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「迎えだと?」
少年は眉をしかめた。先程までの驚きの表情がすぐさまなりをひそめ、不機嫌そうな雰囲気をまとう。心なしか冷気が立ちこめたように周りの空気が冷えた。
「はい。貴方様は、我がランゴム竜王国の現国王、マリクルス三世の母君であられる『マリクルス二世』前国王の生まれ変わりとお見受けします。不肖第七竜兵隊員アルマ、一年の年月をシグルトとともに貴方様を探して参りました」
「竜王国? ……生まれ変わり?」
少年がさらに眉根を寄せて呟いた。
「そうです」
アルマが頭を上げて少年の目を見つめた。
「ご自身でも記憶がおありのようですね?先ほどこの竜の名と、現国王の幼い頃の愛称を仰いました。もちろん私は一兵卒であり、恐れ多くも現国王とは別人ではございますが、一般的なランゴム竜王国の人間のようななりをしていますので」
「……」
少年はアルマを睨んだまま黙っていたが、つと視線を竜に戻し、吐き捨てるように言った。
「人違いだ。……確かにこの竜の名と、その女性の名が思い浮かんで口に出てしまったが」
少年は内心いぶかしんでいるように言葉を継いだ。
「……おそらく、貴様の髪の色が、この国では見たことのない色だからだ」
——その女性、と。
アルマの髪の色は蜂蜜に似た金色だ。そして、マリクルス三世は明るく豊かな金色をしている。
そしてアルマは、マリクルス三世が女性だとは一言も言っていない。
この少年にはマリクルス二世だったときの記憶があり、アルマの髪の色から、かつての自分の娘であったマリクルス三世の金髪を思い出したのではとアルマは考えた。
——つまり、国王の容姿についても記憶が残っている?
目の前の不機嫌そうな少年を見つめたまま王の容姿を思い出していると、ふと想いがそれて、郷愁にかられてしまいそうになったアルマは、急いで意識を戻した。
「そうですか。確かに我々はこのように金に近い髪をしている者が多くおりますし、国王はとても美しい金髪をしておいでです。こちらでは、この色は珍しいのでしょうか」
「ここでは皆、黒い髪をした者ばかりだ」
少年は一瞬視線を落としたが、再び目を上げた時には思慮深い光が戻っていた。
「……だが残念だったな。名前の他は思い出せない」
枯れた牧草の上を気持ちのいい風が吹き抜けた。
火薬が爆発したような火焔の匂いも流されて消えた。元の平和な風景が戻ってきたようだ。しかしその風景の中には特大の異物である竜が、大岩のように鎮座している。くつろいだ様子で首を休めている竜のせいで、あれほどいた家畜が今は影も形も見えない。遠くの丘に逃げて行ってしまったのだろう。
「俺はキース・タザランドだ。マリクルスなどという名ではない」
竜を正面にして立ち、目の端でアルマに視線を向けた。その温度を感じさせない眼差しに、アルマは凍った刀でも顔に突きつけられているような気がした。殺意に似た剥き出しの感情をぶつけられ、自分の命は彼の機嫌一つにかかっている事を思い知らされてアルマは背筋が凍った。
「そう言っても……お前は俺をその国に連れ去るつもりか」
アルマはぶんぶんと首を振った。
「わ、私は!私の使命は、調査なのです。王から先代の生まれ変わりを探す調査を命ぜられただけのとるに足らぬ存在です! 長寿の竜シグルトに導かれてここにたどり着きましたが、こうして貴方様を探し出すことができ、その方に前世の記憶も残っているというのがどれほどの幸運か!……どうか、タザランド様には現国王マリクルス三世の跡を継いで次期国王となっていただきたい、という私個人の願望で“迎え”と申しました!」
アルマは息を継いでまくし立てた。
