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07. 埋もれていた才能①

更新予約間違えてました。

 凍てつく空気が皮膚を刺す。鼻先が赤らみ、指が(かじか)んだ。

 薄く積もった雪が早朝の草木を白く染める。深夜のうちに雪は降ったのだろう。一面の銀世界とは言わないが、イースノイシュ邸は屋根の天辺から庭園の木々まで一色に変貌していた。

 踏みしめるとサクサクと、小さな音が靴裏から届いく。庭師が遊び心で作ったであろう小さな雪像がいくつか配置され、冬を楽しんでいる様子が伺えた。

 息を吐くたびに白い吐息がやわらかく空気に色が着く。春は遠く、冬はまだまだ勢力を増す。それでも今年は暖冬らしく、昼が近くなると日差しが薄く空気を温め、白色の世界は呆気なく終焉を迎えるはずだ。

 冬が暑くなると夏も異常をきたすことが多い。

 畑の生育に異常がなければ良いな。と、アリアが空を仰ぎ見ながら現実逃避をしたところで、激しい声が響いた。

 冬の乾燥した空気に男の声がこだまする。



「立ち上がれ! アリア!」

「う、うぇぇい……」

「返事ははい、だ!」

「はいぃぃ」



 怒号と共に小さな雪像が崩れる。

 庭師渾身の作品は、項垂れるように地面に消えていった。





 己に異母兄がいる、そして第二王子の護衛を務めろと言われた衝撃の日の翌日、朝食をとりながらシルヴィオは「入学前にいろいろ学ぶことがある」と、アリアに伝えた。初めて食べたクロックムッシュに感動しながら「だろうな」と、アリアは考えていた。


 王立学園は貴族や多額の寄付をした金持ちの子が通う学園だ。

 つまり平民にはもとより入学資格がない、金持ちと貴族のみが通える上流階級の学園だ。


 アリアはヴィヴィから読み書き算術や、平民基準で恥ずかしくないマナーを教わっている。平民として暮らすなら上品な振る舞いができただろうが、所詮貴族から見ると底辺だ。

 貴族の子は学園入学までに家庭教師をつけ、知識を吸収した上で入学してくる。

 スタート地点が違うというのに、貴族同士の挨拶の仕方、爵位別の接し方、言葉遣いなど、平民には理解できないルールも学ぶ必要があった。


 そもそもヴィヴィが亡くなってから、アリアは日頃の生活をこなすだけで精一杯だった。姿勢を正すことや、食事の作法等はすっかり頭から抜け落ちている。一から勉強しなければならない。

 だというのに、入学までになんとか詰めるだけ詰め込み、第二王子の側近としてギリギリ及第点を目指すことになった。これが無謀でなくて何と言う。


 現況に青ざめるアリアの方がまともだ。

 難題を押し付けているつもりのないお貴族様(シルヴィオ)は、付け焼き刃でもどうにかなると理由なき自信に満ちている。

 知識を詰め込まれる人間は自分だし、貴方は昔から学んでいたから苦労知らずでいいですね。と、思うが嫌味を言ったところで状況は変わらない。


(無理だと思うけどなぁ)


 指摘するか悩んだが、十五年生きてきて美味しかった食事ナンバーワンに輝いた朝食を前にすると文句も霧散する。

 どうせ言ったところですべき事が変わらないのなら、美味い朝食をわざわざ不味くする必要はない。アリアは太くてジューシーなソーセージと共に全ての苦言を飲み込んだ。



 その過去を、どれほど悔いたことだろう。

 多少なりとも言えばよかったと頭を抱えた。



「では、こちら全て暗記してください」

「こちら……? 全て……?」

「はい。ここ三年の貴族名鑑です。古い順から憶えてください」


 専属メイドのノエルに渡されたものは、分厚い辞書六冊分の貴族名鑑だった。

 とんでもない分厚さに、ノエルと貴族名鑑を三回ほど交互に見たが彼女はにこ! と、笑うだけだ。冗談とも嘘だとも言わない。

 どうやら本気らしい。

 青褪めるアリアを見て流石に憐憫を抱いたのか「実はですね」と、彼女は申し訳なさそうに言う。



「アリア様の講師をシルヴィオ様が選抜しきれていないのです。今回のことは極秘のため、シルヴィオ様も多くの方にご協力を仰ぐわけにはいかず……。なので講師の方が決まり次第、マナー等の勉強を行なう予定です」

「あ、じゃあこれはつなぎの勉強なんですね」

「いえ。こちらも必須です」

「必須なんだ……」


 試しに適当なページを捲ってみる。貴族の名前のみならず、各領土の特色や農産物、果ては貴族同士のいざこざまで記載されていた。

 こういったものはどうして必要なのかと思ったが、尊き血筋の把握と管理のために必要なのかな? と、考える。


 アリアとしては実践経験が必要なマナーや教養を急ぎ学びたいのだが、現状やれることがなく、怠惰に過ごすのも時間の無駄だ。なので致し方なく与えられた貴族名鑑の中身を覚えていく。

