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キースがデュトワ城に向かったのと同じ頃。
タザランド領の南西の端『青の塔』方面にて。
キースらが向かったデュトワ城はタザランド城から見て北東方向、領地の端に位置する。対して「青の塔」はタザランド城の南西方向の領地の端。デュトワと青の塔はほぼ対角線上に真逆の位置にある。デュトワ城から青の塔までは馬の並足で約20日分ほどは離れていた。
その青の塔に交渉班の一行が到達しようとしている。
まだ徒歩一日分は離れた場所にあるというのに、見る者を圧倒する迫力で峻険な岩山群が聳え立っていた。山脈を形成する花崗岩は長い年月をかけて風雨にさらされたためにほぼ垂直に近い絶壁になっている。名前のとおり、山というよりも塔と形容することがピッタリとあてはまる怪奇な形状の峰が脈々と立ち並んでいた。
一行は足元が完全な岩場になる手前で野宿をし、明日以降の登坂に備えることにした。アルマとウーリャはこの日、まだ西日が残るうちに宿泊場所の整地を任されていたので、岩を組んで焚き火を起こしたり物資の確認と調理の準備をして狩猟組の戻りを待っていた。
石を踏む音が聞こえた。猟に出かけたブライアとケンジ、エースの三人が森の方から戻って来たようだ。笑い声が聞こえていることから、獲物が狩れたようだ。
「見ろ! 今日は大ウサギを仕留めたぞ」
ケンジが得意げな様子で獲物を高々と掲げて見せた。彼はこの旅で長銃を使って狩りをすることにのめり込んでいる。ケンジは銃を扱えるようになることで、近く起こるであろう戦争にも参加できると考えているのかもしれない。熱心に射撃練習を重ねていた。
彼がアルマに獲物を見せつける仕草はとても友好的な仕草ではなかった。それというのも少し前のある日、アルマが夕刻の森の中で一人、長銃の試射をしているのをケンジが隠れて見ていたことに理由がある。その時、アルマは小気味良い発射音をさせながら、次々と的を射抜いていた。
アルマの射撃の腕前を見てしまったケンジは、それ以来アルマのことを一方的にライバルに認定してしまった。その時のアルマよりもっと遠くの的を射れたとか獲物を捕らえたとか、ことあるごとに見せつけてくる。
そしてアルマはといえば、その一人で射撃訓練をしていた時に気がかりなことが起こった。
再び背後からの視線というか害意のようなものを感じたのだった。以前、森の中を移動している時に感じた気配と同じもののように思われた。もちろん、アルマは後ろの藪に潜んでいるケンジの気配には気がついていた。一瞬ケンジからまたいわれのない敵意を向けられているのかと思ったが、それとは違う方向からだったようだ。
以前感じたよりももっと殺気に満ちているその存在感の正体は、アルマがそれとなく原因を探ってみてもやはりわからなかった。銃をしまうと同時にその感覚も薄れたので、それ以降は射撃訓練を控えることにした。
夜、ケンジが撃った大ウサギと乾燥香草を煮込んだ鍋料理がなくなってしばらく経った頃。いつものように一寸先も見えない闇夜の中で焚き火を囲むようにして、それぞれが毛布を被って野宿をした。今夜の前半はアルマが見張りの当番だ。男たちが寝静まっている中、なぜかウーリャがまだ眠らずに焚き火にあたっている。暇を持て余しているのか、見張り中のアルマにかまってくる。
「あんたのまじないっての? 呆れるくらい便利ねぇ。こんな川から離れた場所にいても水汲みもいらないし焚き火もあっという間に起こせるし」
呆れるくらい、とは言っているが、ウーリャはもうすでに完全に呆れた顔で焚き火をつつきながらアルマに言った。
「焚き火ならウーリャさんだって起こせるじゃないですか」
アルマが言った。アルマは膝を抱えて火を眺めながら座っている。
ウーリャの足先には毛布が掛かっているが、上半身は焚き火の方へいざらせたかたちで肘をついてうつ伏せに寝そべっている。その瞳にも明々と焚き火が写っている。もとから火を灯したように赤いウーリャの瞳が、彼女が火の精霊の使い手であることを示していた。
「私は火の精霊力だけ、だもの。あんたの言うまじないってのが出来たら、一人で何日野宿しても平気ね。火を起こしながら鍋に水を張って風よけのまじないで火が消えるのも防げる。万能だわ……。この旅だって、正直こんな少ない人数だけだとハードだなと思ってたから拍子抜けよ。あんたってば人の身体の浄化までできるんだから、快適この上ないわ」
「さすがに同時に全ての物事にまじないを使うのは体力と気力を消耗します。一人だったら自分で清水を汲んで岩陰で火を起こしますよ私だって」
「ふーん、そういうものなの。その割には馬の水やりとか率先してまじないでやってるわよね」
「それは、旅で鍛錬の時間が減ってるんで、トレーニングがわりになるかと思って」
