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アルマは娯楽室を出るとすぐに部屋へ戻り、出立の予定を侍女のジルに告げた。ジルは慌ててマディ侍女長を呼びに走り、すぐにマディとジルの二人は忙しく準備品の相談を始めた。ジルは荷造りの段取りが決まるとすぐに目を白黒させながら荷物を整えるために走り回った。
とても声をかけられる雰囲気ではなかったので、暇を持て余したアルマは本日二度目のシグルトの伽藍を訪ねた。
「ピューターさん、先ほどはどうも!」
「お〜。竜の姫さん、忘れ物かの?」
「いいえ。さっき側近の方達に任務を頂いたので、皆さんとシグルトにご挨拶に。明日からしばらくここに来れなくなります。シグルトをどうぞよろしくお願いします」
「おや、そうかい。それはまた急な話だな。まぁ……なんだ、気をつけてなあ」
「ありがとうございます」
ピューターと立ち話をしながら、アルマは手に持っていた布袋を広げて中身を出した。
「あと、これ、野菜なんですけど、種ごと干した物なので植えたら芽が出るかもと思って。この辺の空き地に植えさせてもらってもいいですか?」
「ほう、ほうほう。これは……なんじゃ?」
ピューターが萎んだ赤い塊を指先で摘んでしげしげと眺めた。
「トマトって言う野菜です。あとこっちの芋は、もう乾燥して芽が出ないかもしれないけど、一緒に埋めてみようと思って」
「おや、姫さんの国の作物かい? 面白そうだの。年寄り連中の娯楽にぴったりだわ。こっちの芋は、ちぃっと水に浸してから後で植えといてやろう。この赤いのは……見たこともないがイチゴの仲間かの。この伽藍の脇ならまだ土も柔らかいし、どれ、一緒に植えようか」
いつものように休憩室から続々と野次馬がやってきて、鍬を持ってきて土を耕転してくれたり畝を整えてくれたので、あっという間に伽藍の軒先に簡易の畑が出来上がった。
「この芋なんですけど」アルマは皆が聴けるようにちょっと大きな声で言った。「芽が出るかどうかわかりませんが、もし芽が出て葉が育っても食べないようにしてください。馬にも与えたらダメです。腹を痛めます」
「そりゃ気をつけんとな。野菜なのに毒でもあるのかい?」
「うーん、確かそうだったと思います。収穫した芋も、火を通したら食べれるんですけど、生では食べちゃダメです」
「そうかい。おい、みんな覚えといてくれな。わしは忘れる」
「おいおい、おとっつぁんあぶねーな」
「なに、とっつぁんも腹が痛くなりゃ思い出すさー」
ははは、と呑気な笑い声があちこちで上がる。
野次馬のおじいちゃんたちが堆肥を運んだり水を撒いたり、ついでに他にも何か植えるかと園芸談義をはじめたので、そこを任せてアルマはシグルトのところへ行った。
シグルトは目を覚ましていて、澄んだ目を動かしてアルマのことを見つめた。
「シグルト、キースもいないのに、ここにお前を残していくのは不安だけど、ピューターさんたちがいつも見に来てくれるから大丈夫かな……。お腹は空いてないか? 水を汲んであげるね。欲しいものはある?」
シグルトは小さな低い唸り声で返事をした。
アルマはシグルトが動かなくていいように鼻先に桶を置いて、その中にまじないで水を張った。
シグルトは少し水の匂いを嗅いで、鼻先を水に浸けてみたが、すぐに顔を水からそむけて首を横たえた。水は少しも減っていない。欲しくないようだ。
——私にはシグルトの喉が渇いているかどうかもわからない。キースなら要望もわかってやれるんだろうけど。
アルマはちょっと自嘲的な気分になりながら水桶を片付けた。それから「行ってくるね」と声をかけて竜の鼻先を撫でた。
シグルトはまた短い唸り声で返事をした。
「姫さん、気をつけてな〜」
「はーい。戻ったらすぐに顔を出します!」
厩務係たちに見送られて、アルマは城に戻った。
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シグルトの伽藍の次にアルマが向かったのは、城の厩舎だ。
出立が明日ということは、少しでも良いから慣れておきたい。
そう。
アルマは馬に乗った経験が、ほとんどない。
アルマはさっきの娯楽室でのことを思い返した。交渉班の移動手段が馬だと聞いたアルマは、乗馬の経験がほとんどないことをおずおずと手を挙げて告白したのだった。
——複製銃と霊導銃ドリアグナの試し撃ちをさせてもらおうかなー、なんて思ってたけど、出立が明日ならそんな余裕なかったな……。
案の定、娯楽室ではアルマの発言に一堂が驚愕した。
