第13話 干し肉というものは
……だが、少し困ったな。
俺の食堂のメイン食材とも言える干し肉だが、やはり量が量のため、とてもじゃないが調達でなんとかできるようなレベルじゃない。
元となる原材料はすぐにでも調達できる。……というより、ストックはすでにいくつか準備してある。
問題は「時間」なのだ。
干し肉というものは、“乾かせばいい”だけの代物じゃない。雑にやれば、風味が死ぬ。中まで乾燥させるだけではなく、旨味を閉じ込め、雑菌の侵入を防ぎつつ、魔力の活性を抑える。
――俺のやってるのは保存食というより、半ば錬金術に近い。
まず、肉は“魔獣の赤身”でなければならない。普通の獣じゃ味が抜ける。野性味と旨味、魔素の強度、そして加工後の風味保持率――その全てを高いレベルで満たす素材が必要になる。
俺が主に使っているのは、〈カレア角猪〉という魔獣だ。
体長は三メートル弱、牙は鉄を裂き、背中の硬い甲殻は矢も跳ね返す。戦時中は前線で魔導獣兵として利用されたこともある厄介な相手だが、食用としての価値は高い。
特に肩甲部から腰にかけての赤身――“魂肉”と呼ばれる部位は癖がなく、程よい脂と繊維感を持ち、加工後に強い風味を保つ。
この魂肉を、俺は数段階の工程を経て干し肉に仕立てる。
まず下処理。血抜きと筋引きを徹底し、魔素を安定させるために“冷魔水”に数時間さらす。
これはただの冷水ではなく、氷属性の魔力を含んだ特殊な水だ。自分で作った特製の「魔冷槽」で、温度と魔素密度を一定に保ちながら処理する。
次に塩と香草を擦り込む。ここでも普通の塩は使わない。
〈白晶岩塩〉という、ガルヴァ山の奥深くで採れる塩。微量の魔導鉱が混じっており、風味と保存性が格段に上がる。
香草はテルナ村で仕入れた〈火香草〉と〈風輪草〉。火香草が香ばしさを、風輪草がさわやかな香りを残し、乾燥中の匂い飛びを抑える。
ここまででもう半日かかる。が、まだ終わりじゃない。
塩を擦り込んだ肉を、今度は“風部屋”へ吊るす。
これは俺が古民家の隣に作った半地下の構造物で、気流と魔力濃度、湿度を一定に保てる特殊な空間だ。簡単に言えば、天然の熟成庫である。
ここで最低でも五日、長いものだと二週間、ゆっくりと乾燥と熟成を進める。
仕上げに炭火での“燻し”だ。ここでも使用するのは、〈黒鉄樫〉という硬木。火持ちが良く、香りが非常に深い。燻す際には風向きや室温、湿度に気をつけながらじっくりと三時間――。
こうして完成した干し肉は、ただの保存食ではない。
噛めばじゅわりと旨味がにじみ、料理に加えれば煮物にも炒め物にも絶妙なコクを足してくれる。薄切りにして、炙るだけでも一品になる。酒の肴にも最高だ。
だが――問題はやはり、この一連の工程が“すべて俺一人の手作業”であるということだ。
今や週に数百件の予約が飛び込む「灰庵亭」において、この干し肉は主力食材のひとつ。焼き、煮込み、シチュー、炊き込み……何にでも使う。
だがいくら準備しても、「時間」が足りない。
魔法で加速乾燥も試したことはある。だが、やはりどこか味が浅い。雑味が残るというか、舌の奥で跳ね返ってくる何かがある。
あれは“調理”じゃない。俺がやりたいのは、時間や手間を省いた生半可な過程に出来上がる「料理」じゃない。自然が生んだ食材の長所を最大限に引き出せる"ほんのひと手間"を、料理で形にすることだ。
だから手は抜けない。
この干し肉を食った旅人が、ぽつりと「……これ、何日かけて作ったんですか」と聞いてきたことがある。
俺はそのとき、「三年だ」と答えた。
――干し肉自体は三週間で作れる。だが、その味を突き詰めるために、材料選び、塩の入手、燻し方、乾燥時間の試行錯誤……その全てに三年かけたのだ。
俺の隠居生活は、常に“味”との対話だった。
それでも、今はちょっと忙しすぎる。
予約帳とにらめっこしながら、干し肉の在庫を数え直す。
……あと十日分、持つかどうか。
「ゼン親父〜、さっきカレア角猪の痕跡を南の尾根道で見たって!」
ライルの声が裏口から飛んできた。
「……狩りの時間か」
立ち上がる俺の背中には、もうすっかり馴染んだ狩猟道具一式と、大きな仕留め袋がぶら下がっていた。




