第3話 俺はラーメン屋の店主になりたいだけなんだが?
◇
いや、待て。落ち着け俺。とりあえず深呼吸だ。パニクるな、焦るな、そして妄想するな。
まずは目の前の現実を受け入れろ。な?
……で、俺の目の前にいるのは誰だ?
あの茜色の髪。
涼しげな灰色の瞳。
そして、眉尻がほんのちょっと下がった癖――いやもう、それ完全に一致してるんですけど!?
まるで写真から抜け出したかのような完コピっぷり。
これはもう、誰が何と言おうと俺の高校時代の元カノ、“白石理亜奈”その人だ。
声も仕草も、ちょっと小首をかしげる癖まで一緒ってどういうこと!?
一瞬、「これはドッキリでは? 実はリアナのサプライズ再会計画?」とか思ったけど、冷たい鉄の床と無機質な照明の光が現実を突きつけてくる。
いや、こんなドッキリあってたまるか。
しかも理亜奈、もとい“理亜奈そっくりさん”が着てるのは、どう見ても軍服。
それもただの制服じゃない。いかにも「お前は逃がさねえぞ」って空気が漂う、冷徹仕様のやつ。
おまけに背景は――はい、壁は金属、天井に監視カメラ、鉄扉が自動開閉。
どこのラーメン屋だよこれ!? 調理場のテンションじゃねぇよ!
「意味が……わからん……!」
俺はその場にぺたんと座り込んだ。というか、もうとっくに座ってたわ。ずっと転がってたし。
頭がガンガンする。でも、それ以上に胸の奥――もっと深いところに、得体の知れないモヤモヤが渦を巻いている。
不安とか、動揺とか、そんな軽いもんじゃない。
たとえるなら――「お前の記憶、勝手に上書きしといたから、よろしく☆」って言われたような、そんな感じ。
……なんだ、この感覚。
目の奥がズキズキと痛みだし、視界の端がじわじわと滲んでいく。
天井の照明がジジ……と微かに鳴って、青白い脈動を放ったその瞬間――
俺の脳内に、“何か”が流れ込んだ。
銃を構える――というより「構えたことがある」という感覚。
誰かの掛け声に反応して、整列して走り出す。
見知らぬ都市の地図を、まるで自分の通学路のように把握している。
さらには「雷導兵士計画」……? え? なんだそれ? 名前からして物騒すぎるんだが?
……ちょ、待て待て待て。
この流れ、どこかで見たぞ?
……あれだ。テレビでやってる軍事ドキュメンタリーを、寝落ちしながら見続けたら夢に出てきた的なアレ。
いや、でもそれにしたってリアルすぎる。五感が全部、本物の現実を認識してる。
足の裏の感触、微妙に乾いた喉の痛み、そして……この「思い出したくもない」過去じゃない記憶。
俺は頭を抱えた。
「……なんだよこれ、マジでどうなってんだよ……」
心臓の鼓動が速い。
けど、それは単にパニックだからじゃない。
記憶のどこかに、「これは危険だ」ってアラートが鳴ってる。
“この状況に心当たりがある”ような――そんなおかしな感覚が、俺の中にあるんだ。
けどさ。俺、ラーメン屋の跡継ぎ目指してただけなんだけど?
なんでこんなスパイ映画の最終章みたいなことになってんの?
夢の中で「雷導兵士計画」とか言われてもさ、俺の脳みそ、スープの味の研究で精一杯だったんですけど。
……え、まさか。
これ、夢じゃなくて――記憶の“上書き”?
いやいやいやいや。落ち着け雷牙。深呼吸だ。
…………深呼吸できねえええぇぇ!!
「ライガ・カミヤ。安定度指数、臨界値付近」
女性――いや、リアナ(にしか見えない)が、端末を操作しながら低い声で言った。
は? ライガ・カミヤ? それ、俺の名前とほぼ一緒じゃん。日本語読みのままかよ。異世界ならもっとファンタジーっぽいカタカナネームで頼むわ。
俺は思わず声を上げた。
「なあ! ここはどこだ!? なんで俺は牢屋にいる!?」
必死の訴えに、彼女――リアナは、わずかに眉をひそめた。
いや、正確には「眉をひそめる」なんて可愛いレベルじゃなかった。見るからに「何言ってんの、このバカ」って顔だ。冷蔵庫より冷たい視線をぶつけてきて、まるでターミネーターばりの冷酷な表情――感情が最初からインストールされてないタイプの表情だ。
……なんつーんだろ、あの顔。悪役令嬢が下級平民を見下すときのやつ。しかも今回は笑顔なし、無言でジト目のフルコンボ。ガチモードでこっち見てくるのやめろ。
「落ち着け、カミヤ・ライガ。ここは機械都市 《エレクトロニア》、連合軍第七機関――《適合化棟》。君は雷導兵士計画における第七素体、覚醒直後の候補生だ」
さらっと言った。怖いくらいスムーズに言った。
起き抜けの人間にこういう情報を淡々と叩きつける訓練でも受けてんのか? 朝の校内放送じゃないんだから…
「ちょ、ちょっと待って!? 今なんつった!? 雷導……兵士……計画? 俺が兵士!? いや無理無理! 俺、戦うのとか無理だし! 俺が得意なの、ラーメン作りだぞ!? スープ煮込んで煮卵作って、チャーシュー巻くのが俺の人生なんだぞ!?」
混乱で言葉がぐちゃぐちゃになる。
チャーシュー巻くのが人生ってなんだよ、……って自分でも思ったけど、仕方ないだろ。誰だって急に「あなたは兵士です」なんて言われたら頭バグるに決まってる!
