28話:二人だけの世界【side 陛下】
飛行船での旅。
それはまさに嵐の前の静けさだった。
帝国に滞在中も執務に追われたが、帰国後はそれも同じ。そこに加え、ミラという婚約者についていろいろと聞かれ、対応することになるだろう。
いくら帝国滞在中に、国から届く知らせに対応しても終わりはない。
つまり帰国したら怒涛の忙しさになる。
だが今は……。
約二十時間の空の旅は、下界から完全に切り離される。乗組員の操縦士などのスタッフ、使用人もいれば、ルーカスだっているのだ。
それでもミラと二人だけの世界にいるように思えた。
例えばそれは、こんな時間を過ごしたからだ。
ラウンジの座り心地のいいソファに座り、ミラと二人、読書を楽しんでいる。
それは各自が読書をしているわけではない。
用意させた本は、アルセス王国の歴史書、アルセス王国を旅した者が書いた旅行記、アルセス王国の景色を描いた風景画などなど。
それをミラと二人で見ていたのだ。
これらの本を選んだ理由。それはミラが読みたいと言ってくれたから。
「これが陛下の祖先の方なんですね」
「そうですよ。わたしとは……似ていませんね」
するとミラは鈴のように愛らしく笑う。
「それはそうですよ、陛下! この肖像画は50代ぐらいの時を描いたもの。ただ、この瞳の優しい雰囲気は……陛下と似ているように思えます。形のいい唇も陛下の面影があるようで……」
ミラの細い指が、歴史書に描かれている初代アルセス国王の唇にそっと触れる。それを見たわたしはなんだか落ち着かない。
触れるならわたしの唇に触れて欲しかった。
一度そう思ってしまうと、頭の中で想像してしまう。
ミラがゆっくりわたしの唇に指で触れる。
形を確認するように、唇をその指でなぞっていく。
唇に触れられているだけなのに、わたしはきっと気持ちが高揚し……。
我慢できなくなり、その手を優しく掴むだろう。驚くミラに微笑みかけ、手の平、次は親指から順番に一本ずつ。キスをしていく。
ミラはどんな表情をするのだろう?
驚き、照れながら「陛下、くすぐったいです」と笑うだろうか。
もしそんな表情をされたら……。
ゆっくり腰を抱き寄せ、顎を持ち上げ、その唇に──。
「陛下、この花が国花に選ばれた理由は何ですか?」
ミラの声に現実に意識を戻す。
「それは……」
ミラとの甘い時間を想像しながら、本のページをめくる。
それは実に至福の時間だった。
◇
「陛下、そろそろ食事のお時間です」
食事は、四人掛けの丸テーブルに、ミラと隣あって座った。
食事をしながら外の景色を眺め、会話も楽しむ。
そこではお互いの子供の頃の話で盛り上がった。
ミラもわたしも子供の頃から、皇族になるため、王族の一員として、厳しい教育を受けてきた。それでも日曜だけは唯一の安息日。その休日でしたことを話したのだが……。
ミラは休みの日に、お菓子作りをしたと言うのだから、驚いてしまう。
「異国のお菓子だったのですが、どうしても食べてみたくて……。でも皇宮のパティシエも作ったことがないので、レシピが分かりません。ならばと私も手伝うことにしたのです」
以後、時間があると、気分転換でお菓子作りをしているのだという。
公爵令嬢の趣味。
普通なら刺繍、それこそ読書などを想像する。意外な一面だが、それはとても魅力的に感じられた。
「ミラが作るお菓子、食べてみたいですね」
リクエストするとミラは頬をうっすらとバラ色に染める。それだけで彼女を抱きしめたい衝動が起きてしまう。慌てて、グラスの水を口に運び、クールダウンする。
「そんな。美味しい物ばかり食べて育った陛下の口に、合うかどうか……」
謙遜の言葉を口にする姿すら、愛おしく思えてしまう。
「そんなこと気にしないでください。ミラ自身が食べたいと思い、作るもの。それを共有して欲しいだけです。美味しくないと許さない……なんてつもりはないですよ」
「……分かりました。本当に、期待はなさらないでくださいね」
「何ならわたしも作る際、手伝いましょうか?」
あまりにも愛らしい姿に手伝いを申し出ると、ミラは「とんでもないです!」と盛大に固辞する。だがミラと何かできるなら、何だってやりたい気持ちなのだ。最終的に手伝うことで話はまとまった。
これはもう嬉しくてならない。
一方のミラは不思議そうにわたしに尋ねる。
「陛下はそのお立場ですから、手伝うではなく、『わたしとお菓子作りをするように』と命じることもできますよね。なぜそうされないのですか?」
「ミラ、それは違います。わたしとミラは対等です。気の乗らない誘いは断っていただいて構わないですよ。無理はさせたくないので。……でもお菓子作りの手伝いは、押し付けてしまったのでしょうか」
「陛下は……お優しいのですね。ありがとうございます。お菓子作りは……陛下がそこまで興味を持つのなら、ぜひ一緒に楽しみましょう!」
そこで微笑むミラを見て思う。
あの第二皇子はきっと、ミラを自身の欲求を満たす相手としか見ていなかった。何かあれば命令口調で、従わせようとしたのではないか。
わたしは違う。ミラをそんな風には扱いたくない。
食事を終え、再びラウンジでおしゃべりの続きをして。入浴を終えた後、ナイトティーも共にラウンジで飲み、本当に眠る直前までミラと二人で過ごした。
本当はミラを腕に抱き、眠りたかった。
男なのだから、ミラを抱きたい欲求がないわけではない。でもそれはお互いの気持ちがそうなってからのこと。今はただ、一緒に眠りたいだけだった。
でもそれはまだ、言い出せない。
第二皇子のこともあるし、驚かせてしまうだろう。
変な誤解をされたくない。
こうしてわたしは一人、ベッドで横になる。
ミラを恋しく思いながら――。






















































