24. 夏のあつさと名誉のかたち④
グレッグという嵐に襲われ心身が疲弊しても講義は続く。死に体に鞭打ちながらなんとか一日の講義を終え、アリアは帰路についた。
隣にはソワソワしているノクラウトがいる。
普段は帰路でああだこうだと談笑しているが、今の二人の間には一切の会話がない。それどころか、ノクラウトは普段より若干歩幅を広くして競歩のように素早く動く。だが、アリアも彼に並び歩く。
彼女は心に決めていることがあった。
寮に戻ったら絶対に説教をしてやろう、と。その心は競歩のような速さで帰宅したからこそ、存外早く叶ってしまった。
「で、弁明はありますか」
寮に戻ったアリアは自室にノクラウトを呼び、彼をベッドの上に座らせた。
一応異性であることや王族であることも頭によぎったが、この部屋には談話のための椅子やテーブルはなく、座る場所がない。かといって王族を床に座らせるわけにはいかず、考えた結果、共にベッドに座ることにした。
もちろん、ノクラウトに拒否権はない。
彼も抵抗せず「ここにお座りください」という、アリアの言葉に素直に従った。
ふわふわの居心地の良い寝具の上に、しかめ面をしたアリアと所在なさげにしているノクラウトがいる。
彼がソワソワしている様子を視認しながら、アリアは精一杯硬い声を作る。
「ノクラウト殿下」
「アリア……お前、オレがそう呼ばれるの嫌いって知っててわざと呼んでるだろ」
「当然です! 師団長と妙なところで画策するのはやめてください! せめて事前に報告を! 報連相、大事ですよ」
前々から思っていたが、ノクラウトは単独行動が過ぎる。
おそらく単独行動をしたがる生来の性格もあるのだろうが、シルヴィオという側近との年齢が離れていたたため、単独行動をせざるを得ない状況が多かったのだろう。
本来の王族なら、ディーノのように護衛を引き連れていて当然だが、子どもの頃に暴れすぎて家臣の距離が離れたことや、次男という立場もあり、ノクラウトは王族らしからぬ単独行動に慣れきってしまった。
もっとも、今のアリアにはそんなことは関係ない。
アリアが怒っていることは、グレッグから申出て剣術大会に出る流れをノクラウトが作ったことに怒っている。
彼女としてはノクラウトが自ら「剣術大会に出てくれ」と、命ずれば出場することになんら厭わない。面倒だとは思うが、剣術大会前にはそれなりに特訓にも励む。
たとえいまは勝てない相手だったとしても、策略を練ったり、対戦相手全員の観察をしたりやれることはある。その中にグレッグに助力するという選択肢も当然出るはずだ。
なのに、ノクラウトはアリアに言わずにグレッグと共謀した。
アリアが憤るのは、彼女がそうしなければならない状況にノクラウトが追い込み、是と言わなければならない状況になってから事の次第を話すことに憤る。
信用されていないかのような態度だ。だから、憤慨する。
しかしノクラウトはアリアのがなりを聞いてもブスッと頬を膨らましている。
まるで自分こそ被害者だとでも言わんばかりの態度に、再度「ノクラウト殿下」と、彼の嫌がる呼称を告げようとしたところで、ノクラウトは口を開く。
「オレだってわかってるよ。というか、大会に出る確率は低かったんだ」
「はぁ?」
グレッグの様子を思い出す限り、彼はアリアを必ず大会に出すと言わんばかりだった。
一体何を言っているのかと眉を顰めると、ノクラウトは枕を掴み、顔を埋める。
「アリアがおっさんに負けたら大会出場はなかったんだよ! まさか勝つし気に入られるとは思わなかった」
「反対していたんですか?」
「そりゃあ……アリア、嫌がってたし」
「……なんですかそれ……だったら初めからそう言ってくださればわざと負けたのに」
「あのおっさんはそういう八百長に間違いなく気づくぞ。それに……」
「それに?」
ノクラウトは枕に埋めたままだった顔をそろりと上げ、視線をアリアに向けた。
言いづらそうな彼はモゴモゴと枕を唇に当てながら言葉を発する。はっきりしない態度に、何が言いたいのかとアリアが眉を顰めると「だからぁ!」と、吹っ切れたようにノクラウトが叫ぶ。
「ちょっとだけ期待してたの! オレの護衛があのおっさんに勝つところ!」
「…………なんですかそれ……」
「おっさんが負ければアリアの実力は間違いないってことだし、剣術大会で上位が狙えるってことだろ。オレ、お前のこと色んなやつに見てもらいたいんだよ!」
熱が篭ってきたのか、ノクラウトは枕を手の中でぐしゃりとつぶす。太い皺が大きく刻まれ、彼の心情がそこから窺い知れる。
爛々と楽しげに瞬く黄金の瞳は無邪気だ。嘘をついている様子はない。
どうやらアリアがグレッグに勝てば剣術大会に出し、負ければ出ないと二人で話し合っていたようだ。
アリアが負けると思っていたにも関わらず、グレッグに勝つともわずかに思っていた。
もしくは、勝ってくれとどこかで切望していたか。
アリアは彼の瞳をレンズ越しに眺めながら、じわりとうなじあたりが熱くなっていることに気づいた。
――アリアは今まで生きてきて、期待をされたことは、一度もなかった。
身近な存在であるヴィヴィはアリアが目立つことを避け、それを懇々と教え込んだ。
だから無難に終わるように、目立たないように心がけ、誰の目にも映らないようにアリアは生きてきた。
