14. 春と疑惑とはじめまして③
やわらかなハニーブロンド。大きく、鮮やかな碧眼には誠実を表す銀の円環。陶器のように白く、凹凸のない肌。背は女性にしては高く、すらりとした肢体は華奢な印象がある。
筋肉はなかなかつかないようで、剣術の特訓の時はすこし、悔しそうにしていた。
イリスの庭で働いていたときは、もっぱら野菜の皮剥きばかりしていたそうだ。店外に出られるような見目ではなく、裏方でしか働くことができない。
業者から届いた野菜や、職場で育てている畑から直接取って厨房まで運ぶことが多く、それを一人で運んでいたため力はついている。
それでも男性より力はない。
女性のなかでは力がある、その程度だ。
気づくタイミングは多くあった。
顔を間近で見た時、ダンスの時、剣術の特訓の時、会話のトーン、寮暮らしを始める前。
そのどれもをノクラウトは見逃した。
今の今までアリアが女性である可能性を、欠片も考えなかった。
彼女が至極当然のように男性の扱いを受け入れていたせいもあるが、やはり、一番の要因は浮浪者のような見目の時があったせいだろう。
ノクラウトも、アリアが以前どのような服装で働いていたか知っている。
シルヴィオが異母弟をノクラウトの側近兼護衛にしたいと言い出した時、彼女の写真を入手していた。写真の印象があまりに強く、女性という疑惑は浮かばなかった。
ノクラウトの周囲にいる女性は基本的に上位貴族だ。
侍従の女性も貴族籍にあり、彼女らは品よく、物腰穏やかな印象を受ける者が多い。
女性はオシャレが好きで、着飾って、化粧をすることを好む。全ての女性がそういう性格に分類されるとはさすがに思わないが、大多数がそうだと無意識に考えていた。
その思考のもとでは、かつてのアリアの服装は真反対に位置する。
無意識にバイアスがかかっていた。
男性であれ女性であれ、健全な生活をしていれば浮浪者のような見目は拒絶する。そこに性別は関係ないというのに。
現金なもので、一度女性だと知ってしまうと、どう足掻いても女性にしか見えない。
「気づかなかったこちらも悪いが、まず勘違いを正す努力をしろ! 説教だ!!」
と、彼女を床に座らせ、今まで距離が近かっただの、剣術の特訓をする前に性別を伝えろだの、言いながら過去の行いが蘇ってしまう。
ぶわりと、うなじと顔に熱が生じた。
自らの勘違いに対する羞恥と、アリアにーー今までどういう風に触れていたのか、思い出して羞恥が生じる。
美しく柔らかそうなハニーブロンドの髪が、普段より輝いて見える。気まずそうに伏せられても分かる大きな碧眼が、髪の合間から精緻な色を見せつける。
白い皮膚はとてもやわらかそうで、触れるときっと滑らかで、男にはない弾力を伝えてくるのだろう。
少し大きい制服のたわみのせいで気づけなかったが、腰回りの細さが信じられずに目を逸らす。
きちんと正された脚は細く、無駄な肉がついていない。なのに、柔らかそうだった。
アリアを見ていたノクラウトは視線を彷徨わせる。
とかく、彼女はうつくしい。
十五年生きてきたなかで、多くの人々を見てきたノクラウトでさえアリアに見惚れてしまう。
彼女は、窺うようにノクラウトを見ている。
ノクラウトも同じ床に座っている状況を気にしているのだろう。
王族が床に座るなんて、と目が雄弁にそれを語る。
けれど、ノクラウトはそこから退くつもりはない。
彼女に説教を続ける気満々だ。
本来なら女性を床に座らせるなんて、彼にとってはありえない。説教のために感情のまま命じたが、すでに後悔している。なので、アリアだけ一人だけをこのまま座らせるつもりはない。
ノクラウトの自戒のためにも、二人は床で座り、顔を合わせる。
(それにしても……一度気づくともうダメだな)
同じ目線の高さで、近い位置にいると否が応でも理解する。
同じ男だと思っていたときは何も思っていなかったが、異性と知った今は、同じ部屋でいると妙に、焦る。
腹の底がウズウズするような、不思議な気まずさだ。
しかし、この状況になってなおさら思うが、どうして今まで男性ではないと言わなかったのか。
寮暮らしが確定し、アリアとノクラウトが隣室になることは最初から分かっていた。
侍従を連れてこないことも決まっていたため、ノクラウトの着替えをアリアが手伝う可能性も高かった。
けれど彼女は別段嫌そうな顔をせず、当然のように受け入れていた。
「そもそも、どうして女だと言わなかったんだ」
と、尋ねたところ。
「気づく気づかない以前に、知られていると思っていたので……」
と、返された。
それ以上、言葉が言えずに音が詰まる。
――わかるかよ。言えよ。言ってくださいよ。分かってないから、こんな事になっているんだろ!
