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12. 春と疑惑とはじめまして①

 うわデッカ。うわひっろ。

 王立学園の正門前に降り立ったアリアの感想は、実に簡素で間抜けなものだった。


 貴族の子息が通う学園は、通う学生数の規模に見合わぬ広さを持つ。

 校舎の東に女子寮、西に男子寮が配置され、南には式典やダンスパーティで利用する絢爛なホールがある。これだけで、千人単位の人が収容できる広さを誇る。

 入学式前に寮暮らし用の荷物を運び込むため、何度か校舎前まで足を運んでいたけれど、改めて真正面に構えるとその大きさと豪奢な作りに圧倒される。

 イースノイシュ邸でさえ度肝を抜かれたのだ、使用用途が違うとはいえ、平民がおいそれと踏みいってはならない場所に恐れ慄く。


 校舎をぐるっと囲うように煉瓦が積まれ、新緑の葉を茂らせる木々が沿うように囲う。煉瓦の果ては正門から確認できないほど横に伸び、囲いは檻に例えられそうなほど背が高く、堅固な印象を与える。

 なんでも数百年も昔に内紛があった頃、この校舎と王宮が避難場所として用意されたらしい。砲弾が直撃しても堪えられる、堅牢な作りになっている。何度か改築されて近代的な外観をしているが、一部分では歴史を感じる造りが残されていた。


 その(いかめ)しい建物に、新入生と思われる初々しい学生が従者を伴い、校舎に吸い込まれるように入っていく。

 彼らの表情には楽しさとわずかな不安を抱えた瑞々しさがある。

 だがアリアにとって、ここはまさに内紛時の戦場だ。楽しむ余裕は一つもない。緊張で胃痛と闘いながら馬車に揺られて、ノクラウトとの待ち合わせ時間より早めに着いた。だというのに。


(ノクト様、遅刻か……?)

 

 正門で待ち合わせ。と、先日の茶会終わりに言われたため素直に待っているのだが、ノクラウトは一向に姿を現さない。

 すでに待ち合わせ時刻から十分過ぎている。アリアと同じように、正門で待ち合わせをしている生徒が何人かいるため目立つことはないが、やはり慣れていない場所は居心地が悪い。

 

(正門って言ったよね、間違い無いよね)

 

 キョロキョロと周囲を見渡していると、行き違う生徒の中から不審者を見る目がアリアに向けられた。

 今のアリアはイリスの庭で働いていた時のような見目をしていないが、貴族という立場を思えば問題があった。


 ハニーブロンドの髪は燦々とした輝きを放って美しいが、だらりと目元を隠すほど長く伸ばされている。襟足も長く、一つに結んでいるが第一印象でだらしない印象を与えるだろう。その上、長い前髪の下ではノクラウトが渡した分厚いレンズの眼鏡が悪目立ちしている。

 制服はきっちりと着こなし優等生のような印象を与えたが、顔まわりがだらしなく、周囲を見渡す仕草さが田舎者のように他者から映った。


 アリアとしては目立ちたいわけではない。

 ただ、これ以上待っていると遅刻になると思えば、焦りから体が忙しなく動いてしまう。

 入学初日で遅刻。

 どう考えても悪目立ちだ。ただでさえ、第二王子の側近として目立つ立場に収まるのだ。初日だけでもひっそりと気配を消していたい。

 ノクラウトを素直に待つべきか、それとも先に校舎に入ってしまうか。

 悩み過ぎたアリアは、ひとまず、これ以上目立たないためにも頭を垂らした。とりあえず顔を伏せた状態でギリギリまで待って来なかったら、先に校舎に入ろうと思う。


 先が思いやられる。と、考えながら嘆息すると、不意に周囲が騒がしくなってきた。

 貴族の通う学校のため比較的おとなしい生徒が多いのに、声は次第に大きくなっていく。

 キャアキャアというあからさまな大声ではないけれど、明らかに色めきたっている。周囲の新入生らしき学生も足を止め、喧騒の方向へと視線が集まる。アリアも伏せていた頭を持ち上げ、近づく声に目を向けた。


 一際煌びやかな集まりがあった。


 春の花が咲き乱れるように華々しく、絢爛な光景。

 人物に対し、そのような言葉が浮かぶとは思えないほどに、彼らの存在感は圧巻だった。



 六人組の集まりがあった。

 そのうちの五人は男性で、誰もが煌びやかな見目を持つ。



 その中に、一人だけ女性がいた。

 ストロベリーブロンドの柔らかそうな髪を二つ結びにして、声をあげてころころと笑う女性。写真や噂話で見聞きしていた女性が、そこにはいた。

 ルーラ・レーヴェルシュ。

 そして、彼女の隣にいる白銀の髪を持つ青年こそ、この国の第一王子であるディーノだ。


 白銀の涼やかな髪が、春のあたたかい風にふわりと揺れる。彼女の隣を歩くディーノは口は閉ざし、隣でコロコロと楽しそうに笑う女性に視線を傾け、口元だけがうすい笑みを作っていた。

