第百三十九話 孫とクロダイ
ゴールデンウィーク最終日の五月五日木曜日に、山中幸盛の家のキッチンで、小学三年生の桃太郎は切れない包丁でどうにかウナギを背開きにしていった。もちろん、包丁で指を切った時のために傷テープを準備してあったのだが、使わずに済んで胸をなで下ろす。
この一本のウナギは蒲焼きにして四人で試食してみようと、ネットで蒲焼きのタレのレシピを調べて小鍋に作ってある。 備長炭も七輪もないので、ガスコンロのグリルで焼きながらタレを数回塗ると美味しそうな香りが漂うが、砂糖を入れすぎたみたいでベタベタになってタレが塗れなくなったところで、まな板に移して包丁で四等分し、小皿に分けてジャンケンで勝った者から順に選び取っていく。
しかしさすがは天然ウナギで、焼き加減やタレの出来具合に関係なく美味しい。すると桃太郎が言った。
「おじいちゃん、またウナギ釣りに行こ。今度はもっと大きい奴とか、たくさん釣りたい」
「釣りは運だからな、そううまくはいかんぞ、このウナギだって桃太郎が運をモッテイタから釣れたんだからな」
桃太郎はそんなものかとうなずく。
「そうだな、もう一度行ってみるか。でも学校があるから、行くとすれば土曜日の夜ということになるから、潮見表を見て検討してみよう。あの場所は、潮が引いていると釣りにならんからな」
「金曜日でも学校から帰ってきてから行けるよ」
「そうか、だったらいっそのこと明日にでも行くか。お父さんの仕事の都合は?」
「明日は夕方六時まで家でリモート仕事だから、それ以降なら行けんことない」
と桃太郎の父親はあまり乗り気でなく答えたが、桃太郎が声を弾ませて言った。
「じゃあ、明日に決まりだね」
高速道路を使えば桃太郎の家から三十分ほどで行ける距離でもあり、三日にあげずウナギ釣りに行くことになった。
翌日、幸盛は家を四時半頃に出てエサ屋に寄り、平日のせいか大きめのカメジャコがあったので十匹と、アケミ貝を半袋買って釣り場に向かった。
なぜアケミ貝を使う気になったのかというと、一昨日ここでウナギ釣りをやっている時に釣り人が話しかけてきて、少し離れた新川ではアケミ貝でウナギがポンポン釣れているとの情報を得ていたからだ。岐阜から毎日のようにやって来る夫婦は一晩で十本釣れたらしい、と聞けば、話半分としてもやってみる価値があるではないか。
仕掛けは二本針なので、一本はカメジャコを刺し、もう一本にはアケミ貝のむき身を二個分刺して投げ込む。この仕掛けをサオ四本出してまもなく、桃太郎一家がやって来た。
しかし、八時を過ぎてもサオ先の鈴が一向に鳴らない。そこで、桃太郎の父親も自宅近くの釣具店でカメジャコを十匹買ってきてくれたので、八本の針全部に、この場所で実績のある元気なカメジャコに付け替えた。
それから三十分後くらいに、静寂を破ってサオ先の鈴がリンリンと鳴った。四人全員が鳴った鈴の方を振り向き、幸盛と桃太郎が「どのサオだ?」と叫んで駆け寄る。
鈴が再びリンリンと鳴ったのでサオを特定し、幸盛がそのサオ先の鈴を外すと、桃太郎がサオ受けからサオを手に取ってドラグを締めてリールを巻く。一昨日のウナギより遙かに引きが強いようで、途中で桃太郎が叫んだ。
「大きすぎる! おじいちゃん代わって!」
サオを受け取ってリールを巻くと獲物は海面まで浮いてバシャバシャと暴れるのでエイだろうと思っていると、頭に付けた電灯が海面を照らした瞬間に桃太郎が叫んだ。
「クロダイだ!」
「まさか」
と疑いながら見ると、確かにクロダイだ、しかもとてつもなくデカイ。
「落としダモを持ってくる」
と言ってサオを桃太郎の父親に預け、急いでリュックから落としダモを取り出す。
「ボクにやらせて」
何でも自分でやりたがる桃太郎に渡すが、彼は腕が短いので泳ぎ回るクロダイをうまくタモ枠に収められない。
「おじいちゃんがやるわ」
と半ば強引にタモまで伸びている紐を桃太郎の手から奪い取ってすぐにタモ枠の中に捕らえ、紐をたぐり上げて堤防の上に置くとバタバタと暴れる。
「なんじゃこりゃ、デカすぎる!」
幸盛はポケットからメジャーを取り出してクロダイにあてがいながら言った。
「五十二センチもある! 記録更新だ!」
一昨年の十一月にT漁港で釣った四十七センチのクロダイを、遙かに凌駕してしまった。
この後ウナギは釣れなかったが、桃太郎はこのクロダイをナイフで血抜きし、内臓だけ海に返して家に持ち帰った。そして、自宅の長さ四〇センチのまな板の上で、それより遙かに大きなクロダイを苦労しながらさばいたのだった。




