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28. かそうされた激情④

 グレッグと勤しむ稽古の合間、短い休憩時間にふと思いついたアリアは彼に話題のひとつとして「スコットのことをちゃんと育てなかったのか」と、特に悪意なく問いかけた。

 第三者であるノクラウトがいたとしたら「悪意しかねーわ!」と、言っただろう。

 だが、この場にノクラウトの姿はない。じわりとした熱気だけが、二人の間には存在していた。


 普段ならノクラウトが話題を提供したり、二人の打ち合いの感想を伝えたりするが、今日のノクラウトは先に寮に戻っている。

 いよいよ間近に迫った剣術大会に、王族であるノクラウトは参加できないが、だからといって人形のように座っているだけというわけでもない。

 細々とした仕事を片付けなければならず、面倒臭いという感情を隠しもせず、アリアより先に戻っていた。


 そのため、今日は普段よりもアリアとグレッグを取り巻く空気は静かだ。

 だからこそ休憩中の話題のひとつとしてアリアはスコットのことを切り出した。

 彼女としては共通の知人であるスコットを出したことに意図はない。だが、水分補給をしながら話しかけられた男は意表をつかれたせいか、稽古中には決して見せない間抜けな顔を晒し、思いっきり眉を顰めていた。


 アリアでなければ一蹴される話だった。

 しかし彼女はこの状況に追い込まれた被害者だ。グレッグには負い目があるのか、ひどい問いかけに思いっきり眉を顰めたものの怒声が返答として来ることはなく、顰めた眉は緩やかに情けなく垂れ下がってしまった。


 夏の稽古場は酷く暑い。

 長い沈黙が二人に漂う間に、アリアの額にはじわりと汗が浮かんだ。その汗を拭うため、肩にかけていたタオルを手にした瞬間、豪放磊落と呼べるべき男とは思えぬほど小さな声が、ポツリと落ちた。



「……一番上の子どもは剣術が苦手でな。その次に産まれたのは女の子だった。俺の剣術の後継は産まれて来ないものと思っていたら、あいつが産まれたんだ」



 合いの手を入れることをせず、アリアは隣に立つグレッグの横顔を眺めた後に視線を逸らす。

 彼はアリアの視線が己にないことを気付きながら、独白のように言葉を続けた。



「酷い話だが俺はもう子どもを作る気はなかった。男も女も一人ずつ。後継に困ることはないし、むしろ産まれて来る子どもが自分で未来を掴まねばならん。不幸ではないが、今の世の中で貴族から平民に移ることは世間的に見て不憫だ」



 ノイマーン家は元々伯爵の爵位を持っているが、グレッグが功績を積みあげ箔をつけた。

 だからこそ名家として名を馳せているが、騎士団長という立場は内政を担う文官よりもある意味立場が不確かだ。

 グレッグに数々の名誉があり彼の地位を盤石にしていたとしても、彼の子どもがグレッグのように剣に秀でているとは限らない。


 現に、グレッグの長子には剣の才能が発露されず、肩身の狭い思いをしている。

 スコットより七歳上の嫡子は騎士団には入団せず、内政官として貴族位を維持する方向に切り替えた。グレッグも彼の意志を優先させ、貴族としての責務を果たすのならば、どのような立ち位置でもいいと考えている。


 だが、世間はそうは見なかった。


 望んでいなかった末子。

 スコット・ノイマーンは奇しくもグレッグの剣技の才を受け継ぎ産まれてきた、騎士団待望の子どもだった。

  


「お前は貴族として生まれたてだろ。だから分からんかもな」

「……いえ。予想はできます」

「――……なら、お前もしんどい人生だったってこった。うちの嫡子や馬鹿な倅共々な」



 騎士団一の腕を誇る男の後継にふさわしい人間はスコットだと、騎士団に所属している人間は声高に叫び、貴族としての伝統を重要視する人間はノイマーン家の嫡子こそ跡取りだと身勝手に争っている。

