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青い獣が要塞の男「コルグ」を野営地に連れてきた日。
そしてボルグとエースらが対話してから数刻が経った。
話し合いが終わり、めいめいが夜に備えて活動している。
ウーリャが異変に気付いたのは、焚き火の火が絶えないように夜に備えて粗朶を拾いに出ている時だった。貴重な固形燃料はなるべくとっておきたい。ウーリャはその辺の木切れを拾いながら野営地を離れて、ベノア城下に広がる廃墟となった城下町に少しだけ近づいた場所にいた。
その場所でウーリャが小枝に手を伸ばした瞬間、うなじの近くでチリッとした感覚があった。それは彼女自身が戦闘時に役立つよう鍛えてきた独自の感覚点で、火の精霊力を使うウーリャにとっては何よりも信頼できる、「熱」に対するセンサーだ。
——何かしら。あの辺に熱量の塊があるわ。それほど強くないみたいだけど……。
ウーリャは手を止めて、城下町の方角が見渡せる場所まで移動した。動いているものは見つからないが、その「熱」の大体の位置はわかった。熱量が感じられる場所は廃墟の中のようなので、近くまで行かなければ確かめられないだろう。エースを誘って城下町に近づいてみようと考え、野営地へと引き返した。
ウーリャはさっきアルマから受け取ったばかりの、ベノア城兵のマントを着ている。
——夜闇が深くなる前にこれの効果を試すには、城下町を覗いてみるのもいいかもしれない。
「熱」のことも気になるし、とそう考えたウーリャがエースに声をかけると、エースも城下町行きに同意した。アルマはまだ目を覚まさないコルグと青の塔の少年オシンを看ながら、キャレリーらと夕飯を調理しているところだったので、野営地に残った。
「あー! ちょっと嬢ちゃん、クルーの実、入れ過ぎじゃねぇの!」
「え? あ、ちょっと、アルマぁ、それピリピリするからやだぁ!私、今日のスープ食べないから」
「平気、平気。これくらい香辛料が効いてるほうがうまい」
鍋を置いている焚き火の場所から、何やらリュジーとキャレリーの悲鳴が聞こえてきたが、ウーリャとエースはかまわず野営地を出発した。と、しばらくしたら後ろからケンジが追いついて来た。
「歩き回って平気なの? もう少し休んでたほうがいいんじゃない? ケンジ」
「……うるせ〜。お前はオレの母親かよ〜?」
「え!? そ、そんな! は、母親だなんて!」
「ケッ、意味わかんね〜〜。なんで赤くなってんだよ、気色わり〜な」
「い、いいのよ。ママって呼んでも。ケンちゃん」
「死ね、ババア」
歩きながらウーリャと言い合っているケンジに、エースは笑みを浮かべた表情で聞いた。
「ケンジ、このマントを着ているときにスケルトンに出くわしたら、どうすればいいんだ? 息を止めるとか、声を立てないとか?」
「いや、特に何もしね〜。そもそも街の亡者たちは襲ってこね〜」
「え? 私たち、普通に毎回襲われてたけど」
ケンジの言葉に、ウーリャが口を挟む。
「そ〜なのか〜? んじゃ、それがこのマントの効果なんだろ〜。あの丘の亡者だけだわ、実際にオレたちを攻撃してきたのは」
「そっか。これがあると、これからの旅程がだいぶん捗るな」
「……」
エースの言葉に、ケンジが一瞬黙った。歩みも止まった。
「……オレは、まだタザランド城には帰らね〜」
「……わかってるよ」
「じゃあ、どうすんだよ? お前らはオレたちを連れて帰らなきゃいけないんだろぉ?」
ケンジが苛立たしげに声を荒げた。
「いや……まぁ……」
微笑みを浮かべたまま、エースがちょっと困ったように言葉を濁す。
「俺たち、お前とグンナーを探して連れ戻すって軍議で願い出たんだけど」
「……軍議ダァ?」
「許可されなかった」