 読書は嫌いではない。

 だが、興味関心のないものを学ぶことは、こんなにも面白くないんだなとアリアは初めて知った。

 知的好奇心がほどほどにあるといっても、それは貴族社会にではなく、学術という意味での好奇心だ。


 今回得る知識は学校に通う間は役立つだろうが、卒業してしまえば無意味となる。

 だが、今後通う学生生活において、何より学ばなければならない必須教科ということも理解している。だからこそ、アリアは嫌々ながらページを捲り続けた。


 その努力もあり、アリアはあっという間に貴族名鑑全てを記憶した。

 

 シルヴィオが望んだもの、全て。

 名前、爵位、領地の名物、特色、派閥、近年の震災の有無、経営状況。その、全てを。

 これはシルヴィオにとっては嬉しい誤算であり、アリアにとっては地獄の一歩を踏み出したきっかけとなる。




 アリアは頭の出来がすこぶる良く、一度学んだことはほぼ記憶から抜け落ちないことがわかった。

 当人はその凄さを理解しておらず、本を読む時に頭の中で読み返せることが楽だという風にしか捉えていない。学校に通っていないため、テストという概念がない。だから才能を発露する場所がなく、その才知を理解できていなかった。


 試しに近世の歴史書をアリアに渡したところ、興味を持ったのか貴族名鑑より早く読み終え、内容の暗記にも問題がなかった。

 座学に関していえば本を日々読み込み、問題を解けば入学後もある程度のラインをクリアできるレベルだ。応用問題では引っかかるが、暗記問題で点数が稼げるだろう。

 なにせ貴族名鑑を読み込むだけで、スラスラと名前と領土、特産物や派閥に関してそらで言い放てる。日をあけて試した時も、全く問題がなかった。


 これにはシルヴィオも驚嘆した。

 素晴らしい才能だ。

 だから、記憶を用いるものは後回しでも大丈夫だろうと判断された。


 教養に関しても、テーブルマナーも数回直すと生来の貴族のように振る舞うことができた。理解力が高い。人の仕草をよく見て、よくよく観察しているのだろう。

 言葉遣いに関して言えば平民言葉を多用するが、そこは衆人環視の元ではあまり喋らないことに徹し、理解者である第二王子と日々会話することで矯正できると解釈した。


 座学、貴族社会のルール、言葉遣いを後回しにしたシルヴィオに、アリアは座学関係はほぼ一発勝負になるのでは? と、不安だった。


 それから一ヶ月。

 現在ではシルヴィオが他の科目を後回しにした意図を察し――なるほど。と、地面に身を預けながら現実逃避できるようになった。


 空が青い。

 薄い青を下地に千切ったパンのような雲がいくつか点在している。大地には冷たい風が吹き、砂埃が舞いあがって怒声が轟く。


 そして、冒頭に繋がる。




 ◇ ◆ ◇




「立て!」

「……はい……」


 平民なら絶対に学ばない学科。

 そのうちのひとつ。

 剣術の講師が異母兄である、シルヴィオ当人だった。



 王立学園には騎士科と普通科と特進科がある。

 一年、二年時は分科しないが、三年になると選ぶことができる。貴族の次男三男も入学するため、彼らに合わせた選択科目だ。

 ベルンハルト王国では基本的に長子が跡を継ぐ。

 長子が病を負ったり重大な怪我を負えばその限りではないが、男女関係なく長子相続だ。


 特進科は特別優秀な成績上位者と王族が確定しているクラスだが、騎士科と普通科は本人の希望で選択できる。

 だが、一年時と二年時は各学生の適正や本人の意向を確認するため、誰であろうと剣術や馬術の実技をおこない、学ばなければならない。


 今回、アリアは第二王子の側近兼護衛として任につく。

 平民出身の婚外子という恥部は貴族社会ですぐさま露呈するため、アリアが剣術も馬術も学んでいないことは周知の事実となるだろう。

 そのため、新興貴族の令息は間違いなく授業でアリアに絡んでくる。イースノイシュの血統であろうと母親は平民。婚外子の護衛は格好の的だ。


 イースノイシュ家は現在領地で療養中の公爵が現役の頃、彼がヴィヴィに惚れ込んでいる間に貴族同士で培った様々な契約を打ち切った。

 その件に関し、シルヴィオは他家からどのように言われても仕方がないと考えている。


 当時の父は無様であり無責任だった。

 一人の女を追いかけ、狂ってしまったのだから。


 だが、シルヴィオは傾きかけた家を立て直し、剣技にも優れ、その功績から第二王子の側近として任命された。

