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第八章──聖霊師誕生

聖霊師(せいれいし)誕生(たんじょう)


 


     Ⅰ

  

「この能力はいったいなんだろう?」時折(ときおり)香神(かがみ)(とら)物思(ものおも)いに(ふけ)ることがあった。それを考える時は決まって見えないモノが見えてしまう時だった。

祖母(そぼ)が亡くなるまで、虎は自分に見えているモノは誰にでも見えていると思っていた。

七歳の時、初めて家族の中で葬式(そうしき)を出した──それが祖母だった。祖母は誰にでも優しい(おだ)やかな人だったが、とりわけ虎には優しくて、虎もそんな祖母が大好きだった。病床(びょうしょう)()せってからの祖母は、(つら)そうにしていても愚痴(ぐち)をこぼすことはなかった。結局今際(いまわ)(きわ)まで祖母は虎に笑顔を()やさなかった。

臨終(りんじゅう)()げられた時、家族は祖母の亡骸(なきがら)にしがみついて(むせ)び泣いていたが、虎は涙も出ないほどショックだった。家族は(あわ)ただしい葬式の準備に()われ、悲しむ(ひま)もなく動き回っていたが、虎だけはそんな家族を横目に棺桶(かんおけ)に寝かされいる祖母に付きっきりだった。その姿は誰の目にも祖母の死を悲しみ、亡骸(なきがら)から片時も離れまいとする、けなげな孫に(うつ)って見えただろう。けれど虎はそんな理由で祖母の亡骸に()()っていたのではなかった。祖母はなぜか自分の亡骸の側に座っていた。着ている物も普段祖母が着ている物だったし、仕草(しぐさ)も普段の祖母と変わりなかった。

やがて会葬(かいそう)(しゃ)(おとず)れると、笑顔で〝お世話になりました〟と丁寧(ていねい)に頭を下げて回ったのだった。

虎は祖母の亡骸に寄り添っていたのではなく、祖母の(みたま)に寄り添っていたのだ。祖母が亡くなった(はな)はショックを受けた虎だったが、すぐに祖母がいつもどおり身近にいることが分かると、死が永遠の別れではなく、肉体と魂とが離れるだけだと子供ながらに理解した。

葬式も()み、家族皆がやっと落ち着いて食卓(しょくたく)(かこ)んだ時、虎は〝祖母もここにいるのに、どうしてご飯を(よそ)ってあげないのか?〟と尋ねた。それから家族は大騒動(おおそうどう)になった。虎の父は母親が座っている場所を虎に尋ねると、みんなを退(しりぞ)けて座布団を敷いた。虎の母は生前姑(しゅうとめ)が使っていたお(はし)とお茶碗(ちゃわん)とお湯のみをばたばたと台所から持って来ると、お(ひつ)からご飯をてんこ盛りに(よそ)い温かいお茶も用意した。虎の祖父は誰も座っていない座布団を不思議そうにぼーっと見てたが、〝あいつが本当にここにいるのか?〟と虎に念を押した。虎が〝ここでみんながご飯を食べるのを楽しそうに見ている〟と教えると、丸めていた背筋(せすじ)()ばして〝お前にはもう少し優しくしてやれば良かった…〟と泣きながら()びた。祖母が〝そんなことはありません。私はあなたと一緒になれて幸せでしたよ〟と言っていると祖父に伝えると、〝もうすぐお前のところに行くからな〟と手で涙を(ぬぐ)っていた。


それからは家族が頻繁(ひんぱん)に祖母の居場所を聞いてくるようになった。はじめ虎は、みんながどうして自分にだけ祖母のことを尋ねてくるのか疑問だった。今まで家の中でも学校でも、あるい病院でも、明らかに生きている人ではないモノが見えていたが、それらは自分だけの目に(うつ)っていたのだと(ようや)く真実を知ったのだった。

虎は自分の能力を自然のまま受け入れて成長していったが、思春期(ししゅんき)を迎える頃になると、さすがにその力を奇妙(きみょう)に思い始めた。

その頃虎の住んでいた家の近くに、祈祷(きとう)生業(なりわい)としている老婆がいた。老婆は温厚(おんこう)な性格で、虎の尋ねることになんでも(こころよ)く答えてくれた。

その老婆も虎と同じで、幼い頃から人にはない能力を持っていたため、気味悪がられて孤独だったこと。もともと東北の出身だったことから、ゴミソとなって持って生まれた力を(きた)える修行に(はげ)んだこと。(きび)しい修行を積んだわりには、自分が期待したほどの力は得られなかったが、それでも祈祷によって多くの人が助かっていることなど、虎にとっては興味深い話をたくさん聞かせてくれた。


六年後──虎はゴミソとなってひたすら修行に励んでいた。なるほど老婆のいうとおり、どんな修行を行っても、これといった手ごたえはなかった。それでも修行を続けていれば、神が自分になぜこんな力を与えたのかを教えてもらえるかもしれない。苦しい修行もそう考えると()えることができた。

それからもひたすら修行に(はげ)んだ虎は、やがて一人の女性に恋をしてしまう。高宮ハルという、小柄(こがら)で美しい女性だ。その美貌(びぼう)は〝(つみ)なほど〟と言っても過言(かごん)ではなかったが、ハルはそれを鼻に掛けるような女性ではなかった。

ハルの美しさに魅了(みりょう)される修行者(しゅぎょうしゃ)は一人二人ではなかったが、ハルは何の興味も示さなかった。そうした(うわ)ついた心こそ修行の(さまた)げだと思っていたからだ。だからといって言い寄って来た男たちを毛嫌(けぎら)いするわけでもなく、ハルは誰にでも優しく接した。こうしたハルの内面(ないめん)()かれたのが虎だった。虎は自分が(くじ)けそうな時、女性ながらも男に負けない(きび)しい修行に励んでいるハルの姿を見て自らを(ふる)い立たせた。虎にとってハルは特別な女性であり、ゴミソとしての良きライバルでもあった。


ある日ハルは事故に()った。火の(ぎょう)として炭火(すみび)()()めた道を渡りかけたその時、突然(とつぜん)意識(いしき)を失い顔面から炭火に突っ込んだ。(さいわ)一命(いちめい)は取り()めたものの、美しかったハルの顔には(みにく)火傷(やけど)(あと)が残った。

それまで自分の顔に執着(しゅうちゃく)などなかったハルもやはり女性だった。(みにく)いケロイドは、今まで自分がどれほど恵まれていたのかを知るには充分(じゅうぶん)すぎるものだった。ハルはその醜い顔を人前に(さら)すことができなくなり、すっぽりとずきんで顔を(おお)うと、性格までも覆い隠し(ゆが)んでしまった。

人の失敗や不幸をえげつなく喜んでみたり、喜び事などには皮肉(ひにく)や嫌みを言って周囲(しゅうい)不愉快(ふゆかい)にさせた。

最初は(あわ)れむ気持ちで仕方なく許していた(まわ)りの者達も、だんだんハルを()けるようになり、そのうち石を投げる者や、(くさ)った残飯(ざんぱん)を家に投げつける者さえ現れた。いつしかそんなハルのことを人々は〝気障(きざわ)りのハル〟と呼ぶようになり、誰も相手にしなくなっていった。


そうしたハルの(うわさ)は虎の耳にも届いていた。それまで虎は一度もハルの前に姿を現したことはなかったが、それには理由があった。どこまでもハルをゴミソとしてのライバルで(とど)めておきたかったからだ。ハルに今以上の感情を持てば、自分自身の修行の(さまた)げになってしまうことを虎は重々(じゅうじゅう)承知(しょうち)していたのだ。〝()いた()れたはご法度(はっと)〟良きライバルとして一線を引いておくことを、いつも自分に言い聞かせていた。もう手遅れかもしれない恋心(こいごころ)鞭打(むちう)って、人づてに聞くハルの(うわさ)に満足していたのだった。

