第2話 どこだよここ
機械都市エレクトロニア
連合軍第七機関――《適合化棟》
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――目が覚めたら、牢屋の中だった。
…いやいや、まさかそんなミステリー小説みたいな出だし、現実で体験する羽目になるとは思わなかったよ。
白い壁、無機質な天井、鉄格子……
しかも布団なんて洒落たものはなく、冷たい金属の床に転がっている俺。
頭がガンガン痛むし、口の中は砂漠みたいにカラカラだ。
昨日まで大学の授業を受けて、帰りにバイトでラーメンのスープをかき混ぜてたはずなのに……
おかしい。これはどう考えても夢だろう。
だって、なんで俺は囚人みたいに監禁されてんの?
「……夢オチか? いや、にしては……痛いな」
もう一回つねってみる。
「痛ぇ!」
容赦なくリアルだった。夢じゃない。どう見ても、どう感じても絶対――現実。
……いや、現実にしては意味がわからなすぎる。
俺の名前は神谷雷牙。二十歳。どこにでもいる大学二年生。
将来の夢は、実家のラーメン屋を継いで、日本一……いや、世界一美味いラーメンを作ること。
大学では一応『料理研究サークル』に所属してて、バイトもずっとラーメン屋。
学生生活の大半は、スープの味を調整したり、麺の硬さと真剣に向き合ったり、ラーメンへの愛で構成されていたと言っても過言ではない。
それがどうして、こんなことに?
俺、何した?
深夜にこっそり替え玉四杯食べたのがラーメンの神様の逆鱗に触れた?
そうだとしても罰が重すぎるだろ。
混乱のまま、頭を壁にゴツンと打ちつけた。そのとき、ふと“違和感”に気づいた。
体が……なんか違う。いや、だいぶ違う。
腕を見れば、筋肉が隆々としている。大学生時代の貧相な二の腕はどこへやら、しっかりと盛り上がった上腕筋に変わっている。腹筋なんて、まるで板チョコみたいに割れていた。
肩幅も広がっていて、なんならちょっとしたアスリート並みの体つきだ。
「……いやいや、誰だお前」
思わず自分にツッコミを入れる。
しかし体だけじゃなかった。頭の中にも異変が起きていた。
知らない知識が流れ込んでくる。
銃の扱い方。軍事訓練。戦闘指揮。聞いたことのない地名や用語。言語までも。
まるで、別の人生をまるごとコピー&ペーストされたような感覚。
俺の中のラーメンレシピの記憶の隣に、なぜか「ライフル分解手順」とか「敵陣制圧の基本」なんて項目が追加されている。
「……俺、まさか……転生した?」
思わず口にした言葉。それしか思いつかなかった。
漫画やラノベでよくあるやつだ。事故に遭って、気がついたら異世界。チート能力を授かって、ハーレム作って、ドラゴン倒して、ラーメン食べ歩いて……みたいな。
でも現実は、ラーメンどころか水すら出ない監禁部屋。
スキルも能力も不明。味方ゼロ、監視カメラ付きの最悪スタート。
部屋の隅には、小型のレンズのようなものが壁に埋め込まれている。
赤い点が時折チカチカと光る。それは明らかに「見られている」証だった。
「おーい! 誰かー! 俺は犯罪者じゃないぞー! ラーメン屋志望だぞー!」
叫んでも、返事はなかった。
無反応な空間。静まり返った隔離室に、俺の声だけが空しく反響する。
「……なんなんだよ、ここ」
軍の施設か? それとも病院? まさか、秘密結社の実験場?
どれも現実味がないのに、どれも妙に説得力があるのが嫌だった。
とはいえ、目の前の現状は紛れもない事実だ。
どこかの牢獄のような部屋。無機質な白い壁、鉄格子の扉、監視カメラの赤い点滅ランプ。
俺はどう見ても囚人ポジションだ。
「……俺、絶対モルモットにされるやつじゃん……」
そう呟いた、その時だった。
「シュッ」
乾いた空気を切るような音がして、重厚な扉がゆっくりと開いていった。
一筋の眩しい光が差し込む。その中から、ひとりの人影が現れた。
ヒールの音が「コツ、コツ」と無感情に響く。
やがて、彼女の姿が完全に明るみに出た。
茜色の髪が肩のあたりでさらりと揺れ、凛とした灰色の瞳がまっすぐに俺を見つめている。
ぴしりと整った軍服、無駄のない立ち姿。まさに、絵に描いたような軍人だった。
……いや、待て。
その顔を見た瞬間、俺の中で何かがぶわっと込み上げた。
――リアナ?
いや、ありえない。
理屈では否定していた。でも、感情がそれを許さなかった。
その顔立ちは、間違いなく俺の記憶にある。
目元の涼しげなライン、笑うと浮かぶ小さなえくぼ。
あの頃、毎日のように見ていた、あの人の顔だ。
高校時代の彼女。白石理亜奈。
別れてもう何年も経つというのに、なんで彼女がこんな軍服姿で、俺の目の前に――?
混乱している俺をよそに、彼女――いや、“彼女によく似た軍人”は、手に持った端末を操作しながら無表情に話し出した。
「ライガ・カミヤ。起床後の初期反応データ、異常値多発。精神安定度は不安定域。対象は……」
その声は低く、無機質だった。まるで感情というものを知らない機械が、指示通りに文章を読み上げているように。
だが、俺の意識はそんな“分析”には向かっていなかった。
心臓が、うるさいほどに鳴っていた。
これまで経験したどんな鼓動よりも、明確に、俺の中で何かが呼び起こされている。
思わず声が出た。
「……り、リアナ?」
その瞬間だった。
彼女の指が、端末の操作を止めた。
たった一瞬。ほんの短い時間。
彼女の瞳に、動揺の色が浮かんだように見えた。
それは驚きだったのか、戸惑いだったのか、あるいは――懐かしさかもしれない。
だが、その感情は一瞬で消えた。
次の瞬間には、あの冷たい灰色の瞳に戻っていた。
まるでさっきの表情は、幻だったかのように。
「黙れ。ここでは私をそう呼ぶな」
その言葉は、ナイフのように鋭かった。
ぴしゃりと断ち切られた音が、隔離室の空気をさらに冷たくした。
だけど、俺の心は逆に熱を帯びていた。
目の前にいるのは、本当にリアナなのか?
もしそうだとしたら、なぜこの世界に?
なぜこんな格好で、俺のことを知らないふりをしているんだ?
疑問は渦を巻きながら頭の中を巡る。けれど、何も聞けなかった。
それでも確信していた。
彼女は、ただの誰かによく似た他人なんかじゃない。
俺の記憶の中にある、あの“リアナ”そのものだ。
たとえ名前が違っても。態度が冷たくても。
今の彼女の姿がどうであれ、間違えようがない。
俺の目の前に立っているのは――
高校時代、別れを告げたはずの初恋の人、“その人”だった。




