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10. 埋もれていた才能④

次に幕間挟んで学園編入ります。

 シルヴィオ・イースノイシュはノクラウト第二王子の第二の兄のような存在だ。


 出会いはシルヴィオが十六歳、ノクラウトが九歳の時だった。

 ノクラウトの友人という名の護衛を選抜するお茶会に、シルヴィオが呼ばれたことがきっかけだ。

 本来なら、シルヴィオは第一王子であるディーノの友人として登用されるはずの年齢だが、彼の家――イースノイシュ家は王家に連なる公爵家でありながら、十年前から爵位降格の危機に瀕していた。

 そのため、今まで友人の枠から除外されてきたが、昨今、公爵領が目覚ましい速度で復興してきたため、年齢差があるものの、第二王子の利になると判断され、お茶会に招集された。



 イースノイシュ家の醜聞は十年前に遡る。



「当主がメイドに入れあげ、姿を消した女を追いかけるために財産を瞬く間に注ぎ込んだ」


 端的に表現すればそれだが、当事者にとっては地獄のような十年間だった。

 政略結婚のために妥協した令嬢よりも、己で見出した商売女や平民に入れ上げる。よくあるつまらない話だ。たが、公爵家の場合、つまらない話というだけで終わらなかった。


 当主が邸で雇っていたメイドに手を出してから、地獄が始まった。

 名高い美姫にも引けを取らない女を公爵はいたく気に入り、日に日に溺れていった。だがメイドの彼女は本意ではなかったのか、それとも異常な執着に恐れをなしたのか、ある日、忽然と誰にも告げずに姿を消した。

 メイドが逃げ出せば現実に目を向け、執着も途切れてサボっていた仕事を再開すると思われたが、あろうことか、男は公爵の仕事を完全放棄し、女の捜索に出た。


 男の狂気は瞬く間に貴族界に広がることになる。

 女を捜索する際、協力を申し出た伯爵が話題の一つとして「そこまで執着するほどに、いい女でしたか?」と、問うたところ、女を奪ったのはお前か。と、激情に駆られた男は伯爵を半殺しにした。金と立場で解決させたが、これ以降、イースノイシュ家はお茶会や夜会に呼ばれることすら無くなった。


 西にハニーブロンドの女を見かけたと聞けば直接向かい、東によく似た瞳の者がいると噂を聞けば雨が降ろうが雪が降ろうが街に向かう。仕事どころか、日常生活すら捨て去る意欲で女を求めた。

 彼はそのうち領地に必要な契約も行わず、顔合わせを兼ねた夜会にも姿を現さなくなった。


 女――ヴィヴィ・リィルの捜索に人生を賭けた。


 当然、彼の行動は貴族としてだけではなく、社会人としても、家庭を持つ男としても褒められたものではない。女が邸から逃げ出して三ヶ月も経たぬうちに、醜聞はイースノイシュ家を苦しめた。

 母であり男の妻である女は「旦那を繋ぎ止められない魅力のない女」「メイドに劣る女」と、社交界で指を刺され、気鬱を患い外に出られなくなった。

 幼いシルヴィオも「あの男の子ども」「可哀想だが、将来似たような人間になるかもしれない」と、公爵という爵位に守られながら、裏では嘲笑され続けた。

 公爵家の一角でありながら、イースノイシュ家は男一人の執着により、衰退へじわりじわりと進んでいた。



 しかし、シルヴィオ・イースノイシュという子どもの存在が、父親の作りだした醜聞を数年前から打ち消しはじめた。


 すっかり仕事に対する意欲を無くした男をよそに、シルヴィオは家庭教師から知恵を得て、自領の騎士隊から武力を身につけた。

 税の改修、制度の更新、領地の改革。領主代行に教えを受けていたとはいえ、十歳を過ぎたばかりの子どもとは思えぬ手腕で父親の汚名を塗り替えた。


 イースノイシュ家の人間は、元来勤勉で国に尽くす者が多い。誠実で生真面目。特に、碧眼の円環持ちは殊更その特性が強い。

 ノクラウトがお茶会でシルヴィオを初めて間近に見た時も、その目がとても気に入った。鮮やかな金髪に映る碧眼は人形のように美しく、精緻な円環は宝石のように映った。

 欲しい、と思った。

 これは宝石だと直感が告げていた。



「今日からお前が、オレの護衛だ!」



 嬉々として指差したノクラウトに、シルヴィオは大層驚いていた。

 茶会には他の友人候補も集められていた。

 他の招待客は明らかにノクラウトと同世代だったが、シルヴィオは成人を迎え、一人だけ大人だった。友人を作るという名目で集められていたため、シルヴィオのひとつ、ふたつ抜きんでた身長も場違いだった。