……でも、困ったことに、彼女の言葉と俺の中に流れ込んでくる“知らない記憶”が、どうしようもなく一致してしまってる。
ライフルの扱い方。雷霊素の共鳴理論。奇妙な戦術語と演算指令。
しかも身体まで……いや、マジで俺こんなマッチョじゃなかったし!? どこ行った俺のちょいぽちゃボディ!?
「……これ、夢じゃないのか……?」
自分の手を見ながら呟いた声に、誰も答えない。
そんな中、冷静すぎる彼女が淡々と口を開いた。
「カミヤ候補生。君の反応は……通常の“覚醒者”とは異なる傾向を示している。精神安定数値は、基準値以下。幻覚か、もしくは記憶混入の兆候かもしれない」
「いや、違う! 俺は幻覚なんか見てない! ただ、ただ……!」
俺はもう一度叫んだ。
「ラーメンのことを考えてただけなんだよ!!」
牢の隅っこで全力で叫ぶ姿、自分で言うのもなんだがちょっとアホだ。でも俺の中では真剣だった。
脳内にはスープのレシピと銃器分解マニュアルが同時に存在してて、どっちが現実か分からなくなってたんだ。そりゃ反射的に叫ぶって。
するとリアナが、一瞬、…ほんの一瞬だけ驚いたようにまばたきした。
「……ラーメン?」
「そうだよ! ラーメンだよ! 日本の国民食にして、人類の至高の発明! 豚骨だろうが味噌だろうが塩だろうが、みんな違ってみんな美味い! てかこの世界にラーメンってあんの!? なかったら俺が一から作るけど!? 店出すけど!?」
叫びながら俺は気づいた。
彼女の口元が……微妙に震えている。え、なに、笑った? 笑った今? 軍人モード解除された?
いや、それともあれか、思い出したのか? 俺のこと……高校時代の……リアナ――
「お前、やっぱり“リアナ”だろ!? なんで俺の初恋の彼女とそっくりなんだよ! まさか本当に……本物のリアナなのか!?」
距離を詰めて問いかける俺。
一方、リアナはほんのわずかに目を細め、そして静かに――まるで深呼吸するように――息を吐いた。
「……黙れ。ここでは私をその名で呼ぶな」
低く、冷たい声。でも、その響きの奥に、わずかな痛みが滲んでいた気がした。
「確かに私はリアナ・ヴェイル。だが、君が知る“リアナ”ではない。ここでは君の保護観察官であり、教官である。それ以上でも、それ以下でもない」
とどめのように言われたが、俺の心臓はなぜかドクンと高鳴った。
初恋の相手とそっくりの軍人教官。
目覚めたら兵士候補で、しかも超マッチョ化済み。
おまけに俺の頭の中はラーメンと銃器でごった煮状態。
えーと、これって……なんのジャンルだっけ?
恋愛? 軍事SF? ラーメン異世界冒険譚?
