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03. 輝かしい世界の醜い裏側①

 国立公園と見間違うような壮麗な庭がアリアの眼前に広がった。

 イースノイシュ公爵邸は冬の最中だというのに、きっちりと草木の整備がされ、常緑樹が庭木として鮮やかな緑を描く。春が来たらより鮮やかな花々が咲き誇るのだろう。広く空いたスペースがいくつもあった。

 庭の端にはドーム型のビニルに覆われた部分もある。おそらくハウスで植物を育てているのだろう。アリアから見ると、ここは庭ではなく観光地に等しい。チケットもぎりがあればどれほど気が楽か、馬車から降りた瞬間ダッシュで逃げる妄想しかできなかった。

 だが、妄想は所詮妄想でしかない。

 逃さないと言わんばかりにシルヴィオが先導し、後ろには彼の護衛兼アリアの見張り役がいる。腰にある剣を見る限り、逃げ出すとどうなるのか否が応でも想像できた。

 視線だけをキョロキョロと彷徨わせ、どうにかこうにか逃げ出せないかと焦るなか、無情にもイースノイシュ邸の玄関扉が迫る。一歩、二歩、三歩ーー終わりだ。



『おかえりなさいませ』



 アリア二人分以上の高さがある扉を開いた先には、ずらりと使用人が左右に並んでいた。

 寸分の狂いなく整列し、一切の乱れなく声を揃える彼らは圧巻だ。その光景に気後れしていると、使用人のなかでも一番前にいた人物が一歩前に出る。

 皺で表情を彩る人は黒と白の混ざる頭をかっちりと纏め、深々と腰を曲げた。物腰は丁寧かつ柔らかな好々爺に見えたが、常に微笑んでいるような表情は腹の中が読みづらく、食わせ者という印象をアリアに抱かせた。



「お帰りなさいませ。シルヴィオ様、アリア様」

「ただいま、メイソン。――アリア、彼はメイソン・リンデンバーグ。イースノイシュ家の家令だ。わからないことがあれば彼に尋ねるといい」

「え、あ、はい?」



 驚く点や見るべきものが多すぎて返答がおざなりになる。しかしシルヴィオは気にした様子もなく、スタスタと歩き出す。アリアも慌てて彼の背を追い、メイソンも二人の後にゆったりとした動きでついてきた。


 イースノイシュ邸の内観は、外観と同じく豪奢な作りだった。

 貴族として派手な装飾をしているというわけではなく、壁に飾られている絵画や花を飾る花瓶がそれとなく高級なのだろう。ギラギラとした卑しさを感じることがない。

 ひとつひとつのものにこだわりがあると、平民であるアリアでも一目でわかる。

 廊下に敷き詰められている絨毯に至っては、普段アリアが使用している寝具よりもふかふかで、色味も落ち着いた深い青だ。今すぐ横になって感触を確かめてみたい。きっと心地よく眠れるだろう。が、流石に試す勇気はない。


 周囲に目を配りながら、アリアは後ろについてくるメイソンに気をやる。


 アリアの見目はひどいものだ。

 わざとそういった作りにしているアリアから見ても、浮浪者にしか見えない。だというのに、メイソンは驚いた様子も嫌がる様子もなく迎え入れている。

 メイソンだけではない。

 ホールで出迎えた使用人たちも困惑した表情を見せず、行き違うメイドたちも静々と頭を垂らして主人と、主人が連れてきた浮浪者もどきを迎え入れている。明らかにアリアがどういう見目をしているのか知っていた反応だ。これは最初から話を通していたな、と気づく。

 異母兄と言ったシルヴィオ。信じ難いと思いながら、こうして根回しをしている様を確認すると徐々に真実なのだろうなと思ってしまう。今更、自分が貴族と言われてもアリアはどう反応すべきかわからない。

 今まで質素堅実に生き、それで不足を感じたことがない。

 血脈的に囲い込みたいのだろうかと考えるが、それにしては扱いが妙に敬っているような、下手に出なければならないと暗に言っているような――なんとなく、シルヴィオから下心のようなものを感じていた。



