築”って人体に対して軽々しく使う単語じゃないからな!?」
リアナは足を止めず、扉を一つ開く。
中には、無機質な診断機器と、コクピットのようなカプセルベッドが並んでいた。中央のスクリーンには、なにやら数値と脳波らしきグラフがびっしりと並んでいる。
「安心しなさい。基本的な適応テストだけよ。過去の記憶とこの世界の記憶が混在している場合、処理能力に偏差が出ることがある。君はその典型例だから」
「それ全然安心できないよ!? っていうか、やっぱりこの記憶の二重奏状態って異常なんだな!?」
「異常ではない。……稀にある、だけ」
微妙に言葉を濁したリアナの顔には、何か言いづらいことを隠しているような影が見えた。
だが、俺にはそれを問い詰める余裕はない。なにせ目の前には“脳波解析装置(ご丁寧にプレートがついてた)”と書かれた、見るからにヤバそうなベッドがあったからだ。
「……入れって言われてもなあ……いや、別に怖くないけど? うん、全然怖くないけど?」
「そう。なら問題ないわね。入って」
「いやいや待って待って! その“問題ない”の判断が早すぎるって!」
――数分後、俺はリアナと無表情な技術員たちに囲まれて、しっかり固定されたベッドの上に寝かされていた。
「それではテストを開始します。軽度の幻覚、感情波の乱れが生じる可能性があります。リラックスしてお過ごしください」
淡々とした声でそう告げたのは、白衣に身を包んだ技術員だった。年齢不詳、性別も不詳、表情はもちろん不詳。要するに、魂まで冷蔵庫で保存されてそうなタイプだ。
「リラックスってなぁ……」
言葉には出さなかったが、心の中で絶叫した。こちとら目の前のモニターが怪しく点滅してる段階で、すでに心拍数が倍速モードに突入している。リラックスできるならとっくにしてる。むしろ、こんな状況でリラックスできる奴がいたら尊敬するし、たぶん友達にはなれない。
スクリーンがぴくりと点滅した次の瞬間――世界がぐにゃりと歪んだ。
空間がねじれ、視界が液体みたいに波打ち、脳みそがジェットコースターのコーナーで横滑りしていく感覚。
そして――
「おい、雷牙。火力上げすぎだ。スープが跳ねるぞ」
目の前に、父ちゃんがいた。ラーメン屋の厨房だ。カウンター越しに立つ父の姿、湯気にけぶる厨房、香ばしく立ち上る香り。
「あ、ごめん父ちゃん。でも今日はさ、ちょっと濃いめにしたくて……」
これは――俺の記憶だ。
忘れられるわけがない。毎日見てた背中。汗と油とスープの匂いが染み込んだ作業着。カウンターの奥で笑いながら客にラーメンを出していた、あの父ちゃん。
熱い鍋、跳ねるスープ、どんぶりを並べる自分――
「雷牙、味玉はあと三分だぞ」
「了解!」
……完璧だった。すべてが現実だった。いや、現実“だった”。
なぜなら、その直後。
「──ライ! こっちは制圧できねぇ! 左から回れ!」
空気が変わった。耳が爆ぜる。
視界の隅で閃光が走り、耳に飛び込んできたのは銃声と爆発音。周囲は瓦礫にまみれた戦場へと姿を変えていた。煙と鉄と焦げた血の臭い。
――スープ鍋が、アサルトライフルに変わっていた。
「なんだ、これ……!?」
叫びたかった。けれど身体は勝手に動いていた。銃を構え、土煙の中を走り抜け、誰かの背中を追っていた。
いや、これは――俺じゃない。
確かに自分の目で見ているはずなのに、その記憶には自分の意志がなかった。まるで他人の人生が、記憶の裏側からじんわりと浸食してきたような奇妙な感覚。
その誰かの叫び声が、なぜか懐かしく胸に響いた。
どこまでが現実で、どこからが幻覚なのか。
混濁する記憶の底で、俺の意識はぐるぐると渦を巻いていった――
*
「うあっちぃ!? な、なんだこれ……!?」
意識が戻ったとき、俺はベッドの上で仰向けになっていた。額は汗でびしょ濡れ、喉はカラカラ、胸はまるで連打でも喰らったかのように上下している。
「ふむ。記憶干渉深度はレベル3……適応指数、想定を上回ってますね」
端末を操作していた技術員が、メモを取りながらぼそりと呟いた。リアクションはまるでプリンター。淡々、機械的、無感動。
傍らにいたリアナ教官が小さく頷き、俺の顔を見下ろして言った。
「……君は、まだ“安定していない”。でも訓練には進める段階にある」
俺は無言でうなずいた。というか、うなずく以外できなかった。
あの映像、あの記憶は一体何だったんだ?
ラーメンの湯気と戦場の煙。温かい厨房の光と、爆裂する銃火の閃光。まるで水と油を混ぜたみたいに、俺の中に入り込んできて、まだ頭の奥でグルグルと回り続けている。
「これは訓練……なのか?」
そう問いかけたつもりだったが、口から出たのはただの弱々しい呻き声だった。
リアナが少しだけ眉を寄せて、それでもどこか慈悲のようなものを感じさせる口調で言った。
「……今のうちに、自分の“基準”を掴んでおきなさい。君にはそれが、誰より必要になる」
“自分の基準”。
何を、どこまでが、自分なのか。
どこまでが本物で、どこからが“植えつけられた幻”なのか――
俺は再び目を閉じた。けれど今度はラーメンも、銃声も、もう浮かんではこなかった。
ただ真っ暗な闇の中で、俺という“存在”の輪郭が、わずかに、――かすかに震えていた。




