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ベノアの城に異変が起こる前夜に、時はさかのぼる。
ケンジが丘の野営地への敵襲に気付いてから、どれほど時間が経っただろうか。まだ十数分なのか、数時間が経過したのか……。彼は暗闇の中、マントで全身をすっぽりと覆い、鞘に収められた剣を握ったまま全身全霊で身体を縮こめている。
ケンジが横たわっているのは地面の上。昼間ですら薄暗いモヤに覆われたこのトリブ地方では、夜に月明かりなどというものは期待できない。焚き火が襲撃者に消された今となっては、マントの中も外も区別がつかないほど、何の光も届かない。
真の闇ともいえる圧倒的な暗黒の中で目を覚まし、黒いマントから手足を出すどころか、髪の毛の一本すら出るなとただひたすら身体を丸めている。足の痺れなど気付きもしないくらいの極度の緊張状態でケンジはひたすら耐えていた。
周囲にはまだ仲間がいるはずだ。しかし互いに仲間の存在に気を配る余裕はない。生きてそこにいるならばその全員が、自分と同じように息を殺して縮こまっていることだけは確信をもっている。彼らの心を占める恐怖はその他の思考を乱しているに違いない。
——今夜の見張りはフィリーだったよな〜。まずやられたのはヤツだろ。焚き火の近くで眠っていた者もおそらく何人か。ギャリソンの大人たちが襲撃に気付いて大乱闘になっていたが……まさかあいつら、全滅したのか? 鎧が歩き回る音以外、何も聞こえね〜。青の塔のやつらにも、一緒に飛び起きて反撃を試み奴がいたな……たしかティンダルズだったか?指示を飛ばす声がしてたが……。
まとまらない頭でケンジが思った。今は呻き声すら聴こえない。
——ぜってぇここが墓とかだったんだろ〜。襲撃者は鎧を着た亡者だ。兵士か、名士の墓所だったって話だろうな……ど〜せ。しかもかなり熟練の武勇をもつ者の……。
すぐ横で、重い物が草を踏む音と鎧がこすれる音がする。
ケンジは呼吸すら忘れて気配を隠す。
——動いたら殺される。くそっ、拠点にする場所間違ってんじゃね〜か〜。隠れることしかできねー……。弱虫? オレが? いや、そもそもここを合流地点にしようとしたやつが愚かだったんだろ〜。いやだ、死にたくねェ。オレは、オレは弱虫じゃね〜ぞ。……今だ。今反撃すればもしかしたら。
自分の心臓の音が鳴るたびに後悔と蛮勇がごちゃごちゃに混ざった感情が胸に押し寄せる。遠ざかったと思ったらまた同じような足音が先ほどと同じ方向から聞こえる。襲撃者は何人もケンジらの間をうろついている。反撃を試みていたギャリソンの配下の者らのかけ声や断末魔が、もうずいぶん昔のことだったように何度も何度も脳裏に蘇り続ける。
——寝込みを襲われたヤツはマントを外していたか、身体をマントから出していたか……。運が悪かったよな〜。そう、運だ。そして起き上がって反撃しようとしたヤツらはみんなやられちまった。オレは卑怯者か? もし無防備に寝ていたのがオレだったら。いや、死んだヤツらは運が悪かっただけ。それとも、……オレが反撃にでていたら助けられたのか? 無理だ!
——なぜ? オレが闇の子だから……?