見た目のせいで人目を引く分、仕事の部分では文句を言われないように励んできた。
注意する出来事がなければ、誰もアリアを目に留めない。
その生き方は楽で、居心地が良くて、ぬるま湯にずっと浸っているようなものだ。そういう生き方が賢いとアリアは思っている。
今も考え方は変わらない。
けれど。
信頼の感情が乗せられた瞳を前にすると、この瞳に、この感情に応えなければならないと自己の奥底にあるものが慟哭する。
無意識に握りしめた拳が痛い。
汗が滲み、ぬる付いて不快感さえあった。
なのに、ノクラウトの知らないところでアリアの熱はじわじわ上がる。
気づいていないノクラウトはわずかに高揚した声音で言葉を続ける。
「アリアをシルヴィオのおまけ程度にしか思っていないやつが多いけど、お前が努力してここにいることを全然誰も理解してないだろ? ――オレは、オレの護衛はすごいんだよ、って自慢したかったんだよ。だってお前、優秀じゃん」
ノクラウトと別行動をとるとき、アリアに向けられる眼差しは今も冷ややかだ。
以前と違い見目は見窄らしいものではないが、護衛として捉えるとどうしても貧相な部類に入る。
小柄で薄っぺらな体、無駄に伸びたハニーブロンドの髪、視界を覆う分厚いレンズの眼鏡。腰に剣をぶら下げていたとしても、嘲笑されるような護衛の姿だ。
どうせ家のコネを使ってノクラウトの護衛に収まったのだろうと揶揄されている。
シルヴィオの名は誉あるものだが、かつてイースノイシュ家に迷惑を被った家によっては婚外子のアリアの存在は、ただそれだけで罪になる。
いくら勉強ができたとしても、いくら武術ができたとしても貴族社会は彼女をあたたかく迎えるような場所ではない。
第二王子という名誉ある地位についていることもやっかみに繋がり、廊下で行き違う者の中には、あからさまに冷たい眼差しを投げつける者もいる。
その眼差しにすっかり彼女は慣れており、人間関係が煩わしいため友人を作ろうとしない。
性別を偽っているということもあり、新たな世界を広げる場所である学園であっても、アリアの空間は酷く閉鎖的だった。
ノクラウトはずっと引っかかっていたのだろう。
彼女がいまだに蔑まれているということ。疎まれているということ。嫌悪されているということ。
それをアリアが当然のように受け入れているということ。それが、腹立たしくてたまらない。だから、剣術大会を利用しようと考えた。
国王陛下も観覧に来る剣術大会で腕を披露すれば、間違いなく名誉ある貴族の一員になれる。
アリアなら上位を狙えるだけの実力があると、知っているから。
だが、当人のアリアは剣術の講義もサボれるものならサボりたいと考えるほど、武術に興味がなく、むしろ嫌っていると言ってもいい。
ある意味、グレッグの申し出はノクラウトにとって渡りに船だったのだろう。
グレッグを用いて改めてアリアの実力を試すことができるし、結果次第では強制的に剣術大会に出すこともできる。
彼はノクラウトの目論みには当然気づいていないだろうから、ある意味利用されたと言っても間違いではない。天下の第一師団団長を利用するとは、とんでもない王族だとアリアは呆れる。
その利用した理由も思えばさらに呆れは強くなる。
たかがぽっと出の護衛のために、それも貴族としても未熟で、今後活用できる可能性が低い者のために。彼は、グレッグを利用した。
いっそガツンと怒った方がノクラウトのためになるのではないかと思うが、アリアは口を開けなかった。
その代わり、ノクラウトが口をひらく。
「頑張っている奴が正しい評価をされていないことは、悔しい」
「……なんで自分より、あなたが悔しがるんですか」
「お前の自己評価が低いからだよ! ったく、レーヴェルシュ嬢のことがなけりゃ大々的に自慢してやるのに!」
子どものように頬を膨らませるノクラウトを見て、アリアは目を瞠り、眼鏡の奥でゆっくりと瞼を下ろした。
目の奥が熱い。
喉の奥も熱かった。
全身に巡る血潮が熱を孕み、鼓動が鳴るたびに体内の熱が上がっていく。
グレッグが勲章を飾りだなんだと言っていたが、アリアもそうだと今なら思う。
目に見える理解しやすい形として勲章は効果的だが、結局は、それを与えられた時の感情が一番大切になる。
ノクラウトにとっては特に意識をしていない言葉であったとしても、今の言葉はアリアにとって勲章に等しい言葉だった。
イースノイシュ家に連れてこられて今まで必死に生きていた。
がむしゃらに、ただ、言われるままに行動した。
男装をして、剣を握って、ダンスも覚えて、勉強をして。そこには自主性はない。仕事だからしていたからに過ぎない。でも、今、違う感情を確かに掴んだ。
腹底に沈殿するむず痒い感覚をゆっくりと嚥下し、微かに震えた声で笑う。
「女性とバレたら困るの、ノクト様ですよ」
「そこがネックなんだよなぁ!」
この方のために、尽力しよう。
人を振り回すし、悪戯は好きだし、王族らしくないし、単独行動はするし、我儘だし、無茶も無理も無謀もする。
けど、この人のために努力しよう。
握りしめていた拳を緩く開き、再び拳を作る。
握りしめたものに形はないけれど、そこには確固としたものが存在していた。