それが今、ハルの噂は虎にとって心地良いものではなくなっていた。

〝誰かが助かるなら喜んで手を差し伸べてやればいい…それが人間としての(つと)めだ〟これは虎がゴミソの修行で学び取ったことだった。

──「今彼女に声をかけてやれるのは自分しかいない。今彼女を助けてやらずして、いつ助けてやれようか…」虎の腹はもう決まっていた。ハルを助けることが目的であって、恋することが目的ではないと、虎は信念がふらつかないよう、何度も何度も自分に言い聞かせた。そして初めてハルの前に姿を現した。


その時のハルは虎を汚い物でも見るように(はす)(にら)んでいた。虎はそんなハルの態度を気にもせず、思っていることを素直(すなお)に伝えた。

「今までずっと(かげ)から君のことを見てきた。でも僕が見てきたものは君の見目形(みめかたち)じゃない。ひたすら修行に打ち込む姿だ。君の火傷(やけど)(あと)は消えずに残るだろうが、君の本当の美しさはその内面にあることを僕は知っている。だから人を傷つけることで自分の心にまで傷痕(きずあと)を残してほしくないんだ。ゴミソとしての(ほこ)りを見失わないように自分らしく生きてほしい」決して嘘はついていなかった。ただもう一つの気持ち──〝恋心〟だけは口にせず、心の奥底(おくそこ)仕舞(しま)っていた。


ハルは名も知らぬ初対面の男に、今まで経験したことのない感情を(おぼ)えた。この男の一言一句(いちごんいっく)がハルの心を(つらぬ)き、痛みと切なさ、それに素直さまでもが()き上がってきたのだった。涙が後から後からこみ上げ、とうとうハルは立っていられずその場にへたり込み、声を(あら)げて泣いた。

長い間自暴自棄(じぼうじき)(おちい)っていたハルだったが、暗雲(あんうん)(おお)われていた心の中に、新鮮な空気が一気に流れ込んで来たような気分だった。

そしてハルはこの瞬間生まれて初めて本気で人を好きになった。恋というものがどれほど(せつ)ないものなのか──ハルはこれから生涯(しょうがい)をとおして思い知らされることになる。もしかするとハルにとってこの恋こそが、人生で一番(きび)しい修行だったかもしれない。


数年後──ハルは再び修行に(はげ)んでいた。人前でずきんを(かぶ)ることもやめ、ヤケドの(あと)(さら)して歩いても平気だった。もちろん(まわ)りに危害(きがい)を加えたり、嫌がらせをすることもなくなった。それでも一度〝気障りのハル〟というレッテルを()られたハルは、文字どおり不愉快(ふゆかい)な人間として誰からも相手にされることはなかった。

虎もハル(どう)(よう)黙々(もくもく)と修行に励んだ。ハルが(たき)に打たれたり、石の上に座って精神を(きた)える直向(ひたむ)きな姿に、虎は何度も心を奪われそうになった。そんな時は自らも滝に打たれてハルへの想いを封印(ふういん)した。道で偶然(ぐうぜん)すれ違った時は、ただ修行に打ち込むハルに興味(きょうみ)(しめ)す態度で言葉を()わすだけだった。

ハルもそんな虎の態度に対して、わざと()()ないそぶりをとった。虎が見目形にこだわらないと言ってもやはり男──こんな(みにく)い顔など嫌に決まっていると思い込んでいたからだ。

そうして二人は互いの本心を隠したまま────また数年が過ぎていった。


ある日、虎が突然ハルの家を訪ねてきた。そんなことは今まで一度もないことだった。もしや自分に恋の告白をしてくれるのかと一瞬(いっしゅん)心を()ぎったが、それはすぐに打ち消した。

虎から発せられた言葉はまさに青天(せいてん)霹靂(へきれき)だった。突然山を下りると言うのだ。しかもその理由は神から天啓(てんけい)を得たからだという。虎に下がった啓示(けいじ)は、憑物(つきもの)によって苦しむ民衆(みんしゅう)たちを、神から与えられた霊能力によって(すく)うことだった。憑物を追い払う除霊(じょれい)とは違い、邪悪(じゃあく)()まった憑物を本来の御霊(みたま)に戻してやることで御霊も民衆も助かるというものだった。

虎はそれを〝聖霊(せいれい)〟と呼び、自らを聖霊師(せいれいし)と名乗って生業(なりわい)にするとハルに言い残して下山した。その別れはあまりにもあっけないものだった。〝一緒に山を下りよう〟と言ってもらえるとは思っていなかったが、それでもハルは女として嘘でもいいからその言葉を聞きたかった。

結局ゴミソとして生きていく選択(せんたく)しかなかったハルは、それからも誰とも関わることなく、空虚(くうきょ)な心に鞭打(むちう)って修行を続けた──(ゆい)(いつ)本気で恋をした香神虎という男の(かげ)を引きずったまま。

  



     Ⅱ


錫は気障りの婆に、今まで起こった出来事をすべて話した。

「…なるほど。お前は(のが)れられん運命(さだめ)()き動かされているようじゃなぁ…」空想(くうそう)のような話を理解してもらえた錫は、持っていたポシェットから大仏殿の柱の穴を写した写真を取り出し、気障りの婆に差し出した。

「ほほぅ!これが真っ白いトンネルというやつか…!?」

「やっぱりお婆さんには見えるんですね!?」錫はたまらなく嬉しかった。

「当たり前じゃ。ワシを誰だと思うとる…」

「気障りのお婆さん!」バカ正直に答えた──。

「…ったく…お前は本当に天然じゃな…。一つ教えておいてやる。この柱の場所はなぁ、大仏殿の中心から見て北東の方角…つまり〝(うしとら)〟の方角にあるんじゃ」

「…(うしとら)の方角?」

「うむ…いわゆる鬼門(きもん)と呼ばれている方角じゃ。昔から邪気が流れてきて(わざわい)をもたらす方角とされてておる。大仏殿に限っては、鬼門から流れてくる邪気が柱に当たって堂内(どうない)蔓延(まんえん)するのを(ふせ)ぐために、鬼門封(ふう)じとして穴を開けて邪気の通りを良くしているという話じゃ」

「へぇ~…。(かしこ)くなるために開けた穴だと聞いたけど──諸説(しょせつ)あるのね」

「それに鬼門はどこかの世界に通じる出入り口だと聞いたこともあったが…この写真を見てそれが本当だと確信したわい」

「それじゃ、もう一度あの場所に行けば向こうの世界に行けるということ?」

「それはワシにもわからん。比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)を知っておろう?…あそこは京都御所(ごしょ)の鬼門の方角に存在しておるんじゃ。御所を守るための鬼門封じとしてな。つまり鬼門は(うしとら)の方角に(つね)に存在しておる。ということはじゃ…どの鬼門の場所に出入り口があってもおかしくはないということじゃ」

「スゴ~い……んじゃ、お婆さん、私の鬼門の場所から向こうの世界に行けない?」

「バカかお前は!そんな簡単に行けるならワシが一番に行っとるわ」

「どうせバカですよ~だ!」錫は小憎(こにく)らしく舌を出すと、気になっていた〈神霊界(しんれいかい)賜尊具(しそんぐ)〉について尋ねてみた。

「さぁのう…あれがなんなのかはワシにもよう分からん…。お前のじいさんがワシに神霊界賜尊具を預けにきた理由は、自分が死した後、あの摩訶不思議(まかふしぎ)(れい)()を使いこなせる者がいなかったからじゃ」