「そうなの? わかるようなわからないような感覚ねえ。……でも、そうね……。私もちょっと物足りないなって思ってたのよ。十日ぐらいの辛抱だから我慢しようと思っていたんだけど……ねぇ」
ウーリャがちょっと顔を寄せてニッコリと笑った。
「……なんですか?」
「ちょっと相手してよ」
ウーリャがいい顔で笑った。そして、がばと身体を起こすとアルマに向かってビシッと指を突きつけた。
「アルマ! 私と剣で勝負しなさい!いい?私に負けたらその気持ち悪い敬語を止めること!」
「ええ……? 大人しく寝てくださいよ……」
アルマはあっけに取られてウーリャを見ながらつぶやいた。
「あんたが勝ったら寝てあげるわ」
「ぜんぜん嬉しくないです。今勝負なんてできるわけないでしょう。みんな剣戟の音で起きてしまいますよ」
ウーリャはしばらく粘っていたが、アルマがとりあわないので「アルマのケチー」と言いながら大人しく毛布をかぶって横になった。アルマはウーリャと、鍛冶士の集落に着いたら勝負をするという約束をさせられたが。
しばらくすると焚き火の周りは静寂に包まれた。熾火が小さくはぜる音だけが、時折耳を驚かせる。
——「お前、兵士だろ。国のために人を殺して自分も死ねるんじゃないのか」
ひと月以上も前のキースの言葉がまた、アルマの頭に浮かんできた。
アルマはこの問いかけを時々ひっぱり出して眺めては、答えが出ないまましまい込むのを繰り返していた。自分は祖国を離れてなお、何のために日々の鍛錬を続け、兵士であろうとするのか。ここで戦うことに大義はあるのか。並の敵なら屠る力はあると思う。竜王国の王としてキースに従い、この力をキースのために使えばいいのか? しかしタザランドの利益のために戦うことはアルマの祖国であるランゴム竜王国とは何の関係もない。自分が関わる必要もないのではないだろうか……。
彼女は考えを整理するのが苦手だった。何度目かの堂々巡りが始まって、しばらくするとまたアルマは考えることを諦めた。
アルマは知っている。戦場では迷った者から斃れる。
しばらく思い詰めていたせいか、焚き火が小さくなっていた。
拾い集めた粗朶を火にくべていると、また不気味な視線を首筋に感じた。アルマは視線を焚き火に向けたまま、あたりの気配を探ってみた。熾火の爆ぜる瞬間に合わせて驚いたようなふりをして顔をあげ、素早く辺りに視線を走らせたが、周囲には茫とした闇が広がるだけだった。
本日の野営地は、森を外れた少し開けた場所で火を焚いているので、おそらく離れた森の中にいる生き物の気配を感じたのだろうな、と思い込むことにした。
わからないことは深く考えても仕方ない。ただ、変化に気を配るだけだ。
「見張り、変わるよ。休んでて」
エースが起きてきて声をかけた。彼がその夜の後半の見張り当番だった。
「ありがとうございます」
アルマは素直に頷いた。
「あのさ、アルマ。……たぶん数日後には集落に着くと思うんだ」
エースがアルマの顔をのぞき込むように言った。仮眠でも取るかと立ちあがろうとしたアルマは不思議そうな顔でそれを見返す。
「それで……鍛冶士の棟梁に会えたらなんだけど、アルマのことを『竜の姫』って紹介しようかと思って」
「ええと、それって……?」
意図が読めずにきょとんとするアルマを見て、エースが困ったように顔を赤くする。が、闇の中で焚き火の明かりに照らされていてはそれほど赤面は目立たない。
「いや、あの、変な意味はないんだ。アルマが持ってきてくれた銃の価値をもっと上げて説得材料にしたいな、と思って。誰も行ったことのない遠い国から竜が運んできた武器を量産するなんて、ロマンがあるだろう?」
「そう……いうもの、ですか……? 私は別にかまいませんが……あ、だけどレオネロさんが作った『ドリアグナ』も「竜の武器」なんて意味の名前が付けられてますけど、もともと銃だって竜王国の武器じゃないんですが……こういうの、なんていうんだろう? 誇大広告? 産地詐称? いや、どれも違うな。とにかく、だますようで良くないかな、とは思いますけど……」
「や、そんなに深く考えてなくて。ちょっとしたイメージアップをしたいだけなんだけど、どうだろう?」
ちょっと混乱しているアルマにエースがにっこりと笑いかける。アルマはクッと怯む。好青年に強く押されて流されてしまいそうだ。しかも、アルマにはそう呼ばれるのが『恥ずかしい』以外に断る理由も見当たらないのだが、恥ずかしいと口に出すのも恥ずかしい。
「……まぁ、私の呼び名が変わるだけなら別に……」
「ありがとう‼︎‼︎ 助かるよ」
エースは満面の笑みで声を抑えたまま礼を言い、アルマの手を握った。
アルマは対照的に、ちょっと座った眼をしてしまう。微妙に釈然としない気持ちのまま、見張りの場所をエースに譲り、仮眠を取るために毛布を被った。