トリブ地方に入ってから、ギャリソンの全員がメテオから配られたこの黒いマントを身につけていた。聞けば亡者らが身につけているものと同じ種類のものなのだとか。不思議とこのマントを着ていると亡者の関心を惹かなかった。亡者らは、同族が身につけるこのマントには敵意を示さないのだそうだ。
何日か前からベノア城下に潜入して城の様子を伺っていたメテオらだが、メテオの登城を機に別行動をとっていた。メテオと配下らは昨日から見晴らしのよいゼブレイの丘と呼ばれるこの丘を拠点とし、メテオが城からもどる際の合流地点にすることに決めた。
しかし、亡者らがいないと思い込んでいた丘の上は、夜になると鎧の亡者で溢れかえった。墓標などそれらしいものには誰も気づかなかったが、おそらくは地元で武勇を誇った者らの塚がある場所なのだろう。丘の上の亡者は、城下町で見かける領民風の亡者らと比べても段違いの強さが伺える、風格のある鎧をまとっていた。
その鎧の亡者らが、自分たちの領域を侵した他所者を排除しようと、今も丘の上を粛々と歩き回っている。
——ここはメテオの地元なんじゃね〜のか! ボルグやコルグなら知ってたんじゃね〜か。ここがそういう場所だって。
誰かを恨むことで自責の念と恐怖心を昇華しようと、ケンジがイライラと考える。
丘の上にいた者たちは、反撃を試みた者とマントを活用して身を潜めた者とで明暗が分かれてしまったようだ。ボルグの声でマントを被るよう指示があったが、それっきり彼の声も聞こえなくなった。声を発したことで鎧の亡者にやられてしまったかもしれない。
何時間が経ったのか、鎧の亡者らは今も丘の上を彷徨っている。朝まであとどのくらいこうしていなければならないのか……。
——だが、このままおとなしくマントに隠れていれば、朝まで生き延びることができるだろ〜
そのことだけがケンジにとって明るい未来へと続く道標だった。
しかし、その時だった。さまよってた亡者の物音に、激しい衣ずれの音に続き鈍い打突音と「ウッ」っというくぐもった声が続いた。
——あぁ、また隠れていた誰かが……
それから、誰かが抵抗している激しい剣戟の音が響いた。そして、ケンジのほうへ足音が近づいたかと思った瞬間に、走っていた誰かがケンジの脇腹を思い切り踏みつけた。
「おわぁっ」
踏んだ本人も驚いたようで、大声を上げ、たたらを踏んでケンジの横に大きく転んだ。
息を大きく飲んでなんとか声を噛み殺したケンジだが、追ってくる亡者の足音が近づいてくることに気づいた。オレを踏んで吹っ飛んだのは誰かとわずかにマントを上げて見たが、暗闇で何も確認できない。
転んだ者の激しい息づかいが少年のそれであるようで、おそらく青の塔の闇の子だろうと見当を付けたが、近づいてくる鎧の亡者がケンジの真横にまでせまっていた。
——このまま息を殺していれば、オレは生き残れるかもしれない。でも、こいつは……
ガチャリ……ガチャリ……
先ほど少しマントを開けたせいで、血の匂いがケンジの鼻を掠める。
鎧の亡者がケンジのマントの裾を踏んで通り過ぎた。
——そこか〜〜〜!
反射的にケンジは立ち上がって亡者の胴がある辺りに見当をつけて剣を振るった。金属に当たる音が鋭く響き渡り、鎧の亡者の気配が少し揺らいだ。が、鎧の亡者は倒れない。
——重いじゃね〜か。……てか、終わったな、オレ。
暗闇の中ではっきりと姿は見えないが、重厚な鎧は亡者のそれとは思えない重い手応えを感じさせた。周辺にいた亡者たちが鎧を鳴らしながら、あちこちから歩み寄ってくる気配を感じる。俊敏さがないだけ助かったと思うが、音と気配だけを頼りに剣を振るうのは至難の業だ。
「だ、誰だ?」
ケンジの後ろの闇から、声がかかった。剣戟の音で人の気配を感じたのだろう。
「その声は〜〜パダーか?」
「! ケンジか? ごごごめん、踏んじまって」
「ほんとだぜ〜。あのまま隠れてたらオレは生き残れてたってのになぁ〜」
「!」
ケンジより一年若いパダーは、言葉になっていない情けない音を出した。時々すすり上げている。先ほどの物音から考えると怪我もしているだろう。
「冗談だぜ〜。アイツを斬ったのはオレの意思だ。泣いてね〜〜でお前も剣を振れ」
「……持ってない。打ち飛ばされて……」
「まじか」
