2話:血塗られた玉座に君臨する王【side 陛下】
“血塗られた玉座に君臨する王”。
そんな不名誉な呼び名をつけ、散々自分のことを恐れ、好奇の対象にしていたはずなのに。
こうやって実際に姿を見せると……。
「アルセス国王陛下。お会いできて光栄です」
「アルセス陛下、よければ我が家の晩餐会へもいらっしゃいませんか」
「国王陛下、ぜひ今度アルセス王国へ訪問させてください」
即位後初の外遊。
わたし、イグリス・カイル・アルセスは、エルガー帝国を訪れることになった。
それは不名誉な呼び名を返上するためではない。
エルガー帝国は、我がアルセス王国に公にされていない借金をしていた。
帝国の先帝は女遊びが激しく、方々で子供を作った。その非嫡出子をネタにかなり強請られた皇族は、最初は金で黙らせようとした。
だが皇族と言えど、資産には限りがある。
想像以上の非嫡出子の数に、皇族は一族の資産ではまかないきれないことに気付いた。そこで皇族で代々伝わる宝物を担保に、我が国に借金をしていたのだ。その返済の目途が立ったと連絡が来た。
担保にされていた宝物とお金の引き換え、そして外遊を兼ね、わたしはエルガー帝国に足を運んだわけだ。
だがこの裏事情、帝国では皇族以外は知らない。
ゆえに帝国民は戦々恐々としていた。
理由は不明。
だが先代国王とその弟、さらには実の弟を殺害し、玉座を手に入れた“血塗られた玉座に君臨する王”がやって来る――と。
「ルーカス、わたしを見た帝国の貴族どもの反応はどうだ?」
ダークブロンドに碧眼のルーカスに尋ねると。
「令息紳士は口をぽかんと開けています。令嬢マダムは目がハートですよ」
腹心であり、補佐官であり、護衛を兼ねているルーカスの言葉には、笑いが止まらない。
母親譲りのわたしは、ブロンドに碧い瞳で、端正な顔立ちをしていると言われている。長身でスラリとしており、とても剣に長けた人間には見えないと言われることも多かったが……。
王太子として育っている。
当然、文武両道を求められ、外交も社交もできて当然。武芸も乗馬も完璧にこなせるよう、教育を受けてきた。
見た目にもよらず、になるのだろうか。
剣は得意であったし、両手で扱える。
「社交界という籠の中にいる貴族は、噂で生きている。こうやって実物の姿を見せれば、簡単に印象が変わるな」
「ええ。“血塗られた玉座に君臨する王”などと呼ぶ者は、エルガー帝国から減るでしょう。昼食会の場に、新聞記者も来ていました。陛下の麗しい見た目が記事で紹介されますよ」
「そうか。……それで今日のこの後の予定は?」
尋ねるとルーカスは、濃紺の騎士団の隊服姿で肩をすくめて答える。
「借金の回収のための、皇帝との非公式の面談の席が設けられています。皇宮近くの庭園を散歩していたら、偶然出会う体にして欲しいそうですよ。そこから温室に設けられた席で、宝物と金貨の交換です」
「なるほど。では庭園へ向かうか」
スカイブルーのマントをひらりと揺らし、回廊を進む。すれ違う使用人の女性達の視線を感じる。
微笑みかけると、洗濯籠を持った使用人の女性は……。
間に合うなら助けたいと思った。
だがあまりにも距離がある。
彼女はわたしに見惚れ、その結果。
回廊の柱にぶつかりそうになり、持っていた洗濯籠を落としてしまう。
「そこのあなた! 何をぼうっとしているのですか! アルセス王国から賓客を迎えているのよ? こんな皇宮の近くで洗濯ものを散乱させるなんて! 帝国の恥になります。気を引き締めなさい!」
「大変申し訳ありません、エッカート公爵令嬢様」
「せっかく洗濯したものも台無しじゃない。他のメイドの迷惑にもなるのよ。自覚なさい」
なんとも気の強い公爵令嬢だと思ったが。
その横顔はとても美しい。
凛とした力強さは、一輪のユリの花のようだ。
エッカート公爵令嬢。
確かその名はミラ・マリー・エッカート。
昼食会の席でも見かけた。
第二皇子の婚約者。
「なんだか女帝になりそうな貫禄ですね」
ルーカスがそんな風に言った次の瞬間。
ミラはラベンダー色のドレスのスカートをふわりとさせ、しゃがみ込む。何をするのかと思ったら、散乱した洗濯物を拾う手伝いをしている。
これは驚いた。
「随分と親切な女帝だな」
「……いや、これは、驚きました」
ルーカスが驚愕するのも当然だ。
使用人の手伝いをする公爵令嬢なんて、聞いたことがない。
ひょんなきっかけだったと思う。
でもミラに興味を持ってしまった。
「彼女はわたしと違い、きっと“女神のようだ”と噂されていそうだ」
「そうですね。若く美しい女神」
ルーカスは私の言葉に気を利かせ、ミラについて調べてくれた。
その報告を聞いたわたしは驚くことになる。
「陛下。どうも社交界でのあの公爵令嬢の評価は、我々の想像とは違うようです」
「それはどういうことだ?」
その後、ルーカスから聞いた彼女の評判は散々なものだった。
格下の男爵令嬢の名誉を汚す公爵令嬢。
婚約者の第二皇子を見下す高飛車令嬢。
才女だが冷たい、氷の華のような令嬢。
使用人に手を差し伸べるようなミラが、氷の華のような令嬢?
にわかには信じがたい。
慣れていない行動は、人間、とりにくいものだ。あんな風に自然に助けられるということは。自身の屋敷でも使用人を助けているのだと思う。しかもさりげなく。
確かに叱責する時は厳しかったが、それは当然と思える指摘だ。理不尽なことや、メイドの人格を攻撃するようなことは言っていない。
名誉を汚す、見下す、冷たい。
なぜ、こんな不名誉な評判が立っている?
つい気になり、さらならリサーチをルーカスに命じてしまった。