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22. 夏のあつさと名誉のかたち②

本日2回目の更新です。

 剣術の講義は基本を習うと、あとは自由参加だ。

 素振りを続けるもよし、模擬試合に興じるもよし、体を作るために走り込むもよし。自主性を重んじているというより、高位貴族の令息を傷つけないために安全策をとっているのだろう。

 男性生徒のなかには運動が苦手な文官志望の者もいれば、小柄な体型の者もいる。彼らは見た目からして、騎士志望の人間より戦闘に向いていない。

 特に一年生の時は成長期前後の者も多く、未完成な体を酷使すると怪我の元になる。

 そのため試合をする場合は互いに同意を取り、教師立ち合いのもとで行うことが決まっていた。



「アリアはどうする?」

「自分はサボります。現状、試合を申込む方もいないと思うので」

「……お前、まさか全滅させたのか……」

「はい、先週ついに。長い道のりでした。では、自分は見つからないように避難するのでノクト様もお気をつけて」



 サボりがバレた時のために片手に模造刀、片手に本を見せるとノクラウトは呆れた表情をしつつ「庭園の南側が、木が多くて陰の多いベストスポット」と、教えてくれた。

 さすが、持つべきは理解ある主人である。




 ◇ ◆ ◇




 剣術の講義は基礎講義が終わると一気に緩くなった。

 参加するも参加しないも自由。とりあえず、最低限の護身術程度に覚えていればいいよ、というのが学園の方針だ。

 いまのベルンハルト王国が戦時中ではないため、学園側も力を入れていないのだろう。

 貴族の子どもには護衛がつき、よほどの状況でもなければ戦う機会がない。騎士団に所属すると護衛の任に着いたり、野盗の対処をするために武器を手にするが、貴族あがりの騎士は大半が指導者や後衛に配属されるため、腰の武器をお飾りにしている。


 イースノイシュ家ではシルヴィオが熱を込めて教えていた。

 街に配属されている騎士にはなかった熱量が彼にはあり、学園での教育はどれほど厳しいのかとアリアは怯えていた。けれど講義といえば基礎的なことしかしなかったため、拍子抜けだった。

 だが基礎講習を終え、模擬戦に移ってからシルヴィオの厳しさに理由があったことを悟る。

 シルヴィオの特訓がなければ、アリアは模擬戦で挑んでくる者たちを片っ端から倒すことはできなかっただろう。彼は講義内容より模擬戦を申込む者たちのことを考え、アリアを鍛えていた。

 この点において、アリアはシルヴィオに感謝の念を抱く。


 基本的にシルヴィオは強い。

 そして、アリアは見取り稽古でほぼ同じ動きができる。


 体格の違いや基礎体力の違いも当然あるため、瓜二つの動きとは言えないが、シルヴィオ並の強さを持っている学生はまずいない。彼は騎士団の中でも上位クラスに入る強さだ。

 アリアに模擬戦を挑む者は多かった。

 新興貴族の令息の大半がアリアに勝負を挑んだと言っても過言ではない。


 アリアは小柄で体が薄い。ひょろりとした体躯で、ボサボサのハニーブロンドに分厚いレンズの眼鏡。野暮ったく弱そうな印象を与える外見だ。そんな人間が第二王子の護衛をしているという事実に、誰もがその裏側の意味を探った。

 婚外子という醜聞、父親の堕落、仕事のできる兄。シルヴィオが手を回し、イースノイシュ家の汚名を注ぐためにアリアを第二王子の護衛に着かせたのだと周囲の人間は考えた。

 その考えもあながち間違いではないのだが、アリアの腕っ節はシルヴィオのお墨付きだ。


 知らない者、気づかない者、ノクラウトに恥をかかせたい者が彼女に勝負を挑む。


 一週目の模擬戦で連勝するアリアに運がいいと誰かが笑い、二週目の模擬戦で不敗のアリアにもしかして強いのでは? と、疑念を抱き、三週目の模擬戦で押し付け合いになり、四週目の模擬戦前にアリアに不意打ちを仕掛けた者が返り討ちにあった。

