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18. 魔女のお茶会と甘い誘惑③

 視線が身を苛む。悪意とは体現できるのだと、アリアは初めて知った。


「初めまして、アリア・イースノイシュです」


 顔から唯一視認できる口元に笑みを宿し、にこやかな表情を浮かべる。

 けれど、同じ席に着く彼らから愛想は返ってこず、その視線はディーノ、ノクラウト、そしてルーラが座すテーブルに向けられていた。熱を孕んだ眼差しは嫉妬と恋情が絡まっている。

 まさしく、熱に浮かされた状態で彼らはそこに座っていた。

 けれど、そのうちの一人である青年ーーフィルディナント・アズノーラはイースノイシュの名を完全に無視することはできなかったのだろう。

 もしくは、これ以上ルーラの楽しげな表情を見ることが苦しかったのか、隣に座るアリアに視線を移した。


 将来は宰相か宰相補佐が約束されている彼は、アイスブルーの髪にコバルトブルーの瞳を持つ。

 氷のような冷ややかな人で、滅多に笑わないと言われていた。

 けれど、レーヴェルシュ嬢と出会ってからは微笑みを浮かべるようになり、柔らかな表情が多くなったと言われている。

 それでも敵対者や新参者に対しては冷たい表情を返す。彼が柔らかくあたたかな表情を向ける人物は一人だけ、ルーラ・レーヴェルシュに対してだけだ。

 その氷のような男は笑みを浮かべず、淡々とした口調で「初めまして、アリア殿」と、口を開く。



「私はフィルディナント・アズノーラ。君の反対隣にいる者がスコット・ノイマーン。そして右回りに、ハリー・オズウェル、アーヴィン・カストロだ。爵位はわかりますか、アリア殿」



 わかりやすい嫌味だ。

 アリアが婚外子であることは、貴族界では既に知れ渡っている。

 イースノイシュの名を出しても驚かなかったことがその証拠だ。元平民が爵位を理解できているのかと、暗に告げている。



「ええ。我が兄は才能ある人間には相応の教育を、という方でしたので」

「そうですか。お父上に似ずよかったです」

「はい。父のように色恋に現を抜かすなんて、それこそ平民に成り下がる行為ですから。賢明な者のする行いではありませんね」

「……」



 嫌味には嫌味で返す。

 性格が悪いとは思うが、彼らが己の行いを自覚しているのか判断するための材料にもなった。

 案の定、同テーブルに着く者に冷ややかな空気が走る。

 周囲は楽しげな談笑が聞こえているが、ここだけ季節が冬になったかのように寒々しい。けれど、そういう反応をするということは彼らには自覚があるということだ。ルーラに対し行う献身的な行為は恋や愛という美しい感情であったとしても、貴族としては正しくないということを。


 アリアの父親、イースノイシュ公爵を彼らは糾弾できない。

 規模が違うとはいえ、彼らは同じようなことを現在進行形で行なっている。

 婚約者を泣かし、家の者に心配をかけている。

 学生だからこそ許されているが、卒業と同時に責任が双肩に降りかかる。見ないふりをしているのか、それとも恋は盲目になっているのか。この様子では、後者だろう。


 フィルディナントとアリアが睨み合う中「パンっ!」と、空気を割くような音が響いた。アリアの真正面に座っていた青年、ハリー・オズウェルがにこやかな表情で手を叩いた音だった。