「でもパパは一応(いちおう)使いこなせているわ。この前も聖霊に立ち会ったけど、ちゃんと(あつか)えてたもん」

「では聞くがなぁ、ションベンたらし娘…」

「ショ…ションベンたらしって…」錫はムカッとしたが、気障りの婆はお(かま)いなしに話を続けた。

「いったい誰が集鬼鈴と晶晶白露に霊気を補充(ほじゅう)しとるんじゃ?お前のじいさんがワシにあれを(たく)したのは、それをできる人間が他におらんからじゃろ?」

「そっか!…パパでは補充できないから、おじいちゃんはわざわざお婆さんに神霊界賜尊具を預けなくちゃいけなかったのね?」

極論(きょくろん)を言えば、霊気の()まった集鬼鈴と晶晶白露を正しい手順(てじゅん)さえ()んで使えば、誰でも聖霊ができると言うことじゃ。それはお前も気づいたじゃろ?」

「はい、霊力が無くてもパパは聖霊を……そっかぁ!霊気の補充もできないパパは集鬼鈴や晶晶白露を使いこなせているとは言えない…そう言いたいのね?」

「気づくのが遅~い!だから〝ションベンたらし〟に格上(かくあ)げしたんじゃ」

「うえ~ん…私からすればそれは()()()ですぅ…。でもパパが神霊界賜尊具やお婆さんのことをはぐらかしていた理由が分かったわ。おじいちゃんがお婆さんに神霊界賜尊具を預けたことで、パパは聖霊師として(みと)めてもらえていないと思っちゃったんだね…。パパだってプライドがあるから、娘にそのことは言いづらかったということか…」

「あの男は優しかったからのぉ…。自分が死んだ後も婿(むこ)の香神一が聖霊に困らんように、ワシに()()()(たく)したんじゃ」

「もしかしたらおじいちゃんは、パパの演劇の才能を見込んでお母さんと結婚させたのかも…。神霊界賜尊具にパパの持ち前の演技力が(くわ)われば、おじいちゃんに負けない聖霊師ぶりを発揮(はっき)できるもん。(げん)に私はころっと(だま)された。今のパパは霊力なんか無くったってカリスマ聖霊師だよ」

()()()()カリスマ聖霊師じゃ!」そのとおりなので錫は反論(はんろん)できなかった。

「聖霊を助けてくれる集鬼鈴や晶晶白露ってなんなんだろう?」

「残念じゃが、今となっては分からん…。あの男がもう少し長生きしてくれていれば良かったのだが…」



虎の()た天啓が何を意味していたのか──。死を予感していた虎は、ハルの元を訪れてその一部(いちぶ)始終(しじゅう)を話すつもりだった。山籠(やまご)もりの修行があと少し早く終わっていれば、ハルは虎からすべてを聞けたはずだ。しかし二人の歯車(はぐるま)()み合わなかった。修行を終えて帰ってきたハルは、すぐに虎の置き手紙に気づいた。手紙を読んだハルは、疲れきった身体のことより虎に会いたい一心で、明朝(みんちょう)すぐさま出発できるよう身支度(みじたく)調(ととの)えて休んだ。

()しくもその夜中──ハルの枕元に虎が(あらわ)れた。それは(すなわ)ち虎の死を予感するものだった。「せめてあと一日…あと一日早ければ…」ハルは真相(しんそう)を聞くことよりも、生きて虎に会えなかったことが()やまれてならなかった。



「おじいちゃんはあんなスゴいモノをどうやって手に入れたの?」

「おそらくはどこかで作らせた物じゃ。お前の話を聞いて分かったわい」

「私の話で?」錫は一言も聞き()らすまいと、耳を引っ張って大きくした。

狡狗(こうく)とやらとの戦いで、お前の手に現れた短刀こそ本物の晶晶白露じゃ…分かるなぁ?」錫は大きく(うなず)いた。「あの男は晶晶白露の存在をもともと知っていた…。だが本物の晶晶白露は持っていない。そこで霊気を(たくわ)えて封じ込めておくことのできるレプリカの晶晶白露を作らせた。ただし普通に作ったんでは霊気を蓄えることはできん。何か秘密があるはずじゃ…」

「なるほどね…。でもあのあと本物はどこに消えたのかしら?」

「お前の体内に(ひそ)んでいるはずじゃ…」

「た…体内…?だったらお婆さん…なんとかもう一度晶晶白露を取り出したいの!お願い協力して!」錫は手を合わせてペコペコと気障りの婆に頭を下げた。

「なんでそんなに取り出したいんじゃ?」

「だって…〝自称神様〟が探し出せと言ってた秘宝って晶晶白露のことでしょう!?」

「あ~~~~~っ!?────お前は本当に()()()()()単純な天然女じゃな!」

「ゲッ!お婆さんにまでそれを言われるなんて…スズちゃん(へこ)むぅ~」

「お前の話だと秘宝とやらは三百年に一度満年を迎えるんじゃったなぁ?そんな秘宝が、お前ごときの手に簡単に渡るものか!それにあの男が殺されたのも、その秘宝が関係しておるとワシは思うとる。それほどまで周囲を巻き込む代物(しろもの)が、そう易々(やすやす)とお前の手に入る方がおかしいじゃろうがぁ。少し考えろ……バカ女が!」

 ──「クッ!この婆さん…若い頃は大モテだったってホントかしら?おじいちゃんとの恋物語に〝ほろっ〟とした私がバカだったわ」

「まぁ晶晶白露はそのうちまた出てくるわい」

 「そう言われてもなぁ…。じゃあお婆さん集鬼鈴は?集鬼鈴はなんなの?」

「しつこいのぉ……あらゆる魂が魅了(みりょう)される鈴じゃろう」

「そうじゃなくて…おじいちゃんは私が鈴を鳴らしたらビックリするだろうって私の母に話していたの。だから私は集鬼鈴がその鈴だと思って狡狗に鈴の音色(ねいろ)を聞かせてみたのに何も起きなくて…逆に狡狗にバカにされちゃったんだよ」

(あわ)てるな──なんでもいっぺんには分からんわ。…それよりワシも久しぶりにあの男の思い出話ができたわい」気障りの婆は目を(ほそ)めて(うれ)しげな顔をしてみせた。そこに大粒の涙を溜めているのを錫は見逃さなかった。小憎(こにく)らしいが、悲恋(ひれん)()めたまま人生を過ごした気障りの婆を錫は(にく)めなかった。その相手が祖父だとなればなおのことだ。この女心に錫までも涙してしまいそうだった。なんとか気障りの婆を(いや)してやれないものかと考えていた錫は、ポシェットから二枚の写真を取り出して気障りの婆に差し出した。

「おぉ、(なつ)かしいのぉ」そう(つぶや)いた気障りの婆は恋する女の顔だった。切ない女心を(あわ)れんで見つめていると、気障りの婆がすぐさまその気配に気づいた。「何をジロジロ見とる?気持ちの悪い奴じゃ!」錫は慌てて視線を()らした。

「お婆さん、写真の裏を見て。おじいちゃんが短歌を残しているんだけど、これがまた意味不明で…。お知恵を拝借(はいしゃく)したいの」気障りの婆は言われるまま写真を裏返して、短歌に何度も目をとおした。その間に錫は、この二枚の写真を見つけ出した経緯(いきさつ)を話して聞かせた。