 ルーラが平民のように笑っているため、ディーノの微笑みがより一層優雅に見える。貴族として手本のような微笑みだ。姿勢一つ、動き一つ、表情一つが洗練され、見られて評価される立場に慣れている。


 ふと、彼の視線がアリアを向く。涼しげな髪色とは真逆に位置する燃えるような赤色。

 かつてのヴィヴィを想起させる色に見つめられ、アリアは息をのんだ。

 だが。



「ねえ、ディーくん」

 という、不敬というかそれ以前の呼び名を聞き、アリアの視線はディーノからルーラに向く。



 驚きのあまり色々な意味で目が離せなくなる。

 その反応はアリアだけではなく、他の生徒も同様に彼らを信じられないものを見る目で見つめていた。

 しかし、ルーラを囲う彼らや王子、果ては在校生も気にした様子もなく、ルーラの呼び名を当たり間のように受け入れている。どうやら、呼び名程度はもはや普通のことらしい。

 ルーラは「ディーくんにも迷惑かけちゃったね」と、眉を垂らして上目で覗き込む。背の高いディーノは視線を受け止めながら「そんなことはないよ」と、彼女を見る視線と同様に柔らかな声音を発した。


 ディーノの反対側に陣取る男が、二人の会話を聞きながら熱を孕んだ目でルーラを見つめている。

 男の顔には見覚えがあった。

 貴族名鑑にあった顔。名前はフィルディナント・アズノーラ。宰相の嫡男だ。



「僕は偶然会っただけだから。ルーラが会いに来ていたのはフィルディナントだろう?」

「ええ。ありがとうございます、ルーラ。わざわざ()に会いにきてくれて」

「お礼なんていいよっ、だって元々私がノートを借りていたんだし! ごめんね、昨日の夜に返してなかったなって思い出したの。テスト勉強できなかったよね……」

「大丈夫。なくたって勉強はできます。君の力になれているのなら良かった」

「ふふっ。ありがとうフィル! フィルの力で成績上げてみせるからね!」



 宰相の嫡男と第一王子を左右に侍らせ、その背後には牽制しあっている他の令息の姿がある。

 王立騎士第一師団団長の次男、スコット・ノイマーン。

 公爵家の三男、アーヴィン・カストロ。

 辺境伯の嫡男、ハリー・オズウェル。


 貴族名鑑を読み漁ったからこそ、アリアはルーラの異常性と彼らの異常性に気づく。

 男爵家の令嬢と懇意にしても彼らの家に利はない。

 男爵家は領土を持たず、商売で成り上がった家系だ。外国との貿易で一時代を築き「男爵」を与えられた。

 現在取り扱っている商品は主に宝石のような貴金属。王都の一等地に店を構えていることは立派だが、領地を持つ彼らにとってレーヴェルシュ家は毒にも薬にもならない家である。

 強いて言えば、騎士団勤めの父を持つノイマーンやカストロは立場上後継ではないため、恋愛感情で付き合っても理解できないことはない。

 しかし、宰相や辺境伯の嫡男である二人には利点はなく、第一王子のディーノに至っては利点どころか派閥分断で国として危機に瀕している。


 一人の女を取り合う図はそれだけで醜聞だ。

 彼女自身は今のところディーノに狙いを定めているようだが、それならそれで他の令息を切って本命に絞るという判断はしないようだ。

 彼女はディーノの腕を取り、くっついて離れようとしないが、後ろにいる者たちにも満遍なく語りかけている。甘え方や気配りがまるで商売女だな、と失礼ながら考えてしまった。


 確かにルーラの顔は可愛いが、他の貴族令嬢の方が清楚で好ましいとアリアは思ってしまう。

 平民目線で見ると、ルーラのような人は多い。

 声をあげて笑い、躊躇なく甘えることができ、好きな人の手をとって白昼堂々歩くことができる。

 それが、平民だ。

 しかし淑女は幼い頃から清楚であれ、夫を立てろと教育される。貴族の娘としてその方が好ましいからだ。

 だからルーラのような女性は無教養と蔑まれるのだが、彼女の場合は獲物があまりにも大き過ぎたのだろう。素直であけっぴろげな女性と関わったことがなかった貴族令息はあっという間に虜になった。


(単純な彼らを憐れむべきか、それとも彼らが飢えていたと見抜いた彼女に拍手を送るべきか……)


 じっと、呆れを込めてルーラたちを見つめる。

 分厚いレンズ越しでもクリアに見える彼らのなかーー不意に、ディーノがアリアを見た。

 

