CAR LOVE LETTER 「Quite inconvenient」
車と人が織り成すストーリー。車は工業製品だけれども、ただの機械ではない。
貴方も、そんな感覚を持ったことはありませんか?
そんな感覚を「CAR LOVE LETTER」と呼び、短編で綴りたいと思います。
<Theme:NISSAN AD VAN(VFY11)>
あー・・・行ってしまった。
俺は交差点の向こうに走り去って行くバスに、くそっと軽く毒づいた後、停留所の時刻表を見て青ざめた。
あれを逃したら、次のバスは20分も後なんじゃないか!
俺は目の前を通り過ぎようとしていたタクシーを強引に捕まえ、駅までの足を何とか確保した。
だけどこのタクシー料金、バスの料金の何倍だろうかな。
俺はまた、朝の混雑の中でも規則的に表示を増やす料金メーターにくそっと毒づいて、腕時計をちらっと確認した。意外ともう余裕は無い。
こんな事になったのも、普段使ってる営業車がいかれてしまったからなんだ。
いつもは会社から営業車に乗って帰って、朝はそのまま得意先を回って、昼過ぎに会社へ行って、また夕方には得意先を回って直帰ってのが俺の一日の行動パターンだった。
それがさ、突然車から変な音がしだして、慌てて車屋に持って行ったら、エンジンオイルがほとんど無くなってて、エンジンを修理しなきゃならないって、俺の営業車は二週間ばかりそのまま入院することになってしまった。
それからは先輩や同僚の車に便乗させてもらって得意先回りをしなきゃならなくなってしまった。
時間も行動も全部相方にあわせなくてはいけない。
これほどやりづらいと感じた事はない。
俺の使う営業車のADバンは先輩のお下がりで、俺のところに来たときには既に酷使されてて、かなりくたびれていた。営業車をもらえたのは嬉しかったが、こんなオンボロをあてがわれるのにはやはり抵抗があった。
連れの会社では、新車のプロボックスなんて与えられるって言っていた。景気のいい会社はホントにうらやましいよ。
うちの会社なんか社長車のセルシオを売っちゃう位だもんなぁ。
今回ADバンが壊れたのをいい事に、車輌課の社長車の運転手さんに、「もう買い替えましょうよ~。」と軽い気持ちで提案したら、「お前、なぁにを言っとるんだ!」ってめっちゃ怒られてしまった。
「車が壊れたんじゃない、お前が壊したんだ。営業の大事な道具の営業車を粗末にしてるからだ!大体俺や社長が若かった頃は・・・!」なんてこんこんと説教受けちゃってさ。これだからジジイは嫌なんだ。
バスの料金の何倍もの支払いを済ませ、かろうじて残った財布の中身を愛おしみながら、俺は電車の券売機に走った。
げげっ!すっげー並んでるし!
しかもホームからは電車の到着を告げるメロディーが聞こえて来る。
ちょっとオバサン、早くしてよ!
券売機から切符をむしり取り、俺はホームに向かってダッシュした。
しかし黒いスーツの大群が押し寄せて来て、俺はどんどんと押し戻されてしまう。ちょ、ちょっと!
もみくちゃにされてホームにたどり着くが、無慈悲な車掌は俺の目の前でドアをぴしゃりと閉めて知らん顔。こいつ~!
まあ数分待てば次の電車が来る。平常心平常心。
次の電車からもものすごいスーツの大群が、それこそ流れ出て来る。俺はその流れにのまれないよう必死に耐えて、電車の車内に身体をねじり込んだ。
電車の中はぎちぎちで、身動きなんて取れない状況。
でも、隣の女の子のシャンプーのいい香りに何とも癒される。
うわっ、後ろのオッサン、息するな!
普通のサラリーマンの通勤は、毎日こんな感じなんだよな。
俺なんか自分のペースで朝支度して、コンビニでパン買ってADバンの中でパクついて、その後ラジオ聞きながら缶コーヒー片手にタバコふかしたりさ。
あんなオンボロ営業車だけど、ずいぶん恩恵を受けていたのかも知れないな。
そんなことをぼんやりと考えていると、先輩の待つ駅に到着した。
俺はもぞもぞと動いて、「すいません、降ります。」と周りにアピールした。
しかし周りは全然隙間を空けてくれないんだ。しかも新たな乗客がまた車内になだれ込んで来る。
ちょっと!降りるって!!
俺の「降ります!」むなしく、電車の扉はバシャっと閉ざされてしまった。マジちょっとふざけんなって!
俺はマナー違反と知りつつも、車内で先輩に電話をかけて、事情を説明した。次の駅まで来てもらえませんか?
「馬鹿野郎!相手様の指定時間ギリギリなんだぞ!なに悠長なこと言ってるんだ!」
先輩はそう言って一方的に電話を切ってしまった。
ちょっと、俺の商品も載せてるんだから、勝手にいかれちゃ困るんだって!
俺は次の駅で飛び降りて、客先に向かうべく、再びロータリーで待つタクシーに飛び乗った。
全く、今日は一体いくら金を使わなきゃならないんだ。
一応領収書もらってるけど、多分申請通らないだろうなぁ。
遠い目をして雲を眺めていると、ポケットで携帯が震えているのに気付く。いけねっ。
あれ、先輩からだ。もしもし?