エースが軽い口調で言った。
「それで、軍を抜けてきちゃったのよ」
てへっと笑いながらウーリャも言った。
「……はぁ!?」
ケンジが絶句した。絶句したあと、必死の形相で二人を罵倒する言葉を探しているケンジの混乱した表情を見て、エースとウーリャが笑った。
「青の塔の子どもたちが聖地に行って精霊儀式を受けることについては今さらどうこう言わない。だけどさ」エースが真面目な顔になってケンジに言う。「聖地で精霊儀式を受けられたとして、俺は、お前がその後で盗賊にいいように使われるのだけは認めない」
「そうね。儀式が済んだら首根っこ掴んででも連れて帰るわ。軍の懲罰房にでも放り込まれればいいのよ」
「ウーリャ、それ、俺たちも入れられるやつ」
エースが言った。
「ふふ、ほんとね」
「いや『ほんとね』じゃね〜だろ〜。バカじゃね〜のお前ら〜? ど〜すんだよ〜? 抜けちまって?」
焦りと怒りと困り果てた表情を一緒に顔に浮かべたケンジが無意味に手を振りながら、がなる。
「お、ケンジ。そろそろ廃墟が近いぞ。いくらマントがあるからって、油断するなよ」
エースがケンジをなだめるように話題を変える。
「あてにしてるわけじゃないけど、私たちの行動は一応、領主様が黙認されてる件なのよ。領主様の立場もあるだろうから、実際にはどうなるかわからないけど」
ウーリャが、ケンジに笑いかけながら言った。
「はっ!? 領主だぁ!?」
ますます話の経緯がわからない、という表情のケンジだったが、二人はそれ以上彼に何も言わず、目の前の廃墟に意識を集中させた。
✁ ✁ ✁ ✁ ✁
城下町の端に踏み入ったところで、ウーリャが廃墟の中の何かに気づいた。
半壊した大きめな建物の、奥まった内部へウーリャが迷わず侵入し、すぐに奥から二人を呼んだ。
廃墟の中には一人の男がうつぶせに、その横には巨大な獣が寄り添うように倒れていた。三人が近寄って眺めると、その男は大人と見間違えるほど上背があるが、まだ年若い少年であることがわかった。
「メテオだ」
少年の背中を覆う長い髪をかき分けてその顔を覗き込んだケンジが言った。
「あの時、アルマを襲ったヤツだな」
エースがドゥラルー近郊でのことを思い出して言った。
「そうね。やっぱりこれがギャリソンの頭なのね……、ん?」
ウーリャが少年を見下ろしていたが、ふと、何かに気づいたように口をつぐんだ。
少年も巨大な獣も、ピクリとも動かない。
「死んではいね〜な。だが身体が冷てぇ。死にかけだ」
ケンジが少年の髪に触れたついでのような気軽さで傷が比較的浅そうなほうの腕に触れ、その脈をとった。
「剣で切られた傷と、なんだこれ? 全身が打撲と擦過傷だらけだな。手足がつながってるのが不思議なくらいやられてんな〜。あ〜……こっちはちぎれかけてら〜」
ケンジは諦めかけた口調だ。
エースは手を触れずに少年の身体を仔細に観察している。ウーリャは少年を眺めて何かを考えていたが、しばらくしてその近くに横たわる獣に視線を移した。
「私が感知したのは、この獣の熱量よ」
倒れているのは数刻前に野営地にコルグを運んできた水色の獣「メクシ」と同じような巨大さの獣だ。猫科の猛獣を思わせる形状も同じだが、決定的に違うところはその色だった。メクシが美しい水色だったのに比べて、こちらは燃える焔を身体にまとったような鮮やかな赤と金色の混じった毛並みをしている。
「この子と獣の両方を野営地まで運ぶのは無理だよな」
エースが倒れている一人と一匹を見て言った。
「私に考えがあるの。さっきボルグがメクシっていう獣のことをを水の精霊の眷属って呼んでたわよね? そしたらこれはたぶん、火の精霊の眷属よ。だってこの人、青の塔の城砦橋で火の精霊力を使ってた。あれ、でも……瞳は黒かったけど……」
