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21. 夏のあつさと名誉のかたち①

「フィルディナント、婚約者と仮婚約で落ち着いたらしいぞ」


 脈略もなく告げられた言葉に、アリアは「え」という言葉と共にノクラウトに視線を向ける。ノクラウトはアリアを見据え「予想通りだよ」と、言った。


「……結局、アズノーラ家がマーベラ家の条件をのんだのですね」

「ああ。表向きは今まで通りだが契約の書面を交わしたと報告があった。街道整備や水路の整備の公共施設整備の際はアズノーラ家がマーベラ家の支援をすることになった。マーベラ家から婚約解消を告げてもこのまま条件をのむらしい」

「そうですか……」



 アリアの赤みを帯びていた肌がすっかり元通りになった頃、春の陽気は緩やかに変化し、学園の庭木は濃い緑を夏風に揺らすようになっていた。

 湿度の高い生ぬるい風が皮膚を撫で、半袖になった制服に汗が滲む。

 室内は一定の室温を保っているが、日差しのある場所は当然暑い。春には人気だった窓際の席も、夏の日差しのせいですっかり不人気になってしまった。

 室内でこれほどの熱気だ。いま外に出ると肺すら焼く勢いの強い熱が渦巻いているだろう。登校時の濃くなった影を思い出し、すっかり夏だなとアリアは思う。



「あー、建物から出たくない。絶対外に出たら死ぬ」

「普段は剣術の講義、楽しみにしているじゃないですか」

「涼しいところでやるからいいんだよ。あっちぃところで汗まみれになりたいやついるか?」



 酷い日差しにノクラウトが嫌そうな眼差しを窓越しに外へと向ける。室内は魔石を配置し、一定の温度を保っているが外気温までは流石に調整できない。

 次の講義は剣術だ。

 夏と冬の剣術は何より気温との勝負だな、とノクラウトは小さな音で零した。



「お、噂をすればってやつだ」

「……フィルディナント様」



 ノクラウトの視線の先に渦中の人物がいた。

 爽やかな色味の髪が、暑い盛りに涼しそうに見える。

 フィルディナント・アズノーラは、周囲の生徒がチラチラと視線を傾けても気にした様子なはない。そもそも気にしていたら、彼は今頃学園に来れていないだろう。

 ここ数週間、彼は針の筵にいた。


 春の終わりから続いていたフィルディナントの婚約解消騒動は、先頃ようやく沈静化した。

 今でこそ視線だけで彼は攻撃されているが、数週間前の彼は明らかに女生徒から時に倦厭され、時に好奇の視線を向けられていた。




 アリアが紅茶を浴びた翌日、彼はアリアに詫びただけではなく、その足で婚約者のエリアル嬢に今までの非礼を詫びに行った。

 今まで放置していたこと、手紙のやり取りを途中でやめたこと、一方的に関係を絶っていたこと、誠意のない態度だったこと。

 全てに対し、彼は頭を下げた。


 しかし、事は謝罪だけでは終わらなかった。

 フィルディナントがルーラに好意を寄せていたことは周知の事実だ。

 今更何事もなかったかのようにフィルディナントとエリアル嬢が婚約者として振舞うには遅すぎた。

 マーベラ家の令嬢は男爵家に劣り、可愛げがないから放置されていたのだと社交界では笑いものになっている。フィルディナントが謝罪したところで噂はすぐにたち消えることはなく、もはや当事者二人で解決できる問題ではなくなっていた。

 そのため、両家は改めて今後の婚約について話し合った。


 継続か、解消かーーそれとも破棄か。

 マーベラ家に判断が委ねられた。


 急転直下の展開に、フィルディナントの噂を聞きつけたアリアとノクラウトは驚いたものだ。

 何せ、お茶会での彼はルーラの信奉者のうちの一人だった。なのに、今までの行動が嘘のように彼は自らの非を詫び、淡々と自身の始末をつけはじめた。


 結果、アズノーラ家はフィルディナントの愚行を詫び、マーベラ家の告げる条件を全てのんだ。



 広大な土地を持つマーベラ家と、宰相職を担うアズノーラ家。

 両家の婚約はある契約に基づいて交わされたものだった。


 マーベラ家の当主は、人を見る目がないと有名だ。

 十年前に悪徳業者に公共施設の改修工事を依頼したところ、費用を支払った後に連絡が取れなくなり、工事ができなくなった。

 マーベラ家は土地が広大な分、改修箇所は多く工事をしても終わりがない。とにかく費用が嵩む。増える改修費用と頓挫した改修工事に頭を抱えた当主が頼った家が、隣あう領地のアズノーラ家だった。


