7話:恩人との対面
ミハイルのバースデーパーティーに招待されていないはずの、隣国の国王の寝室にいる。
これはかなりイレギュラーな事態だ。
ともかく。
御礼は必須。その前に身支度を。
体を楽にするために外されたホックやらボタンをとめ直し、壁に飾られた鏡を見て、身だしなみを整える。
爆睡して寝返りを打っていたわけではない。
髪が乱れていたり、お化粧が激しく崩れていることはなかった。
よし。これなら大丈夫。
深呼吸を一つすると、ベルを鳴らす。
いきなり国王本人は現れないだろう。
そもそもこのベルは、使用人を呼ぶものだから。
この私の考えは正解で、メイドが一人すぐに姿を現した。
だがそのメイドは宮殿のメイドではない。イグリスが自身の国から連れてきたメイドだ。
「気絶した私を助けていただき、ありがとうございます。アルセス国王陛下に取り次いでいただくことはできますか? 私はミラ・マリー・エッカート。エッカート公爵の長女です」
「かしこまりました。少々お待ちください」
メイドは退出し、すぐに戻って来たので、驚くことになる。
「前室に陛下はいらっしゃるので、ご案内いたします。……身支度のお手伝いは大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫です。お願いします」
なるほど。イグリスはずっと書斎にいたと。
そこで思い出す。
ミハイルのバースデーパーティーをこの日時で行ったのは、公的な行事がなかったからだ。
帝国に来たイグリスの予定はぎゅうぎゅうでスケジュールが組まれていた。それでも自由時間がゼロなわけではない。今日は比較的スケジュールに余裕があったはず。
ともかく扉を開けたら前室で、そこにイグリスがいるのだ。
深呼吸を一つして、公爵令嬢ミラ・マリー・エッカートとして正しく振る舞う心の準備をする。
「陛下、ミラ・マリー・エッカート公爵令嬢をご案内します」
扉を開けたメイドが告げると「ああ、通してくれ」と凜とした声が聞こえる。
いくつかの行事で耳にしていたイグリスの声。
少し高音だが、落ち着きがある。
そこはミハイルと同じ十九歳とは思えない。
第二皇子と一国の頂点に立つ国王。
声音にも違いが出るのか。
扉が大きく開けられ、ソファから立ち上がる男性を視界にとらえた瞬間にカーテシーで挨拶。
「アルセス国王陛下、私はミラ・マリー・エッカート。エッカート公爵の長女であり、ミハ……」
言い慣れた名乗りを口にしようとして、思い出す。
ミハイルから婚約破棄されたことを。
「エッカート公爵令嬢、体の具合は大丈夫ですか? 立ち話もなんです、どうぞこちらのソファへ」
輝くようなサラサラのブロンドに碧眼。
サファイアブルーの爽やかなセットアップにあわせた、スカイブルーのマントをヒラリと揺らし、イグリスは私のそばまで来ると、手を差し出す。
白手袋をつけたその手に、同じく白のロンググローブをつけた手をのせると、ソファまでエスコートされる。お互いに対面で向き合う形でソファに腰を下ろすと、近くには彼の腹心……ルーカス・シルフィールドが控えた。ルーカスのダークブロンドの前髪の下の碧眼は、キリッとしている。
「改めまして、エッカート公爵令嬢。わたしはイグリス・カイル・アルセスです。偶然通りかかったパーティー会場で、面白いことが行われている。何かの余興かとつい聴き入ってしまい……。まさか君が婚約破棄される場に立ち会うことになるとは。驚きましたよ」
先程ここに案内してくれたメイドがラベンダーティーを出してくれた。
気持ちを落ち着けるのに丁度いい。
イグリスが目で「どうぞ」と合図を送ってくれるので「いただきます」とラベンダーティーに口をつける。
「しかし第二皇子も図太い方だ。あんな大勢の前で、婚約者であり公爵令嬢に婚約破棄を言い渡すなんて。それに最後まで耐えた君もさすが公爵令嬢。でもショックだったのかな、愛する人からの最後通告に。意識を失う君を見ていられず、支えることになりました」
「その節は助けていただき、ありがとうございます。パーティーが始まる前より頭痛がありまして……。休憩させていただいたおかげで、頭痛も収まりました。重ねて御礼申し上げます」
「なるほど。未練で気を失ったわけではないのですね、第二皇子の元婚約者殿」
助けてくれたので、いい方だと思ったのに。
第二皇子の元婚約者殿……そんな言い方をしなくてもいいのでは!?
ムッとする気持ちはある。
でもそこはグッと堪えた。
前世記憶が覚醒する前のミラ・マリー・エッカートは我慢強い人間だった。転生したことを思い出したところで、その気質は変わらない。
「ミハイル第二皇子殿下とは、六歳の時に婚約しました。殿下に相応しい婚約者であろうと努力しましたが、私に至らない点があったのです。ペーシェント男爵令嬢に苦言を呈したことは事実。公爵令嬢という立場で男爵令嬢に苦言を呈する際は、配慮すべきでした。ゆえに婚約破棄もやむを得ないこととして受け入れています」
「そうなるとあくまで体調不良で意識を失っただけなのですね。第二皇子に気持ちが残っていることは?」
ここで気づく。
第二皇子の元婚約者殿という言い方をしたのは、ミハイルへの未練の有無を確認するためだったのでは?
それならば確認するまでもないのに。
なぜなら――。
「ありません。政略結婚を前提にした婚約でしたから」
これは正しくもあり、少しの嘘はある。
前世記憶が覚醒する前のミラは、「大好き」ではないが、政略結婚とはいえミハイルに対し「好ましい」という感情を持っていた。
だが転生前の記憶が戻った今、ミハイルは特に推しだったわけでもなく、攻略対象としては最後にクリアしたキャラだった。つまりカッコいいとは思うが、好きなキャラだったわけではない。
「ではこのまま第二皇子が言う通りの悪女として婚約破棄を受け入れ、修道院に送られるか、白の塔へ幽閉されるつもりなのですか?」






















