 ハリーは辺境伯の嫡男ということもあってか、その体躯はしなやかだ。

 隣国との国境を守護するオズウェル家は、産まれた子どもに対し幼い頃から戦闘術を叩き込む武闘派の家系だ。そういう家だからこそ、国境の守りを担うことができるのだろう。

 豹のようにしなやかな体躯、細身だが均整な筋肉が服の下には隠れている。

 見目は武闘派に見えない。制服を着崩し、よく言えば親しみやすく、悪く言えば遊び人のような雰囲気があった。

 蠱惑的な紫紺の瞳にノクラウトとはまた違う群青に近い黒髪を持つ。垂れた眦が意味深な表情に見せるが、そこにいる男はニコニコと人好きのする笑みをこぼす。



「まあまあ、初対面で喧嘩はなしだよ。今のは明らかにフィルが悪いんだからさ。ごめんなさいは?」

「なぜ私が……」

「仕方ないさ。入学したての一年生には理解できないよ、ルーラの素晴らしさが。俺たちだってそうだっただろ?」

「まぁ……それは、確かに」

「レーヴェルシュ嬢の素晴らしさ、ですか」

「ああ。ライバルが増えるのは願い下げだけど、彼女を嫌う人が多いのも悲しいことだからね。君にもたっぷり、ルーラの素晴らしさを教えてあげるよ!」



 理性的に見えたがどうやらそうでもないらしい。

 困惑の色を浮かべるアリアをよそに、ハリーは、まるで舞台男優のように両腕を広げてルーラの素晴らしさを語り出した。

 時には歌うように、時には詩を朗読するように、抑揚をつけて、彼女のことを語る。


 当初聞いていた噂通り、彼らも初めはレーヴェルシュ嬢に対し平民のような行動をする理解できない令嬢。という認識を持っていたそうだ。


 けれど彼女の奔放な明るさ、他者のために涙を流せる清廉さ、何に対しても諦めないひたむきな努力の姿勢、そして、誰にも打ち明けられずに抱え込んでいた悲しみや苦痛を見抜き、欲しい言葉を分け与えてくれる優しさに触れ、その考えは改められた。

 聖母のような女性なのだとハリーは語る。

 その場にいる者は誰も、異を唱えない。



「君には理解できないかもしれないが、俺たちはね、彼女とどうこうなりたいわけじゃないんだ。ただ側で無垢な彼女を守りたいんだよ」

「はぁ」

「どういうわけかルーラってイジメの標的になるんだ。物を壊したり、隠したり、お前は知らないだろうけど、呼び出されて叩かれたこともあるんだぜ。な? 守らなくちゃダメだろ?」



 騎士団長を父に持つスコットが身を乗り出してアリアに言う。

 短い赤毛にオパール色の瞳は無邪気に近づく。年齢の割に幼い仕草だが、彼の腰にもアリアと同じ剣がある。騎士科のエースと謳われる彼は、末子でありながら次期騎士団長も狙えるのではないかと評判だ。


 同意するように求められているが、アリアの考えは別のところに働く。

 魅了のような魔法で魅入られているのかと考えていたが、彼らの話を聞くと、ルーラ・レーヴェルシュは人の心を読んでいるかのような行動をしているのではないか、と疑問が生じる。

 そうでなければ、見ず知らずの人間の悩みを見抜けるはずがない。

 知り合って十何年も側にいれば感情を多少読み解くことはできるかもしれないが、彼らの関係はようやく三年目を迎える、学園内だけの浅い関係だ。それだけで、悩みの端を掴むことができるのだろうか。

 だが、もしも心が読めているのならアリアの存在をルーラは許容しないだろう。

 何せ性別を偽りノクラウトの側近としてお茶会に参加している。みすみす見逃すはずがない。



(うーん。わからない、余計に謎が深まった感じだ)



 悶々と考え込んでいるとアリアの前に紅茶が用意された。

 甘い香りはレーヴェルシュ嬢の好む紅茶なのだろう。甘いものを苦手としているため、アリアはそっと紅茶の位置を離す。

 同じテーブルに座る彼らは香りを楽しみ、口をつける。

 イースノイシュ家ではシルヴィオが珈琲派だったため、もっぱらそればかり飲んでいた。貴族は大半が紅茶派のため、少し居心地の悪いアリアは、皆が紅茶を飲んでいるタイミングで口を開く。



「皆さんの話を総括すると、レーヴェルシュ嬢は聖女のような存在で、その存在が虐められているから身を固めている。という、解釈でよろしいでしょうか」

「そういう言葉は情緒がなくて身も蓋もないけど、大雑把に言えばそうだね」

「ですが……聖女は他国に存在します。レーヴェルシュ嬢は一介の男爵令嬢に過ぎません。確かにあなた方の感情を揺さぶる行為をし、心根が清いのかもしれません。ですが、国にとっての利益は薄いのではないでしょうか」



