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第9話 俺の居場所



ふむ。ようやく返信が返ってきたか。どれ、内容を確認してみよう。


俺は封蝋を丁寧に剥がし、巻かれた羊皮紙を広げた。

途端、あの頃の記憶が、少しだけ鼻をつつく。


帝都――喧騒と白い石畳の官庁街。

光のようにまっすぐな通りを行き交う役人たち、

書記官たちの小言、書類とインクの匂い、

誰もが眉間に皺を寄せながら“国の運営”とやらに奔走していた日々。


この手紙の差出人――オーグは、当時の広報局付き補佐官だった男だ。

寡黙で生真面目。常に眼鏡の端を直していた癖は、今も残っているだろう。

だが、根は悪い奴じゃない。


手紙の中身は、整然とした字体でこう始まっていた。




《親愛なる ゼン・アルヴァリード殿》


ご無沙汰しております。

このたびはご丁寧なご連絡、誠にありがとうございます。


まず、当方の発行した定期広報誌「帝国余話エピロギア」にて、貴殿の現在の所在および活動に関する情報が、意図せぬ形で拡散されたこと、心よりお詫び申し上げます。


また、先に貴殿よりご指摘いただいた下記の内容について、正式に確認・承認させていただきました。


▼ 店名:ガルヴァ山間の食堂(仮称)

▼ 営業日:週三日(火・木・土)

▼ 完全予約制:帝国通商ギルド指定便または魔通信による事前申請

▼ 地図:簡略版を使用。正確な座標は非公開扱いに変更


上記の件、帝国側広報としても「過度な脚色を避け、正確かつ誠実な情報提供を徹底する」旨、内部方針にて通達済です。


なお、過去に発行された特集号につきましては、今後の再販時より内容の修正を行う所存です。


追伸:地図を作成した件の担当者は、現在、北部辺境の測量任務にて反省中です。正座は困難かと存じますが、山岳地帯での十分な懺悔が見込まれます。




「……あいかわらず、妙に堅いな」


思わず口に出して呟く。


だが――要点は、きちんと押さえてある。


広報誌の修正。営業日と予約制の明記。地図の簡略化。

これで少しは、無闇にやってくる輩も減ってくれる……はずだ。


俺はふぅ、と一息つき、紙をくるくると巻き直した。


「どうだったんすか?」


気づけばライルが後ろで首を伸ばしていた。

相変わらず、好奇心の塊のような少年だ。


「……まあ、悪くない内容だった。こっちの要望も通った」


「じゃあ、あの行列もちょっとは減りますかね?」


「……減るといいんだけどな」


それでも――たぶん、減りはしないんだろう。


人は、“物語”に惹かれる。

どれだけ正しい情報を出しても、それが「伝説の元英雄が作る幻の定食」だと信じたい者がいれば、山を越えてでもやって来る。


(……まったく、困ったもんだ)


俺はただ飯を作って、静かに暮らしたいだけなんだぞ?


でもまあ――今できることはやった。


あとは流れに逆らわず、必要なところだけに踏ん張って受け流していくしかない。


――ま、それが俺の生き方ってやつだからな。



翌朝。


まだ朝霧の残る山中で、俺は手斧を片手に森を歩いていた。

目的は――看板用の木材探しだ。


地面は昨夜の雨で少しぬかるんでいる。

だが、葉から滴る水音と鳥の囀り、薄く立ちこめる霧の匂いがむしろ気持ちを引き締めてくれる。

こうして歩いていると、本当に“世界から一歩引いた場所”にいる実感が湧いてくる。


ガルヴァの山郷は霧と魔獣に包まれた土地だが、幸いにも材木には困らない。

特にこのあたりに生える“霧楠きりくす”は、水分を多く含む割に加工しやすく、耐久性も高い。

昔、帝国の魔導研究所がこの木材で実験器具の外殻を作っていたほどだ。防腐性が高く、虫食いにも強い。


「……これで、看板くらいは十年保つだろ」


立派な霧楠の一本を選び、手際よく切り倒す。

枝を払い、斧で粗削りをして、持ち帰りやすいサイズに整える。

道具を使えば一瞬のことだが――俺はそういう一手間が嫌いじゃない。


持ち帰った木板を軒先の作業台に並べ、道中木工職人のアルダから譲ってもらった焼印を手に取る。

温められた金属の先端には、たった三文字――「灰庵亭」。


……そう、店の名前をようやく決めたのだ。


帝都からの返信と一緒に届いたオーグの便りには、

「正式登録するなら、店名を決めた方がいい」と添えられていた。

それもそうだ。名前がなければ、誰にも伝わらない。


一晩悩んで、静かに筆を走らせながら、俺はこの言葉を選んだ。


 ――灰庵亭はいあんてい


はいは、燃え尽きた証。

戦いの炎をくぐり抜け、やっと終わりに辿り着いた自分を何かで象徴したかった。

戦場の血や怒号にまみれた日々の果てに、ただ静かに火を消すような生き方。

俺の今を最も象徴する色は、きっと“灰色”だった。


いおりは、隠れ住む場所。

誰かに誇るためではなく、自分のために、静かに生きるための空間。

名もなき小屋でいい。目立たず、控えめに、ただ己と向き合うための“棲み処”。


ていは、人が集い、食を囲む場所。

ほんのひとときでも、訪れた者が温かさを感じられるように。

たとえ言葉を交わさずとも、飯を通して繋がれるように。


派手じゃなくていい。

煌びやかじゃなくていい。


でも――俺にとって、これ以上ない“帰る場所”だと思えた。


「……よし」


焼印を炙り、木板にゆっくりと押し当てる。


ジリリリ――ッ


香ばしい木の香りと、焦げた文字のくっきりとした輪郭がゆっくりと浮かび上がっていく。


(どうか、ここが……誰かにとっての“休める場所”になりますように)


そんな願いが、木肌に染み込んでいく気がした。


――灰庵亭。


誰にも届かなくていい。誰にも知られなくていい。

だけど、もし迷い込んできたなら――そのときは静かに、飯を出すだけだ。



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