 幼い頃から剣技の才を見せつけていたスコットに悪気はない。

 彼はできるから披露してきた。勝てるから試合に勝ってきた。

 無垢な子どもには悪意もなければ罪もない。悪いといえば、その状況を放置したグレッグと勝手に期待をした騎士団だ。



「だからスコット殿に会わなかったのですか」

「……」

「会ってしまったら、嫡子よりも跡取りに相応しいと思うから」

「……」

「……子どもに罪はないです。産まれる時に持っている才能は誰にも選べない」

「――ああ。悪いことをした。俺がはっきり言えばよかったんだ。跡取りはスコットじゃない、ってな。そうしたらあいつはのびのび剣が振るえたし、こうならなかった」



 グレッグが跡取りを明言しなかった理由をアリアは察し、それ以上言葉を放つことはなかった。


 気分の悪い話だ。

 もしも、嫡子に何かあれば、隣立つ男はきっと次の人間にスコット・ノイマーンを充てがった。

 順序で言えば次に生まれた長女が嫡子として繰り上がるが、スコットの才能を目の当たりにし、欲が顔を覗かせた。

 末子の彼こそ、己の跡を継ぐにふさわしい人間として、グレッグが誰よりスコットを意識していた。


 おそらく貴族院もグレッグほどの功績を用意され、彼の後継になるにふさわしい実力を持つスコットを見れば、反対せずに肯定しただろう。

 長女も周囲からだけではなく、親から与えられる重責に耐えられるはずもなく、スコット・ノイマーンは後継として遺憾なく剣技を振るうことができた。


 グレッグには、下心があった。

 最低で品のない下心。

 スコットを後継にしたいという――貴族の常識もなく、嫡子の努力を蔑ろにした最低の下心。


 だから、スコットを後押しする騎士達に否定できなかった。

 きっとこの男こそ誰よりもスコットを跡取りに望んでいた。そういう己に嫌気がさし、スコットを間近に見ないように仕事を詰め込んだ。

 その結果が、今だ。


 スコットは父親にコンプレックスを抱き、救いの言葉を送ったレーヴェルシュ嬢に心を奪われた。

 優しく可愛い彼女に夢中になった彼は用意された婚約者を蔑ろにし、レーヴェルシュ嬢に好かれたいからと講義をサボり、時間があれば彼女に会いに行く。

 傷ついている婚約者の姿は彼の目には映らない。

 それは、かつてスコットを放置していたグレッグのような行動だった。



「――……それにしても少しだけ意外です。剣術だけに生きている閣下なので、なんというか問答無用でスコット殿を跡取りにすることもちょっとあるかな? と、思っていました」

「俺に対して酷過ぎだろ」

「自分の貴族に対する印象が、有能であればあるほど意外と願望を叶えている、という印象があるので。色々功績がある閣下なら、自分と似た後継を選び取っても特例で許されそうな印象がありました」



 長子が後継である。というルールはあるが、長子が病弱だったり犯罪を犯したりした場合、当然爵位は継ぐことができない。途中から嫡子が変更された前例はいくつもある。

 つまり、努力している嫡子には罪悪感を抱くけれど、グレッグがやろうと思えばスコットを後継にすることは不可能ではない。仮定の話として考えるのなら、アリアの頭ではスコットは後継として不足はないと思える。



「実際どうなんですか? 騎士団長の後継と思えばスコット殿も一定の水準はクリアしていると思いますよ。若干直情的ですが」

「いや……今更だが、俺はあいつが俺より強くても後継にはしねぇ」

「やっぱり末子だからですか?」

「あいつが嫡子であっても、今のスコットは後継にはなり得ねぇ」

「――なぜ」

「アレの剣には信念がない。いくら強くても子どものお遊びの延長だ。――アリア、お前とは違うんだよ」

「? 自分も剣に信念は込めていないと思いますが……」



 無理やり握らされた剣に意志も感情も込められていない。

 不思議そうにグレッグに視線を向けると、男は口角を上げて音もなく笑う。



「お前はそれでいいんだよ」

「うわっ!」



 ガシガシと頭全体を覆うように手が乗せられ、ハニーブロンドの髪が四方八方に跳ねていく。

 脳みそごと揺さぶるかのような撫で方に視界がぐらぐら揺れる。

 その頭上から――そっと声が降った。



「スコットを、頼む」

「……」



 荒々しい手つきで落ちてきた声音は夏の空気により、一瞬で蒸発してしまうほどやわらかなものだった。

 けれど確かにアリアの鼓膜に触れ、彼女の中に落ちている。

 アリアが生きてきて一度も触れたことのない、一度も触れられない。優しい声。

 その声の正体に気づき、噛み締めるように心の奥に閉じ込めた。


 グレッグはスコットにとって最低で、関わりの薄い男だろう。

 それでも、彼のことを想うグレッグは――唯一無二の「父親」だった。




 ◇ ◆ ◇




 模擬刀を腰に差し、普段は適当に縛っている髪をしっかりと纏める。用意された大会用の衣服を纏い、アリアは眼鏡の位置を正しながら一歩を踏み出した。


 凄まじい喧騒が頭上から降りそそぐ。

 夏の日差しにも負けない熱気が、そこにはあった。



(これが――剣術大会)