 何より十年経っても醜聞の消えぬイースノイシュ家の人間を、王族が選ぶとは思っていなかった。


 しかし、この指名に何より喜んだのはノクラウトの父母である王と王妃だ。

 ノクラウトは兄であるディーノと違い勉強を嫌い、家庭教師から逃げ、護衛を撒き、同年代の友人候補を毎度お茶会で泣かす悪ガキそのものだった。

 王子として兄同様厳しく躾けてきたつもりだが、生来の性格と無駄に優秀な頭のせいで大人を煙に撒き、あっさりと勉学の場から逃走する。

 もはや同年代の子どもでは御しきれないと考え、お目付役としてシルヴィオをお茶会に呼んでいた。だから、ノクラウト自身が彼を気に入って王と王妃は心底安堵した。



 あれよあれよという間にシルヴィオは友人として選ばれ、剣の腕を見込まれ即時護衛としても任命された。

 シルヴィオ自体は年齢や今までの確執を考え辞退しようとしたが、ノクラウト自身が彼を選んだことと、公爵家の跡取りとして現当主よりも十分実力があることを見込まれ、登用されることになった。

 ちなみに、シルヴィオが友人として用意されてからというもの、ノクラウトの逃走は一度も成功しなかった。

 彼が思うよりシルヴィオは容赦がなく、融通が効かず、生真面目な性分だった。


 ノクラウトが家庭教師から逃げ出せば首根っこを掴んで元に戻し、同年代の子どもを無意味に泣かそうものなら、容赦なくゲンコツで止めた。あまりの厳しさと不敬な態度に咎める者もいたが「なら替わりますか?」と、問われると誰もが口を噤んだ。ノクラウトの態度は、城内でも問題視されていたからだ。

 嘘泣きも通じず、癇癪も通じない。

 当時のノクラウトは、シルヴィオを選んで日夜後悔に明け暮れた。


 ノクラウトは王妃にとって遅く生まれた子どもだ。

 そのため無意識に甘やかしてしまうため、シルヴィオの媚を売らない厳しさに王妃も感激していた。

 誠実で生真面目な家臣から、ノクラウトは徹底的に倫理観やモラルを叩き込まれた。

 シルヴィオは厳しかったが、褒めることも巧かった。勉学に励めば褒め、剣術に励めばアドバイスを送った。励めば励むだけ正当に褒められ、サボると正当に説教された。


 忖度しないシルヴィオに、ノクラウトは懐いた。

 本当の兄のようにシルヴィオを慕った。

 

 だからといって、実兄のディーノとも別に仲が悪いわけではない。

 むしろ、ノクラウトはディーノも慕っている。

 ディーノは聡明で、清廉で、気高く、次期王として相応しい人格者だ。王弟として将来は兄を支えて生きるのだと、物心がついた頃から思っていた。


 イースノイシュ家を建て直しているシルヴィオ。

 次期王として相応しいディーノ。


 二人の兄と共に、この国をより良きものにしよう。

 悪ガキだった過去が嘘のように、ノクラウトは王族として相応しいと評されるようになった。

 なのに。



(兄上……)



 ディーノは学園に入って変わった。

 仲の良かった婚約者と疎遠になり、顔だけ女に入れ込むようになった。今や第一王子派と第二王子派で派閥ができてしまっている。国を二分する派閥は災いを招く。

 それが分からぬほど、ディーノは愚かではない。間違いなく何かを企み、弟であるノクラウトにすら伝えていない。

 本当に男爵令嬢に入れ込んでいるだけなのか。

 何か企んでいるのではないか。企んでいるのなら――どうしてそれを伝えてくれないのか。

 