ウーリャが話しだしたが、話しているうちに自分の考えを否定する事実を思いついて言い淀んだ。
「んで〜?」ケンジが険しい表情で続きを促す。
「……私の精霊力も火だから眷属に『火の精霊力を分け与える』みたいなことができないかなって」
「できるのか?」エースが言った。
「眷属を見たのも初めてだし、思いつきだからやってみないとわからない。だけど、もし治療ができたとして、……この獣を従わせることができる確証はないのよね。獣が復活したおかげで私たちが危なくなったらごめん。でも、(やってみたいから)ちょっとやってみるね!」
「まてまてまてまて〜ぇ?」
ケンジが止めるが、ウーリャは聞いていない。そしてさっさと獣に手のひらをあてた。
「確かになぁ? メテオには火の精霊の眷属がついてる。ワイっていう名前の小さい金色の猫だ。だが、こんなデカいやつは見たことね〜ぞ〜?」
「あ、なんかできるかも!」
「聞けよぉ!?」
ウーリャは真剣な顔をして手のひらを獣の横腹にあてて、獣の体内に精霊力を注いでいる。
エースも、わめいているケンジも、ウーリャを止めるそぶりは見せずに成り行きを見守っている。
ほんのわずかな時間ののちに、赤い獣の腹が大きく上下しはじめた。獣は大きく呼吸を繰り返した後で不意に首をもたげ、目を開けた。そして数秒の静止ののちに、のそりと身体を起こして立ち上がり、メテオに歩み寄った。と思うと背中の毛並みがするりと伸びてメテオに絡みつき、その背中を掬い上げるようにして少年を自分の背中よりも高く持ち上げた。赤い獣は、水色の獣メクシがしていたのと同じ要領で、毛束のようなベルトをメテオの動かない身体に巻きつけ、その身体を自分自身の毛並みのよい背中に固定した。
そして、赤い獣はメテオを背に乗せた状態でウーリャを振り返った。その様子は、まるで彼女の指示を待っているようだった。
「も、戻ろっか」
「そ、そうだな」
戸惑いながらエースに声をかけたウーリャに、エースもなんだか落ち着かない感じで答えた。
緊張が解けたせいか、はたまた呆れなのか、ケンジがはぁ〜とため息を吐いたが、何も言わず二人に続いた。
少し離れた荒地で数名のスケルトンが鍬を振るっている。それを驚きの表情で眺めながらエースが野営地に戻るべく歩いて通り過ぎていく。エースの横をケンジが歩き、二人の後ろをウーリャと赤い獣、という並びで野営地に向かった。
「本当にスケルトンが襲って来なかったな」
エースが手でマントに触れながら感慨深げに言った。
「そのさっきから言ってる『すけるとん』ってのぁ、なんだよ?」
「アルマが亡者をそう呼んでたのよ」
「……そんなこったろ〜な」
亡者がいる廃墟を抜けて、野営地に近づいた。
「ねぇ、ケンジはそのマントをいつもらったの?」
「トリブに上陸した二日後くらいだったか〜?防御になるから絶対に脱ぐなってさ」
「バージアの城に立ち寄ったのか?」
「いやオレは行ってね〜。だがメテオとコルグの二人は上陸してすぐにどこかへ行ってたみたいだから、おそらくその時にバージアの城で調達したんだろうなぁ。オレらは上陸地点でメテオとコルグが戻るのを待っていたんだぁ。メテオは上陸地点に戻ってきて皆にマントを配ってよぉ。城の亡者どもについて『マントがない者を見ると攻撃してくる』って言って、オレたちのことを脅してたな〜」
「なるほどな」
「その時に、オレはメテオとボルグ兄弟が怪しいなって思ったわけよ〜。あいつらだけは、最初からこのマントを着てた」
「うん? 最初から?」
「ああ。青の塔で引き合わされた時からな」
「……」
「あいつらは、このベノアの出身らしい」
「そうなのか?」
エースが驚いて言った。
「ああ。……だからなのね」
しかし、ウーリャはケンジの言葉を聞いて、妙に納得したようにそう言った。