「…ふむ……夢で見つけだした写真というわけか…」

「えぇ…だからどうしても何かのメッセージじゃないかって(かん)ぐってしまって…」気障りの婆は写真の表と裏を何度も返した。。


境内地 愛犬〝いし〟と遊ぶ孫

母のひと声〝いし〟は生き生き


 「ふむ…お前の母親は名は?」。「鈴子(りんこ)といいますが…」

 「ふん…。〝いし〟というのはお前の飼い犬だったのか?」。「はい。ちなみに〝いし〟の名付け親はおじいちゃんよ」

 「誰も聞いとらんわい…そんな〝ちなみ〟の話など…」つっけんどんに言われて、錫は歯ぎしりしながら(いか)りを(おさ)えた。

 ──「この婆さんだけは…いつかコワ~い思いをさせてやるぅ」

「もう一枚はあの男の晩年(ばんねん)の写真じゃな?杖を持っておる…」

「はい、古傷(ふるきず)が痛むらしくて、いつも杖をついていたの」

「ワシのせいじゃ…。ワシのせいで足を痛めたんじゃ」。「お婆さんのせい?」

「あぁ…。嵐の日に山で修行をしていたワシは、土砂(どしゃ)()まれて動けんようになったことがある。あの男はワシを見つけて土砂を取り除き、安全な場所まで()ぶってくれたわい。ところがやれやれと思った途端、強風で大木が倒れてきてのぉ。あの男は咄嗟(とっさ)にワシをかばってくれたが、自分の足を(はさ)まれてしまったんじゃ。年と共にその時の傷が痛み出したんじゃなぁ…ワシのせいじゃ」またも目が(うる)んでいるのを錫は見逃さなかった。

──「お婆さんは私には()(にく)たらしいけど、おじいちゃんにはとっても素直だわ…恋する気持ちに年齢は関係ないのね。私もいつかそんなステキな人に(めぐ)り会えるかなぁ…?」

「お前何をニヤニヤしておるんじゃ?気持ち悪いのぉ」

「すみませんねェ、気持ち悪くて!」錫は(とが)った声で言い返した。

──「寝ている間に油性ペンで顔に〝へのへのもへじ〟を書いてやるぅ!」錫が目をつり上げるのと反対に、気障りの婆は、その口元に笑みを浮かべた。

「お婆さん、何か分かったの?」。「あぁ…分かったぞ!」

「ホントですか?何が分かったの?」錫の目が期待で輝いた。

「あの男は晩年もいい男じゃと分かった」。「はぁ~~~!?」

「冗談じゃ…バカ!」錫は真っ赤な顔で気障りの婆を睨みつけた。

──「ギリギリ~…。この婆さんだけは…裏の畑の野壺(のつぼ)にハマっちまえ!」

「…ちょっとワシについて来い」錫の態度など全くお(かま)いなしに、気障りの婆は集鬼鈴の入った箱を持って玄関から外に出ると、しっかりした足取りで歩き出した。錫もいつまでも(いら)ついてはいられず、狡狗を封印(ふういん)した玉を慌ててポケットに突っ込むと、気障りの婆の後を追いかけた。


気障りの婆は歩きながら、家の裏手(うらて)にある小さな山を(ゆび)さして言った。「そこの山の(ふもと)に小さな神社(じんじゃ)がある。そこまでついて来い」

「もしかして…やっぱり何か分かったんですか?…そっかぁ、今から行く神社って写真に写ってる神社なんでしょ?」気障りの婆はそれには答えず、黙々(もくもく)と山へと向かって歩き続けた。


長い石段を一気に上がると気障りの婆が(つぶや)いた。「ちょうどいい…誰もおらん…」

「お婆さん…この神社の境内(けいだい)、写真と違うみたいね?」

「誰が同じだと言った?ワシはそんなこと一言も言うとらん」

──「くたばれオバァ!」

「ここに連れて来たのは()()()があるからじゃ!」

「はぁ~?…()()!?──コレがあるからって?」

「つべこべ言わずにお前は早う鈴を鳴らしてみんか」

「で、でも…邪悪な(れい)(むら)がってくるんじゃないの?」

「お前なら大丈夫じゃ。内面に秘められた霊力は相当なものじゃからのぉ。低級な霊はお前を恐がって近寄りもせんわい」

「ほ、ほんとう?」錫は尻込(しりご)みしている。

「あぁ~もうええからさっさと鳴らさんかぁ!」気障りの婆に()かされて、錫は(なか)ばやけくそに左手で集鬼鈴を持った。

「い、いきます…」恐々(こわごわ)と真上に大きく振り上げると、そのまま前方に向けて鈴を振った。〝シャシャーン!〟(すず)しい音色(ねいろ)が空気をころがるように(ひび)(わた)った。錫はドキドキしながら(あた)りを(うかが)った。だが何も起こらない。

「確かだと思ったんじゃが…。やっぱりションベンたらしでは無理か…」大きな(ひと)(ごと)だ。

「お婆さん…思いっきり聞こえてますけど!?」

「聞こえるように言うとるんじゃ!」

──「この婆さんだけは…わさびタップリのお寿司を口に突っ込んでやる!」錫のしかめっ(つら)を気にも()めず、気障りの婆はもう一度短歌を見直した。


境内地 愛犬〝いし〟と遊ぶ孫

母のひと声〝いし〟は生き生き


「ふむ……そうじゃ!今度はコイツを()でながら鈴をならしてみぃ」

「はぁ~?コレを…?まぁ、言うとおりにしますけど…」錫は言われるまま、右手で()()()でながら左手で鈴をならした。〝シャシャーン、シャシャーン!〟さっきと同じように(しばら)く待ってみたが、やっぱり何も起こらない。

「やっぱりだめじゃな…。お前この写真を撮った時の記憶(きおく)はあるか?」

「記憶?…断片的(だんぺんてき)だけどありますよ」

「よし。ではその時のことを思い出してみぃ」

「えっ?思い出してどうするの?」

「えぇ~いもう……いちいち()れったい奴じゃ。ええから早う思い出せ!」

「は、はい!」愛犬〝いし〟は大きな秋田犬だった。錫はいつもいしに顔を()めまわされていたが、どこか(おさな)い錫を守っているようにも見えた。この写真を()った時、楽しげに(たわむ)れる錫といしに、鈴子が笑いながら何か声をかけていたような記憶がうっすらと残っていた。

──「あの頃のいしはとても大きく感じたわ…背中にも乗ったりしたっけ。おとなしいけど(たの)もしい子だったなぁ…」

「どうじゃ?少しは思い出したか?」

「えぇ、なんとなく…。そうそう、お母さんはいつもあの子に『いっぱい錫と遊んでやってね』って言ってました。そしたらあの子は本当に私と追いかけっこしてくれて…とっても楽しかったなぁ…」

「よし。ではその記憶を高揚(こうよう)させてから集鬼鈴を鳴らしてみぃ」

「はい。やってみます!」錫は脳裏(のうり)に浮かんだ思い出を楽しみながら、三度(みたび)左手に持った集鬼鈴を振り下ろした。前方でスナップを()かせて止めた途端(とたん)、錫は手の平に強い電流(でんりゅう)のような(しび)れを(おぼ)えた。思わず握っていた集鬼鈴を放してしまったが、錫にはまるで手の平から集鬼鈴が弾け飛んでいくように感じた。集鬼鈴は(さび)しげな音を立てながら、錫の前方に(むな)しく転がって止まった。錫は咄嗟(とっさ)に気障りの婆を見た。(しばら)く黙って錫の視線に付き合っていた気障りの婆だったが、少し口元に笑みを浮かべて言った。