二度目の「終わったな」を心の中で呟きながら、ケンジは目の前にいる亡者の打撃を剣で受けたが、受けた角度が予想とズレていて、衝撃で体勢を崩し、少し離れて立て直す。地面に擦るような足運びで移動しながら、足元にあったはずの荷物を足で探すが、亡者がもう一体現れたらしく別方向からの槍状の打突を受ける。
——渋いぜぇ。荷物に短剣と小型のランタンがあるんだが見つかる気がしねぇ〜。
「パダー、オレがここで騒いでっからお前はマントぐるぐる巻きにして逃げろぉ〜? どっかで静かに隠れてろ」
「! わかった。ケンジもすぐ逃げろよ」
「おう」
パダーはあっさりと逃げた。自身がケンジの足手まといにしかならないことがわかったのだろう。
周囲の鎧の亡者が何体いるのか、無我夢中で切り結ぶ。暗闇での闘いに慣れてくると、小さな物音で自然に攻撃が来ることがわかってきた。どんな攻撃がくるか、音の違いを掴みかけたところで、ケンジは複数の鎧の亡者の攻撃を同時に受けて、そのうち一体から背を斬られた。
「うるあぁ!」
ケンジは手を止めず、あたりかまわず大きな声を上げて亡者を撃つ。
周囲にいる鎧の亡者の数が増えていたが、騒いだ甲斐があったのか、いつの間にか味方にフロイドが加わった。ケンジと同様に隠れていたのに、出てきたらしい。
「フロイドか? 隠れて泣いてたんじゃね〜のかぁ?」
「お前がうるさくて寝ていられなかったんだよ」
フロイドが「黙って隠れてりゃいいのに」とぶつくさ言いながら剣を振い始めた。見えないながらもなんとかケンジの後ろを守ろうとしてくれている。背を預けられるだけでかなりの安心感だ。
その時、突然至近距離から灯りが照らされた。
眩しさに目をくらませたケンジとフロイドが数秒ののちに見たのは、周りをぐるりと囲んでいる鎧の亡者たちの姿だった。すぐに光源の方向から「わっ」という声とガシャンと物がぶつかるような音が響いて、灯りが消えた。
「オシンか?」
フロイドが尋ねる。鎧の亡者たちが一斉に灯りの方向に向かっていくのが一瞬見えたので、おおかたランタンでも破壊されたのだろう。
「そうさ!二人が頑張ってるのに隠れているのも、ね」
かなり至近距離で剣戟と声が聞こえた。
「ランタンを壊されたのか?」
「うん。いいんだ。ケンジたちを探すために一瞬もてばいいかなと思っただけだから!」
「頭がいいのか悪いのかわからんな!」
フロイドと話しながらオシンは剣を盲滅法に振るっている。しかし、同士討ちを避けるように声を出しながら適度な距離は保って闘っているようだ。
「硬い! 斧が欲しい、な!」
意識して居合の声を上げながら剣を振るうオシンがぼやいた。
「鎧のヤツを倒して奪うんだな」
フロイドが言った。
「おまえら黙って戦え〜? 敵の攻撃が聞こえねー」
「ケンジが騒いでたくせに」
「ま〜な〜。誰か起きてくっかなと思ってよ〜」
そう言ってケンジはフッと笑ったような音をもらした。
戦況は好ましくなかった。鎧の亡者が一人として倒れないからだ。少年らの力ではパワー不足だった。闇の中では急所を突くのも難しく、そもそも亡者に急所があるかどうかもわからない。どんなに鋭い剣を持っていたとしても、闘い方が見出せなくては埒があかない。
「ギャッ」
日頃の軽い口調からは想像できないような声をオシンがあげた。攻撃を受けて倒れたようだ。
「怪我したなら離れてマントかぶってろ!」
余裕のない口調でフロイドが声のしたほうへ向けて叫ぶ。返事はない。
するとその時、あさっての方向から甲高い叫び声と打撃音が鈍く響いた。
「わあああああああー」
叫び声は途切れることなく叫びながらあちこちで鎧の亡者を薙ぎ払って走っているようだ。
「おい誰だ?」
フロイドが誰何する。
「あああああ——!ケリーだぜええええええええ」
走り回る叫び声の正体は青の塔の闇の子、ケリーだった。これで砂鉄採取の十四歳トリオが揃ったな、とケンジは考えた。
——もっとも、オシンが死んでなけりゃだけどな。
「ケリー、お前何もってんだ〜〜?」
ケリーの突破力が剣ではないことを感じ取り、ケンジが叫ぶ。
「斧だぜ!オレの力じゃ転ばせるくらいしかできないけどな!」
離れたところで立ち止まったケリーが、はぁはぁと息を切らせながら叫び返した。
「オシンがぼやいてるのが聞こえてさ。ふと近くを通り過ぎる亡者を盗み見たら斧持ってたのよ? 腕に齧り付いて斧を奪って、この通り逃げ回ってるんだぜ」