 農業大国「ベルンハルト王国」魔法大国「ティアネト」宗教国家「エプティム」 

 三国は霊峰ハノーヴァルで分断されている。交易はあるが各国の特色が強いため相容れない。

 そのうちの宗教国家「エプティム」には数百年に一度、聖女が降臨する。

 聖女はエプティムにしか現れない。


 その指摘にハリーは失笑し「聖女というのは比喩だよ」と、言う。

 比喩に過ぎない。

 彼女は聖女ではない。つまりーー特別な存在ではない。



「なら、このままの関係でいることは難しいと理解しているはずです」

「何が」

「無垢とか清廉とかそういう建前はどうでも良いのです。自分が思うのは、あなた方の婚約者を放置してまで、男爵家の令嬢を守る必要があるのかという話です」

「建前なんて、」

「建前でなければ偶像崇拝ですか? どちらにせよ目を覚すべきではないでしょうか。あなた方がどういう目で彼女を見ようと第三者にとっての事実は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。という現実です。だからこそ婚約者との仲が険悪になっているのではないでしょうか」



 彼らは押し黙り、明らかな憎悪と嫌悪をぶつけた。

 それは図星だから放つ感情なのか、それとも崇高な彼女に対する思いを汚されたから放たれる感情なのか。

 アリアには判断つかない。つけるつもりがない。

 ただ事実だけをアリアは述べていく。

 動く口は止まらない。溢れ出して洪水のように流れていく。


 アリアは無自覚だったがーー彼女は、怒っていた。


 成程、確かにルーラ・レーヴェルシュは彼らにとって救いの女神に等しい存在だったのだろう。

 幼い頃から抱えていた誰にも理解されなかった傷を癒やし、心のかさぶたを優しさで包容し、可愛らしい見目で癒される。

 時には嫉妬に駆られ、時には恋に浮かされる。

 それは楽しい青春だ。華やかな青年期だ。振り返る過去は瑞々しく澄んでいるのだろう。


 けれど彼らの足元には貴族の責任と、親の期待と、婚約者と。

 そしてーー領地に住まう無辜の民が犠牲になっている。


 レーヴェルシュ嬢を守ると豪語する勇ましさ、心意気は立派だ。後ろ盾のない彼女を守る高潔な精神は喝采を送るべき行為だろう。だが、その行為の先に涙を流す者がいるのなら、ただの自己満足だ。

 婚約者という契約を交わした女性を蔑ろにし、破格の慰謝料を請求されて彼らの家が混迷に陥ったところで無関係の者は困りはしない。

 だが婚約ありきで他領地の者と契約を交わした者にとって、これは重大な過失になる。


 その煽りは、水面下でじわじわと広がっている。


 誰よりも立場が弱い領民の暮らしが日々苦しくなっていることを、彼らは気づきもせずに、学園で恋情に浮かされ、優しい真綿に包まれている。

 今、城下が新興貴族によって徐々に変えられていることも知らず、その煽りが周辺地域を侵食していることも知らず。目の前の柔らかな快楽にだけ浸っている。


 それを自覚していない。自覚できていない。


 沸々と熱が腹の底に宿る。

 アリアは膝の上で拳を作り、眼鏡越しにテーブルを囲う者たちを睨みつける。

 誰も気づかないレンズの下で誠実を模るイースノイシュの円環がじわりと歪む。熱が瞳に集まり、感情がじわじわと全身に火を灯した。

 隣に座るフィルディナントの冷たい視線がアリアを見る。


「何が言いたい」


 温度のない眼差しを受け止めながら、アリアはとめどなく口を動かした。



「自分はただ、これ以上レーヴェルシュ嬢との仲を考えるのなら身の振りを考えた方がいいのでは? と、思うだけです。恋情がなければ離れることも容易いでしょう。そもそも全員とレーヴェルシュ嬢が結ばれることは無理ですよね。彼女は一人です。それに、ここにいらっしゃる方々は名のある家の方達だ。後継の子はどうするのです? まさかーーレーヴェルシュ嬢に交代で孕んでもらうのですか?」



 気づいた時には、琥珀色の液体が宙に飛んでいた。

 熱を感じる直前、カップが飛んでくる様が瞳に映る。


 咄嗟に腕で顔を守ったが、あっという間に衣服に湯気のたつ紅茶が染み込んでいく。

 女性の甲高い悲鳴と周囲のざわめきが鼓膜を揺さぶる。投げた当人である彼ーーフィルディナントは自分の行為に驚いたのか、誰よりも目を丸くしてアリアを呆然と見つめていた。