「自分の左手を見てみい…」その言葉に錫は素早く左手に目を向けた。

「あっ──!」晶晶白露の時と同じだった。錫の左手にはもう一つの集鬼鈴がいつの間にかしっくりと(おさ)まっていた。

天晴(あっぱ)れじゃ!なんとまぁ美しい鈴が現れたもんじゃなぁ」さすがに気障りの婆も、この(きら)びやかな鈴に感嘆(かんたん)の声をあげた。

「ホントに美しい…この世の物とは思えないわ!」思わず口を()いて出たその言葉に、錫は〝しまった〟と口を(つぐ)んだが手遅れだった。

「この世の物ではないわ…バ~カ!」気障りの婆に嫌みったらしく言われてしまった。

「ゴメンナサイね…バカなションベンたらしでぇ」開き直っている。

──「いつかくすぐりの刑にしてやるからね…婆さん…」腹を立てながらも、錫は黄金色(こがねいろ)に輝く鈴にウットリしてしまった。

「こらっ!お前がとっとと魅了(みりょう)されてどうする。しかもまだ音も鳴らしてとらんのに…バカが!」錫はその言葉で我に返った。

「ハッ!…危なかった。おそるべし集鬼鈴」

「…っったく(たわ)けが…。ぐずぐずせんと早う鳴らしてみんかい」気障りの婆に()かされて集鬼鈴を振ってみたものの、ウンともスンともいわない。

「ダメじゃダメじゃ!そんなヤケのヤンパチで振り回しても…バカタレ」

「は、はい…」錫は目を閉じると、さっきと同じ要領(ようりょう)で、楽しかった思い出を高揚させた。「お婆さん、イイ感じ!」

「よし!ではもう一度()()()を撫でながら鈴を鳴らしてみぃ」

「はい。錫ちゃん頑張ります!」。「うるさい、黙ってやれ!」

「…ぶぅーだ!」錫は右手でソレを撫でながら、左手で集鬼鈴を振り下ろすと、スナップを()かせながら止めた。

〝シャウィ──ン…シャウィ──ン…ウィ─ン…〟集鬼鈴の音色は、境内(けいだい)全域(ぜんいき)生気(せいき)を与えるかの(ごと)(あざ)やかに響き渡った。二人は(しばら)く視点をどこに定めるでもなく、その美しい音色に心を奪われていた。やがて音が静まると、錫は我に返ったように大きな目をくりくりさせて子供のようにはしゃいだ。

「鳴った鳴ったぁ~!」ピョンピョン飛び跳ねて喜んでいる錫をよそに、なぜか気障りの婆は(けわ)しい顔だった。

「なんという音色じゃ!脳天(のうてん)に突き刺さるような甲高(かんだか)い金属音で始まったかと思うと、(おだ)やかで(きよ)らかな心地良い音に変化し、やがて身体全体を包み込むような優しい余韻(よいん)に眠りを誘われたわい…。集鬼鈴となぁ…その名の(ごと)く鬼でも魅了され引き寄せられる摩訶不思議(まかふしぎ)呪具(じゅぐ)よな」

「だけどお婆さん…、ビックリするようなことが起きませんよ…?」

その理由は気障りの婆にも分からない。と──その時、錫が撫でていた()()微妙(びみょう)にダブったような気がした。「あらっ!?私乱視(らんし)かな…?」

「ふっふっふっ!的中(てきちゅう)かの…!?」

「えっ?ナニ…ナニこれ?」錫は指の先で目を軽く(こす)ってからもう一度ソレを見てみた。やはり微妙にダブって見える。

(あらわ)れるぞ…」気障りの婆はポツリと(つぶや)いた。




     Ⅲ


香神虎は天啓(てんけい)()たことでゴミソの修行に終止符(しゅうしふ)を打った。躊躇(ためら)うことなくあっさりと山を下りた虎は、しばらくの間あちこち放浪(ほうろう)を続けていた。そうして、やっと腰を落ち着かせたのが、今現在錫たち家族が住んでいる中尾市の自宅付近だった。あばら()だったが、そこに虎は聖霊師として看板(かんばん)(かか)げた。この時すでに四十歳を過ぎていた虎は、()()()()(こと)(ほか)執着(しゅうちゃく)していた。

()()()()──────それは結婚だった。

山を下りるまでの虎はひたすら修行の日々で、結婚などという文字には(まった)無縁(むえん)だった。それがいきなりそのことを意識するようになったのは、天啓を得てすぐのことだ。もちろんこの心境(しんきょう)の変化は、本人以外誰も知る(よし)もないことだった。

虎は人の気持ちを傷つけることを嫌う優しい性格だった。しかし、信念(しんねん)()げることを嫌う(しん)の通った一面(いちめん)も持ち合わせていて、それがゆえに高宮ハルとも深い仲にはならなかったのだろう。虎にとって、ハルと恋に落ちてしまうことは修行の(さまた)げであり、修行を妨げるものに走ることは、虎が承服(しょうふく)できるものではなかった。もっとも、ハルも虎に決して恋心を見せなかったことで、虎は(みゃく)はないと思い込んでいた。そのことがハルへの恋のストッパーになっていたのも(いな)めない事実だった。

そんな虎がハルになんの躊躇(ためら)いもなく山を下りたのは、いかなる気持ちの変化だったのだろうか?天啓を得たことで虎自身の生きる目的が明確化(めいかくか)されたとしても、人情に(あつ)い男が、そんなにあっさりハルへの恋心を()ち切れるものだろうか?神の啓示(けいじ)とはそれほどまでに人の心に影響(えいきょう)(およ)ぼすものなのだろうか?何が虎をそうさせたのかは、正に〝神のみぞ知る〟といったところだ。


聖霊師となった虎の評判(ひょうばん)はたちまち広まった。日に数人は新しい依頼人(いらいにん)が彼の元に訪れるようになっていた。しかし、そのほとんどは〝いつも誰かに見られている〟〝不眠症(ふみんしょう)に悩まされるのは(たた)りではないか?〟〝耳鳴りと共に誰かが耳元で話しかけてくる〟そうした幻覚(げんかく)幻聴(げんちょう)(たぐい)だった。ぶちまけて言えば、いちいち付き合っていられない連中(れんちゅう)(あと)()たないということだ。またそうした連中に限って「憑物とは違う」と説明しても、しつこく食い下がってくる。虎が一人で切り盛りするには到底(とうてい)無理(むり)があった。そうした中、大忙しの虎を手伝っていたのは、(あかね)ミツという若い女性だった。ミツは虎が聖霊師の看板(かんばん)(かか)げてから三日目に(おとず)れた最初の依頼人でもあった。

初めてあった時、虎はとりわけこのミツに興味(きょうみ)(しめ)した。比較的(ひかくてき)強い霊力を持ち合わせていたからだ。

「香神先生、私に何が取り憑いているかは分かっています。でもそれを取り(はら)うだけの霊力が私にはありません。お礼をするお金もありません。ですが将来(しょうらい)必ずお支払いします。先生の霊力が本物なら、先に除霊でも聖霊でもしてもらえないでしょうか?」虎の予感は的中(てきちゅう)だった。茜ミツは自分に何が憑いているのか分かっていてここに来ていたのだ。それに()衣着(きぬき)せぬ物の言い方も虎には好感(こうかん)が持てた。

「私は銭金(ぜにかね)で聖霊をするつもりはない。自分に与えられた力で困っている人を助けたいだけだ」虎はそう言ってさっさと聖霊の準備に取りかかった。

ミツに取り憑いていた憑物は、江戸末期に同じ男に(だま)されて首を()って死んだ姉妹の霊だった。ミツが、とある温泉地に行った時、この姉妹の霊と目が合ってからずっと憑き(まと)われていた。何度もこの姉妹の霊に、自分から離れてくれと頼んでも言うことを聞いてもらえず、〝私たち姉妹を助けてくれ〟の一点張(いってんば)りだった。虎のもとを訪れた時のミツは、明らかにこの姉妹の霊に精気(せいき)を吸い取られていた。


虎が()(おこな)った聖霊の儀式はそれほど大げさなものではなかった。桐の箱から鈴を出して一振りすると、ミツに取り憑いていた姉妹の霊はおとなしくミツの体から抜け出てきた。と同時に苦しかったミツの胸がスゥーと楽になっていった。その後、虎は姉妹の霊に自分が味方(みかた)だと話しかけ、(うら)んでいる男への憎悪(ぞうお)の念から解放(かいほう)させるべく懇々(こんこん)()()せると、姉妹の霊は虎の説得(せっとく)(あらが)うことなく素直に(したが)い、やがて本来の心を取り戻したのだ。最後に虎は、いつの間にか奇術(きじゅつ)のごとく出現させた小さなガラス状の玉に姉妹の霊を封印すると、天に向かってその玉を軽く放り投げた。玉は真っ白な光を(まと)い、この日を心待ちにしていたかのように昇天(しょうてん)していった。ミツは虎の見事な聖霊の儀式に驚愕(きょうがく)し、何度も礼を言ってその場を後にした。