「ええ? 騎兵なのに馬に乗れない……?」ウィリアムがあっけに取られた顔で言った。
「騎兵じゃないよ、竜騎兵だよ彼女。仕方ないじゃん」フォローしたのはルイス。
「同行する予定の樹の使い手が体調不良のようですし……あと数日、出立を遅らせて乗馬訓練にあてますか? その場合は青の塔までの道のりと交渉期間を考えると交渉班の戻りが視察中のキース様の帰還に間に合わない可能性がありますが」とブライスが皆に問うた。
「おい、そんなの待っていられないぞ。出立は明日にしろ」ケンジがちょっとキレ気味に大きな声を出した。
「そうですね。無駄な待機期間は経費の無駄でもあります」ブライスが物言いたげにケンジの顔をチラリと横目で見たが、大筋で賛同した。
皆に迷惑をかけると思ったアルマが、今日この後の時間でなんとか習得するから、と言ってその場を収めてきたのだった。
厩舎に人影を見つけたアルマは、厩務員かと思って声をかけようとしたが、それが先ほど娯楽室で会った若者だと気がついた。
「エースさん、どうしたんですかこんなところで」
話しかけられたエースがちょっと顔を赤らめた。
「アルマサン! じ、自分らも何かお手伝いさせて頂こうかと思いまして! 」
「エースさん、そんなにかしこまらないでください。歳も近そうだし、呼び捨てで大丈夫ですよ。わざわざすみません」
アルマはエースに笑いかけて言った。
「そ、それでは……」エースが咳払いを一つして「アルマ、あの馬が初心者には向いてる。鞍の付け方から教えるよ」
「あ! 助かります」
首まで赤くなっているエースが、少しくたびれた栗毛の馬を引いてきた。
アルマは馬具の付け方外し方について説明を聞いた後、エースに支えてもらって馬に乗った。
「あ、ゆっくりなら大丈夫ですね」
「さすがだね、アルマ。長く竜に乗っているからなのか、重心の取り方がうまい。並足は全然問題なさそうだ」
エースがキラっと白い歯を見せて笑った。明るい茶色の瞳がとても優しい印象を与えている。なかなかの美男子だ。
「ありがとうございます。速足も練習してみますね」
「そうだね。速足の合図は少し強めで、そう。止めるときはこう。うん、うまいうまい……」
エースに見守られつつ、アルマが馬場の中を輪乗りでグルグルと周りながら練習していると、どこからかケンジが現れた。ケンジは若い鹿毛馬を一頭引いている。
「おい。こっちの馬に変えろ。そんなヨボヨボじゃ練習にもならね〜」
なるほど、とアルマが栗毛の馬をおりる。
ケンジは鹿毛の手綱をエースに投げて渡すと、アルマが鹿毛の鎧に足をかけて跨っている隙に、さっさと馬場のゲートを開いた。
馬の口元のハミを抑えているエースが「おい」とケンジを止めようとしたけど、馬の反応の方が速かった。ゲートの開く音で放牧地に出られると気付いた鹿毛は、身体を大きく振ってエースの手を振り解いた。そして、鹿毛は放たれた喜びを全身の躍動で表しながら広い放牧地へと駆け出した。
アルマは全力で走る馬のたてがみにしがみつきながら冷静に振動のリズムを感じた。
——あ、手綱を取らなきゃ。馬の脚に絡まると危ないな。
馬の首に手を伸ばして馬の口元で暴れている綱を引き寄せる。
——四本脚の生き物が地上を走ると、こんなに背中が揺れるんだな。でも、なんだか動きが短調で掴めてきたかも。もし振り落とされたとしても、風のまじないを使って落ちる衝撃を減らせばいいし。
エースが慌てて別の馬に飛び乗って追いかけてきているのがチラリと見えた。
アルマは手綱をしっかり握った。するとさらに鞍上が安定した。アルマは慎重に振り返って、エースを見ながら騎乗の姿勢を真似する。
「アルマ、大丈夫か?」エースが追いついて声をかけた。
「ええ、乗り方がわかった気がします。 馬に乗るのも楽しいですね」
鹿毛はエースの馬に並ばれると大人しくスピードを落としたので、二頭は揃って馬場に戻った。
ケンジはもう馬場にはいなかった。
「あいつ……」この場にいないケンジに憤るエースを、アルマはなだめた。
「いえ、いいんです。お二人のおかげでなんとか乗れるようになりましたよ」
「いやいや、さすがだよ。すぐに乗りこなしてしまったなぁ」
「これで皆さんの予定通り、明日の出立に間に合います」
「なぁ、アルマ。竜と馬ってどっちが乗りやすい?」
「うーん、竜、ですかね?」
「へー? そうなのか」
二人は雑談をしながら一緒に二頭分の馬具を片付けて、馬たちに飼馬と水を与えた。
エースはアルマを城に送り届けて、兵の詰所に戻って行った。