「入ってくれ」

「……はい」



 悶々としながら案内された部屋には大きなデスクと本棚があった。本棚にはみっちりと何らかの書類が積まれている。この部屋は、シルヴィオの執務室なのだろう。

 デスク前にはテーブルソファのセットがあり、テーブルの上にも何らかの書類があった。

 機密事項とかないのか? と、考えたが、客間ではなく私室を見せることにより誠意を表しているのだろう。

 有無を言わさず馬車に乗せられ、邸に案内され、シルヴィオのテリトリーに囲い込まれている。この様子を見る限り店に来られた時点で逃げ場はなかった。

 おそらく、彼の態度は逃げられないアリアに対する精一杯の誠意だ。

 そうでもなければ、貴族が平民を自らのテリトリーに囲うわけがない。と、思うが異母兄だから優しさを与えているだけなのかもしれないとも考える。家族の縁が薄く、貴族から遠く生きてきたアリアには男の考えがわからない。



「座って」

「はい」

「紅茶? 珈琲?」

「あの、お構いなく」

「長い話になる。とりあえず、紅茶と菓子の用意をさせよう」



 呼鈴ひとつで音もなく現れたメイドが紅茶を用意する。室内に紅茶の芳しい香りが漂い、アリアの体臭が若干誤魔化される。明らかに場違いの状況に縮こまっていると、執務机にいたシルヴィオがローテーブルを挟んでアリアの前に座る。彼は困ったような表情をしながらアリアに封筒を手渡した。

 見ろ、ということなのだろう。

 恐る恐る封筒の中身を開けたところで紅茶とお菓子の用意が完了し、メイドが席を外す。

 部屋にはアリアとシルヴィオだけになった。

 共に入室すると思っていたメイソンは扉の外で待機している。互いの呼吸音が耳に入るほど、二人きりの室内は静謐だった。



「これは……」

「君も耳にしたことはあるだろう。件の男爵令嬢の話――ルーラ・レーヴェルシュ令嬢を」



 書類の一枚目にあったものは、女性の写真だった。

 それだけではピンとこなかったが、二枚目、三枚目と捲ると貴族と縁遠い平民のアリアにも写真の女性が誰か推察できる。


 ルーラ・レーヴェルシュ。


 名前は初めて知った。

 平民には彼女の名前は伝わっていない。ただ、この状況で「男爵令嬢」を差す存在は彼女しかいない。

 第一王子を陥落させた女。公爵令嬢に虐められた可哀想な人。その人だ。


 写真に映る彼女はアリアが想像していた女性より普通に――普通の可愛い女性だった。

 傾国の美姫や魔性の女と言われていたヴィヴィや、目の前にいるシルヴィオの方が美しい。写真の彼女は、平民の中にいても溶け込める自然な可愛らしさがあった。


 ストロベリーブロンドの甘い色の柔らかそうな髪は緩く二つ結びにされ、スカイブルーのぱっちりとした大きな瞳には愛嬌がある。

 化粧をしているのだろう、朱色の頬は血色が良く健康的だ。丸みを帯びた輪郭は美人というより可愛いという表現が的確だった。

 アリアより年上だが同い年や年下にも見える。

 彼女が童顔という点もあるが、なによりレーヴェルシュ嬢がもつ雰囲気そのものが幼いように思う。

 渡された写真の印象がそう見せるのだろう。歯を出して笑っている写真は平民と遜色ない。アリアに親近感を抱かせた。


 彼女が、第一王子に気に入られた人なのか。


 平民の目から見ると、確かに可愛らしい人という印象だ。洗練された雰囲気がないから、こういう人はパン屋とかケーキ屋みたいな店で働いていそうだなと思った。

 だから、するりと言葉が出る。



「可愛い人ですね」



 ダンッ!

 紅茶がカップの中で波打った。一部、ソーサーに溢れる。容赦ない力でテーブルを叩きつけた男は、今まで見たことのない憎悪の表情をしていた。



「可愛いわけがない、この女はとんでもない娼婦だっ!」

「ッ! す、すみません……」

「あ、いや。……すまない。君は現状の彼女を知らないから、そういう感想になっても仕方ない……」

「現状の彼女? えぇと、街の噂では第一王子に、その……」 

「それは一学年末の話だ。渦中のレーヴェルシュ嬢は現在確認しているだけで第一王子の他、宰相閣下の嫡男、王立騎士第一師団団長の次男、カストロ公爵家の三男、オズウェル辺境伯の嫡男と懇意にしている」