 アズノーラ家としても交易のある土地が廃れることは見過ごせず、マーベラ家の土地を担保に援助を申入れた。

 この時、フィルディナントとエリアル嬢の婚姻が結ばれた。


 しかしフィルディナントの身勝手な行いにより婚約がどう転ぶかわからず、改修工事はまたも中断された。

 マーベラ家の当主はいよいよ人を見る目がないと揶揄され、夜会に出ては恥をかく。マーベラ家の娘は愚鈍で可愛げがないから男爵令嬢に男を取られると揶揄され、茶会に出ては恥をかく。

 それでも援助される立場のため、耐えて、耐えて、耐えていた。


 結果、学生の淡い恋に振り回された。という、なんともお粗末な話になった。

 アズノーラ家は全ての責任を負い、マーベラ家の出した条件を全てのんだ。


 フィルディナントに対する罰は、婚約そのものが仮婚約の状態に落ち着いたことだろう。

 今後、婚約が成立するかどうかアズノーラ家はわからず、かといって婚約者を選び直すこともできない宙ぶらりんの状態で放置される。

 マーベラ家としては他家と関係を結んでも構わない。

 既にアズノーラ家が公共事業の改修補償金を出すと王家に対しても明言している。だから、マーベラ家の当主はすぐさま婚約破棄に着手しようとした。

 だが、娘が止めた。



『私のことは、私が決めます』



 粛々とした温厚な令嬢。エリアル嬢はそう呼ばれていた。

 だが、彼女はキッパリとそこで初めて強い自己をぶつけてきた。

 エリアル嬢がフィルディナントに対し、どういう感情を抱いているか分からないため話がどう転ぶかわからない。

 彼を憎悪しているのなら、あえてこのまま放置の状態で居続けるかもしれない。彼女が放置された期間だけ男を放置する。もしくは、水面下で他の婚約者を作って関係を結んだ後、あらためて婚約解消をするのも手だ。


 今回、一番傷ついた人間はエリアル嬢だ。

 父親としても彼女の意思を尊重すると言っている。

 王家もエリアル嬢の意思を尊重し、悔いのない選択をするように伝えたそうだ。



 フィルディナントとエリアル嬢は手紙の交流を再開している。



 まずは婚約者同士からではなく、友人から関係を構築しようとフィルディナントから持ちかけた。

 季節の花を添えたり、街で見つけたお菓子を添えたり。冷ややかな外見をしている男にしては可愛らしい交流が、慎ましく続いている。

 卒業後。この二人が婚約解消したとしても婚約成立したとしても。

 どちら転ぶにしても、両家が揉める原因は解消されたと言っても良いだろう、とノクラウトは言った。



「フィルディナントが改心したのは良いことなんだけどよ、急に変わった原因がわからないのが気持ち悪いんだよなぁ」

「そうですか? 落ち着いたのならいいことだと思いますよ」

「なんか気になるんだよ。もやもやする」

「自分としてはフィルディナント様が落ち着いただけでも良かったと思いますよ。……その分、他の攻防が激しくなったと聞き及んでいますが」

「あー……兄上の対抗馬がいなくなったからな。チャンスが増えりゃ嬉しいだろうよ。それに今度の合同戦でいいところを見せる機会があるし、腕自慢のハリーやスコットは特に意識しているかもな」




 初夏の行事の一つに剣術大会がある。

 フィルディナントの噂が落ち着いた理由の一つだ。


 一年生もある程度学園生活に慣れてきた頃に開催される、全学年を通した合同イベントだ。


 参加者は各学年10名ずつ、授業中に行う予選を勝ち抜いてきた者に絞られる。

 本戦は勝ち残った30名がランダムに選抜され、トーナメント形式で勝ち上がっていくシステムだ。優勝者には名誉が与えられ、学内の歴代優勝者の石碑に名を刻むことができる。