 赤い瞳の人間は五万といる。けれど、彼の瞳の深い色はヴィヴィによく似ていた。

 熱を孕んでいない、温度のない瞳。

 好いた女に寄り掛かられている状況とは思えないほど、冷めきった色。

 思わず視線を逸らしたアリアを見て彼は薄く微笑を浮かべたが、ルーラに呼ばれるとすぐに視線を元に戻す。

 甘い声で彼女の名前を呼び、わずかに身を屈める優しさを見せた。



「なぁに、ルーラ」

「んふふ。呼んだだけ」



 彼らを見る貴族令嬢たちは羨ましそうにルーラを見る者、蔑む者、無関心を装う者、嫌悪を滲ませる者がいた。

 しかし、誰も彼女に物申せない。ハーラシュ公爵令嬢が敵わなかった相手だ。公爵家が敵わない相手に対し、なすすべながないというのが現状なのだろう。


 校舎内へ消えていく彼らの背を追うように、足を止めていた学生も慌てて校内へ入っていく。

 時計の針が進み、人の気配が消えていく。そのなかで一人、アリアは彼らの幻影を追うようにじっと校舎を眺めていた。


 

「すげーだろ、あの人」

「うぉわっ!」

「うぉわって。どこから声出してんだ」



 声とともにズシリと重みを感じた。

 遅刻しながら平然とアリアの肩に腕を回した男は、見知った人物だった。



「のっ、ノクト様……! いつからここに……」

「兄上が来る前。ちょっと隠れてた。兄弟揃ったら目立つじゃん」

「……揃わなくても目立っていましたね」

「お。言うなぁ。ま、兄上はそういう人間だからな」



 黒髪に金色の目のノクト。

 銀髪に赤色の目のディーノ。


 国民なら誰でも知っていること。

 正妻ーールートリィ王妃は長年子どもができなかった。七年耐えたが王との間に子のできる気配がなく、王には兄弟もなかった。

 二人は仲の良い夫婦だったが、致し方なく側室として隣国の第六王女ーーアウレリオを貰い受けた。

 翌年、側室のアウレリオとの間にディーノが誕生した。だが、その二年後に王と王妃の間にも子ができた。

 結婚十年目にしてできた初めての子ども。

 二人目の男児ーーノクラウト。


 ディーノは側室の子どもとはいえ、第一子。しかも男児だ。

 後継問題について正妻と側室で揉めるのではと危惧されたが、二人の仲は悪くはなく、ディーノが優秀なため、臣下の意見も割れることがなかった。

 何せ彼は見目麗しく、知識も豊富、圧倒的な存在感(カリスマ)もある。

 弟のノクラウトも悪くはなかったが、幼い頃の彼は問題児だったため、ディーノこそ間違いなく次代の王だと誰もが疑わなかった。 


 ーールーラと、出会うまでは。



「本当にレーヴェルシュ嬢と懇意でしたね」

「そりゃ本当だろう。じゃなかったら、公爵家からクレームは来ないよ。まあ、そう言いたくなる気持ちもわかるけど」

「……レーヴェルシュ嬢も、予想よりすごかったです」

「な。オレも初めて見たけど呪いや魔法と言い出す連中の言うこともわかる。アレに惚れる理由がさっぱりわからん」

「彼女でしたらハーラシュ公爵令嬢もイジメをしないと思います」

「ああ。彼女に何かしたところで無意味だ。彼女の行動そのものが家や彼女の品位を落としている。気にする必要性がない」



 けれど第一王子を筆頭に、レーヴェルシュ男爵令嬢のいうことをそのまま受け入れた。

 ハーラシュ公爵令嬢は学園に通わず、領地で療養しているままだ。

 今年、学園に通わなかった場合どうなるのか。想像は容易い。



「ノクト様」

「ん?」

「もしかして、自分は結構な面倒ごとに巻き込まれていますか?」



 あの六人を改めて思い返し、側近兼護衛と言われた言葉の意味を知る。

 ルーラがノクラウトに会いたいと言い出せば、彼らは必ず会わせようと画策するだろう。

 第一王子や宰相の嫡男という立場、そして上級生ということもありノクラウトは拒絶しづらい。


 それをうまくかわしながら、アリアがルーラと話し、彼女の真意を探る。

 彼女が嫌いそうな野暮ったい見た目で、だ。


 明らかに勝算の低い勝負に眩暈がする。

 呪いや魔法ではないかと疑われるほど彼女に心酔している彼らを見て、難易度を理解したアリアにノクラウトはニコリと笑って地獄へ叩き落とす。



「オレと一緒にオシゴト頑張ろうな、アリア!」



 ディーノとは真反対の優しさの欠片もない笑みを前に、アリアは文句を言おうとして口を開いた。

 だが、遠くから鳴り響くチャイムの音色が阻害する。

 それは、はじまりの合図を告げる音だった。



「やっべ。おら、走っていくぞ!」

「は、はいっ! って、ノクト様が遅刻したのがそもそもダメなんですからね!」



 周囲の生徒がいなくなった校舎を駆け抜け、二人は入学式のある壮麗なホールに向かう。

 文句を言ってももう遅い。

 入学式すらはじまっていない学生生活は、明らかに波乱の気配を纏っていた。

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