「…………えーと。……ハーレムですね」

「遺憾なことにな」



 至極嫌なものを口にしてしまった、とシルヴィオは顔を歪める。表情から嘘ではないことを知り、同じ様にアリアも顔を歪めてしまう。

 宰相閣下の嫡男といえば幼い頃から第一王子の側近としてついている。これは周知の事実だ。

 王立騎士第一師団団長については知らないが、収賄で成り上がる騎士の所属において、第一師団は国王直轄の師団として実力者のみが入団できると聞いたことがある。

 カストロ公爵やオズウェル辺境伯については、爵位がある程度の認識しかできないが、なんとなく彼らの家名は王家が無視できない立場にあるのだと悟る。

 ハーレムと下衆な言葉で揶揄してしまったが、いっそ狩猟と称した方が良かったかもしれない。

 入学して二年。

 噂の男爵令嬢は目当ての獲物を狩りながら、優雅な学生生活をエンジョイしているようだ。



「彼女の行動は目に余る。だが王子が拒否をしていないこと、学園内でも権力を持っている上位貴族の一派が彼女を守っていること、現在学生という立場ということ。この三点から抑制することが難しい」

「恋多き人なんですね」

「それだけで済めばいい。だが、彼女の暴走は年々ひどくなっている」


 

 王族に幼い頃から婚約者がいることは当然だが、立場ある令息の相手も当然決まっている。

 彼女が狩った獲物に関してもそれは言える。

 公爵令嬢と第一王子の時のように派手な振る舞いはしていないが、レーヴェルシュ嬢が特に第一王子と懇意にしているから手出しできないだけだろう。相手が第一王子でなければ、令息たちも彼女を巡って何らかのことを起こしたかもしれない。


 しかし、醜聞自体は広まっている。彼女を囲っている姿は認知されている。そもそも、彼女も周囲の令息もそれを隠匿しようとしていないのだ。

 書類に記載されている内容を見る限り、このまま卒業まで変化がなければ各家で秘密裏に婚約解消、または婚約破棄を促す流れは確定だろう。

 幼い子どもの恋情と一言で片付けられる立場なら、彼らも幸福だったかもしれない。少なくとも、平民であれば単純な痴情のもつれで済んだ。誰を好きになってもいいし、誰と好きになってもいい。



「これは極秘だが、婚約破棄されそうな貴族の一角が、他国に亡命しようと画策していることがわかった」

「亡命、ですか」

「後の国王である第一王子の醜態、放置している現国王の無能さを嘆いた結果だ。これは国益を損ね――やがて、大きなうねりと化して我が国を覆うかもしれない」



 亡命を言い出したのはを渦中の公爵家か、はたまた今回列挙された令息たちのお相手だろうか。

 地位ある者の婚約者もまた地位ある者だ。

 王家の損失は大きく、失せた信頼を取り戻すためには行動に出なければならない。


(もしかしなくても、大ごとに巻き込まれていないか?)


「今は学園内の話だ。彼らの行動は学生ということもあり、おおめに見られている。しかし卒業後、婚約破棄ないし婚約解消が確定すれば被害者は行動に出るだろう」

「当然です」

「我々はこれ以上被害者を出すわけにはいかず、また、諸侯の動きに目を光らせねばならない」

「被害者、ですか」



 被害者と言っても男たちが一人の令嬢に理性なく惚れ、婚約者の女がふられているだけだ。

 貴族だから問題になっているだけで、花街ならあしらわれる場末の話。

 そこに権力が絡めば、こうもロクでもない話になるのかとアリアは頭を抱えたくなった。



「貴族が揺れると臣民の暮らしも揺れる。この一年で王都での騎士の動きはどうだ」

「……新興貴族の推挙により、騎士にふさわしくないものが徐々に増えています。おそらく、賄賂で騎士の身分を買っているのかと。以前より、古格貴族の発言は小さくなっていると思います」

「そうだ。放置し続けると小さな亀裂は王都を越え、都市を越え、辺境に至り他国に知れ渡る。我々はこれを正常化する義務がある」

「我々……ですか」

「そうだ。そこには、第二王子の意思もある」



 第二王子といえば、平民の間では特に話題に上らない人間だ。

 可もなく不可もなくといった印象で、良くも悪くも第二王子というレッテル通りの存在感である。

 今年、その第二王子は王立学園入学の年になる。アリアと同い年の青年。レーヴェルシュ嬢の新たな被害者兼恋人候補の一人。


 男爵令嬢は地位のある男には見境がない。

 話に聞く彼女の人物像を思えば、入学後の第二王子を狙うという予想は容易い。間違いなく毒牙にかかる。既定路線だ。

 そういう女だと認識されながら、どうして彼女がそこまで好かれるのかアリアには理解できないが、このまま第一王子の時のように第二王子も陥落されてしまえば、レーヴェルシュ嬢は確実に王妃の地位を願い出るだろう。