 くわえて見目も端正だ。眉目秀麗の次期公爵。

 立場と実績から、誰も彼に直接文句を言いにくることはない。

 だからこそ、シルヴィオの活躍が面白くない人間に鬱憤が蓄積されている。

 そして、優秀な人材に溜まった不平不満は今、新たに家に加わった人物に向けられようとしている。


 アリアは間違いなく狙われる。

 罪悪感はある。

 しかし、国のためならば個を利用することに、躊躇いはなかった。



「よく見ろ! どこに切先が向かうか見て判断しろ!」



 ひぃん、と腰の引けたアリアの悲鳴がシルヴィオの鼓膜を不快に揺らす。

 危険だからと前髪を結えさせた今、アリアの表情は日の下に晒されていた。半泣きの情けない表情。感情を隠せと言われている貴族の人間ではありえない曝け出し方だった。


 指導する前に喧嘩の経験や運動の経験を訊いたところ、喧嘩は苦手だからしたことがない。運動も重いものを日常的に運んでいた程度とアリアは言っていた。

 これは記憶力と違って見込みがないかもしれないと思い、シルヴィオは主に攻撃を避ける手段を教えることにした。


 その考えは合っていたらしく、アリアの打ち込みは決して強くない。力仕事をしていたようなので、筋力はあるが人に剣を振り下ろすことを躊躇う仕草が見て取れた。


 だが、避けることに関していえば戦闘実績のあるシルヴィオも目を瞠る動きを見せた。

 決定的な一打は必ず避ける。


 晒された碧眼が左右に揺れ、シルヴィオの動きをくまなく視認する。足の位置、剣の切先、対するシルヴィオの視線の動き、筋肉のしなり。目で見て、全てを判断する。


 構えの姿勢が悪く、隙だらけの姿。

 けれど切先を振り下ろすと、必ず防がれると本能が告げる。


 アリアの額に浮かんだ汗が頬を伝い、顎に流れていく。その間、瞬きひとつしない鋭利な瞳がシルヴィオを睨んでいた。


 アリアは目がいい。


 剣を交わすうちに、シルヴィオは気づいていた。

 普段の生活でもその目の良さはなんとなく察していた。前髪がおろされ視野が狭いはずなのに、アリアの瞳は物がどこにあり、人がどのように動くのか。それを、瞬時に判断する。


 仕草、雰囲気、手足の位置。

 瞬時に判断し、先の動きを読む。


 教えられたものではなく、今まで生きてきて身につけた術だ。当たり前としてアリアが行なっているのなら、それは――人の目を気にして生きた証であり、哀れな癖だ。


 もしも、ヴィヴィが亡くなった後、すぐさま公爵家で義母弟としてアリアを引き取って養育していたならば、マシに生きられていたかもしれない。

 何度も何度も考えてしまう。

 優れた才知を今まで見出せなかった事実を。

 凄まじい速度で知恵を吸収し、剣技を身につけさせ、イースノイシュ家に相応しい教育を施していたのなら、庶子であれ、もしかしたら本当に第二王子の護衛として過ごせていたかもしれない。

 

 けれどそれは、実現しなかった。

 実現するはずのない――ありえなかった未来だ。

 


「振りが甘い! もっと力をこめろ!」

「は、はいっ!」


 

 攻撃に重さのない軽い剣だが、知識として得た人の体の弱点を識っている一撃は涙目で繰り返す割には容赦なく、とても思い切りがいい。

 そして、シルヴィオがわざと隙を生み出せば、目敏く、容赦なくそこを狙う。惜しい点は、その隙を作り出されたものとわからない点だ。


 初心者としては十分合格。

 だが護衛としてまだまだだ。


 アリアが狙った場所から体をずらした瞬間、刃の交わる音が轟いた。

 そこからあえて力を抜くと、重心をずらされ体のバランスを前のめりに崩したアリアの背を剣の柄で軽く叩く。脆くも膝から倒れ、あっという間に無様に地面にへばりついていた。


 垂れる汗が地面を濃く濡らす。

 項垂れていたアリアの頭がゆるりと反り、視線がシルヴィオと交わる。

 眼光は鋭く、碧眼同士が交わった。


 頭が良く、負けん気が強い。

 惜しいなと、シルヴィオは何度も思った。



「今日はここまで。動きの復習をしておくように」

「あぃ……」



 シルヴィオはエイトからタオルを受け取り、荒い呼吸を繰り返しているアリアを見て、容赦なく言葉を吐く。



「昼からはダンスレッスンだ。それまでは、しっかり休め」



 アリアは地面に突っ伏したまま、無言で了解と手を振った。返事をする気力もなかった。

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