第18話 静かに暮らしたいだけなんだがなぁ
……はぁ。別に悪いやつじゃないんだがな。
飯ぐらい食わしてやらんこともないが、あのテンションを見る限り完全に遊びに来ているだけだ。
いくら旧友でも、予約で待たせている客がいる中でおいそれと特別扱いするわけにもいかない。
今日の営業が終わったあと、余り物でもいいのであれば軽く腕を振るってやるか。
……しかし、なんであいつにまで噂が広まってるんだ?
久しく帝都には帰っていないから街の状況がよくわからない。俺自身の影響力が想像以上に大きいことはよくわかったが、それにしたってだな。
(そもそもあいつは帝都にいないはずだが…)
「ライル。今日も忙しくなるぞ。気を引き締めていけ」
「わかってるっスよ! 任せてください親父!」
気合いの入ったライルの返事に頷きながら、俺は厨房へと向かった。
朝五時。まだ空には薄靄がかかっているが、厨房の一日はもう始まっている。
まずは火の準備。
竃に使うのは、村から仕入れておいた黒鉄樫の薪。火持ちが良く、香りも料理の風味を引き立てる。
魔導加熱も使えなくはないが、火力が強すぎると炊き加減が荒くなる。飯はな、湯気と音で炊くもんだ。
炊き上げるのは星粒米。今朝は三升。ふっくら炊きあがったそれを、飯櫃に移し、布巾で蒸らす。
香りが立ち込める。これだけで腹が鳴るやつもいるだろう。
次にスープ。
ベースは鶏ガルーダと野菜からとった出汁。干し肉がようやく復活し始めたので、薄切りにして火香草とともに軽く炙って、香りを加える。
「親父、今日のメインは焦香芋グリルですか?」
「いや、昨日仕入れた魚がいい具合だった。香草包み焼きにする」
「了解っス!」
ライルが手際よく器を並べ、食器の数を確認しながら、俺の動きを読み取って動く。
こいつも最初は皿を一枚落とすだけで真っ青になっていたが、最近はよく動けるようになってきた。
……少しは“弟子”としての面構えがついてきたか。
朝八時。開店の一時間前だというのに、敷地外の待機スペースにはもう客の気配がある。
魔導通信で確認された予約者のみが、順に敷地内へ誘導され、玄関でライルが名前を確認しつつ案内する。
「お待たせしました。ゼン親父の気まぐれ定食、本日は“香草包み魚と焦香芋のグリル”、そして“茸と干し肉のスープ”になります!」
ライルの声が広間に響き、客たちの目が輝く。
全員が着席し、静かに料理を待つ――その静けさが、俺はとても好きだ。
料理が運ばれた瞬間、その空気はまた変わる。
誰かの「うまっ……!」という低い声を皮切りに、箸が止まらなくなる。
中には目を閉じてスープを口に含み、そのまま黙って涙ぐむ奴までいる。
……泣くようなもんじゃねぇよ、これは。
でも、まあ――分かる。
昼の部は十一時から十四時まで。客数は四十名限定(結局受け入れ人数と客席の上限を緩和した)。
うちの規模ではこれが限界だし、それでも俺とライルは終始動きっぱなしだ。
「ゼン親父、あの客、おかわりできるかって!」
「飯なら残ってる。出してやれ。芋は少し待たせろ」
「了解っス!」
厨房でライルと声を掛け合いながら、俺は一つ一つの工程を丁寧にこなしていく。
疲れる。腰も痛いし、腕も重い。けど――不思議と嫌じゃない。
昔は一振りの剣で戦局を変えていた。
今は一膳の飯で、人の顔色を変えている。
なんというか、平和ってやつも案外、悪くないもんだなと時々思う。
昼の部が終わると、一旦厨房と店内の片付け。ライルは洗い物、俺は在庫と仕込みのチェック。
明後日の予約に向けて、干し肉の補充、スープの下ごしらえ、米の浸水――やることは山ほどある。
その間、厨房の外からカイの大声が響く。
「ゼーン! 今日の昼のやつ、やっぱ今から出してくれぇぇぇ!! 我慢できねぇぇぇ!!」
「黙れ! 営業中じゃねぇ!!」
「ぐえっ……!」
叫び声とともに、なぜか船員の一人が吹き飛ぶ音が聞こえた。
何をしてるんだ、あいつらは。
俺は皿を洗いながら、再びため息をついた。
(……静かに暮らしたいだけなんだがなぁ)