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声を抑えて泣いている少女を尻目に、エースがキースに声をかけた。
「領主様、ケンジとグンナーを連れ戻すために追跡する許可をください」
キースは思案して言った。
「……ドゥラルーの港町で船を手配すればウニュ河を渡ることはできるだろう。しかし問題は向こう側についてからだ。対岸の状況がわからない現状で、俺は深追いするメリットを感じないが?」
その言葉を聞きながら、エースがハッとした。
「そうだ、あいつら……!! 領主様、盗賊は二日前にドゥラルーに着いており、一帯の船を焼き払ったようです」
「なんだと」
「市場で聞いた話によると、動かせる船は残っていないそうです」
「……追いかけようにも船がないわね」
ウーリャがポツリと言った。
「よくも俺の船を……」
キースが地を這うような低い声を出した。
ゾクゾクと冷気が漂い、思わずキャレリーも泣き止んでキースを見つめた。
「船を追うなら急がないと……。対岸に渡ったら消息を辿るのが難しいかもしれない」
アルマがつぶやいた。青の塔からの鳥の目で追えたのは、「船」「川下」「ドゥラルー方面」と見当をつけることができたためであって、陸路をしらみつぶしに探すのは骨が折れそうだ。
「領主様。船に居るとわかった以上、俺はケンジを見捨てることはできません。青の塔の協力を得るためにも、ここでグンナーを見捨てることも得策ではないと思います。近隣の街を回って、船を集められるか探してみるつもりです」
「並の漁船ではウニュ河を渡れない。船を探すにも時間がかかるだろう。見つけたところで借りられるとも限らん」
キースが抑揚なく答える。今度はウーリャが口を開いた。
「私もケンジを追います。彼に何かあれば父親であるヴィクトール総隊長が悲しみます」
「……愚かな。俺にはあいつが自分の意志で班を抜けたように思えるが」
「そ、それは……」
ウーリャもエースも、そこは確信が持てない。二人は口ごもった。
「あの……」
沈黙が続くなか、小さな声を上げたのはキャレリーだ。視線の先にはキースがいる。辺境で育った子どもであるキャレリーにとっては「領主様」と呼ばれる人物の立場はよくわからずとも、この場を統べる人だと思ったのだろう。
「私も……連れて行ってください! 私、どうしても精霊力を手に入れたいんです!」
「無理だ」
にべもなくキースが切り捨てる。
気弱そうに両手を胸の前で握りしめて、キースの一言で一気に涙をこぼした少女だが、思いのほか強情だった。
「断られても、後ろから付いていきます!何年かかっても……」
語尾は涙声で消えてしまった。
「そもそも、君はどうして船を下ろされた?」
キャレリーに質問したのは、アルマだ。
「……わかりません。メテオ様が私の目を覗き込んで、“この子はダメだ、連れて行けない”って……。きっと、女だから……」
キースが静かに深い息を吐いた。
「……船なら、あるにはあるが」
「どこですか? その街に向かいましょう」
乗り気ではなさそうにつぶやいたキースに、被せるようにエースが言った。
「デュトワだ」
「「デュトワ!?」」
同時に声を上げたのはエースとウーリャだ。驚くのも無理はなかった。なぜなら一行が今いるのはタザランドのほぼ南東の端で、キースの言ったデュトワは領地の北東の端だった。ドゥラルーもデュトワもウニュ河沿いの街で、河沿いに南北の街道が整備されているとは言え、数日で行ける距離ではない。
「そういえば、領主様。なぜお一人なんですか? ヴィクトワール総隊長とかは……?」
「デュトワに置いてきた」
「置いてきた」
エースがうつけたような顔でキースの言葉を繰り返した。
「ウニュ河に沿って速馬の宿場が整備できている。襲歩で五分ごとに馬を替え、夜を徹して走れば二日でデュトワに着ける」
「五分ごとに馬を替える? ……二日間、競走馬のように走り続け…る……? うっ 」
想像しただけで吐きそうになっているのはウーリャだ。
「俺はそうしてここにきたんだが」
キースが淡々と言った。表情はほとんど変わらないが、ちょっと憮然としているかもしれないとアルマは思った。
「えぇ!? 領主様が走り詰めで……?」
エースが驚いて声を上げた。
「もちろん、ひと宿場ごとに交代で護衛を付けていたぞ」
「いや、そうではなく……」
モゴモゴとエースが口ごもった。