ところが、虎の聖霊に心を突き動かされたミツは、次の日から虎のもとを訪れるようになった。最初は食べ物を差入れしたり、お茶を入れて帰る程度だったが、そのうち掃除をしたり洗濯物を持って帰ったりと、虎の生活面を一手(いって)に引き受けてせっせと通いつめた。そしていつしかミツは、虎を訪ねてくる依頼人の受付までするようになっていたのだ。

依頼人の大半(たいはん)は憑物とは無縁(むえん)の精神を(わずら)った者たちだ。窓口になっているミツがまずその依頼人に憑物が憑いているかどうかを的確(てきかく)判断(はんだん)し、もしも憑物が見えなければ、聖霊の必要がないことを依頼人に説明してお帰りいただく。ときに〝お前みたいな小娘に何が見えるんだ〟と(から)んでくる依頼人は虎に対処(たいしょ)してもらった。

当初(とうしょ)ミツが依頼人に〝あなたのは憑物ではないので病院に行ってみては?〟と正直にアドバイスをすると〝精神病(あつか)いするな。私は(くる)ってなんかいない〟と激怒(げきど)された。ミツは親切(しんせつ)のつもりだったが、依頼人は(いか)りを(あら)わにするだけだった。虎は「誰でも幻覚(げんかく)幻聴(げんちょう)が起こると()()()()()にしたがるものだ。憑物ならば自分に()はないが、『病院に行け』と言われたら自分がおかしいことにされているのと同じだ。あんたの親切心は、相手にとっては『おかしいのはお前の頭のほうだ』と聞こえてしまうのだ」と教えられた。

それからのミツは憑物に取り憑かれていない依頼人に対して、刺激(しげき)しないように説得することを心がけた。(もっと)も効果があったのは、まず相手を安心させる()()せ方だった。「あなたは幸運(こううん)でした。どうやらあなたのは憑物ではないようです。あんなモノに憑かれたら、一生(のろ)われ続けたり、下手(へた)をすれば命を奪われることだってあるのです。あなたはストレスで精神のコントロールができなくなっているのでしょう。でも精神的なものなら憑物のように恐くはありません。病院に行けば良い処方(しょほう)をしてくれます。今の世知辛(せちがら)い世の中では、気持ちをいつも平常心(へいじょうしん)に保つのは難しいものです。あなたが悪いわけではありませんから安心して病院で()てもらってください」こんな調子(ちょうし)(まく)し立てながらやんわりと説得すると、相手はまるでミツの暗示(あんじ)にかかったように安心して矛先(ほこさき)を病院に向けてくれた。

それから数ヶ月後、ミツはただの窓口ではなく、憑物を見てくれる霊能力者と(うわさ)されるようになっていた。さすがに聖霊こそできなかったが、霊の心を感じることや会話をすることもできた。もはや虎にとっても(たの)もしい助手(じょしゅ)となっていた。

虎とミツは年の差が親子ほど離れていたせいか、ミツは虎を父親のように(した)い、どんなことでも(つつ)(かく)さず話ができた。虎は虎でそんなミツを娘のように可愛がっていた。それに加えてしっかり者で屈託(くったく)のないミツの性格も虎は気に入っていたのだった。

ミツが虎の手伝いをするようになって一年が過ぎた頃──ミツは懐妊(かいにん)した。相手は────────虎だった。親子のように接していた二人に間違いなど起こるとは思えなかったのだが──これだから男と女は全く持って分からない。かくして虎が山を下りてからいきなり()き上がった結婚(けっこん)願望(がんぼう)は、こんな形で成就(じょうじゅ)したのだった。


ミツの懐妊を知った時の虎の喜びようは(すさま)まじいものだった。懐妊を知らされた次の日から「まだお腹の赤ちゃんは動かないか?」などと無茶(むちゃ)なことを口にしたり、「男でも女でも名前はもう決めてある」と嬉しそうに何度もその名前を半紙(はんし)に書いては一人で満足気(まんぞくげ)(うなず)いていた。

ところがそれから間もなくしてのことだ。あれほどミツの懐妊を喜んでいた虎が、一変(いっぺん)して何もお腹の子供のことを口にしなくなった。ミツが何かあったのかと尋ねても、「何もない」と答えるだけだし、「やっぱり違う名前にしよう…」と無気力(むきりょく)にミツに伝えるのだった。虎の態度に不安を覚えたミツは〝お腹の子供がほしくないのか?〟と尋ねた。さすがに虎は、その言葉に血の気が引いた。

「すまない…決してそうではないんだ。お腹の子供は神様から(たまわ)った大切な命だ。安心して()んでほしい」その答えにミツは〝ホッ〟とした。虎に何があったのかは分からなかったが、ミツはそこまで追求(ついきゅう)しなかった。虎が嘘をついてごまかすような人ではないことを知っていたからだ。お腹の子を大切に思い、産んでほしいと言ってくれただけでミツには充分(じゅうぶん)な答えだった。

やがてミツは女の子を出産(しゅっさん)した。鈴をころがしたような産声(うぶごえ)に、産婆(さんば)さんから〝こんな綺麗(きれい)な声で泣く子は初めてだ〟と()め言葉をもらった。それが命名(めいめい)の理由かどうか(さだ)かでないが、虎はわが子に〈鈴子(りんこ)〉と名付けた。

虎は生まれて間のない鈴子に、「お前は違うんだな?」とか「早く大人になって子供を産んでくれ」などと、奇妙(きみょう)なことを(かた)りかけることが多くあったが、ミツはそんなことは気にせず、優しい虎の父親ぶりを素直に喜んでいた。

ミツの懐妊中の話に戻るが、虎はこれから生まれてくるわが子のため、そして聖霊師としての自覚を持つために、それまでの〈聖霊師 香神虎〉から〈聖霊師 天登(あまのぼり)虎ノ門(とらのもん)〉と名を改めた。この改名(かいめい)(さかい)に、虎の名はこの世界では名の知れた存在になっていった。虎の聖霊の仕方は、憑物と話をして邪心を取り除き、強い霊力をもってガラス状の玉に封印して、天へと帰すのがほとんどだった。また愛用の短刀に普段から自分の霊気を少しずつ溜めておいて、必要に応じて聖霊に使ったりもしていた。この聖霊スタイルで、天登虎ノ門の名は不動(ふどう)のものとなったのである。




     Ⅳ


「えっ!ナニ…ナニが現れるの?」錫は自分の心臓がバクバクと音を立てているのが聞こえてきそうだった。「お婆さん…ねぇお婆さんってば…この狛犬(こまいぬ)おかしいよ…」

「どうやら間違っていなかったようじゃの…」錫が撫でていた石像(せきぞう)の狛犬は間違いなくダブり始めていた。「これは面白いのぉ…」間もなくダブって浮き出た狛犬はモゾモゾと動き出し、無機質(むきしつ)な石に躍動的(やくどうてき)な筋肉が付き、フサフサとした毛が体全体を(おお)うと、幽体(ゆうたい)離脱(りだつ)するかように完全に抜け出してしまった。

「なに~!?なによぉ~コレ…。飛び出しちゃった…」狛犬は錫の正面でちょこんとお座りすると、錫を意味ありげにジッと見つめた。

「お前のじいさんが()んだ歌の意味はこれじゃろう。境内地(けいだいち)の愛犬〝いし〟とは石の狛犬のことを指し、お前の母の名は鈴子(りんこ)…そのひと声…つまり(すず)の音じゃ!孫のお前がその鈴を鳴らすことで、石の狛犬が生き生きと(よみがえ)るということじゃ」