 氷の相貌を歪め、情けなく音のない息を震える唇から落とす。



「アリアっ、大丈夫か!? どういうつもりだフィルディナント!!」

「あ、いや……私は、」



 騒ぎを聞きつけたノクラウトがアリアに近づく。濡れた腕や髪を見て何があったのか気づいたのだろう、呆然と立っているフィルディナントが何をしたのか瞬時に悟る。

 婚外子だが、アリアは公爵家の令息だ。それも父親が認めたのではなく、現在公爵家を取り仕切っているシルヴィオがアリアのことを認めている。

 つまり、お茶会で紅茶を浴びせたと知られると公爵家を敵に回すことになる。

 それだけではない。アリアはノクラウトの護衛でもある。王子の護衛にお茶を浴びせたと知られれば、宰相の父にも報告が行くだろう。

 青ざめ、呆けているフィルディナントにノクラウトは怒号を発する。



「どういうつもりだと問うている! オレの護衛に何をした!」

「ーーっ、も、申し訳ございません!」

「オレに謝るのは筋違いだ!」

「ノクラウト殿下、大丈夫です。眼鏡があるので目には入ってません。それよりすみません、招待されたお茶会で騒ぎを起こしてしまいました」

「言ってる場合か! そこの者、冷やすものを持ってこい!」

「は、はい! ただいま!」

「うわー、熱そう。大丈夫かなぁ」

「……どうだろうね」


 呑気なルーラをよそに、ざわめきが潮騒のように広がっていく。

 同じテーブルに着いていた者も、フィルディナントの暴挙に驚いたのだろう。彼に非難の視線を向けている。

「もともと顔が見えないから平気だと思うけど」と、ルーラは呑気にしているが、主催者は彼女だ。彼女が指定したテーブルにつき、アリアとフィルディナントは揉めた。

 その事実に気づいていないのだろう。ノクラウトが席を立ったことが不満なようで、あからさまにディーノにくっついていた。



「こちらを!」



 メイドが慌てて持ってきた濡れタオルを髪に当てる。

 幸い、顔には分厚いレンズがあって目には入っていない。全身から紅茶の甘ったるい香りが漂うことは如何ともし難いが、その程度なら我慢できる。

 アリアは濡れた髪を払い、頭をタオルで覆う。

 熱を持った箇所がじんわりと冷えていく感覚を感じながら、レンズ越しに男を見た。


「フィルディナント様」


 動揺したフィルディナントの肩が揺れる。

 彼にとって、先ほどのアリアの言葉は凶器に等しいものだったのだろう。

 図星を、突いたのだ。ーー気づきたくなかった、図星を。



「動揺したということはそういうことなのです。恋情自体は崇高で清らかな感情だと思います。でも、そろそろ夢から覚める頃ではないですか?」



 レーヴェルシュ嬢は一人きりで、男爵令嬢で、彼は宰相の息子だ。

 淡い恋は美しいだろう。

 でも、その足元にある現実を彼らは見ていなかった。


 フィルディナントは俯く。

 現実を見たくないと言わんばかりに、彼はじっと足元を見る。


(まあ、言うだけでレーヴェルシュ嬢と離れられるなら、これほど楽なことはないか)


 隣で憤慨しているノクラウトをよそに、アリアはフィルディナントに手を伸ばす。彼は気配を察知したのか、ゆるりと顔をあげてアリアと視線を絡めた。

 眼鏡のレンズ越しに、くしゃりと歪んだ男の顔があった。

 泣き出しそうな情けない男の表情を見て、ぱちりと瞬きをしたアリアは紅茶に濡れた前髪を払い、濡れた手で男に触れようとして、濡れた己の手を見つけーー制服で拭う。

 その手を再びフィルディナントの手に寄せた。無骨な男の手に、アリアの華奢な手が重なる。



「火傷、しませんでしたか?」

「ーー……あ、あぁ…」

「良かった。跡が残っては大変ですからね」


 へらりと笑うアリアを見たノクラウトは、ガシガシと思い切り己の頭を掻きむしる。


「〜〜ああもう! 他人を気にしている場合か! 来い!」

「えっ、ですがお茶会がまだ」

「このまま居られるかっ! すまない、レーヴェルシュ嬢。次回があればまた誘ってくれ!」

「……残念ですが、仕方ないですね……」



 しゅんと項垂れるレーヴェルシュ嬢の隣にはディーノがいる。

 この人も、他の人と同じように何か思っていたものから解放されたのだろうか。

 ノクラウトに強引に引っ張られながら、アリアはそんなことを考えた。

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