「なぜ、領主様はここがわかったんですか?」
のんきな口調で聞いたのはアルマだ。
「お前のいる場所は、なんとなくわかる」
「ふむ……そういうものですか」
アルマがちょっと考えるように応じた。
「ちょ、アルマ、そんなわけな……。いや……そうよね、私の常識ではこの二人は測れない、か……」
ウーリャが突っ込みを入れようとして、やっぱり諦めようとしてモゴモゴ言っている。
いや、でもなんで?領地の端から端まで離れていて、アルマの居場所がわかったってこと? ウーリャは混乱した。思わず長い黒髪をかきむしろうとして、エースに肩をポンポンと叩かれ正気を取り戻した。エースは生暖かい眼差しをウーリャに向け、貼り付けたような慈愛に満ちた微笑みを口元に浮かべ、フルフルと首を横に振っている。
竜がタザランドに飛来して以来、領主が何やら新しい力に目覚めたらしいことはもはや周知の事実だった。現に、水だけでなく炎や風の霊力のようなものを操る姿を見た者が多数いる。
一介の兵士である自分たちに、領主ら上位貴族様の考えることなど理解できないし、わかろうとするだけ無駄なんだよ……。
そんなエースの声なき声を聞いた気がして、ウーリャは反論を完全に放棄した。
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タザランド領の東の南端ドゥラルーから北端デュトワまで最速かつ激走の旅がはじまった。
全速力で馬を駆けさせて数分。ほぼ等間隔に敷かれた宿場ごとに馬を替えた。襲歩で走れるギリギリの距離で次の宿場に着くよううまく設計されているので馬を潰す心配はないが、頻繁に乗り換える必要があるので、乗り手にとってはなかなかに過酷だ。もう、百回以上は乗り換えたはずだ。
各宿場では先日、領主キースが単騎で南下したばかりだったので、またかとばかりに大慌てで係の者が飛び出してきて馬を揃えてくれた。
一行は馬を替え、また無心に馬を走らせた。
馬に乗れないキャレリーをどうするか、出発前にちょっとゴタゴタした。
馬に乗れないと置いていかれるのではと必死な顔をする彼女を尻目に、全員が“自分が乗せる”と申し出た。そこで、試しに全員が順番にキャレリーを前に乗せてひと区画づつ駆けてみることにした。宿ごとにキャレリーを運ぶ人足を雇うことも考えたが、意外なことに彼女が最も快適さを見出したのは、領主キースの鞍上だった。
そんなキャレリーも、乗り換え回数が数百を過ぎて最初の休憩をとった時にはひどく疲れてぐったりしてしまっていた。
「半分は過ぎたな」
宿場の休憩スペースでのびているキャレリーを眺めながら、壁にもたれて床に座っているキースが
つぶやいた。キャレリーの横にはウーリャとエースが一言も喋らずに仰向けに転がっている。
アルマはそれぞれの上に身をかがめては、回復と浄化のまじないを使った。自分にも使ったので動けてはいるが、疲労はかなり感じている。アルマはふと、キースは自分で自身を回復し終わっただろうかとうかがうようにキースに目を向けた。
キースは壁にもたれたまま顔を伏せている。
三人にまじないをかけ終えたので、アルマはキースの隣に行った。
「領主様は疲労の回復は自分でできますよね?浄化だけでもしましょうか?」
キースは、気だるげに顔を上げるとアルマの顔を静かに見つめた。
「領主様?」
返事がない。これは疲労回復ができていないのか? それとも……
「キース?」
「両方頼む」
——無言で名前呼びを強要されている……。
「自分でできるでしょう……」
そうブツブツと言いながら、アルマは回復と浄化のまじないをキースにかけた。それからキースに並んで壁にもたれて座った。
「……楽になった。ちょっと肩貸せ」
キースは隣に座ったアルマの肩に、容赦なく体重を預け頭を乗せてきた。
——む? まだ回復し切れていないか。キースだけ往復で、しかもキャレリーを支えながらの騎乗だもんな。
「肩と言えば、……メテオ様とかいう奴の肩のところを見ましたか?」
「様は、いらんな」
「メテオとかいう奴の肩に何か見えました?」
「……なんで俺だけ……」
「え? なんて言いました?」
少しの沈黙の後、何か小さな声でキースのつぶやきが聞こえたアルマは、質問の返事を聞き漏らしたかと急いで聞き返した。キースはアルマの肩にもたれているので、その表情はアルマには見えなかった。
「なんで……俺にだけ敬語なんだ」
——え、そこ?
