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「くだらん」
「すみません」
「……元気そうだな。歩けるなら来い」
「はい」
グダグダな空気を一蹴されたアルマは、キースに従えられて部屋を出た。
アルマはキースの少し後ろを歩いてついて行った。
——この人、いつも機嫌が悪いんだな。
どこに向かうのかな?シグルトのところならいいんだけど。一ヶ月も経っているならシグルトの様子が気になる。聞いてもいいかな? でも、声をかけづらいなぁ。
アルマはキースの背中をじっと見つめながら黙って歩いた。
——背、おんなじくらいだな。歳は先代の没年と同じなはずだから、おそらく十六?
アルマは故郷を発った時十四だった。数えた日数はあやふやだが、もう十五にはなっているはずだ。
「……なんだ」
「いえ、何も」
視線を感じたのか、キースが後ろに目をやって尋ねたが、アルマはヘラッと笑顔を作って応じた。
キースはアルマの表情を見ると前に向き直り、舌打ちした。
——今「チッ」て言ったよ、この人。
向かった先は、やはりシグルトのところだった。
城の西側の牧野だった場所には見事な大伽藍が出来上がっていた。竜がどこから入るのか、全方位を壁が覆っている。竜は中にいるそうだ。
厩務係が駆けつけてそばに控えた。
「あけろ」「は!」
厩務係が操作すると、壁だと思っていた正面の壁が、蛇腹のように縮みながら左右に開き始めた。
「貴様が寝こけている間に一度だけ騎乗した」
「そうですか、シグルトは貴方様なら喜んで乗せるでしょうから。……一度だけですか?」
一ヶ月もあればもっとたくさん騎乗できたはずだけど、と思い至ってアルマは尋ねた。
「そうだ。二度目は夜間に敵地視察に使おうとしていたのだが」キースがつまらなそうな顔でアルマを見てから、顎を竜の方へしゃくった。「……これだ」
「シグルト!」
アルマはシグルトを見て、目を丸くした。
シグルトはアルマに視線を向けると、挨拶するように低く短く喉を鳴らした。
身体を丸めるようにして伏せている。その腹の横に人の背ほどもある、卵が置かれていた。
「すごい!シグルト、がんばったんだね。あぁ、部屋も温めてもらえて、よくしてもらっているみたいだ……」アルマがシグルトの鼻先に抱きついた。「……そうか、それであんなに食べたんだね……」
アルマは一度シグルトの側から離れて、その身体を遠くから眺めた。
やはり、一ヶ月休んでも体躯の艶があまり良くなっていない。長寿種の竜が卵を産むのは、その寿命が終わりかけていることを示している。産卵期が何年間か続くとやがて寿命を終えると教わった。卵は一度に一つ、産卵期の間にいくつの卵を産むかはその竜次第だが5〜6個も産めば多い方だろう。
アルマは長寿種の竜の産卵についておおまかにキースに話した。キースは竜を見つめながら小さく一つ頷いた。キースの横顔からは表情が窺えなかったが、少しだけその眼差しに憐憫の色が浮かんだような気がして、アルマはじっとキースの目を見つめた。すると視線に気付いたキースにギラリと睨まれた。
アルマは苦笑すると、ためらいがちに尋ねた。
「シグルト……は、領主様に何か話していますか?」
「ああ。竜について、貴様らの国や魔法について、色々と話してくれる」視線を竜に戻してキースは言った。それから、少し逡巡するように自らの手に視線を落とした。
「……見ろ」
キースは手のひらを上に向けて広げた。
すると手のひらの上、十cmほどの空間にホワリと小さな灯りが灯った。
「俺は八つの時に水の精霊と契約を交わした。目の色もその時に青く変わった。水の霊力しか使えなかった。特に氷系統の霊力を攻撃に使うのが得意だ……」
「……だが、シグルトの言葉を聞いていて気付いた。シグルトの話す言葉と同じ言葉を頭に浮かべると、もっと色々な力が使える」
キースが眉をしかめて睨め付けるようにアルマを見た。
「この力はなんだ? これが貴様の言った生活魔法か?」
「おそらく、そう、だと思います……。竜王国の民は竜の血を引いていると言い伝えられています。竜の血を引く民には、強く願ったことを力に変えることができる者がたくさんいます」
「俺は竜の血族ではないが」
「それは……わかりません。太古の時代からの言い伝えですから、我々にもはっきりとはわからないのです。しかし、領主様は竜が認めた王の後継。王の生まれ変わりの魂をお持ちです。もしかすると、古の昔に分かれた血族なのかもしれません。竜の言葉を理解されるお方が、我々と同じような力を使うことは、私には自然なことに思えます」
キースは黙って竜を見つめていた。
沈黙が続いた。
もしかしたらシグルトと会話をしているのかもしれないと考えて、アルマも沈黙を守った。
アルマは竜の卵を眺めながら、過酷だった旅を想い返していた。シグルトの力がなければ辿り着くことができなかったこの旅路は、その竜の寿命をもさぞ、蝕んだのだろう。
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伽藍の外に出ると、日差しが暖かかった。
到着した日に感じた刺すような寒さがやわらいで、空気の中に早春の香りが漂っている。
足元の枯れ草の下に、小さな青葉が顔を出している。
城への道は、緩やかに下っていた。金色の下草を踏んで歩きながらアルマは考えた。
——シグルトは飛べない。
それが意味することが、アルマには痛いほどわかった。
産卵の後でも飛ぶことはできるが、竜は基本的に卵の側を離れたがらない。
そして、長寿種の竜が産卵期に入ったということは、もうおそらく、長旅には耐えられない。
アルマはキースの後ろを歩いて城に戻りながら、ぼんやりと、遠くに広がる牧野に目を彷徨わせた。それから城と、その向こうに小綺麗にまとまった城下町に視線を向けた。
どこも……見慣れない場所だった。
——当たり前だ、ここはランゴムではない。ここに私の居場所はない。
シグルトの旅はここで終わり、王の側に終の住処を得たのだろう。
では……自分は。自分はどこまで行けばいいのだろう。
いつの間にか、アルマは遠くを見つめたまま立ち止まっていた。
キースは草の道を下りながら、後ろの気配が消えたことに気付いて後ろを振り向いた。
自分のすぐ後ろにはその姿が見当たらず、少し振り仰いで道の上の方にいるアルマに目を止めた。
立ち尽くして、遥か遠くを見つめるアルマの顔からは、すべての感情が抜け落ちていた。
ただ、激しい感情を秘めるように榛色の瞳だけが、強い光をたたえている。
キースはその眼差しに息を飲み、その姿を静かに見つめた。
やがて、キースは唇をひき結ぶと前に向き直り、城へ歩き始めた。
「おい、早く来い」
後ろから、我に返って慌てたように追いかけてくる足音が近づいた。
「明日から、生活魔法とやらの稽古に付き合え」
「……はい」
「どうせ卵が孵るまでヒマだろう」
「はい」
前を行くキースには、応えるアルマがどんな表情をしているか、見えなかった。