「いや、見えね〜だろッ!」「見ただと?」
ケンジとフロイドが即座に反論する。
「あ〜、すごく近かったからかな? ほら、月明かりあるからだろうな?」
「月なんかねーよ!」
「近くても何も見えないぞ!」
ケリーは「え?」と絶句したが、また亡者に追われて走り出す。
「お前ら、見えないでどうやって戦ってるんだ?」
ケリーはケリーで困惑しているような声を出した。だがすぐに合点がいったように呟いた。
「あー、そういえばオレ、ちょっと瞳の色が明るい黒だからかな! うわああああああ!」
「知るかよ〜!」
ケリーの呟きは語尾が叫び声になり、遠ざかった。斧を振るって走り始めたようだ。
——確かに、ケリーは精霊儀式を受けてもいないのに、茶色っぽい目だったからよく土の精霊使いと間違えられてたって言ったっけ。
ケンジは思い出した。実際には、ケリーの瞳は黒に黄色のごく細い筋が混じったような変わった色をしている。そして、小さい頃からよく目の色をからかわれていたという。
ケリーが走り回り始めた。と、思ったら転んだか攻撃をくらったのか、遠くで「ウグッ」という声とともに声がやんだ。
「ケリー、大丈夫か〜?」
ケンジが剣を振るいながら呼びかけるが返事はない。
「やばいな」「あぁ」
ケンジとフロイドは息を合わせてなんとか動いているが、限界が近い。
——ギャリソンの配下は一人も出てこねー。隠れているか、逃げたか。……死んだか。
丘を降りられたら強い鎧の亡者からは逃れられるだろうが、周りを包囲されているようだ。
フロイドは出血がひどい。近くから血の匂いがケンジの鼻にずっとまとわりついている。
ケンジも小さな傷はあるが、それよりも打撲で骨がやられているようで動きが鈍く、腕の腱が逝っているのか痺れも回復しない。
……防御に徹するだけで打開策などない。このまま二人で丘を降りながら包囲を解こうと思っていたが、すでに方向感覚を失って久しい。
——このままではジリ貧……
どちらかが膝をついたら最後、という状況で何とか身体を動かしている二人から、かなり離れた場所で、太陽が昇った……かのように思えた。
「おわ、何だあれ?」「あぁ?」
ケンジは声のした後方を向いた。頭から血を流して剣を構えたフロイドが見えた。その向こうには硬直する鎧の亡者どもの姿も。フロイドの視線は斜め前方の上空を眺めている。
——見える……。ボロボロじゃね〜か、フロイド。
フロイドにつられてケンジも光の指す方角を見た。巨大な光がスルスルと移動しながら天頂に至り、神々しく輝いている。
手の届かない光に晒されて、鎧の亡者らが溶けるように地に潜っていく。あれほどいた亡者がすっかりと姿を消した。あたりはまるで朝が来たような輝きに晒されている。トリブ地方に来て以来、毎日毎日昼も薄暗い日々を送ってきたケンジたちにとって、突然天頂に現れた太陽なんて、怪しさしか感じない。遠くに目を向けると、丘の下まではその光は届いていない。太陽ほど高くもなく、大きな光源でもなさそうだ。
敵の姿が消えたが、ケンジとフロイドは剣を構えたまましばらく周囲を見回していた。離れた場所で、いくつかの黒いマントからぴょこぴょこと頭がのぞいて、同じようにあたりを見回している。そして、動かない黒マントもいくつか見えた。
丘の中腹から息を切らしながら人が登ってくるのが、物音でわかった。
——メテオさんか? 助かった……。いや、まだ気を抜くな。
ケンジが剣を構え直したところで、呑気な声が聞こえた。
「おー、いるいる」
「!?!? エース?」
「あら、敵は? へー、ケンジいた。ボロボロじゃない。」
「ウ、ウーリャも?」
ケンジは信じられない人物らを目にして、目を見開いている。アルマとキャレリーも後ろから登ってきたのを眺めて、混乱した様子だ。エースらが丘を登り切って、ケンジに近づいてきた。ケンジの様子を観察した後、エースは首を傾げて一言だけ言った。
「大丈夫か?」
ケンジはそれには応えずに、ハッとしたように周りの生き残りたちを目で探し始めた。
「オシン? パダーは? ケリー?」
「ここにいるぜー」
即座にケリーの呑気な声が返ってきた。離れたところでなんとか起きあがろうとしている。
「パダー?」
「……ぶじだよ……」
さらに遠くから、微かに声が聞こえた。