「お婆さんやるじゃない。今までのことは全部水に流してあげちゃうわ!」

「はっ?ワシが今までお前に何をしたんじゃ?」

「テヘッ!」錫はペロッと舌を出してごまかした。「それにしても本物の狛犬が(あらわ)れるなんて…本当にビックリよ」

「ビックリさせてすまんです…ご主人様」

「そうよ…ホントにもう…………………ってコレしゃべってるしっ!」錫は腰が抜けてその場にへたり込んでしまった。

「お久しぶりですご主人様。〝いし〟は(さみ)しゅうございました…くう~…」

「お久しぶりって言われても……私あんたのこと知らないよ」

「それは仕方ないです。ご主人様は生まれる前のことはご存じないのですけん…くすん」

「これはオモシロいことになりそうだ。何か尋ねてみい…お前の秘密が分かるかもしれんぞ」気障りの婆は興味深そうに錫を(あお)った。

「ねぇ、あんた狛犬よね?」。「へ、へぃ…」

「な~んちゅう陳腐(ちんぷ)な質問じゃ。もっとマシな質問ができんのか!?」

「だってぇ…」錫は(くちびる)(とが)らせて気障りの婆を見た。「じゃ、違う質問を…。あんたなんで狛犬の石像から飛び出てたの?」

「ご主人様が鈴を鳴らしたからですけん」。「あぁ、そうか…」先が続かない。

「ほんにお前はバカじゃのぉ…もうええわ!ワシに代われ」イライラした気障りの婆が錫を(ひじ)で押し退()けた。錫はお多福(たふく)のように(ふく)れたが、気障りの婆はお(かま)いなしに狛犬に質問した。

「お前は〝いし〟というのじゃな?お前今こいつをご主人様と呼んでいたが、昔からこいつに(つか)えておったのか?」

「はい、わたくしは〝いし〟。ご主人様には、もう何百年も可愛がってもらってますけん」

「何百年って!?」錫は目をくりっとさせて驚いたが、気障りの婆は()()りなんといった表情(ひょうじょう)だ。

「向こうの世界では何をしておるんじゃ?」

「今はかつがつながらご主人様の留守を(あず)かっておりますけん…はい。わたくしはご主人様の下僕(しもべ)なのです。もっともご主人様はそんなわたくしを、まるで家族のように大切にしてくださいましたが…」

「下僕とな?いったいどんなことをして仕えておったんじゃ?」

「わたくしはご主人様の足代(あしが)わりになることが最高の喜びでして、ご主人様が天甦霊主(あまのそれいぬし)様からご(めい)を受けましたら、すぐさまわたくしを呼んでくださり、背中に乗って走り回ります。ご主人様と一緒に縦横無尽(じゅうおうむじん)()け回る爽快感(そうかいかん)(たま)らんのですけん…はい」

「…ふぅ~ん。ねぇ、そもそも狛犬って架空(かくう)の動物じゃないの?」

「勘違いされやすいのですが、実は人間が想像(そうぞう)でわたくし達を作り出したわけではありません。ご主人様や御老女(あなた)様のように高い霊力をお持ちの方が、人間の世界でわたくし達を使っていたのです。それを()()りや(いし)()りで形にする者が現れ、いつしか神社などを守護(しゅご)し邪気を払う架空の動物として残っていったのです」

「そっか!…集鬼鈴や晶晶白露と同じね」

「でもそのような架空の生き物は他にもおりますけん」

「ひぇ~!他にもいるの?」

「…ご主人様が生まれる前のことを(おぼ)えておられないだけですけん…」いしはうつむきかげんに(つぶや)いた。

「普通は誰だってそうでしょう!?」

「はい…分かってはいるのですが…あの錫雅尊(しゃくがのみこと)様なだけにいしは悲しいのです…」

「ふ~む…生まれて来る前のお前は、よほど(とうと)霊神(れいじん)だったようじゃのぉ…今と違って…」一言多い。錫は〝ムカッ〟としたが、それは顔には出さなかった。

「そういえば向こうの世界に行った時、私は自分が生まれて来る前の姿を見たわ。挿絵(さしえ)に出てくる牛若丸みたいに凛々(りり)しい青年だったっけ…」

「そうですとも!錫雅(しゃくが)様は正義感(せいぎかん)()(あふ)れ、何人(なんぴと)見下(みくだ)すことのないお優しい方です。たとえご主人様がこのいしのことをお忘れでも、これからはまたご主人様のお(そば)に居りますけん」

「ふ~ん…側にね…ってなんでよ!?」余計(よけい)なお荷物(にもつ)()えそうで錫は戸惑(とまど)った。

「ふぉふぉふぉ…これはホントに面白(おもしろ)くなってきたのぉ」

「もうお婆さんてば…笑いごとじゃないわよ」錫の苛立(いらだ)ちをよそに、いしは〝くんくん〟と(にお)いを()ぎながら錫に近寄り、自分の首筋(くびすじ)を錫の体に(こす)りつけてじゃれついた。いしはライオンみたいに大きな図体(ずうたい)だったが、錫はなぜか恐いとは感じなかった。

「ご主人さまぁ~…」(けわ)しい顔をした石彫りの狛犬とは違い、いしの表情は(やわ)らかだった。錫は(みょう)(なつ)かしさを(おぼ)えて、いしの頭を撫でてやった。

「…そうよ、そうだわ!秋田犬のあの子に〝いし〟と名付けたのはおじいちゃん…そしてこの狛犬の名前も〝いし〟…これは偶然(ぐうぜん)じゃないわ!おじいちゃんはこの狛犬の〝いし〟の名前を取ってあの子に付けたのよ」錫は目を輝かせていしに尋ねた。「ねぇ、あんた私のおじいちゃん知ってる?」あまりに唐突(とうとつ)な質問にいしは困惑(こんわく)した。「香神虎よ、香神虎!おじいちゃんはあんたと顔見知りのはずなの…」

「わたくしは、こっちの世界のことは何も知らんのです」。

「ダメかぁ…。おじいちゃんの謎が()けると思ったんだけどなぁ…」

「お力になれずすみません…。そのかわりご主人様が天甦霊主様からどんなご命令(めいれい)を受けていたのかをお話ししましょう」いしは物語でも聞かせるように静かに語りだした。

天甦霊主(あまのそれいぬし)様は、(じん)()人力(じんりょく)()えているお方です。いわゆる神様と呼んだほうが一般的ですかね…?その天甦霊主様からご主人様にご命が(くだ)されます──『錫雅尊(しゃくがのみこと)よ西に向かえ』とか『東に向かえ』とか…そういった具合(ぐあい)に」

「なるほど。その世界を一目(ひとめ)に見そなわす天甦霊主が司令塔(しれいとう)なのじゃな」

「へぇ、おっしゃるとおりでして。するとご主人様はすぐわたくしに『いし出陣(しゅつじん)だ!』とひと声。時に遠く離れておりましても、集鬼鈴のその音色に(みちび)かれ()(ごと)()けつけます。その時は…胸が高鳴るのでございます…。それは…」いしはそこで言葉に()まった。主人との想い出に(ひた)っているのだろうと錫は感じたが、その主人が自分だと思うと(みょう)気分(きぶん)だった。


「それは…」いしが続きを話し始めた。「…ご主人様がこのいしを必要としてくださっていると思える瞬間だからです。ご主人様を乗せて一緒に駆け回れると思っただけで嬉しゅうて(たま)らんのですけん」

