27話:甘い夢
初めて乗った飛行船。
その造りは大変立派で、屋敷の部屋と変わらないぐらいしっかりしていた。しかも離陸した後も揺れを感じることもなく、静かに航行しているのが分かる。
窓から見える雲や空、眼下に広がる壮大な湖。
その近くには国境沿いの山脈も見えていた。
前世の記憶があり、飛行機に乗った経験もあるので、そこまで目新しい景色ではない。
だがここは乙女ゲームの世界。
ドレスと剣と騎士がいるような文化水準で、この光景を見ることができるのは……。
すごいことだ。
何よりこの飛行船を採用し、活用しているイグリスが先進的であり、尊敬の念が強まる。
「陛下、すごいです! 空を飛んでいます!」
初めて見た景色に驚く――そこは前世知識などない素振りで反応する必要があると思っていた。だが実際、演じるまでもなく、素で感動してしまう。
「空を飛んでいると実感できる場所へご案内しましょう」
瞳を輝かせる私を見て、イグリスはまたも甘やかな笑みを浮かべる。
これは飛行船に喜ぶ私を見て、気分がよくなっているだけよ。私への好意と勘違いしてはいけないわ。
自分に言い聞かせ、その手に自分の手を載せる。
「ご案内しますね」
その端正な横顔を見て、考えてしまう。
もしも婚約者のいない公爵令嬢として、舞踏会でイグリスに出会っていたら……。
取引など関係なく、恋に落ちることができたなら。
イグリスの笑顔を見ると、甘い夢を見てしまう。
かりそめの関係であることを、忘れそうになる。
ダメよ。
彼には三度も救われている。
一度目は、ミハイルのバースデーパーティーで気絶したところを助けられた。
二度目は、修道院送りか白の塔へ幽閉かとなった時。イグリスが取引で私と婚約してくれたから、鳥かごに閉じ込められないで済んだ。
三度目は昨晩、ミハイルに襲われそうになったところを止めてくれた。
イグリスに助けられた恩を返す。
悪女として彼の婚約者を演じ、結婚式で彼の本命の令嬢とバトンタッチする――。
「ミラ、下を見てください」
ラウンジへエスコートされていたことを思い出し、言われた通り、下を見て……。
「きゃあっ」
思わず悲鳴を上げ、イグリスに抱きついてしまう。
パンプスのつま先のすぐそばに穴(?)が開いていた。
つまり、眼下に広がる湖や雲が見えていたのだ!
「大丈夫ですよ、ミラ。ちゃんとガラスがあります。しかも五重構造にしてあるので、安心してください」
この言葉には「えええええっ!」と声を出しそうになるが、それは呑み込む。
イグリスがサプライズでここへ連れて来たと分かったからだ。それに思い出せばこういう仕掛け、前世でも見たことがある。展望台があるような、高度のある建物で。
まさかこの世界でも、こういった仕掛けがあるとは……。
驚きが収まると、抱きついてしまったイグリスの胸の中を意識することになる。
バニラのような香水の甘い香り。
引き締まった体や腕を感じ、足元のガラスに驚いたのとは別の意味で、トクトクと高鳴る鼓動を自覚する。その一方でその胸に顔を寄せていると、安心感も覚えるのだ。この腕の中で守られていると感じてしまう……。
ずっとこうしていたい気持ちになるが、この胸は私の居場所ではない。
「驚きました。すごいアイデアです。……急に抱きついてしまい、失礼し」
イグリスから体を離そうとした。
だがぎゅっと逆に抱きしめられている。
「わたしが怖いので、こうしていてください」
怖い? 何を……あ、この足元のガラスのこと?
意外だった。
何事にも動じないイメージがあるのに!
でもぎゅっと抱きしめられることで、イグリスの心音が耳に届く。
トク、トク、トクと、とても忙しなく鼓動している。
どうやら本当に、怖いみたいね。
高所恐怖症……なのかもしれない。
「……分かりました、陛下」
「ありがとうございます、ミラ」
誰かと触れあうことで得る安心感。
しばらくイグリスに抱きしめられ、時を過ごすことになる。
その時間はそう長いものではない。
でもとても穏やかで幸せを感じられた。
「……ミラのおかげで落ち着きました。一度部屋に戻りますか? 荷解きは終わっていると思うので」
「そうですね。そうしましょう」
そうすぐに応じたが、心の中では……。
離れたくないと思っている。
かりそめと分かっていても、気づけば気持ちはイグリスへと向かっていた。






















