 この試合は親も観覧にくるため、本戦に出場できるだけで誉だと言われている。

 何せ親の中にはディーノとノクラウトの親である陛下も入る。貴重な陛下にアピールできるチャンスだ。

 街で警備として配置される騎士ではなく、王族を守る第一騎士団に入団するのなら、少なくともこの本戦で上位に入る必要がある。


 当然だが、優勝者は最高学年の騎士科の生徒が多い。

 彼らは卒業後に騎士として働くため、座学の時間を最低限に減らし、剣術以外にも選択科目で弓術や体術も学ぶことができる授業を組んでいる。日常的に体を鍛えているため、騎士科の生徒に一年や二年の生徒は敵わない。三年に至っては、文官科や普通科の人間は予選に出場しようとすらしない。

 時々、番狂わせのように特進科の人間が騎士科を倒すこともあるが、基本は騎士科の人間が優勝を掻っ攫う。


 騎士科の生徒の大半は貴族の次男や三男といった、基本的に後継ではない令息だ。

 彼らにとって大会でアピールすればするほど将来の出世が確約される。そして、女生徒にとっても出世の確約された継ぐべき家のない令息が必要な家は多い。

 最近校内で誰を応援するか、誰が勝つかあちらこちらで色々噂を耳にする。フィルディナントの噂が消えるのは当然といえば当然だった。



「試合ってノクト様も出るんですか?」

「オレは出ないよ。ちなみに兄上も出ない。こういう大会で相手が王族だと無意識に忖度しちまうし、王族に傷つけたら問題だからなー。それに腕を見せつけて卒業後の進路を有利にしたい奴もいるから、オレらは邪魔なんだよ。本音はスッゲー出たいけど!」



 確かに、ノクラウトは剣術の授業で嬉々として模造刀を振っている。基本的に座学よりも、体を動かすことの方が好きなのだろう。

 彼の性格もあり、授業内の模擬戦では同級生の男子生徒も、王族が相手でも臆せず打ち込んでいる。

 アリアは荒事が好きではないので剣術の講義は手を抜いているが、ノクラウトの側近ということもあり、下位貴族に度々目をつけられる。

 ノクラウトを次代の王にしたいと願う者は古格貴族、ディーノを王にしたいと願っている者は新興貴族だ。

 派閥問題は授業にも影響する。


 授業の模擬戦程度で派閥問題に影響は微塵もないが、それが分からない人間はアリアやノクラウトに恥をかかそうと何かあれば試合に申し込んでくる。

 断り続けると逃げたと判断されるため、否が応でも応えなければならない。そういう人間に限って、ノクラウトには直接挑まずアリアに挑む。その度、アリアは辟易する。


 だから。

 二度とそういう気概を起こされないために、容赦なく叩き潰すことにした。

 シンプルな解決法にノクラウトはかなり引いていたが、これが功を成した。


 誰も彼もシルヴィオより動きが遅く、教わった剣術の型のまま挑んでくるため行動が読みやすい。

 力の弱いアリアは一撃必殺で相手の動きを停止させる。それがどれほど戦意を喪失させるのか、彼女は自覚していない。アリアとしては一番簡単な解決方法を選んでいるつもりだった。



「アリアも腕試しに出したいが……お前は剣術好きじゃないし、怪我したら大変だしな」

「そもそも出たくないです! 本当、自薦出場のみでよかったです」



 今回のイベントは基本的に自薦だ。出たい人間だけが出場することになっている。

 アリアはそれを知り、よかったと心底安堵した。

 他薦も可能だったなら、アリアを嫌う者が勝手に申し込んでいただろう。第二王子を狙う人間も、第二王子の側近を蹴落とそうとする人間も想像以上に多い。それは剣術の授業で嫌というほど理解できた。



「そもそも、自分の腕はまだまだですから。イースノイシュ閣下には遠く及びません」

「あのな、アレと比べたら騎士団の人間も低レベルだからな。規格外なんだよシルは」

「そうなんですか?」

「そうなんです。あいつああ見えて武闘派だからな……そうは見えないだけで力こそ正義みたいな考え方だぞ……」

「へぇ」



 ブツブツと「昔、稽古だといって三時間素振りさせられた」と、過去のトラウマを思い出すノクラウトの横顔を一瞥し、アリアは窓向こうの空を見る。大きな雲が空の果てにある夏空を見てため息をつく。

 こんな暑い時分に、剣術大会なんてお貴族様の道楽は命懸けだな。と、ひそりと思った。

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