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アルマが部屋に戻ると、ジルがドレスを用意して待っていた。
今夜も、といっても一ヶ月ぶりだけど、領主と夕食だそうだ。用意されていたのは前回の晩餐会よりはシンプルなドレスだったのでアルマも大人しく袖を通した。ジルがアルマの装いを整えた。切りっぱなしだった髪の毛もジルが悲壮な顔つきで切り揃え、小さな髪飾りを付けてくれた。そして案内されたのは、前回と同じ広間。アルマは長いテーブルの下座に一人、ポツンとかけてキースを待った。
程なくしてキースが現れ、遅れて席についた。
「遅くなった。はじめてくれ」
キースがそう言うと給仕が動き始めた。
「領主様、夕食にお招きくださってありがとうございます……」
アルマがニッコリと微笑みながら言った。言ったが後のセリフが続かない。ヘラっと笑ったまま右側にちょっと頭を傾げて考える。
——こういう時って、何か世間話とかした方がいいのか?
外から見ると可憐な少女だが中身が軍人で出来ているアルマは、こうした場面で気の利いた話題が出てこない。
——給仕もいるし、あまり内々の話はしないほうがいいのかな?
今度はちょっと左側に首を傾げて考える。こちらの習わしがよくわからず、つい沈黙してしまった。
アルマの前にはまた、目にも鮮やかな料理の数々が並んだ。食事がスタートした。マナーに気をつけていたら、またしても食べる方に集中してしまった。もとより病み上がりにおもゆを少し食べただけだったので、空腹で倒れそうだったこともある。アルマは、自分のペースと好みにぴったり合わせて出てくる料理を堪能し、次から次へとお腹におさめていった。
二人で黙々と食べた。
キースは時折アルマに目をやって、食事の進み具合を目で確認していた。
そしてそれ以外は関心もなさそうに静かに食事を終えると、今は食後酒を飲んでいる。
アルマに話しかける気もなさそうだ。
今日は無事にデザートのプリンまで食べ終わって、アルマは一息ついた。
——この領では何でも美味しいけど、乳製品が特に優れている。
アルマの思考が完全に料理の方に向いている。
社交性が行方不明だ。
すかさず何か追加しようかと申し出る給仕に、にこやかに充足感を伝えてアルマは食事を終えた。食べ終わったアルマを確認したキースが、唐突に席を立った。
「明日の午後、訓練場に来い」
キースは一言だけ告げて去って行った。
——なんにも会話しないから、機嫌を損ねたかな。
アルマも遅れて席を立つと、阿吽の呼吸で食事を提供してくれていた給仕が広間を出るまで付き添ってくれた。給仕の有能ぶりに感心していたアルマは、つい、彼に尋ねてしまった。
「私は領主様を不快にさせてしまったでしょうか……」
「いえ、ご主人様は楽しんでおられたと思いますよ。貴方様がしっかりとお食事をとられているのを見て安心なさったのではないでしょうか」
長年主人を見てきたであろう給仕は穏やかにそう言った。
「そうですか……。お食事、とても美味しかったです。ありがとうございました」
「こちらこそ、そう言っていただけて嬉しいです。私は給仕長のアレクサンドルです。どうぞお気軽にアレックスとお呼びください」
「わかりました。私のこともアルマと呼んでください」
アルマ様が来られてから料理人がずいぶんはりきっていますよ、と、にこやかに告げてアレックスがお辞儀で見送ってくれた。
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翌朝。
ジルが何通りかの衣装を用意してくれていた。
アルマは動きやすさを重視する。というか、動きやすさのことしか考えていない。それが昨日の一日でジルたちにもしっかり伝わったようだ。優美なデザインのドレスとワンピースに隠すように混ぎれていた、上等な生地だけどシンプルな生成りのチュニックとズボンをアルマが迷いなく選ぶと、ジルは「やっぱりね」という顔で笑った。
