17. 魔女のお茶会と甘い誘惑②
学園が休みの週末、春の匂いの中に夏の匂いが微かに香り始めた庭園に、賑やかな笑い声がこだましていた。
生徒同士の交流の場として、学園には何箇所かお茶会のできるスペースがある。申請書に参加者と規模とお茶菓子の種類を記載し、予約をすると学生なら無料でレンタルできるスペースだ。
本来なら邸に案内して邸宅でお茶会を行うのだが、レーヴェルシュ嬢の家では王家の人間を迎えるには家格が低いため、学園の敷地を借りて学生同士の交流という体をとっている。
そもそも、いくら仲が良いとはいえ王家の人間を男爵家が招待できる身分ではない。婚約者なら話は別だが、現状、ハーラシュ公爵令嬢とディーノ第一王子は婚約解消にも破棄にも至っていない。
だからこそ学生の身分ということを盾に取り、学内で交流するしかないのだろう。
アリアとノクラウトは制服に身を包み、お茶会を遠くから眺める。
招待状には服装について一切の記載がなかったため、学内で開催ということもあり制服で対応することにした。どうらや正解だったらしい。ドレスを着ている令嬢や礼服を纏う令息の姿はなかった。
だからこそ、目立つ集団はひときわ華美に見える。
遠目でも確認できるストロベリーブロンドと鮮やかな銀髪が隣同士並んでいた。側には彼らの護衛や側近の姿がある。同じ制服を着ているが、まるで違う衣服のように見えるほど、彼らの存在は圧倒的だ。生まれ持った風格とでも言うのだろうか。今やそれも、風前の灯だが。
お茶会には彼らの他に何人か令息の姿があった。誰もがちらちらとレーヴェルシュ嬢を見ているが、流石に王侯貴族に割り込む勇気はないのか、隅で細々とお茶会の席の置物になっている。数人の令嬢の姿もあったが、彼女らは新興貴族の者だろう。遠くにいてもキャアキャアと姦しく声が響き、とても淑女には見えなかった。
思っていたよりも規模の大きなお茶会のようだ。人の姿が想像以上にある。その割には、招待状は酷いものだったが。
アリアは彼らの姿を確認し、腰に差した剣に手を触れた。
これは飾りでありお守りだ。刃を潰し殺傷能力のない剣を差している。護衛という身分を視覚的に表すにいいだろうと、ノクラウトが進めてきた。
アリアと違い、ノクラウトは武装をしていない。平素見る学生服と、先日もらったディーノのピアスをつけている。しかし、普段よりも気合が入っているせいか、何となく表情がキリリとしているように見える。
元々顔の造形は悪くはない。射干玉を思わせる黒髪に、眩い満月を連想する金色の瞳。身長は同年代と比較すると小柄だが、成長期がまだのようなのでこれから伸びるはずだ。
青々とした若い新芽を思わせる瑞々しい色気がノクラウトにはあった。レーヴェルシュ嬢のお眼鏡に叶うかどうかは不明だが、アリアはノクラウトの顔立ちは嫌いではない。
「いいか。くれぐれも顔を他の者に見せるなよ。危ないからな!」
「わかってますって」
先日、ルーラに会ったとき、彼女は想像以上に面食いだと思ったことから、いっそアリアの顔を全面に曝け出して餌として動いたほうがいいのではないか、とノクラウトに提案した。
けれど、どういうわけかノクラウトはそれを断固として拒否した。
アリアとしても顔を利用して領地に引っ込んだ父親にバレるのは少々困る。ノクラウトにとっては最善策であり、アリアにとっては苦肉の策になる案だった。それでも、問題が早期解決するのならいいと思っての提案だった。すげなく、却下されたが。
「本当かよ……ったく、じゃあ準備はいいか?」
「はい」
主従は足並みを揃えて、魔女のお茶会と称されるレーヴェルシュ嬢の元へと向かう。
楽しそうな笑い声が空に抜ける。自慢、謙遜、おべっか、揶揄、さまざまな思惑が渦巻くお茶会は華やかながら、重い空気が漂っていた。
◇ ◆ ◇
白いテーブルクロスの上には季節の花々が飾られている。レンタルスペースだというのに、遠慮なく飾られた場所には至る所に花がある。春の花と、夏の芽吹きを感じる花。パステルカラーの中にビビッドカラーが燦然と映る。
紅茶の香りと用意されたケーキやクッキーといった菓子類の香りが重なり合い、濃密な蜂蜜を連想させる空間が出来上がっている。その甘ったるい香りの渦、中心に女がいる。
彼女のスカイブルーの瞳がアリアを捉えた。
訝しむ表情はノクラウトを見つけると、咲き誇る花のように開花する。眩い笑みをこぼした彼女は、腕を組んでいたディーノから手を離し「ノクトくん!」と、ノクラウトに駆け寄った。そして、ディーノにしてきたことと同じように、腕を組もうと手を伸ばす。
けれど、それは届かない。
「失礼」
「なっ!」
ハニーブロンドの整えられていない髪が風によりざぁ、と流される。靡く髪は弧を描き、花々よりも眩く周囲の視線に飛び込む。アリアは分厚いレンズで表情を隠しながら、できるだけ冷たく聞こえる声音を発する。
「何よあんた!」
「異性に許可なく触れてはなりません。ノクラウト殿下は王族です。何より、貴方は名乗ってもいないじゃないですか」
「招待状は渡したし、ディーくんだって王族なのに抱きつくだけじゃ何も言わないわ!」
「ディーノ殿下とノクラウト殿下は別の人間です。許可は必要ですし、礼節も必要になります」