 片っ端から容赦なく戦意も敵意も叩き潰すアリアに対し、一ヶ月かけて彼らはアリアこそノクラウトの護衛に選ばれた者なのだと肉体込みで痛感させられた。

 もはや新興貴族でアリアに対し、真正面から模擬戦を仕掛けてくる者はいなくなった。

 それどころか小柄でひょろいアリアに敗北し、将来は騎士を目指していた者の多くが早い挫折と向き合っている。

 挫折に項垂れる彼らを前に、一年生は何人が剣術大会の予選に参加するのか、剣術指南の教師が頭を抱えていたがアリアの知ったことではない。


 今の彼女は爽快感に満ちていた。

 ノクラウトの手前、誘われる模擬戦を断れずにこの一ヶ月渋々応じてきた。

 それがなければ他の文官志望の者たちのように、剣術の講義をサボっていた。ようやく煩わしい誘いから解放されたアリアにとって、いま一番大事なものは、昨日図書室で借りた本を読むことだ。

 この本はずっと前から貸出されていたため、アリアは一ヶ月ほど入荷を待っていた。昨日司書から連絡があり、やっとアリアの順番になり本を手にすることができた。

 剣術講義の時間はこれを読むぞと、講義の前から決めていた。今日は不意打ちもない。邪魔する者は全て叩き潰していた。



 講義中の学内は、虫の鳴き声や風の音だけが耳介を揺らす。遠くで模擬戦の掛け声が響いている。

 暑い中、とんでもなく元気だなと心底思う。


 文官志望の者は堂々と図書室に行ったり、寮に帰る強者もいるらしいが、アリアはノクラウトの護衛のため、さすがにそこまで自由に振る舞うことはできない。

 アリアとしても涼しい図書室に篭りたいが、図書室ではノクラウトに何かあった時気付けない。


 ノクラウトから教わった南側のサボりスポットは、彼がそこに行けと暗に命じている。教師の姿はなく、ほどほどに離れ、訓練場で何かあったら察することができる場所。

 一体どこで仕入れるのか、ノクラウトはサボりスポットの選定がとんでもなく上手い。


 この場所もきっとそうだ。

 アリアの好み通り人気がなく静謐で、たっぷりの影がある場所。


 剪定された木々を越え、少しひらけた空間に出る。

 緑の芝生が丁寧に整備されたそこには――明らかに教師ではない男がぬぼっと突っ立っていた。

 彼は大木に背を預けていたが、アリアを目にすると人好きのする笑みを向ける。なんとなく、まずいと思った。ひと目見て問題ごとの気配を察する。



「お、なんだ客か?」

「……失礼いたしました」



 踵を返し、ノクラウトの元に戻るための一歩を踏み出す。

 が、立ち去るより早くその男がアリアの肩を掴んだ。



「おいおい待て待て待て。どこに行くんだよ」

「教師の元に戻ります」

「行動に移るのが早すぎる! もっと“怪しいやつめ! 捕まえるぞ!!”ってならねぇか?!」

「それは自分の業務ではなく教師陣の業務です。それに……保護者は関係者です」

「――へぇ」 



 貴族名鑑を丸暗記しているアリアは、男に見覚えがあった。

 だからこそ、この場を離れようと思ったが、彼はアリアの発言を聞きスッと目を細めて観察するように見る。ジロジロと見る男の目は、明らかに何らかの意志を持っている非常に居心地の悪い眼差しだ。

 街にいた頃のアリアは物珍しさから凝視されるか、関わるまいと目を逸らされることが多かったため、食い入るような視線に対して苦手意識がある。

 長い前髪が眼鏡に変わったせいもあるのだろう。

 どうしても相手の表情がよくわかる。だから、無遠慮な眼差しは苦手だ。

 ノクラウトのように知人として親しくなったらまだしも、貴族名鑑でしか知らない男に見られて不快感を感じないほど、アリアは鈍感ではない。



(それにしても――紙ベースで知るのと目の前にするのとでは印象がずいぶん変わるな)



 彼は身長が180を超えた大柄な男だった。

 同年代の令息は160代や大きくても170代が大半だ。そのため、男は側に存在するだけで他者に圧迫感を与える。

 年齢は確か四十八歳だが、顔の皺やハリを見ると三十代後半にも見える。実年齢よりずっと若々しい。

 だが、身に纏う制服で彼が王立騎士第一師団団長なのだと一見してわかる。

 胸に躍る夥しい勲章、飾緒の数は尋常ではない。王国にどれほど貢献した人物なのか、それだけで理解させられる。


 彼の腰には大刀があり、男は剣の柄に肘を預けていた。柄の部分だけでアリアの手首ほどの太さがある。あれを振り回すことができるのだから、第一師団団長の名は伊達ではないにだろう。

