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25. かそうされた激情①

 地獄の特訓が幕開けした瞬間「やっぱり引き受けなきゃよかった」と、アリアは日々思うようになった。



「オラっ、スピード落ちてるぞ!」

(スパルタ……)



 グレッグは言葉の通り毎日顔を出した。

 それは放課後だけではなく、剣術稽古の講義も含めて、だ。

 ノクラウトから講義の時間を聞き出したのだろう。アリアの剣術稽古の時間には必ず顔を出した。

 講師にも口裏を合わせているのか、アリアとノクラウトの姿が講義の度に消えていることを知っているだろうに、講師は一言も声をかけてこない。

 それどころか、どんな特訓をしているのか暗に尋ねられることもある。

 いっそ一緒に受けてみるかと言いかけたが、キラキラした眼差しの講師を見る限り、彼にとってはご褒美にも等しい効果しか感じられない。

 嫌々受けているアリアとはまるで違うため、ぐっと言葉を堪えて素知らぬふりをした。


 やはり第一師団団長という肩書きは騎士に属する人間や、剣術で身を立てる者にとって憧憬の対象になるらしい。

 グレッグ本人を見る限り、なりたくてなったのではなく、実力をつけたらそうなってしまった。と、いう雰囲気だが、騎士たちにとっては王族よりも近しく、王族よりもある意味遠い憧憬の対象だ。

 しかし、騎士からいかに憧憬を集めようともアリアにとって彼は憧憬ではなく恐怖の対象だ。

 散々おこなったシルヴィオとの剣術稽古が可愛く思えるほど、グレッグの特訓はまさしく地獄の特訓だった。



「打ち合った時にも思ったが、お前は筋力がとにかくねぇんだよ。そりゃ体格を活かした素早さを売りにするのもいいけどよ、剣術大会は遮蔽物のないだだっ広い場所で、技を披露する純粋な打ち合いになることが多い。つまり、お前の良さであるスピードは活かしきれねぇ!」

「なるほど、では辞退しましょう」

「隙あらば辞退しようとすんな! いいか、護衛の任についているお前にとって強くなることは殿下にとっても良いことなんだから素直に指南をうけろ! っつーか、普通なら嬉々として受けてるはずなんだよ!」