キッパリとアリアが断ったことが理解できないのか、大きく口を開いてアリアは驚愕の表情を浮かべる。
ディーノに近づいていた当初、おそらく他の令嬢や側近から似たような注意をされているはずだ。だというのに、すでに忘我の彼方なのだろう。あまりにも幼い言動に心配になる。
ーー彼女を思い、注意する人はいなかったのだろうか。
「私がお茶会の主催者なのよ!」
「ええ。招待状のようなものは頂きましたね」
甲高いルーラの声が空気を劈き、周囲の視線が三人に向かう。ディーノは現れたノクラウトたちを見て笑い、彼の側近は「ノクラウト殿下だ」と、囁きをこぼす。
ディーノの側近はノクラウトとも知り合いだ。呑気な者は「久々じゃん!」と、声をかけているが、アリアの姿を先に見たものは表情を歪ませる。
お茶会に招待されていながら腰には剣を差している。それはここが油断ならない場所、と言っているにほかならない。
ピリ、と空気に緊張が走る。
睨み合うアリアとルーラだったが「まあまあ」と、のんびりした声が割り入った。この場の空気を崩していた当人である、ノクラウトから発せられた音だった。
「すまないなレーヴェルシュ嬢。こいつはお堅い人間なんだ。イースノイシュ家の者は昔っから生真面目な人間が多くてな。それ故に護衛に向いていると言えばいいが、君のような面白みには欠ける」
「あ、いえ……私こそ、失礼いたしました。ルーラ・レーヴェルシュと申します」
ヘラヘラと笑うノクラウトに虚をつかれたのかルーラは今までの姿勢を正し、綺麗なカーテシーを見せる。
一応、一定の礼儀はあるらしい。彼女の挨拶を受け入れ、ノクラウトも返す。
「オレはノクラウト・ルートリィ・シメオノフ。知っているだろうが、ディーノ兄上の弟だ。今後ともよろしくな」
「はい……」
「で、こっちはアリア。アリア・イースノイシュ。オレの護衛だ」
「よろしくお願いします」
レーヴェルシュ嬢はアリアを一瞥したが、視線はすぐにノクラウトに向かう。
ディーノと先日話して思ったが、人心掌握という意味においてディーノよりもノクラウトの方が巧みだとアリアは思う。人のミスを励まし、同じ視線に立ち、気さくな口調や表情で垣根を容易く超えていく。気づけば籠絡され、彼に心酔してしまう。
ルーラと談笑しているノクラウトに不審な点は見当たらない。酩酊した様子も、自我喪失の気配もない。言葉を交わす程度では特に問題はないらしい。なら、やはり飲食物に何らかの未知なる毒が入れられているのか、魔石を利用して魔法を使っているのだろうか。
「怖い顔」
「っ、ディーノ殿下」
背後から忍び寄ってきたディーノに肩を震わせる。気配がなかった。ノクラウト共々、王族なのに気配を殺すのがあまりにもうますぎる。ジッと彼を見返すと、ディーノの視線はノクラウトの耳元に向けられていた。
「ノクトに入学祝いをちゃんと渡してくれたようだね。ありがとう」
「ノクト様、大喜びでしたよ」
「ならよかった。もしかしたら君の手で捨てられると思っていたから」
「そんなことはしませんよ」
「そうかい? 僕なら捨てるね。女に振り回される第一王子から渡される代物、何か仕掛けがあったら困るじゃないか」
「……自分で言うんですね」
ノクラウトに渡す前、アリアはしっかりそのあたりの確認はしている。
針の部分に毒が仕込まれていないか、妙な紋様が刻まれていないか。一通り、護衛としての任は全うできるように教育を受けている。だから確認はしたが、ディーノから渡されたものには、何もないだろうなという確信があった。
「ディーノ殿下って、たぶんご自身で思うよりもノクト様のことを好いてますよ。だからーー大丈夫だと思いました」
何となく、ディーノはシルヴィオに似ている。わかり辛い献身。思えば、公爵家は遠縁ながら王家と繋がっている。そういうわかりづらさも血筋なのだろうかと笑ったとき「ディーくん!」と、和やかな空気を切り裂くような声が耳に入った。
「ノクトくんとこっちの席で一緒にお菓子食べよう!」
「それは構わないが、アリアはどうする?」
「あなたは護衛なんでしょ。だったら私たちよりも、あっちのスコットくんたちと話が合うと思うわ。だから私たちはこっちの席でお話ししましょう。ね? いいでしょ」
有無を言わせぬ態度にアリアは口を挟もうとしたが、ノクラウトがにこりと微笑んで了承の意を示している。
周囲を見渡すとちらちらとこちらの様子が気になっている者たちが多い。今の所、ルーラに気掛かりなところはない。強いて言えば、彼女がこれからノクラウトに食べさせるお菓子が気になるが、ディーノが同席するのならそこまで気にしなくても大丈夫だろうとアリアは思う。
ディーノがどういう立ち位置なのか不明だが、彼はーー正気だ。
ルーラに対して何処か甘い態度を見せているが、基本的にノクラウトにも甘い。なら、彼が危険に陥る可能性は低いだろう。それに、情報源は多いほうが良い。
現在、明らかに惑わされていると判断できる四人。
その四人が座すテーブルにアリアは案内される。
「初めまして、アリア・イースノイシュです」
敵意の目が一心に向く。
ルーラの幼い行動からは感じられなかった嫌悪や憎悪ーー嫉妬が、彼らからは漏れ出ていた。