ここは男子寮だ。
女性が生活していい場所ではない。
本来なら、即刻護衛を解消してシルヴィオの元に彼女を帰すべきだ。今まで学んだこともやり直しだ。
アリアがイースノイシュ家で生きるなら、淑女教育を受けた方がいい。彼女が受けた教育は当然、貴族令息のものだ。
けれど、ノクラウトはそれを告げられない。
彼女が告げた都合の良い存在。
それは、確かにアリアだけに当てはまっていた。
公爵家の婚外子、知恵も力もある、権力に驕らない生真面目ですこし小心なところがある。
レーヴェルシュ嬢と相対するに便利すぎる女性。
レーヴェルシュ嬢が何らかの力を持っていたとしても、現時点では男性にしか効果がないと予想できる。
なら、男性として登録されたアリアはあまりにも都合が良過ぎる。
この作戦において、彼女は要としてがんじがらめになってしまった。
俯き、ノクラウトは思案する。目元に手を置き、眼前を暗闇にしながら今後のことを思う。
アリアの将来、学園生活、バレた時の対処、シルヴィオのこと。
そこで、ふと気づく。
「ーーなぁ……シルヴィオも気づいていないよな?」
「ノクト様も気づいていなかったのなら……おそらく」
「はぁ〜〜〜〜」
シルヴィオもアリアも否定するかもしれないが、今のシルヴィオは己に似た性質を持つ生真面目なアリアを猫可愛がりしている。自身の両親がクズなせいもあるが、イースノイシュ家の性質が色濃い男は好悪にも誠実だ。
たとえ剣術でコテンパンにしようとも、たとえ体力作りに庭園を何十周とさせようと、それが彼の愛だ。
今でさえ弩級の無自覚ブラコンだ。
アリアが女性だと知り、そのうえ己の手でノクラウトの元に送り出したと気づいてしまったなら。
あの男のことだ、腹を掻っ捌くかもしれない。
けれど。
結局、シルヴィオもノクラウトと同じ決断を下すしかない。このままアリアを継続し、側近兼護衛として扱う。
それが、一番効率が良いからだ。
たとえ、後々彼女に影響があったとしても、王と正妃の間に産まれた王族と、公爵家の婚外子の女性。
大切なものは比較するまでもない。
「アリア」
項垂れたノクラウトは罪悪感に押し潰されそうになる。
王族は国民の数だけ責任がある。たった一人を憂慮することはできない。
彼女の視線が見れない。
勇気のない己を叱咤しながら、ノクラウトは言葉を続けた。
「悪い、お前を手放せない」
このまま男子寮で、アリア・イースノイシュはノクラウトの護衛として扱う。
性別が露呈したとき、彼女は矢面に立たされる。
シルヴィオもだ。
協力したイースノイシュ家に騙されたと語れば、ノクラウトは無傷、とまではいかないが軽度のダメージで終わるだろう。
なにせ、イースノイシュ家は過去に父親がやらかしている。親世代は未だ、その印象を拭えていない。
ノクラウトが危惧していることは、この問題が無事終息したとしても、アリアは表舞台に立つことはないということだ。
アリア・イースノイシュという女性はこの世に存在していない。ここにいる人は、アリア・イースノイシュという男だ。
彼女は名誉も名声も欲していない。しかし、ノクラウトが彼女に渡せるものはそれだけだった。
なのに、それすら渡せなくなってしまった。
「アリアを手放せないのに、オレはお前に何も渡せない。……本当に、すまない」
重々しいノクラウトを前に、アリアは「えーっと」と、何を今さらという軽い声音で言葉を発する。
「自分としては最初からそのつもりの話ですし……そもそも、今までノクト様のために尽力してきたので、特別何も変わりませんが……」
「…………お前ねぇ、ほんと……」
ノクラウトが煩悶と懊悩を繰り返して繰り返して、ようやく出さねばならない言葉を口にしたというのに、アリアはあっけらかんとしている。
ことの重大さが分かっていないのか、それとも彼女はそういう決意をとっくにし終えていたのか。
尋ねたところで後の祭りだ。
もはや、アリアもノクラウトも進むしか道がない。
期限は一年。
この間に、レーヴェルシュ嬢関係の問題を終わらせ、彼女をイースノイシュ家に、アリアの望む姿で返す。
今の姿を偽っているということは、裏を返せば、アリアはまた平民に戻ることもできる。
シルヴィオを説得しなければならないが、妹を弟と間違えて戸籍に登録した男がそもそも一番悪い。
身勝手な行為で彼女の自由を不快極まりない手法で拘束する。呑気なアリアは気づいていないが、罪人の扱いに等しい。
――何か、アリアのためにできることはないだろうか。
愚直なまでに素直で、努力家で、生真面目でうつくしい娘のために、ノクラウトは考える。
そして、彼なりの結論を出した。
「アリア」
青年は真正面に座る彼女の手を掴む。
イースノイシュ家のメイドにケアを施され、滑らかで弾力のある手には、それでも剣ダコやカサついた部分もある。
働き者の、きれいで誠実な手。
その手にある忠ごと握りしめた男は、満月のような瞳で彼女を射抜く。
空気が、ピンと張り詰めた。
「お前がオレに誠実を与えるのなら、オレもお前に誠実であると誓う。オレは、アリアに嘘はつかない」
ノクラウトが今のアリアにできることは少ない。
毒味も、護衛も、結局彼女に任せるしかない。
宝石にもドレスにも興味がなく、権力を厭い、平民でいたいと腹底で唱えている娘。この世界から手放せない彼女にできる唯一のこと。
アリアが喜ぶかは分からないが、ノクラウトが渡してやれるただひとつ。
それはただ、彼女のために懸命であることだ。
ノクラウトの言葉にアリアは驚愕を浮かべる。王族の放つ言葉ではないからだ。
貴族は嘘をつく。
嘘も建前も虚言も、彼らにとって呼吸のようなものだ。
その立場のものが、誠実であることを一度音にして吐き出してしまえば、違えることは難しい。
彼の真意を推し量るような視線を向けながら、アリアは困ったように眉尻を垂らして口を開く。
「光栄です。ノクラウト殿下」
嘘だろうなぁ、と思いながら。