 だが、現実はそう容易くはない。

 高位貴族の令息を手駒にし、王位継承権を持つ若者を侍らせる女をどうして貴族が、平民が信用できると言うのか。

 被害となった家を中心に貴族内で派閥の溝はより深まる。最悪、内紛に至る可能性もある。

 これは男女間だけで済む問題ではない。


 だからこそ第二王子は何らかの策を講じる 

 簡単に籠絡できた第一王子とは違い、第二王子は今回の件で王位継承権が転がり込んでくる立場になった。

 本来は長子である第一王子が王太子になるが、現況を踏まえると、どうなるかわからない。もしも彼が王位を欲しているのなら――格好のチャンスだ。

 

 現時点で派閥問題は、平民に認知されるほど激化している。


 第一王子がつけているものは新興貴族。

 第二王子がつけているものが古格貴族。


 学園内の出来事は数年後の貴族界の縮図だ。

 派閥、思想、信念、宗教。

 四大貴族の一角にして古格貴族の代表格。イースノイシュ家は第一王子を見限り、第二王子についた。



「男爵令嬢はまず間違いなくあの方を狙う。学年が違うため接点は少ないが、新興貴族の中には彼女を慕う者が多い。協力者を通じて殿下を狙うだろう」

「でもそれは第二王子が気をつけていたら平気なのでは? こう言ってはなんですけど……第一王子がすでに引っ掛かっているので、その相手を好きになる要素はないと思いますが……」

「第一王子だけが彼女に引っかかっていたなら、古格貴族もそう思っただろう。しかし、宰相閣下の令息をはじめなぜか彼女の周りに地位ある令息が多い。最初は彼らも殿下を諌めていた。しかし、蓋を開けたらこの状況だ。これは異常事態だ。何か裏があると考えることが普通だろう」



 裏、と言ったシルヴィオの発言にアリアは眉を顰める。

 彼は件の男爵令嬢が、人を魅了する薬物なり魔道具なり魔法なり、つまりは非人道的な禁忌に手を出していると言いたいのだろう。

 そうでもなければ、あまりにもおかしな状況だからだ。けれど、いま野放しにされているということは、証拠の類が出てこないことも暗に言っている。



「王立学園が妙なことになっていると、なんとなく理解しました。ですが……あの……なぜ、その話を聞かせたのでしょうか?」



 レーヴェルシュ嬢の写真や学園内での状況を今まで聞かされてきたが、結論としてどうして聞かされているのか分からなかった。

 噂に名高い彼女がどういう人なのか知ったところで、アリアには特に意味はない。今年の野菜類の収穫量を知った方が有意義だ。


 シルヴィオはアリアの問いに、ここに来て初めてふわりと笑う。僅かに上がった口角が緩く開き「その問いを待っていた」と、彼は言う。



「アリア。君には、第二王子の側近兼護衛として王立学園に入学してもらう」


 

 信じられない言葉に瞠目するアリアを前に、シルヴィオは咳払いを一つして続ける。

 


「期間は彼女が卒業する一年間。君が学びたいというのなら、三年間通ってもらって何ら問題はない。その間、殿下の耳目になってもらいたい」

「っ、む、無茶です!!」



 理解の範疇外の提案に言葉が失せていたアリアは、慌てて拒否をする。何らかの大事に巻き込まれそうな予感は、事ここに至るまでひしひしと感じていたが、それがまさか第二王子の側近兼護衛など、荒唐無稽な話になると予想できるはずがない。

 そもそも、側近や護衛という言葉自体、平民として生きてきたアリアには馴染みのない言葉だ。雲上人が使うそれに、なれとシルヴィオは言う。

 思わず立ち上がったアリアの眼下でカップが倒れる。机の上に飲み残した紅茶がわずかにこぼれた。しかし、気をやる余裕はない。



「自分は庶民です。貴族らしい生き方をしたことがありません! 王立学園に入学もそうですし、殿下の側近なんて畏れ多くて無理です!」

「君の戸惑いは理解できる。当然の反応だ。しかし、これは確定事項だ」

「……そんな……」


 レーヴェルシュ嬢の書類を見せ、婚外子であるアリアの下手に出て、敬うような侍従たちの姿を見せ、シルヴィオは今の今まで誠実だった。

 明らかに、何か裏があることはわかっていた。

 けれど、まさかこんなに大きな爆弾があると一体誰が予想できるのか。



「――自分が殿下の側近兼護衛に至った理由がわかりません。理由というか大義はまだ……理解できます。だからと言って庶子で作法も知らない自分が適当な人材とは思えません」

