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竜兵士アルマは手綱を強く引いた。


「待て!待てって。……待って待って!まずいってシグルトぉ!上昇ぉ!」


一年にも渡って一緒に旅をしてきた相棒は、どうやら猛烈に腹を空かしていたらしい。

気持ちはわかる。わかるけれども。


「だめぇぇぇ!家畜を襲うなぁぁぁぁ!」


綱を握る手は、15歳の少女にしては頑丈だ。

でも今は、力任せに綱を引き続けたので、手のひらの皮が破れて血が流れている。


少女が乗る巨大な竜シグルトは、さっきまで山脈のかなり上空を飛んでいた。

それが突然、高原地帯でのんびりと草を食んでいた茶色の牛めがけて急降下した。

竜の本気は、操作する少女には御せない。巨大な竜に付けられた手綱はまるで蜘蛛の糸のように細く、引いても意味などないと頭ではわかっているが、それでも手が破れるほどに引かずにはおれなかった。


空からの襲撃者に驚いて逃げ惑う牛が一頭、また一頭とシグルトに捕らえられ、丸呑みにされる。砦かと見紛うほど大きな竜だ。難なく一頭丸ごとを飲み込んでいる。急降下して牛をすくい上げては、空に戻り飲み込むという動作を繰り返していた。


「シグルト、もうやめとけって! ほら、見ろ、あそこの城ぉ! 狼煙が上がってる!」


アルマの怒鳴り声など、竜の耳には届いていないようだ。


牧野の向こうに、山脈の懐に抱かれるようにして立っている城から煙が細く上がり、十数騎の騎馬兵が雁のように並んで駆けてきているのが見えた。

あちらの射程にはもう少し足りないというところだろうか、まっすぐに距離を詰めてくる。

少ない兵の数からして精鋭部隊かもしれない、とアルマは思う。竜を攻撃されてしまってはまずい。


「シグルトぉ、いったい何頭食べたんだ……。 絶対あの人たち怒ってるよぉぉ……」


片手で背中の銃と胸のポケットの弾を確認し、弾丸ベルトをたすきにかけた。長剣を腰に佩きながらぼやいた。空路が長かったので、剣は外していたのだ。


十一頭までは数えた。だがシグルトがまとめて二頭ずつ飲み込み始めた頃から数はわからなくなった。


——この土地の人と話し合いの余地があるだろうか?持ち合わせは十分に残っている。だけど、自分の持っているのは遠く離れた故郷の貨幣だ。通用するだろうか……。



気の済むまで食事を堪能したシグルトは、やがてひらけた牧野に舞い降りた。


見渡す限り金色に枯れた牧草が広がる美しい場所だ。こんな時でなければ久々の地上を堪能できたのに、とアルマは竜の背で恨めしく思った。牛の群れはすっかり姿を消してしまった。生き残ったものは丘を越えて散っていったようだ。


ドォンッ


突然、騎馬兵団と竜の中間あたりの、地面が爆発した。

シグルトと同じくらいの高さの爆炎が上がり、遅れて衝撃波が届いた。


——火炎砲だろうか?何かを投げたようには見えなかった。大きな機材もなかった。

魔法攻撃かもしれない。空に逃げたほうが良さそうだが……。


アルマはシグルトの様子を伺った。

シグルトは食らった爆風や舞い落ちる粉塵に構うことなく、真っ直ぐに首を伸ばして騎馬兵の方を覗き込んでいる。攻撃を避けるために舞い上がるという考えは持ってなさそうだ。


——しかしシグルトがここまで熱心に人を見つめているとは……? 何かあるのか……?


アルマの思考は長くは続けられなかった。

煙幕に紛れて、騎馬の一隊が距離を詰めて来ていたからだ。

アルマはシグルトの頭のすぐ後ろに乗ったまま、臨戦の構えをとった。


が、煙の向こうの騎馬隊の足音が、止んだ。


少しずつ煙が晴れてきた。

敵の姿が徐々に煙から現れる。


騎兵たちは馬を止め、かなり近い距離から竜を見上げていた。

兵たちは皆、驚愕の表情を浮かべている。戸惑ったように互いにチラッと目配せしているのがわかる。アルマには見慣れない異国の戦装束を一様に身につけていた。


——あれだけの爆発に、馬が動揺していない……。


兵たちの騎馬が、巨大な竜を前にしても大人しく兵に従っていることが、アルマを内心驚かせた。


騎兵の先頭中央には主将クラスの装備を身につけた男がいた。

先陣を切って進んできたその男もまた、目を見開いているのがそのヘッドギアの隙間から見えた。つと、隊を制するようにその男の左手が横に挙げられ、掌が後ろに向けられた状態で静止した。


話し合いの余地ありと見て、アルマは竜の首から地面まで一気に飛び降りた。


それを見て先頭の男も薄いマントを翻させて馬を降りた。

身長はアルマとそれほど変わらない。


——まだ、少年のようだ。


アルマは自分もまた幼く見られていることを棚に上げて、相手の力を推察しはじめた。


戸惑ったのはアルマの方だった。敵か味方か、アルマが出方を決めかねているうちに、少年はさっさとヘッドギアを外してしまったからだ。引き締まった身体つきをしている少年は、ためらいのない足運びで歩み寄り、シグルトの首の手前まで来て止まった。シグルトは地に沿わせるように首を低く伸ばして、少年を見つめている。


冷酷な印象を与える切長の目が見開かれており、小さめの濃い青い瞳が見えた。

少年は竜と少女をまじまじと見つめている。


シグルトが低く喉を鳴らした。


「シグルト……?」少年が低い声で呟いた。それからゆっくりと少女の方を見つめて静かに言った。「……マリイ……」


発言した後で、少年はまるで自分の言葉に驚いたように、目を見開いて口をつぐんだ。




その少年の言葉を耳にした瞬間。

アルマは大きく息を吸い込み、地面に片膝をついて顔を伏せた。

アルマの榛色の瞳から一瞬にして涙が溢れそうになってしまった。


——泣いちゃだめだ。今は泣いている場合じゃない。


アルマは自分を奮い立たせた。あの少年が発したその言葉は、故郷から遠く離れたこの地で聞くはずのない二つの名前だった。そしてそれは、少女に旅の終わりを告げる意味を持っていた。アルマは顔を伏せたまま必死で言葉を絞り出した。


「お迎えに上がりました。マリクルス様」

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