 だが派手な勲章、大ぶりの武器よりも目を引いたものは、剥き出しの腕に刻まれた何本もの切り傷だった。

 太い傷や細い傷、綺麗な傷やミミズ腫れのような傷。大小合わせて結構な傷が男の腕にある。自傷のものではない。戦って負った傷だ。


 大柄の獣を思わせるような男だと思った。とても貴族には見えない。

 無粋な眼差しに負けないように、アリアも男に視線を絡める。

 碧眼に映る色は焔のような赤毛にオパールの瞳。

 眼鏡のレンズ越しにもくっきりと映る色は、夏よりも熱い熱をアリアに伝えてきた。


 男が、じりと芝生に靴を滑らせる。

 一歩、彼が踏み出した瞬間、鞘にしまっていたはずの刀身が横なぎにアリアに迫る。咄嗟にしゃがんだ瞬間、頭上を鈍色に光る刃が通過していった。



「――っ!」

「おお、避けるか。結構結構」

「なっ、にをするのですか!? ノイマーン閣下!」

「なんだ、そこまで気づいていたのか」

「わかりますよ。派手な赤髪、特徴のあるオパールの瞳。ご子息はあなたにそっくりです」



 レーヴェルシュ嬢の取り巻きの一人である、スコット・ノイマーン。

 騎士団長の令息である彼が成長したら、きっと目の前の野生味ある男に成長するのだろうと容易く想像できるほど、目の前の男とスコットは似ていた。



「……武器をお納めください。こんなところ、他の教師に見られたら問題になります」

「いやいやいや。若人の実力を見たい年寄りに付き合わせているだけだからよ。お前がさっさと武器を抜け。アリア・イースノイシュ」



 地鳴りを思わせる低い声がアリアの耳に届いた。

 隙だらけだった彼女の体が一瞬にして間合いをとる。防衛本能が働き、模造刀の柄に気付かないうちに手を伸ばしていた。アリアの震えに倣い、鞘の中で刀身がかちゃかちゃと金属音を立てる。

 抜くな、と理性が告げる。

 この男はわざとアリアに武器を抜かせようとしている、模擬戦を挑む前に挑発してくる新興貴族と何ら変わりない。

 気づいているはずなのに、貼り付いてしまったかのように、柄から手が離せない。

 眼前の男は、野卑た笑みをこぼしていた。


 ――ひどい、寒気がした。


 全身に鳥肌が立ち、生存本能が危険をつげる。

 剣を向け合い、シルヴィオと模擬戦を何度か経験しているアリアだが、スコット・ノイマーンの父親である、グレッグ・ノイマーンから向けられた殺気は桁違いだと体が反応していた。


 男は殺気を収めず、武器を抜くまで許さないとオパールの眼差しが雄弁に語る。全身に浴びせられる殺気に奥歯が鳴り、双肩がとても重い。

 震えの走る手を叱咤し、アリアは深く、深く息を吐き出し――決意を孕んだ眼差しで、腰に差していた模擬刀を鞘から抜き去った。

 冷や汗が全身を覆い、うなじから頭にかけて冷水を浴びせられたかのように脳から一気に冷えていく。

 気を失った方がいっそ楽だと思った。

 だが気を失ってしまえば殺されると、死を間近にしたことのない本能が吠えていた。



「よし、抜いたな。これで試合ができる」

「……」

「いいぞ。そのまま――気を抜くなよ」



 大刀が頭上で大きく振りかぶられた。アリアの体を覆うほどの濃い影が、頭上にできる。

 アリアの身長は160前半、グレッグの身長は180を超えている。その上、彼は筋肉質で明らかにパワー系の勝負を仕掛けるつもりだ。

 素早さで勝負に出るアリアにとって一番攻略しやすいパワー系の相手だが、グレッグの得物は大刀だ。間合いが広く、間合いに飛び込めば一気に詰められ、斬られてしまうだろう。身長の分、手足も長い。脚で対応されてしまえば、体重の軽いアリアは簡単に吹っ飛ばされる。

 梢がキラキラとグレッグの剣先で煌めいている様子を見たアリアは、ぐっと奥歯を噛み締め素早く横に転がった。グレッグは、その動きを読んでいたかのように大刀を低く横薙ぎに払う。

 かろうじて避けたが、微かに訓練服に触れる。薄く切れた生地を見て、間合いがしっかり取れていなかったことを自覚する。



(隙があるはずだ、どこかに、絶対! 見ろ、ちゃんと、見ろ!!)