「せめてこれだけは可愛らしくしましょう」
と何本かのベルトや紐を持ってきてくれた。どれも女性が身に付ける可愛らしいデザインだ。アルマは色とりどりの糸で鳥や草が刺繍されている幅広の紐を選んで腰に巻いた。
昨夜の食事と睡眠で完全に復活したアルマは、鍛錬を終えた後でシグルトの様子を見に行った。
伽藍に近づくと、昨日キースと来た時に扉を開けてくれた厩務係が声をかけてくれた。そして人間用の通用口に案内し、開けてくれた。なるほど、いちいち壁を全開にしなくても人間には普通の扉で十分だ。厩務係はピューターと名乗り、アルマの後ろについて伽藍の中に入ってきた。
シグルトは卵と一緒に眠っていた。
「シグルトが怖くはないですか?」
アルマはピューターを振り返って尋ねた。
ピューターは困ったように微笑んだ。日焼けした顔で、笑うと目尻に皺がたくさん寄った。
「そうだなぁ、わしはもともと馬の厩務係ですんで、こんだけ大きな動物の世話となると見当もつかんことだらけでねぇ……。ひと月前この竜が飛んできた日に、領主様からお前が面倒を見ろと言われた時にゃどうなることかと思いましたよ。だけど、驚いたねぇ。竜のことでわからないことがあれば領主様に尋ねれば竜と話ができるっていうじゃねぇですか。それに今のところじいっとして動かねぇし、食事の世話も要らねぇっていうし……。毎日こうして顔を見ているだけで、楽させてもらってますよ」
「それならよかった。ピューターさん、改めてお礼を言わせてください。こうして誰かに見守ってもらえるだけで、シグルトも本当に安心していると思います」
「そうかい? こんだけ大きければ、人間なんて邪魔になりそうだがねぇ」
ピューターがニカッと歯を見せて笑った。
「……そうかもしれません。シグルトは馴致されていない野生の竜なんです。もともと人を乗せることも好みません。だけど、ここより温かい場所から来たので、こうして人の力で部屋を温めてもらえないと身体も弱るし、卵も孵りません」
「ほう……そうかい。だが、竜の姫さんよ……」
ピューターが口をつぐんだ。
「そりゃ……大変な旅だったなぁ。暴れ馬に一年じゅう乗ってたようなもんかい」
今度はアルマが困ったように笑う番だった。
「これはシグルトの旅でしたから。私は落ちないよう乗っかっているだけでしたよ。そうそう、これだけ広い背中ですから、慣れてきたら背中で運動もできるんですよ」
「そうかい……ところで姫さん。領主様の話じゃこの卵が孵るまでは二年くらいかかるかもしれんって言ってたが」
「そうですか。私も長寿種の竜の卵についてはあまり詳しくないのですが、以前聞いた話だと一年ちょっとじゃないかと思うんです」
「そうかい」
「あとで領主様にも確認してみます」
「そうさな。それで、姫さんの見立てで他になんか気付いたり、気をつけてやることがありますかい? いやぁ、ははは、わしらも暇でなぁ。いろいろ教えてもらえると助かるんで」
ピューターはそう言うと厩務係を何人か呼びよせた。みんな世話好きな様子で竜のことを色々と知りたがった。アルマもわかる範囲で竜のことを教えた。
「シグルト、ちょっと邪魔するよ」
ピューターたちと一緒に卵のところへ踏み台を運んで、アルマが踏み台の上に登って殻の上部に黒い墨で印をつけた。シグルトはすっかり寝入っているようで目を閉じたまま身動きもしない。
「たぶんそんなに近寄る用事もないと思いますが、この卵についての注意点です。卵は動かさないようにしてください。今、目印をつけたここがいつでも上になるように見守っていてください」
「なるほどのう」「へー、ニワトリは卵をつついていっつも動かしてるけど、それとは違うんだなぁ」
ピューターたちはふんふんと頷き合いながら聞いていた。