 普段練習試合で活用している舞台がこの日のために整備され、即席の観覧席が舞台を囲むように造られている。

 舞台の正面には一際豪華な観覧席が用意され、見慣れた二人と見慣れない二人が腰をかけていた。

 左右の端にディーノとノクラウトがそれぞれ座り、彼らの間に男女が座っていた。男性はディーノと同じ銀髪、女性はノクラウトと同じ黒髪だった。

 並ぶ二人は存在だけで輝かしく見える。

 まるで別世界の人間だ。

 その両隣に見慣れたディーノとノクラウトがいるけれど、見知った二人にも透明な壁があるように見えた。

 その様子を眺めていると、ノクラウトには決して言えないが、あの人ってやっぱり王子様だったんだな。と、なんとなく思う。


 何せ普段のノクラウトはベッドでゴロゴロ横になりながら勉強をしたり、腹が減ったからとアリアに夜食を強請ったりと、彼の仕草は平民と似通っている。

 そのため、弟がいればこんな感じなのかと姉のような感覚があった。

 けれどこうして舞台から彼を見ていると、やはり住む場所が違うのだなと実感する。

 ノクラウトたちの後ろには第一師団のグレッグ率いる騎士達の姿も見える。アリアのような上辺だけの護衛ではない。彼らは矜持を持ってそこに立っていた。

 本来ならアリアもノクラウトの側で彼を護衛していた。スコットとは違い騎士科でもなく、腕を振るいたいと考えてもいない。純粋に、ノクラウトを守るのだと思って学園に入学した。

 なのに今、彼女は一人で舞台に立っている。



(今更だけど、ノクラウト殿下もいないのにどうして自分はここで頑張るのだろう)



 呆けた表情でそこを眺めていると「おい」と、後ろから聞き慣れた声がぶつけられた。



「余裕だな。アリア・イースノイシュ」

「……スコット殿」

「親父もいる。殿下たちもいる。その前で、お前を負かせてやる。――だから絶対、勝ち上がってこい」



 周囲に他の選手も並んでいるなか告げられた言葉に、どれほどの威力が込められているのか彼は理解していないのだ。

 誰も彼もが優勝を狙う場所でありながら、彼はアリアしか見えていない。


 案の定、同じ選手の視線に厳しいものが混ざる。

 特にスコットと同じ騎士科の生徒は殺意すら孕んだ眼差しをアリアに見せる。

 彼らはスコットに敵わないことを自覚している。だからこそ、スコット以外の相手と剣を交わす試合でパフォーマンスをしなければならない。ポッと出の一年に負けることは彼らの家名が許さない。


 観客と選手から集まる視線を受け入れたアリアは、己だけを見据えるオパール色の持ち主に何か言おうとして口を閉ざす。


 思えば、スコットは初めからそうだった。

 レーヴェルシュ嬢とのお茶会でも、己だけが正しいと言わんばかりに相手の意思を無視する。彼女はこうだから納得しろと暗に言っている言葉。そして、この間の身勝手な呼び出し。

 数少ない接触だが、彼がいかに騎士に向いていない性格なのかアリアは理解する。


 騎士とは単独ではなく集団で動く。

 最低でも二人組で動き、遠征では数十人の規模で動く。戦争にでもなれば何千、何万単位の人間が行動を共にする。けれど、彼の行動はいつも身勝手な単独行為だ。相手の立場や感情を押し図ろうとしない。

 それは、騎士に向いていない気質だ。

 剣の腕があろうとも、いずれ彼は破綻する。その未来がアリアには予測できた。



「お前さえ負かせば、こんな大会どうでもいいんだ」



 アリアがいなければ、スコットは何も問題が起こらないまま騎士団に入団しただろう。

 講義に出ずとも実力が彼にはあり、騎士団は快くスコットを迎え入れたに違いない。けれど、彼の問題は次第に浮き彫りになり、腕が衰えると同時に騎士団から徐団させられておかしくはない。

 大所帯の組織において、実力がない使い物にならない人間の方が利便性はある。実力だけの無能のリーダーの方が害悪だ。それで死人が出ることもある。

 今のままなら、実力だけがある男を組織は早々に切り捨てるだろう。


 そうなってもアリアには関係ない。

 関係ない。

 なのに、でも。


『スコットを、頼む』



「自分も、あなたには負けられません」



 頭の上に乗せられた力強く乱暴な手つき。

 そして、鼓膜を震わせた父親としてのやわらかな声が蘇る。


 ノクラウトは危なくなったら試合から逃げろとアリアに言付けていた。

 けれど彼女はそれを破る。


 グレッグとの稽古の日々が彼女の脳裏に宿る。

 あの傲慢で下心を宿していた男が真に何を望んでいるのか悟りながら、ぐっと拳を作りだす。

 この後に及んでグレッグ・ノイマーンという男は、スコットに勝ってほしいとどこかで思っている。

 その甘えた己の思考にとどめを刺す存在として、ノクラウトの護衛であり、家族の縁が薄いアリアが選ばれた。


 ひどい男だ。

 最低の父親だ。

 だから彼の願望ごと、燻り続けている激情ごと、アリアは叩き潰す。


 彼女は真正面を睨みつける。

 スコットの背後、王族の背後、その場所にいる男。


 グレッグ・ノイマーンこそ、この夏、アリア・イースノイシュにとって終始一貫敵として在り続けている男だった。

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