 護衛が全員好きで護衛の任務についていると思っているなら大間違いだし、ノクラウトにとって良いことではあっても、卒業後の自分の将来には活かせないと思ってしまう。

 卒業後まではさすがにアリアも男装して生きていくことはない。

 今の年代だからこそ、男としてノクラウトと共に行動できていることをアリアは自覚している。


 男性のような声変わりがなく、背もこれ以上伸びることがない。女性のなかでは少し高い身長は、男性のなかでは低く体も薄い。

 だからこそグレッグはアリアの体を作ろうとするが、いかんせん性差のせいで鍛えることが難しい。


 グレッグはアリアが女性であることを知らない。

 だから筋肉をつける重要性を真剣に説く。

 その真剣さに性別を伝えていないことに対する罪悪感を抱き、アリアは無駄に稽古を励んでしまう。

 短期間で鍛えることは難しいと知りながら、それでも努力は無駄ではないと、イースノイシュ邸で過ごした日々が記憶もあるからだ。

 あの経験がなければ、アリアは早々に断念していただろう。


 剣術以外にもダンスや勉強に励んだ日々。

 過去があるから、現在(いま)を頑張れる。

 ノクラウトを守るための技術も確かに身につくため、アリアは逃げることを諦めて、稽古に励む。

 励みたくないと、思いながら。


 早朝の走り込み、講義時間の合間のながら筋トレ、講義中にグレッグと打ち合い、夕方は走り込みの後に素振りや筋トレ。

 そして帰宅後の食事は筋肉のつきやすいものを選び、それを体重を増やすために吐く手前まで食べろと言われている。

 ただ、アリアの胃袋は平均的な女性サイズのため、そこはさすがにノクラウトが止めた。

 何より、食事時にはすっかり疲労困憊でアリアは食べながら半分寝ている状態だ。その状態で腹一杯まで食べられるわけがない。

 そうこうしているうちに夜は更け、ベッドに入る頃には気絶するように眠りにつく。


 その地獄の日々を繰り返すうち、なかなか筋力はつかないが、体力的には当初よりも伸びてきた。

 だが、基礎体力の向上より、剣術の上達に目に見えて効果があったことは、やはりグレッグとの打ち合いだ。


 見稽古で技を覚え、剣を受けて身につける。

 アリアと何度も打ち合うなかで、グレッグもその才能を伸ばすことが一番良いと思うようになったのだろう。

 大柄な体でありながら、稽古の最中に繰り出す彼の技は小技が多く、相手を巧みに翻弄するものをアリアに教える。

 筋力をつけろという傍ら、しっかりとアリアにあった稽古をつけるグレッグに、曲がりなりにも騎士団トップだなと、アリアは思いながら口は噤む。さすがに失礼だという自覚はあった。



 稽古、講義、食事、稽古、講義、食事。

 毎夜意識を沼に沈めるように落とし、早朝に泥濘から出るように寝台から這い出て、日の高い時間から、日が暮れる時間までほぼほぼ何らかの方法で剣術に費やする。


 そういう日々を送っていると、当初は隠していたグレッグの存在は明るみになり、噂が学内に巡る。



「アリア・イースノイシュが剣術大会で勝つためにグレッグを雇った」という、不名誉極まりない噂だ。



 まるでアリアが無理強いしてグレッグに剣術を学んでいるかのような噂に、彼女は憤慨するというより、疲労感を滲ませる。

 替われるものなら、誰か替わってほしい。

 スコットを倒せるものが多ければ多いほど、アリアは剣術に励まずともよくなるのだから。


 そもそもグレッグも悪い。当初、彼は人目につかないように行動をしていた。

 しかし、日々学園に足を運ぶようになると次第に行動は大胆になっていく。

 初めの頃は講義の時間中や、学生のいなくなった時間帯を狙って稽古の段取りを組んでいたというのに、今や暇さえあればアリアの前に顔をだし、稽古の成果を試したいからと打ち合いに興じる始末。このせいでほぼ休む時間が彼女にはない。


 次第に噂は噂ではなくなり、ただの事実として学園に蔓延する。

 そうなれば、渦中の人物にも気づかれてしまうわけで。



「お前、親父に教えを受けているらしいな」

「そうですね」



 クラスメイトに「アリアを呼んでる先輩がいる」と、声をかけられて連れてこられた先にはグレッグの令息であるスコット・ノイマーンがいた。


 燃えるような赤髪。オパールの瞳。

 以前はその瞳に無邪気な感情を乗せていたが、アリアと対する彼の瞳には仄暗い感情が込められていた。




 ◇ ◆ ◇




 グレッグ・ノイマーンを気さくと称する人間は騎士団に所属している人間の中でも彼に憧れる下級騎士だけだ。あとは、彼と関わりが薄い民衆や彼が庇護対象として接する女子供や高位貴族程度だろう。

 グレッグの本質は剣に生き、剣だけしかみることが無い。

 彼をよく知る人物は、こぞって彼を冷徹で冷酷だと声を揃える。


 だからこそ、王族を守護する第一騎士団団長という重責のある立場に就くことができる。

 一度の失敗でも命を落とす立場は、剣だけで成れるものではない。

 体に負った傷の数だけ戦闘経験を積み、体に負った傷の数以上の人間や獣に手をかけてなお、心が折れない強靭な人間だけが騎士団団長という立場になることができる。


 その男の血筋の中でスコット・ノイマーンは見目からしてよく似ていると、幼少期から言われていた。


 焔のように赤々しい髪、透明で精細なオパールの瞳。顔立ちも母親ではなく、明らかに父親に似ていた。

 その父親であるグレッグは遠征に出ることが多く、たまに家に帰ってきてもすぐさま王城に戻り、家庭を顧みない。そのため、父とよく似ていると言われても、実際の姿より肖像画と顔を合わせることが多いスコットは「ふーん」と、しか思わなかった。