「ええと、」
「俺よりも後に会った二人とは普通に話せて?」
「それは、あの、キースにタメ口をきくと組織のヒエラルキーというものがデスネ、……」
気のせいではなく冷気が漂ってきて、疲れた身体に心地よい……ではなくて。身体を起こしたキースの整った顔が近づき、怒気をはらんだ眼差しが真っ直ぐにアルマの瞳を見つめてくる。こいつ、なんか変な色気あるな、とアルマの視線も思考もあさっての方向に逃走しようとしている。
もう、考えるのが面倒なので、口調の乱れは疲れのせいにしてしまおう。
「はぁ……。メテオの肩に金色の猫がいたの見たか?」
「猫じゃない」
「うん、そうなんだ。私もそう思う。私にはあの生き物の中に炎が見えた。あれは一体なんだと思う?」
……キースは先ほどとは打って変わって涼しい顔で、ちょっと思考を巡らせてから答えた。起こしていた上体を倒し、当然のようにまたアルマの肩にもたれかかった。アルマも疲れているので、全体重を預けてくるのはやめてほしい、と思う。
「あれは精霊だ」
——あれが? 精霊っていうのは目に見えるのか?
「見える」
——あ、また心の声が外に……
「いい、普通に話せ。あれは火と水の精霊だ」
「火は見えたけど……水の精霊? そんなのいたか?」
「一体しか見えてないか。どういうわけかわからんが、あの男の周りには二体の精霊がまとわりついている。よほど好かれる質なんだろう」
「精霊がまとわりつく? そういう人もいるのか……?」
「いや。俺も初めて見た。儀式の時以外は人の前には姿を現さないものだと思っていた。もしかすると精霊本体ではなくその眷属のようなものかもな。牧人のように」
「そうか……。牧人? 牧人ってなんだ?」
「パストラル山脈の森で見かけなかったか?樹の精霊の眷属だ」
「……いや、見てないな」
「……そうか。それのこともあるから樹の精霊力を使うハンホーを班に加えたつもりだったんだが。牧人は樹の守り手で、樹を切られることや火の使用を嫌うから、森での野営では気を遣う必要がある」
「どんな姿をしてる?」
「俺も会ったことはないが……樹木そっくりの姿で、自分の足で歩き回るらしい」
「樹木そっくり……?」
アルマは、パストラル山脈を旅した時のことを思い出した。そう、森の中で何度か嫌な視線を感じたんだ。
——精霊の仲間だから目あかしが使えなかったのか……。いや、ちがう。火の精霊は目あかしで見た。ということは、私の目には牧人が見えていたけど、樹木と区別が付かなくて見落としたんだ、たぶん。
あの時の殺意にも似た感情は……そうか。我々が森の中で銃火器を使用したから……!?
アルマはそこに思い至って、キースにその時のことを話そうと身体を起こしかけ、ふとキースの呼吸が深いことに気付いた。どうやら、眠ってしまったらしい。
アルマがそのままの体勢で見回すと、エースとウーリャとキャレリーの三人も、回復のまじないをかけた時と全く同じ姿勢のまま眠っているようだった。
——あと三十分くらい、寝かしとくか。起きたら話そう。それから、出発前にもう一度みんなに痛いところがないか確認しないと……。




