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山神

作者: プリゾニエール

旧盆のことだ。


作治と野葡萄を摘みに行く約束をして居た。だからその朝作治の家に迎へに行ったが、なかなか表に出てこない。


やっと作治が出てきたかと思ふとこんなことをいう。

“きょうは山の神様の祭りだって。山に入っちゃいけないってばあさんがうるさいのだ”


作治の家のやかましいばあさんのことだから、孫が言うことを聞くまで何遍も同じことを繰り返すであらう。


“悪いけど。一緒にいけないや。お詫びにこれやるよ”


こう言って、作治は大きな真桑瓜の一片を寄越した。しかたがない。


でも、おれは美味い真桑を貰ったので満足して家にもどった。


鉄太郎の算術の宿題を手伝って居ると、窓の外からおれの名を呼ぶものがある。見ると作治である。


“やっとのことばあさんを撒いて来た。さっそく山へゆこうぜ”


鉄太郎も連れて三人で山へでかけた。川沿いを小一時間ばかりあるくのだか、日陰も多く真夏の日も苦にならない。鉄太郎と来たらおおはしゃぎである。


暫くこの道を通らないうちに、夏草がぼうぼうと茂ってすごい。作治が手鎌で草を払った後をついていく。


“なんで山の神様の祭りのときお山に入っちゃいけないのさ”鉄太郎が尋ねた。


“山の神さまが山を見て歩くさうだよ。そのとき見なれない人間が居ると、山の草木の中に数へ込まれてしまって二度と里に帰れないそうだ”作治が答える。


“むろんただのお話だよね?”心配そうに鉄太郎が聞き返した。


“むろんさ。”おれたちは答えた。


まもなく山葡萄の林に付いた。まだ実はすっぱい。おれたちは。口の端を葡萄の汁で赤く染めながらも、葡萄を取って鞄一杯に詰めた。


“この奥にもまだまだ葡萄はあるのかな?”作治はおれに聞いた。


“うん。誰にも言わないなら、秘密の場所に連れていってやってもよいが”おれはもったひぶって言った。


おれたちは再び草原を掻き分けて進んだ。まもなく谷川の岸辺に至る。川といっても、申し訳程度にちろちろと流れる渓流の上に、丸木橋がかかってその奥になお道が続いて居る。


橋の向かいの袂には、一つ目の山神像が据えてある。ずっと昔から置いてあるものである。


“この先から山の神様の領分だよね”おれは作治に聞いた。


“おいおい、あんな作り話を本気にしているのかい”作治は笑って言った。


“おい急ぐとあぶないぞ”おれが呼びとめるのにも関はらず、鉄太郎はうれしさうに先に立って丸木橋を渡っていった。


すると、おれたちの前にぬっと突っ立った男がいた。


同級生の隆夫である。あいかわらず大頭に青い洟をたらして、口調ばかりはいっぱしの大人である。


“おまえたち、葡萄摘みにきたのか”じろりと、赤い汁の染み出したおれたちの鞄を睨んで言ふ。


“そうだよ。さあ、どいた”作治は隆夫をおしのけようとした。


“いや、どかん”


“どうして”おれは聞いた


“ここはおれがずっと前から目をつけて居た場所だ”隆夫は言う。


“ずっと前っていつさ”作治は食いさがる。


“春先から”そっけなく隆夫は答えた。


おれがここを見つけたのはほんの先週のことなのである。しかたない。


しゃくにさわるが引き返すことにした。意地っ張りでけちの隆夫が自分の狩場におれたちを入れてくれるはずもないのだ。


元きた道を引き返しつつ、“けちめ”作治は足元の石を谷川に蹴り込むと吐き捨てるやうに呟いた。

同感である。奥の狩場につれていってやれぬ代はりに、おれの取り分を分けてやったので、鉄太郎ばかりは嬉しさうである。


“でも、まあ収穫があったから、よしにしよう”おれは自分に言い聞かせるやうに言った。


川沿いに道をくだる。


“あんちゃん、あの音なに?”鉄太郎が言った。かすかに、山の天辺のほうから、鉦太鼓の音が聞こえる。


“お囃子みたいだね”おれは答えた。


“山の神様のお成りかなあ”鉄太郎がつぶやいた。


“そんなことあるもんか。きっとサンカが来てるんだ”作治は言う。


ヒヤリヒヤリといふ笛に合わせて、鉦太鼓の旋律がかぶる、あまり聞きなれない古雅な調子の音色である。。お囃子の音は山道を歩いている間、遠くなり近くなりして耳について離れなかった。


そうして村の入り口に戻ってきたのは夕方である。夏のことゆえまだ明るい。しかし山の方には雲がかかって一雨来さうな気配であった。


隆夫が家に帰ってこない。そう触れが回ったのはその夜のことである。夕立の雨が強い風と雨とに変わり、一晩中荒れ狂った。


大人達は雨が止んだ次の朝、さっそく山に隆夫を探しにでかけたけれど、隆夫の姿を見つけることができなかったのである。


おれたちは、隆夫が、山の神の怒りに触れて、草木の内に数え込まれてしまったものと思ひこんだものである。


その年の秋、作治とおれと鉄太郎と、またあの山にでかけた。こんどは秋の幸をさがしにである。


“あれ見て”鉄太郎が指差した。大きなサルノコシカケが朽木の上に生えていた。


おれたちは一目見るなり、互いに顔を見合わせた。


作治がまず浮き足だったのを皮切に、“わあ”“ひええ”“あんちゃん、まってよ!”口々にわめきながらおれたちは山道を走りに走って逃げたものである。


それはそれは、恐ろしいものを目の当たりにしたせいだ。茸の表には深い皺が走って、さながら人が顔を顰めたやうに見えた。


そして、その顔は、まさしく、居なくなった隆夫にほかならなかったのだ。


茸と化した隆夫は、おれたちの方を向いてたしかに、その茶色く干からびた顔をゆがめてにやりと笑いかけたのである。


それ以来、あの山には入る気がしない。


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