 全てを暴くため、ノクラウトはアリアを利用する。

 ディーノの知らぬ謙虚で、生真面目で、うつくしいーー駒。

 気弱そうな表情を思い出し、ノクラウトは小さく笑った。




 ◇ ◆ ◇




 マナー教育、貴族との会話、剣術、馬術と様々なものをみっちり仕込まれて三ヶ月が過ぎた。

 季節はすっかり春になり、冬眠から目覚めた生き物がゆっくりと野山で行動に移る季節だ。寒々しかった公爵邸の庭には春の花が咲き乱れ、パンジーやアネモネが素晴らしい配分で配置されている。西から東に向かって色の変化が緩やかに行われている庭を見て、この風景にも慣れてしまったとアリアは小さく息を吐いた。



「どうかしたか?」

「いえ。春だなぁ、と思っていただけです」

「そうか」

「アリアが来てから三ヶ月か。あっという間だったよなー」

「……ええ、そうですね」



 庭園の一角にあるガゼボにはアリアとシルヴィオとノクラウトが揃っていた。

 頭上を覆う屋根はアーチ型をしており、隙間なく季節の花が配置されている。鮮やかなピンクと黄色の隙間に、小ぶりの白い花が踊る。支える柱一つ一つに蔦が巻きつき、緑の匂いが爽やかに漂う場所だ。

 白い円卓にはノエルが用意した紅茶や珈琲がある。

 ノクラウトは甘めの紅茶を好み、アリアとシルヴィオはそれぞれブラックコーヒーを目の前に置いていた。

 お茶菓子として用意されていたマカロンやクッキーをパクパク食べるノクラウトをよそに、アリアとシルヴィオは手もつけない。以前も何度かお茶会をしたが、甘いものが苦手なイースノイシュの二人を前に「趣味嗜好は離れていても似るんだな」と、ノクラウトはケラケラ笑っていた。


 しかし、今回はそのような楽しいだけのお茶会をするためにガゼボに来たわけではない。

 学園入学までに一週間を切った今日。ノクラウトは最終確認と称して、イースノイシュ家に足を運んでいた。



「アリアの様子はどうだ?」

「勉学、武術、馬術、マナー、どれをとっても公爵家の人間にふさわしいレベルになっている。どこに出しても恥ずかしくない」

「へぇ。そこまで言うなら間違いないな! 大変だっただろう?」

「ええ、まあ……」



 ダンスレッスンから知人になったノクラウトだが、彼はダンスの時以外もイースノイシュ邸に足を運ぶようになっていた。邸で顔を合わせるたびに剣の手合わせをしようとか、馬で遠乗りに行こうとか。なんだかんだ邪魔をしていたのだが、それを言う度胸はアリアにはない。


(何が大変って、ノクラウト殿下がきてスケジュールが変更になるのが大変だったんだけどな)


 と、思いはするが口にしない。

 ニヤニヤ笑っている彼は、きっとアリアの呆れを理解しているのだろうが。



「まあそういう勉強や剣術に関してアリアに不安はない。あるとすれば、その顔だが喜べ! 少し早いが入学祝いだ」

「入学祝い、ですか?」



 ノクラウトが取り出したものは小さな黒い長方形のケースだ。ペンケースに似たそれを受け取り、アリアは蓋を開く。

 中にあったものは分厚いレンズの眼鏡だった。

 ノクラウトの瞳のように黄金色をしたツル。そして厚みのあるレンズが特徴的な眼鏡だ。度は入っていないが、厚みがあるせいか、瞳のサイズが小さく見えるようになっている。

 これがあれば確かに顔の印象を野暮ったく操作できる。

 キラキラと期待に輝くノクラウトの視線の圧を受け、試しにかけてみると、サイズの割に鼻や耳に負担が一切なかった。手にした時からわかっていたが、大きさの割に重みのない眼鏡だ。



「とてもよく似合っている……は、この場合褒め言葉になるのか?」

「ははっ、褒め言葉だって。アリア、どうだ? つけた感じは」

「軽くていいです。殿下、ありがとうございます」

「殿下、じゃなくてノクト」

「……」

「……」

「ノクト……様。ありがとうございます」

「ま、今はそれでいいか」



 眼鏡をつけたまま笑うとノクラウトも楽しそうに笑う。

 どうして眼鏡が必要になるのか、その原因を知らぬかのように。


 ガゼボには穏やかな空気しか流れていないが、先日開催された卒業パーティーでもレーヴェルシュ嬢とディーノ第一王子は、行動を共にするという大問題を起こしていた。すでに、平民の間でも広まっている醜聞だ。