三人が話しながら野営地に近づいた時、戻ってきた三人と獣を目にしたボルグやリュジーらが遠くから駆けつけた。
「頭!」
「メテオさんだ」
「うわ……ひどい傷だ」
ゼブレイの丘の麓にある野営地に到着すると、皆が赤い獣の周りに集まった。赤い獣が細心の注意を払いながらメテオを地面に降ろすと、大人たちがメテオをすぐに焚き火の側へ運んだ。アルマも今度は助けるかどうかの許可を得ることなく、すぐに治療に取りかかった。赤い獣は、その場から立ち去らなかった。しかし、一仕事終えたとでもいうようにずいぶんとくつろいだ様子をみせた。赤い獣はメテオを寝かせた焚き火の近くにゆったりと寝そべると、ふんふんと鼻をひくつかせながら焔を眺めた。
ケンジがボルグと話している。そばにはリュジーらもいる。
「じゃあ、やっぱりあのでかいのがワイなのか〜?」
「おそらく。頭の猫たちは姿を消したり現したりできる。姿を変えることもできるだろう」
「そもそも頭には、火と水の二つの精霊の眷属がついている」
とボルグが話し始めた。
「水の精霊の眷属メクシはめったに姿を現さないが、ごくまれに水色の猫の姿をとることがあった。一方で、火の精霊の眷属ワイは大体いつも金色の猫の姿で、頭の髪の毛の中に潜んでいることが多い。ワシはワイやメクシが巨大な獣の姿になるところはこれまで見たことがないが、お前たちが言うように水色の巨大な獣がコルグを運んできて、今もまたこうして同じような巨大な獣が頭を運んできたということは、おそらくこれがいつも頭と一緒にいる火の精霊の眷属のワイだ」
「メクシもワイも、コルグやメテオさんを運ぶためにこの姿になったってことか」
リュジーもボルグに半信半疑な様子で尋ねた。
「んで、ボルグ。メクシは今も姿を隠してるってことか? 頭の近くにいるのか?」
「知らん。頭が目を覚ましたら聞け」
ボルグはリュジーの質問にぞんざいに答えた。リュジーは大げさに眉を上げてみせた後、その口をつぐんだ。
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横たわるメテオに黙々とまじないをかけていたアルマだが、ほとんど手応えを感じないことに焦りを感じて手を止めた。アルマは焚き火から白い煙が出ているのを眺めると、メテオのそばに座ったまま、近くに置かれていた木の枝をいくつか燻る焚き火に放り込んで風を送る。入れたばかりの枝が風に煽られてパチッと音を立てて燃え上がり、焚き火全体の火力が戻った。
——まじないの不調ではない。
思うような風が起こせたので、アルマはそう考えた。焚き火の向こう側には、赤い毛並みの巨大な獣がいる。ギャリソンの男らから「ワイ」と呼ばれるその獣は、前足の上に首を乗せて、寝そべったまま穏やかな眼差しで焚き火を眺めている。火の精霊の眷属だから、やっぱり炎が好きなんだろうか、という疑問が一瞬だけアルマの頭をよぎったが、またすぐに横たわるメテオに視線を戻した。
——外傷はなんとか塞いだり繋いだりしたけど、体内の傷にはまじないが届いていない。どうしてだろう。この人にはまじないの効きが非常に悪いようだ。体の内側に何かの壁があるのかと思うくらい力が届かない……。
せめて表面だけでも、とアルマのまじないで身体を浄化されたメテオは、生々しさの残る傷跡を除けばただ健やかに眠っているだけのように見えた。アルマはなけなしの毛布を集めてきてメテオにかけた。隣に寝かせているコルグとオシンの二人については、あとは体力の回復を待つだけでじきに目が覚めるだろうという予感がある。しかし、メテオに関してはまるで安心できない。アルマにはもう打つ手がない。
——苛立っても仕方がない。私も休もう……。
その日、まじないを使い過ぎた自覚があったアルマは、その場で毛布にくるまって目を閉じた。