 碧眼に力を込める。

 手足の長い体。大柄な体格。大きな獲物。周囲の状況。自分の状態。

 見ることでしか、自分の有利は得られない。



「よそ見すんなよ!」



 再び大刀を振り上げたグレッグに、アリアは切先がどこに向かうか視線を走らせる。

 獲物を振り回しながら気づいたが、グレッグの大刀もアリアの模造刀と同じく刃の潰した訓練用のものだ。

 見慣れない大刀のため、グレッグの愛用品かとアリアは思っていたが、彼は偶然アリアに出会ったわけではなく、この場で出会うことがあらかじめ決められていた。


 十中八九、ノクラウトの計略だ。

 怒りや憤りを感じるけれど、ノクラウトの策なら一方的にアリアが負ける状況には陥らせない。

 彼はアリアが女性であると知っている。一方的にボコボコにされる状況を作るはずがない。



『庭園の南側が、木が多くて陰の多いベストスポット』



 梢が風に揺れ、芝生の上にキラキラと光を落としていた。

 その光景を視界の端に入れたアリアは、ノクラウトに感謝をしながら心の中で文句を言う。


(こんなヒント、自分じゃなきゃわかりませんよ。ノクト様)


 アリアは体をじわじわと後退させる。

 目の前の男はその分にじり寄り、彼女は次第に追い詰められていく。

 大ぶりな武器が勢いよく振り回される。触れて切られることはないが、打ち身か骨折はしてしまうかもしれない。



「なんだ、こんなもんか。噂とは違うな」

「どういう噂を聞いてきたかは存じませんが、自分はか弱い一年生ですよ。ご子息を鍛え上げてはどうですか」

「言葉は達者だな。ま、言い返さないでおいてやるよ」

「大人ですね。ですが、自分は右も左もわからぬ子どもですので、失礼ですが今回の件、諸々言わせていただきたいと思います」

「おう。これが終わったらな」



 軽口の応酬が終わる。

 遠くで模擬戦の決着がついたのか、一際大きな歓声があがった。

 頬を撫でるなまぬるい風が一度止まり、無音になった空間で微かな金属音がした。


 言葉もなく、グレッグの大刀が牙を剥いた。

 アリアは今までと同じように後退で避ける――ことをせず、横なぎの刃をそのまま模造刀で受け止めた。

 ギリギリと金属の擦れる嫌な音と、ミシリと己の肉体が内側から悲鳴をあげている。

 男は鼻先すら掠めそうなほど近くに迫った位置で「無謀だぞ」と、嘲笑した。



「これで、いいんですよっ」

「っ、な!?」



 拮抗は崩される。

 あえてアリアが力を抜き、そのまま男の刃が細い体に向かう。いつか、シルヴィオがアリアに対して披露した動きだ。彼女はそれを忘れずに、己のものとして昇華する。

 慌てたグレッグが一方、足を前に出して踏み止まった瞬間、ガッ! と、男の手に重い力が加わった。

 大刀は、太い木の幹に食い込んでいた。



「抜けませんよ。その大刀、刃の潰れた物ですよね。木の幹に引っ掛かったら簡単には抜けません」

「こ、小賢しい……」

「小賢しくても武器が無くなったら勝ちは勝ちです!」

「イースノイシュのクソガキと似たようなこと言いやがって」

「話を逸らしてもダメです! いますよねノクト様っ、何を企んでいるんですか!?」



 いつにない大声でノクラウトに呼びかけると、彼は腹を抱えながら木陰から身を出した。月を思わせる瞳から涙をこぼして彼は言う。



「言っただろ? 木が多くて陰が多い。ここは隠れるにはピッタリのスポットだってな」

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