「今駅に着いたけど、お前どこにいるんだ?!」
やっべー・・・先輩、駅まで迎えに来てくれたのか。
「あの、タクシーで客先に向かってまして・・・。」俺は恐る恐る返事をする。
「ばぁっかやろう!!お前が駅まで来いって言うから来たんだぞ!商品も無しにどうやって商売する気だ!行動変えるなら連絡くらい入れろ!社会人の基本だろうが!」
うわー、先輩めっちゃ怒ってる。っつーか電話切ったのそっちの方じゃん。
俺は半分ふて腐れて、少し適当にすいませんと謝った。
しかしその後、俺は自分のしたことの大きさに背筋も凍る思いをすることになったのだった。
俺と先輩が合流して客先に到着したときは、既に約束の時間から30分も過ぎた頃だった。
客先の担当さんは、それこそ怒髪天をつく程に怒りまくっていて、俺達を「二度と来るな!お前らの会社からはもう買わない!」と一蹴し、どすどすと肩をいからして事務所に戻って行ってしまった。
俺と先輩は必死に取り繕ったのだが、全く話を聞き入れてくれなかった。
やばいよ。ここ、うちの会社の大口ユーザーなんだから。
先輩は会社に報告を入れる。社長が直々に謝罪に来られるらしい。
やばい。これってホントにやばいんじゃないか?
その後社長と部長に課長まで謝罪に来て、何とか場は収束するも、その日の俺達担当の得意先回りは全て他の同僚にやってもらう事になってしまったし、会社に戻ってからは社長に激しく怒られて、来月は俺も先輩も給料は二割カット。
そして、今まで仲良くしてくれてた先輩とも、これがきっかけで絶交状態になってしまった。
最近じゃ俺、営業成績も右肩上がりで、こんな失敗をするなんて思っても居なかった。
まさか営業車がなくなっただけでこんなことになってしまうとは。
大失敗をして、やっと俺はADバンの存在の大きさを知ったんだ。
好きで乗ってた訳じゃないし、嫌で仕方なかったADバンが、今は恋しくて仕方がない。
この日を境に、俺は自分の生活態度を見直す事にした。
そして、他人の営業車の点検なんかも、自分から率先してやるようになったんだ。
ある日、事務所で書類整理をしてたら、絶交状態だった先輩が俺に声をかけてきた。
「営業車、車屋持って行くから。付き合ってくれ。」
先輩は目を合わせるわけでもなく、要件だけをさらりと言うと、そのまま玄関に向かってさっさと歩いていってしまった。
俺は、何となく嫌な雰囲気だよなぁと思いながら、スーツの上着を引っ掛けて、先輩の後を追った。
あの日以来の先輩の助手席だ。前は昼飯に行く時なんかよく乗っけてもらったし、面白い話もよくしたりしたもんだけど、今は会話なんて全く無い。俺はラジオから流れるDJのバカ話をひたすら聞いて、外を眺めるばかりだった。
会社から20分も車を走らせると、いつもの車屋にたどり着く。
先輩は得意の営業トークでメカニックさんと軽快に笑顔で話をしている。俺はその輪に何となく混ざれない。一体俺は、何のためにここに居るんだろうか。
しばらくして、先輩とメカニックさんの会話がひと段落付いた時、先輩が俺に何かを投げてよこしてきた。
驚いてキャッチすると、それは車の鍵だった。
「修理、終わったってさ。結局エンジン載せ換えたって。よかったな。新車じゃねーか。」
「エンジンだけじゃないですよ。足回りとかも相当傷んでましたからね。それらも全部新品です。この車、壊れるべくして壊れた、という感じでしたよ。」
ADバン。治ったのか?俺のADバン。
整備工場の片隅には、洗車までされて見違えるようにピカピカになったADバンが静かに停まっていた。これ、ホントに俺のADバンなんだろうか。
俺はドアのキーシリンダーに鍵を入れて回してみる。
ぐにゅっとした手ごたえが鍵から俺の手に伝わってくる。ドアノブに手をかけると、ドアが開いた。
これは紛れも無く、俺のADバンなんだ!
「車検で俺の車預けちゃうからさ、明日からの外回り、乗っけてくれや。」
先輩は少し照れくさそうにそう言って、あの時は悪かったな、とまた目を合わせずに呟いた。
俺もそれにあわせ、俺の方こそすいませんでした、と目を合わせずに呟く。
そしてお互い目を合わせると、どちらともなく噴き出してしまったんだ。
「先輩。俺、最近朝早いですよ。大丈夫ですか?」
「お前、誰に向かって口聞いてんだよ。ほら、トランク開けろ。」
俺と先輩は、先輩の営業車から俺のADバンのトランクに、山のような商品を積み替えていった。
勢い良くダンボールを放り込むと、ADバンから「ギシッ」と何かがきしむような音がした。
その音に、俺と先輩は一瞬凍りついたが、直ぐに目を合わせて、また大爆笑したのさ。
155282km。メーターはそんな距離を示している。
でもこれからもまた、俺とADバンの距離が刻まれていくんだな。
宜しく、頼むぜ。相棒。
俺はキーをひねり、新品のエンジンに火を入れた。