「君ほど適性のある人材はいない」

「自分は、この家に捨てられた婚外子です。礼儀を知らない人間です。……無理です」

「君を捨てた家を憎んでいる?」

「憎むことはないです……。ですが、」



 何も文句を言い返せない立場の人間に、手を出して産まれた人間がアリアだ。そして今、かつてヴィヴィが捨てた場所に無理矢理戻され、断れないアリアに無理難題を押し付けようとしている。

 腹の底に、昏い感情が落ちる。

 憎むほどではない。そこまでアリアの感情は豊かではない。けれど、嫌悪は間違いなくあった。



「……確かに、君に縋るのは虫が良すぎる。けれど」



 シルヴィオは、そっとソファから体を離し床に膝をついた。ゆっくりと頭を垂らした彼に、慌ててアリアはシルヴィオを止める。



「やめてください!」

「君の言葉には間違いがない。父はランドリーメイドである君の母に手を出した。これは主人の行動ではない。君の憤りも怒りも当然のものだ。それでも私は君を利用したい」

「いいですいいです! そんな憤りもなければ怒りもないです! ただ嫌味が言いたかっただけなので!!」

「そうか、なら良かった」



 あっさり立ち上がり、平然とソファに座り直す男を見てやられた! と、思う。

 アリアの本音といえば、貴族として生きたいと願ったことはなく、平民の身分で十分幸福だと思っている。だから、今の言葉はただの嫌味のつもりだったのだが、シルヴィオの謝罪を受け止めた今、より断りづらくなってしまった。



「――レーヴェルシュ嬢も婚外子なんだ」

「自分と同じ、ですか」 

「多少違う。正妻との間に子を成せなかった男爵が、追い出した妾の子どもを引き取った」

「……業が深いですね」

「つまり君とほぼ同じ立場だ。話が弾むだろう?」



 彼らの計画が読めてきた。

 つまり彼らは生贄を求めているのだ。

 

 表の理由は第二王子の盾、裏の理由は令嬢の調査。

 令嬢から王子の身を警護しながら、彼女の意図とバックボーンを調べろと言っている。第一王子をはじめ、高位貴族の子息がなぜこうも容易く籠絡されたのか。

 護衛や側近という身分を与えたのは、調査しやすくするためだろう。

 

 そのためには多々条件があった。

 調査のためにある程度の身分が必要となり、王子と同世代の人間。そして万が一の可能性、なんらかの禁忌を用い、令嬢の毒牙にかかり裏切っても支障のない人間。


 条件を当てはめた結果、残った人間がアリア・リィル。

 イースノイシュ家の汚点たる婚外子だった。



「別に何かをしろとまでは言わない。ただ殿下の側にいてくれたらいい。本来、私が殿下の側近だったが年齢の都合上、君に白羽の矢を立てた」

「……レーヴェルシュ嬢が単純に見目麗しく好かれているだけ。という結果になっても良いのですか?」

「ああ。レーヴェルシュ嬢に問題があった場合、すぐさま法的に処する手筈になっているが、彼女の背後関係になんら問題がなく、単純に個人間の痴情のもつれだった場合は、被害者側に多額の慰謝料を渡し、新たな婚約者の選定を行う予定だ。亡命されるより先に行動に移す。その辺りは大人で解決する。君に求めることは、殿下の周りをうろちょろして令嬢の気を逸らすこと。それに尽きる」

「あと、あり得ない話ですが、禁術があると仮定して自分が彼女を好きになってしまったらどうしましょう」

「あると仮定して君には使わない。彼女は、……」



 ここにきて初めて言い淀むシルヴィオにアリアは首を傾げた。彼は申し訳なさそうに言う。



「面食いだ。だから君は……大丈夫」



 殿下の盾として丁度良い年齢、丁度良い身分。

 そして、令嬢にとっては第二王子の攻略のために近づかなければならない人間かつ、食指の働かない存在。


 ふってわいたアリア・リィルという庶子。

 それは、イースノイシュ公爵家どころか、王族関係者全員が望む存在だった。

 アリアは目を細めて言い放つ。



「不敬を承知で言わせていただきますが――貴族の皆様は人権というものをご存知で?」

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