「今の竜の王たるマリクルス三世には、竜に認められた後継者がおられません。竜たちは太古に血を分けたとされるランゴムの民から後継者を見出すのです。先代の王が崩御されたのは十五、いえもう十六年前になります。その時からずっと竜たちは新たな後継者の生命の誕生を感じていたそうです。おそらくそれがタザランド様、貴方です。竜たちは長年、竜の王を継ぐ者を探し求めて来ましたが、未だに見いだせておりませんでした。何千頭、いえ、おそらくは何万頭もの若い竜が我が国を去りました。皆、我が国から西の方角へと去りました。しかしタザランド様まで辿り着いた者はいない様子。おそらくは皆途中の荒地や大海で力尽きたのだと思われます。……貴方が彼の地で国を治めてくださらない限り、竜たちはここを目指して死の旅に出続けるでしょう。このままでは竜王国が衰退してしまうのです」
「やめろ」
キースが煩げに手を払って言った。キースは、竜の横に膝をつく痩せこけてうす汚い少女を眺めた。その両目はギラギラと自分を見ているが、彼女の両手は擦り切れて血にまみれている。キースは気付かぬうちに浅くなっていた息をフッと吐いた。
「調査か。つまり、このままお帰り頂いても問題ない、ということだな。俺はこのラシュビル国のタザランド領領主だ。ランゴム竜王国とやらへ行くことはない」
キースは竜に背を向けると、馬に戻り、部下に言い放った。
「ヴィクトール、そのガキを馬に乗せろ。帰城する」
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アルマはヴィクトールと呼ばれた背の高い柔和な目をした男と共に馬に乗って城へ向かうことになった。アルマは最低限の手荷物を預けるよう指示されたので再びシグルトの背に登ると、荷を取ってまた下へ飛び降りてヴィクトールの馬に向かった。途中アルマは、ふと歩みを止めてその榛色の瞳を翳らせながらキースに声をかけた。
「領主様、シグルトが申し訳ありません。ご領地の家畜を食べてしまいまして……。おそらく二十頭くらいだと思うのですが……」
すると隣にいたシグルトがフンッと鼻を鳴らした。
キースが何かに気付いたように眉をひそめてしばらくシグルトを見つめていたが、それからアルマの表情に目を走らせた。
「……気にするな。もっと大惨事を想定して駆けつけた。久しぶりの食事だったんだろう? これでその竜の食欲が来年まで収まるなら問題ない」
「えぇ、実は旅に出てから初めての食事でした。この種類の竜の食事は……そう、一年に一度で……ええと、あれ? ……と言っても、一度にこれほどたくさん食べるのも、珍しいんですが……」
キースの言葉に少しの引っかかりを覚えながらアルマは答えた。
「行くぞ。お前は……そうだな。城の西側の牧野へ飛べ」
キースが竜に向けて言った。
「待ってください!」
アルマが焦って言った。
「急に竜を城に近づけても大丈夫でしょうか?馬や人が恐慌状態になると、私もシグルトを完全には御せないかもしれません」
「大丈夫だろう。俺たちが城に着いた後でこいつが飛ぶなら、俺の城での通達が間に合う」
キースが馬の首を返しながら答えた。
「え?」アルマが言った。
「ん?」キースも同時に声を上げた。
「……領主様、もしかしてシグルトの声が聞こえてます?」
「貴様……聞こえてないのか?」
二人の声がかぶった。
——なんてことだ。やはりこの人は。何がなんでもキースをランゴム竜王国に連れ帰らねば。
竜と言葉を交わせるのは、アルマが知る限り現在はマリクルス三世のみだ。
アルマが決意を新たにしていると、馬上のヴィクトールから手が差し伸べられて馬の背に引っぱり上げられた。
キースの騎馬が歩き出した。
シグルトはゆったりと首をもたげると、羽を動かして飛ぶ身支度を始めた。
——シグルト操縦の主導権をあっさり奪われてしまった。いや、もともとシグルト主導の旅だったから私の言うことはほとんど聞いてくれなかったんだけど。
呆然とシグルトを振り返るアルマの顔を、ちらと横目で見たキースが無表情で言った。
「三十一頭だそうだ。食べた牛の数」
「……」
アルマは頭を抱えたくなった。
——マリクルス様、この方を祖国に連れて帰るのは私には荷が重いです。