 ディーノの婚約者であるハーラシュ公爵令嬢は卒業生の顔を立て姿を現したそうだが、すぐに会場からいなくなったそうだ。彼女にとっては屈辱としか表現できない状況だろう。公爵家令嬢という立場でありながら、礼儀も知らぬ男爵家令嬢に王子の愛を奪われているのだから。


 レーヴェルシュ嬢の取り巻きである他の令息も王子と似たようなものだ。

 彼らは揃いも揃って自らの婚約者を伴わずに会場に現れたそうだ。何人かが注意したそうだが、所詮政略結婚の相手。思い合っていないのだから傷つくことはないだろう。と、ニュアンスは違うが、彼らは同じような言葉を発したらしい。

 愛を謳うことは悪いことではない。だが愛を謳う前に、彼らには貴族という立場がある。

 相手の女が男爵家ではなく公爵家ならば利益になっただろう。だが、レーヴェルシュ嬢のような男爵家では利益にもならず、男に囲われている女に、周囲の人間は貞淑さを見出さない。

 将来、跡取り問題が出た時に一体どう解決するだろうか。

 もしも、万が一にでもディーノと結ばれてしまえば、彼女を交代で愛することはできない。その時になって、今の婚約者に素知らぬ顔で愛を囁いたところで家庭は冷え切ったものになるだろう。

 そもそも、現時点で醜聞の広まっている家に娘を嫁がせたいと思う親は少ない。それでも構わないという家は、彼らの言う「政略結婚」に、相応しい家だけだ。



「シルヴィオ、アリア。……面倒をかける」



 春の陽光に溶け込むような小さな声音でノクラウトが言う。

 朗らかで快活な印象を与える男だが、ディーノの話題に対しては表情に影が宿る。身内に苦しめらられる感情はアリアもシルヴィオも理解できる。どうしようもないのだ。家族というサークルには逃げ場がなく、貴族となればさらに強固だ。切り捨てることも、無視することもできない。

 慕っていた相手なら、なおさら。



「貴方がそういうことを言う必要はありません。それに、こんなことでもなければアリアと話すことも会うこともありませんでした。不幸中の幸いというものです」

「そうですね。自分はそのうち隣国にでも行くつもりでしたし」

「え、初耳なんだが」

「……ノクト様や閣下に言うのは気が引けますが、この国にはあまり、いい思い出がないので。誰にも知られていない土地に行ってみたかったんです」



 イリスがいなければ、さらに早くこの国から去っていただろう。

 隣国の魔法大国「ティアネト」や、宗教国家「エプティム」それとも、さらに遠くの国にも行ってみたいと考えながら働いていた。ただ、その妄想は形にならず、今こうしてアリアはイースノイシュ邸のガゼボで何の因果か、第二王子と当主代理とお茶を飲んでいる。

 今でも緊張をするが、三ヶ月前と比べると幾分気が楽になった。慣れたといえばそれまでだが、吹っ切れたと言う方が適切かもしれない。



「……我々を、恨んでいますか?」



 恐る恐る尋ねるシルヴィオに苦笑を返す。



「それはないです。そりゃあ驚きましたし日々慣れないことが多いですけど、勉強もできて、美味しいものをお腹いっぱい食べられるんですから幸福ですよ。だからーーノクト様を頑張って守ろうと思えます」



 王族を守る。アリアがはっきりと口に出したのは、それが初めてだった。

 シルヴィオとノクラウトは目を瞠り、碧眼に込められた決意を真正面から受け止める。


 イリスの庭から強引に連れ出してきて三ヶ月。

 勉強に、剣術に、慣れないことに四苦八苦してーーそれでもめげなかった。貴族と関わることに怯えも恐怖も困惑もあるだろう。それらを理解した上で、ノクトと共に入学すると暗に告げている。

 ノクラウトの満月の瞳が緩やかに変化する。柔和に歪められていくそれは瞼の中に閉じ込められ、彼は深く息を吐き出した後、そっと瞳を開く。



「頼むぞ、アリア・イースノイシュ」



 アリアは顔を覆う分厚いレンズを外し、クリアな視界でノクラウトを見る。

 初めてダンスを踊った時とはまるで違うーー意思の孕んだ瞳が仕える人間を見据えていた。

 そして、アリアは微笑む。

 ハニーブロンドの髪を春風に遊ばせながら、眩い碧眼を細めて。



「仰せのままにーーノクラウト殿下」

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