「主人が大好きだったのね…?」

「そりゃもう…返しきれないほどご(おん)のあるお方ですけん」

「ふむ…。ところでお前は下僕とはいうものの、相当の霊力があるのぅ?」

「えっ?そうなの!?」錫は大きな目をさらに大きく開けて、まじまじといしを見た。いしは久しぶりに主人に見つめられて()()()()()

「狛犬は神社・寺院を(まも)魔除(まよ)けの作り物じゃと思っておったが、こうしてみると大したものじゃ。さっきの説明のとおり、こっちの世界で霊力の高い人間に使われていたのが理解できるわい。だが…それを見抜(みぬ)けんお前はやっぱり…」

「はいはい、ションベン臭い女でしょ…分かってますよ」錫は気障りの婆が言いかけた言葉を取り上げて投げやりに答えた。

「おい狛犬…今は必要なとき以外その強い霊気は消しておけ。お前さんの霊気を嗅ぎつけて邪悪なモノが近寄ってくれば、逆に主人を危険な目に(さら)すことになるでな。それでは本末(ほんまつ)転倒(てんとう)じゃろ?」かなり(きび)しい口調での助言(じょげん)だった。

(きも)(めい)じておきますけん」いしはすぐに自分の霊気を極限(きょくげん)(おさ)()むと、そのでっかい図体(ずうたい)までも小さくして錫の肩に乗っかった。

「わぁ~…かぁわいぃ~!…ぬいぐるみみたい」いしは主人に可愛いと言われ、前足で何度も顔をすりすりと(ぬぐ)って()(かす)しした。

「さてと…ぼちぼち引き上げるとするかい。お前の友達もそろそろ目を覚ます頃じゃろうしのぉ」気障りの婆は丸めていた背中をさも(だる)そうにトントンと叩くと、しゃんと背筋を伸ばして歩き出した。錫もそれに続いたが、はたと足を止めた。

「お婆さん…()()どうしよう?」そう言って取り出したのは、狡狗を閉じ込めているあのガラス状の玉だった。

「はぁ…?まだ持っとるんか…そんなモノを」気障りの婆は(あき)れ顔で錫を(にら)んだ。

「そっ、それは〝邪身(じゃみ)(だま)〟ではありませんか!?」そう言うと、いしは錫の肩からピョンと飛び降りて、わくわくしながら錫を見つめた。

「邪身玉?いし…あんたこれ知ってるの?」

「はいご主人様!後生(ごしょう)ですけんその玉をいしにくださいませ」いしは錫の回りをピョンピョン飛び跳ねながらおねだりした。

「そんなに(たの)まなくてもあげるわよ…こっちだって助かるわ」錫がいしの目の前に玉を差し出すと、いしは待ってましたとばかりその玉を口に(くわ)え、(した)器用(きよう)に使って口の中でコロコロと(ころ)がしたり、それに()きると今度は前足で転がしてじゃれついた。一頻(ひとしき)り遊んで堪能(たんのう)すると足先で玉を押さえて、ようやく邪身玉のことを話し始めた。

「この玉は〝邪身(じゃみ)(ふう)じの宝玉(ほうぎょく)〟と(もう)しまして、霊力でのみ出現(しゅつげん)させることのできる(れい)(ぎょく)です。その名のとおり(よこしま)な霊を封じ込め、天へ帰して浄化(じょうか)させたり、あるいは彷徨(さまよい)続けている霊を閉じ込めて、()るべき場所に戻してやったりする玉なのです」

「だから晶晶白露で狡狗が玉になったのか…恐るべし晶晶白露」

時折(ときおり)玉を転がして遊んでいる狛犬や、口に玉を(くわ)えている狛犬の石像を見かけるが、ひょっとして、あれは邪身玉を(あらわ)しておるのか?」

「そのとおりですけん。この邪身玉は見た目は(もろ)いガラス玉のようですが、実態(じったい)はありませんから物理的(ぶつりてき)な力では(こわ)れません…」

「そうよね…本当のガラス玉ならあんたの犬歯(けんし)で簡単に()れちゃうわよね」

「はい、実はこの邪身玉は、わたくし達狛犬の霊力を(やしな)魅力(みりょく)ある玉なのです。この玉から微量(びりょう)ですが封印されているモノの霊気が放出されているのがわかりますか?」

「あぁ。ワシには分かるわい」気障りの婆は即答(そくとう)した。

「わ、私だって、それくらいなら分かるわ」錫も負けじと答えた。

「わたくし達はその霊気を取り込んで自分のものにします。平たく言えばエサですけん。しかも猫じゃらしよろしく楽しゅうて仕方なくなるんです」

「本当に楽しそうね。手鞠(てまり)かお手玉(てだま)みたい…」

「そのとおりですよご主人様。お手玉のことを〝()()()()〟とも言いますでしょう?あれは邪身玉の頭を取って付けられたんですけん」

「ほほう、おじゃみの由来(ゆらい)が邪身玉だったとは…。で…その邪身玉はどうするのだ?」

「天に帰します。ご主人様が邪身玉を天に向けて投げれば勝手に(のぼ)っていきますけん」

「わ、私が…!?ホントにそんなことできるの?」半信半疑(はんしんはんぎ)でいしから邪身玉を受け取った錫は、左手で邪身玉を真上に放り上げた。すると邪身玉は打ち上げ花火のように、しゅるしゅると白い光を放ちながら昇天(しょうてん)していった。完全に光が見えなくなると錫が呆然(ぼうぜん)として(つぶや)いた。「とんでもない力だわ…」

「すみませんご主人様…驚かせてしまいましたかね…?」

「そうじゃないの…。おじいちゃんの言ったとおり鈴を鳴らしてビックリすることが起きた…。あんたが(あらわ)れたり…邪身玉が飛んで行ったり…。自分に秘められた力に(いま)(さら)ながら驚いた…。そして…この力をこのままにしてちゃいけない…そんな気がしたの…」錫は自分に言い聞かせるように話し始めた。「今までは秘宝を探すことだけが自分の目的だと思っていたわ…でもそれだけではいけないと思ったの…」そこまで話すと錫は静かに目を閉じて、自分の中で何かを確認(かくにん)して再び目を開けた。「錫という名前はおじいちゃんが名付け親なの。〝自称神様〟は〈(しゃく)()(うまし)妙王尊(みょうおうのみこと)〉が私の本当の名前だと教えてくれた。おそらくおじいちゃんは、その名前の頭文字(かしらもじ)を取って私に名前を付けたんだと思う。でもその名前…本当はお母さんに付けるはずだったんですって…。お母さんがお腹に宿(やど)ったとき、おじいちゃんは何度も何度も〝錫〟という字を書いてわが子が生まれて来る日を楽しみにしていたそうよ。それなのに何故(なぜ)お母さんに付けるはずの名前を孫の私に付けることになったのか──今となってはすっごく引っかかる。お母さんは霊力など持たない普通の人…。言葉ではうまく表現できないんだけど…おじいちゃんから意味ありげな〝錫〟という名前を付けてもらった私が、今こうして説明の付かない霊力を手にしていることと、釈然(しゃくぜん)としないこれまでのおじいちゃんの行動に…私はどうしても一つの答えしか(みちび)き出せないの。もしおじいちゃんが今ここに居たら私になんて言うだろうか…?おじいちゃんは…おじいちゃんは間違いなくこう言うはずよ──『錫──お前は聖霊師になれ』ってね!」


   ★


「醜長様、手下どもが躍起(やっき)になって探しておりますゆえ間もなく見つかるでしょう。それよりも、女の霊力を追いかけていましたら、とんでもないモノの(にお)いがしました」     

「とんでもない匂いとはなんだ?」

「掘り出しもんですぜ……ちとお耳を…」

「ん?…ふん…ふんふん………なぬ、ほんとか?あんなに見つからなかったモノが…。ならばそいつを殺してでも(うば)ってこい!」

「お(まか)せください!時間の問題です。すぐ見つかりますでしょう」




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