とりあえず一言だけまとめるとするなら――
「俺、どこのシミュレーターにログインしたんだっけ……?」」
とりあえず深呼吸だ。深呼吸すれば落ち着けるはずだ。
――いや、やっぱ落ち着けねえよ! 目の前に元カノそっくりの軍人がいるんだぞ!? これで冷静になれるやつは悟りを開いた仙人ぐらいだ。
俺は隔離室のベッドの上に腰を下ろし、膝を抱えて頭を抱え込む。冷たい金属の床から微かな震動が伝わってくる。どうやらこの部屋の下には巨大な機械でも動いているらしい。低い唸りが空気を震わせ、壁に淡い光が揺らめいている。
俺は自分に言い聞かせる。
「よし、整理しよう。混乱してる時はまずメモだ、頭の中の。冷静に事実を並べろ」
――一、俺は神谷雷牙、二十歳。ラーメン屋志望。
――二、交通事故に遭った。たぶん死んだ。
――三、気づいたら牢屋っぽい場所で目を覚ました。
――四、身体が明らかに強化されている。腹筋が割れてる。これはこれで少し嬉しい。
――五、元カノそっくりの軍人が教官面して現れた。
……うん、箇条書きしても状況が謎すぎる。むしろ余計に頭痛くなってきた。
そこでさらに厄介なことに、考えれば考えるほど別の記憶が蘇ってくる。
エレトゥス大陸。雷導兵士計画。マナ炉。首都エレクトロニア。
俺がまるでこの世界にずっと住んでいたかのように、詳細な情景が脳裏に浮かぶのだ。
広大な大陸の地図。中央に聳える尖塔都市。街を走る光の導管。夜になれば空に青白い筋が走り、地上を網の目のように照らし出す――そんな風景。
それに、街の広場で響く帝国軍の行進曲。市場で売られるマナ灯に照らされた野菜。噴水広場で遊ぶ子供たちの笑い声まで、リアルに再生される。
なんだこれ。俺は観光ガイドでも受け取ったのか? いや違う、これは「記憶」だ。まるで自分がこの世界で本当に生きてきたように鮮明なんだ。
でも、そんなはずはない。俺は日本で生まれて、日本で暮らして、父ちゃんのラーメン屋を手伝いながら青春を送ってきた。小麦粉の香りと豚骨スープの匂いに包まれた人生だった。それが、なんでこんな軍事帝国の市街地の記憶に塗り替えられてるんだ。
俺は頭を抱え直す。
「違う……これは俺の記憶じゃない。これは誰か別のやつの……」
そう呟いても、脳裏に流れ込んでくる映像は止まらない。むしろ次から次へと溢れ出して、俺を押し潰そうとしてくる。
たとえば――訓練場。整列した兵士たち。教官の怒号。仲間が倒れる姿。
たとえば――戦場。炎に包まれた街。魔獣の咆哮。剣を振るう自分の腕。
そのどれもが妙にリアルで、鮮烈で、汗の匂いや血の生臭さまで感じられる。
やめろ。俺は兵士なんかじゃない。俺はラーメン屋を目指してたんだ。厨房で鍋を振るってたんだ。戦場じゃなくてスープ鍋。敵を倒すんじゃなくてチャーシューを煮込んでたんだ!
「……ふぅ」
深いため息をつく。呼吸を整えようとしても、胸の奥がずっとざわざわしている。
そんな俺を横目で見ながら、リアナは端末に視線を落としたまま言った。
「記憶が混同しているようだな。だが心配はいらない。こういう症例は珍しくはない。数日もすれば落ち着く」
「……落ち着くって、お前な。俺はラーメン屋を目指してたんだぞ? ラーメンだぞ? 世界一美味いラーメンを作ることが俺の夢だったんだ! それが、なんで兵士になってんだよ!」
叫んだ声が、冷たい壁に跳ね返って虚しく響く。
リアナは眉ひとつ動かさず、冷静に答えた。
「安静にしていろ。君は経過観察が必要だ。ここで数日過ごせば、異常な記憶の混濁も収束するはずだ」
「いやいやいや、そう簡単にまとめられても困る! 俺の人生計画、完全に破綻してるんだけど!?」
「破綻しているのは君の思考だ。落ち着け」
「俺の思考じゃなくて環境が悪いんだろうが!」
俺はベッドに倒れ込み、天井をにらむ。
照明は淡い青に脈動し、まるで俺の不安をあざ笑うかのように光っている。
ラーメン屋のカウンター。父ちゃんが笑いながら俺にレンゲを渡してくれた記憶。
軍の訓練場。怒声が飛び交い、汗まみれの仲間が倒れ込む記憶。
二つの映像が交互に点滅して、俺の頭を狂わせる。
「くそ……俺はどっちなんだ。ラーメン屋志望の大学生か、連合国の兵士か……」
呟いた声は自分でも頼りなかった。
リアナは立ち上がり、俺を一瞥する。
「どちらであるかは、やがて答えが出る。だが今は休め。ここで暴れれば抑制処置が取られる。……君にとって、それは望ましくないだろう」
その声は冷たくもあり、同時にどこか懐かしい響きもあった。
俺は唇を噛む。やっぱこの声は、確かに高校時代に俺を呼んだ「理亜奈」の声と同じだ。
――いや、違う。違うはずだ。
ここは現実じゃない。俺はまだ夢の中にいるんだ。
そう思いたくて、俺は何度も頭の中で同じ言葉を繰り返した。




