29話:遂にアルセス王国へ
飛行船で過ごした二十時間。
それは……夢のような時だった。
イグリスは限りなく優しく、私はもう彼が”血塗られた玉座に君臨する王”と呼ばれていることを忘れてしまう。共に本を見て、おしゃべりをして、食事をして。
時間はあっという間に過ぎてしまう。
「ナイトティーも良かったら一緒に頂きませんか、ラウンジで用意させます」
ナイトティーを一緒に飲まないのかというお誘い。
ドキッとした。
ミハイルが以前、「ナイトティーを一緒に飲みたい、部屋へ行く」と言い出したことがあった。これにはすぐ体目的だと気がつき、お断りをしている。
イグリスからナイトティーという言葉が出た時は、そのことを思い出し、鼓動が激しくなってしまった。だがその言葉の直後に、ちゃんと「ラウンジで用意させます」と言ってくれたのだ。
いくら紳士的でも、イグリスだって男性。そちらの欲求だってあるだろう。でも彼はミハイルとは違った。
とはいえ、そもそも私達の婚約は取引。スキンシップも愛情表現も、周囲の目を騙すため。それでもナイトティーを同じ部屋で飲む提案は、行き過ぎと思ってやめた……わけではないと思う。
きっとこの世界の王侯貴族で重視されている暗黙のルール、花嫁の純潔をちゃんと守るつもりなんだと思う。ミハイルのように自身の欲求を優先し、バレなければいいという考え方はしないんだ。
それが分かると私は……イグリスのことがやはり好ましく感じてしまう。
そんなイグリスとラウンジではカモミールティーを飲んだ。
ナイトティーとしては定番の飲み物であり、リラックス効果がある。確かにこれを飲み、イグリスと話している時、気持ちは落ち着いていた。
でも二杯のカモミールティーを飲み終え、彼から「ではそろそろ休みましょうか」と部屋までエスコートされた時は……。
まだ一緒にいたい。
そんな気持ちになっていた。
今日は一日。この飛行船の中で、イグリスとずっと過ごしていたのに。
まだ一緒にいたいと思うなんて……。
でもそれが私の本心だった。
部屋まで送った後。
「ちょっとだけ休憩してもいいか? すぐに自室に戻るから」と言って私の部屋に入ろうとしたミハイルと違い、扉を押さえたイグリスは……。
「おやすみ、ミラ。ゆっくり休んでください。明日の朝にはアルセス王国に到着ですから」
そう言って私の入室を確認すると、きちんと扉を閉めてくれた。
片想いをしているなら。
そこで頑張ることで「もしも」があるかもしれない。
だが私に「もしも」はなかった。
気を抜くと、気持ちがイグリスへ持って行かれそうになるが、そうではない。
明日は遂にアルセス王国に到着する。
イグリスが本命となる令嬢と無事結婚できるように。私は取引に従い、悪女を演じるだけだ。
大丈夫。
この世界で私は悪役令嬢であり、”悪女”として存在しているのだから。
こうして一度頭を空っぽにして、イグリスへの気持ちに蓋をし、ベッドに入った。
◇
「おはようございます、ミラ」
「おはようございます、陛下」
ダイニングルームに着くと、昨日と同様の晴天で、窓からは雲と碧い湖が見えている。しかも沢山の漁船の姿も見えていた。
「陛下、もしやもう到着するのですか?」
私をエスコートし、席に座らせてくれながら、イグリスはクスッと笑う。
「飛行船を使うため、宮殿の敷地を少し拡張したんです。つまり発着場所を作りました」
「ということは帝国の時のように、湖の近くに着陸ではなく、いきなり宮殿に到着するということですか!?」
「ええ、そうです」
これにはビックリだった。
てっきり湖のほとりに到着し、そこから馬車で移動、道中一泊し、王都を目指す――だと思っていたからだ。
「といっても宮殿の敷地は広く、着地した場所から宮殿の建物までは馬車で移動することになります。もし心の準備が必要なら、その道中でできますから、安心してください」
「な、なるほど。そうでしたか」
心の準備より、悪役令嬢……悪女らしい装い。
そちらへの衣装とメイク、髪型チェンジが必要だと思った。
「ではいただきましょう」
「はい」
スープを口に運びながら思う。
結局、私は前世の記憶を持つ転生者。
ゲーム通りの悪役令嬢ミラではない。
つまり悪役令嬢については、多少演じる必要があると思うのだ。そして演じるにあたり、自分自身の気持ちの切り替え、さらに周囲の人々の印象は装いで変わるはず。
視覚情報が人間にもたらす影響は大きいのだから。
「ミラ、宮殿に到着したら、まずは用意した王宮の部屋へ案内します。その後、わたしはいろいろと報告を受けるので、次に会えるのは夕食になるでしょう。昼食は会食で打ち合わせも兼ねることになりそうなので……。それまではルーカスに宮殿の敷地内にある建物を案内させますよ」
チラッと見ると、控えていたダークブロンドに碧眼のルーカスが、いつもの濃紺の隊服姿で頭を下げてくれる。
「ありがとうございます、陛下。ルーカス様、よろしくお願いします」






















