 むしろ、父親に似ているということは、将来、家庭を顧みない人間になるのではないかと少しだけ嫌な気持ちになったことすらある。

 邸に鎮座している褒章や勲章の数々から、いかに騎士として己の父親が優れているのか視覚で理解できるとはいえ、実際に会う時間が少ない彼にとって「たまに会う愛想のないおじさんが父様」という、認識しかない。

 幼少期のスコットが欲しかった父親は騎士として優秀な男ではなく、家庭人として優秀な男だった。


 けれど、一度王城で開かれた剣術大会に母と兄と一緒に行った瞬間「オレも騎士になる」と、彼は決意する。


 圧勝、連勝、常勝。

 辛勝など一つもなく、同じ装備で相手を追い詰め、型破りな技で翻弄したり、剛腕で叩きのめす。

 獣のように野卑た笑みを浮かべながらも繰り出す技は巧みで鮮やか。流麗な動きで対戦相手を地に伏せさせる流れはまるで剣舞のようにも見える。

 あっという間にトーナメントを勝ち進め、グレッグが表彰台に登ることはまさに必然だった。

 周囲の熱狂はただ一人の王者を称賛し、轟音となって舞台に降り注ぐ。鳴り止まない拍手や止まることを知らない熱気のなか、表彰台で誰よりも高い場所に立つ父を見て、初めてあの男の子供でよかったとスコットは思った。


 赤毛も、オパールの瞳も。

 穏健で柔和な母親からではなく、苛烈な父から引き継いだ尊ぶべきものだ。だから、スコットは思う。



「オレも将来はあの場に立つ。立たなければならない」



 それからスコットはグレッグが家に戻る束の間に、剣の稽古をねだるようになった。

 しかしグレッグはスコットに対しアドバイスをするだけで、共に稽古をするようなことはない。そればかりか「どうして騎士になる」「何をしたいから騎士になるのか」と、言うばかりだ。


 どうして?

 グレッグの血を引いているからに決まっている。


 何をしたい?

 強くなりたい。それだけだ。


 騎士はそれで良いはずだ。

 強くなければ誰かを守れない。強さがあれば誰かを守れる。

 剣さえあれば、それでいい。


 だが、グレッグはスコットの言葉を嘆かわしいとでも言うように表情を歪め「お前には中身がない」と、言い放ち、剣の相手をすることはなかった。

 それでもスコットはやはり血筋がいいのか、それとも天賦の才が彼に元々あったせいか、兄と共に剣術稽古に励み、騎士団にもこっそり顔を出した。見目が目立つせいか、騎士団員はスコットを可愛がり、彼の弱点を的確に教えてくれた。

 そうしてスコットは――グレッグの教えを受けずとも、同年代の人間の中で群を抜いて実力をつけた。



『お父さんがすごいんじゃない。スコットくんの努力の成果だよ。見ている人はちゃんと見てるよ』



 ルーラが彼を無条件で褒める。

 ずっと心に引っかかっていた父親の存在から解放され、婚約者がいてなお惹かれる人に出会えた。

 その彼女はディーノに惹かれているが、学生のうちだけでも彼女を想っていてもいいではないかと、スコットは思う。

 たとえ彼に婚約者がいたとしても、彼女は何もしてくれなかった。言ってくれなかった。スコットの欲しい言葉をくれなかった。だから今だけは、安穏とした世界に浸りたかった。

 なのに。



「グレッグ騎士団長が、アリア・イースノイシュの師事をしている」



 その噂に、スコットは強烈な焦燥を抱かずにいられなかった。

 オパールの瞳に焔が宿る。胸中に生じた激情は彼を突き動かし、気づけばアリアを目の前に呼びつけていた。

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