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第七章──気障りの婆

気障(きざわ)りの(ばあ)




     Ⅰ


青森県の(さい)北端(ほくたん)下北半島(しもきたはんとう)には、死者(ししゃ)(れい)を呼びおろし、死者になりかわって依頼人(いらいにん)(かた)りかけることを生業(なりわい)とする盲目(もうもく)巫女(みこ)たちがいる。彼女たちは、死者の霊が登る山と恐れられるも(とうと)ばれてきた霊場(れいじょう)恐山(おそれざん)〟を拠点(きょてん)にして、参詣(さんけい)した人々の依頼に(こた)えて死者の口寄(くちよ)せ(ホトケオロシ)をおこなう。この人々が(ぞく)にいう〝イタコ〟である。ちなみに現在は〝イタコは盲目〟と限定(げんてい)されてはいない。

その恐山のイタコに対して、津軽平(つがるへい)野南端(やなんたん)岩木山(いわきやま)には〝ゴミソ〟と呼ばれる人々が修行をかさねている。ゴミソはイタコと違って死者の霊の媒介者(ばいかいしゃ)にはならない。

彼らのオロスものは天照(てんしょう)大神(だいじん)観音(かんのん)不動(ふどう)などの神仏(しんぶつ)であり、それら神々(かみがみ)加護(かご)を受けて、祈念(きねん)祈祷(きとう)や病気の治療(ちりょう)(ほどこ)すことを生業としている。イタコは本来盲目に生まれたり、不慮(ふりょ)の何かで盲目となったことで、生計(せいけい)のためにそれを生業とせざるを得ないところがあるが、ゴミソは(みずか)ら求めて神々と一つになる修行に取り組むのだ。ゆえにゴミソには盲目はいないし男性もいる。

しかし盲目ではないにせよ、ゴミソの個人史(こじんし)過酷(かこく)なものが多い。幼少(ようしょう)から家庭環境に恵まれなかったり、(きょ)弱体質(じゃくたいしつ)であったり、不運な体験をしている例が多くある。(やまい)()す、人から距離を置かれる、自分自身を見失う、人生に行詰(ゆきづ)まる──そんな彼らに、ある日突然神や仏からお()げが(くだ)る。何かを言い当てたり予言(よげん)をしたりと、今までにない自分の能力を垣間(かいま)見る。何者かに導かれるように、彼らは(さら)なる力を得ようと岩木山北麓(ほくろく)赤倉(あかくら)にある行者(ぎょうじゃ)小屋(ごや)拠点(きょてん)にして、火の(ぎょう)、水の行、(もの)()ちなど、神仏と自分とが一体化(いったいか)する力を獲得(かくとく)すべく過酷(かこく)な修行に(はげ)むのだ。そうしているうちに、彼らの病は次第(しだい)自然(しぜん)治癒(ちゆ)され、生きる目的さえもはっきりと見えてくる。

一言で言えば、霊媒(れいばい)能力(のうりょく)を第一と考える〝イタコのホトケオロシ〟。神仏を体内に取り込んで一体化する〝ゴミソのカミオロシ〟と区別(くべつ)できようか──。





    Ⅱ


錫が霊力で呼び出した晶晶白露(しょうしょうびゃくろ)は、狡狗(こうく)退治(たいじ)すると間もなく、まるで(みずか)らの使命(しめい)()たし終えて満足(まんぞく)したかのようにどこかに消えてしまった。

錫は〝自称(じしょう)神様(かみさま)〟が見つけ出せと言っていた〝秘宝〟が晶晶白露であろうと勝手(かって)目星(めぼし)をつけていた。だとすると、たとえ()()()であっても一応(いちおう)最初の任務(にんむ)は果たしたことになる。次は秘宝である晶晶白露を(うば)われないように守ることだが、何処(どこ)に消えたか分らない晶晶白露をどうやって守るのか──これは深刻(しんこく)な問題だった。



「結局川手のおじさんは『龍門先生対憑物の一騎打(いっきう)ちを見損(けんそこ)ねたぁ』って残念がっていたわね?」帰る道中、錫は助手席の龍門に話しかけた。

「まぁ…どっちみちあの戦いを見ていたら、驚いて気絶(きぜつ)してただろう…」

「そうね…。だけどパパが狡狗(こうく)をやっつけてくれたから私は助かったわ…」

「ん…?なんだコークって?」

「えっ?…あっ、あれよほら…()()()()(てき)をパパがやっつけてくれたから…」

「そうだぞ!相打(あいう)ちとは言え、結局パパが憑物を退治したわけだからなぁ。んははは!」龍門は上機嫌(じょうきげん)だ。

錫は狡狗との一戦を二人にどう説明してよいのか分からなかった。龍門は自分が強敵(きょうてき)を倒したと有頂天(うちょうてん)になっている。川手は川手で、すっかり龍門が憑物を退治したと信じ込んでいる。それならこのまま二人の考えていることが真実だと思わせておくことにしたのだった。

「あん時、錫が体当たりしてくれなかったら、パパも今頃どうなっていたことか…。今回は錫のおかげで助かった。まさに龍門(ドラゴン)危機(きき)一髪(いっぱつ)だな──アチョーッ!はっはっは」勝利に()()れている龍門だった。

その龍門のことで錫は疑問が一つ増えていた。さっきチャクラを閉じる前に知ってしまった龍門の秘密だ。錫はそれをハッキリさせたくて、遠回しに龍門に(たず)ねた。

「ところでパパはどうして川手さんに憑物の下調べをさせたの?」

「ふむ…それは企業(きぎょう)秘密(ひみつ)だが特別に教えてやろう。今回のように次々と怪奇(かいき)現象(げんしょう)(あらわ)れたら間違いなく憑物の仕業(しわざ)だと思っていい。そして最初の家主(やぬし)の伊村が長年住んでいた家を売り払い、そこから怪奇現象が次々と起こったとすれば、おそらくは伊村の邪心(じゃしん)元凶(げんきょう)だと推測(すいそく)できた。だからわざと川手に伊村のことを調べさせたんだ。(あん)(じょう)、伊村は奥さんに(うら)まれるような心…黒心(きたなきこころ)を持っていた。つまり伊村の私利(しり)私欲(しよく)の邪心により奥さんは自殺し、その奥さんの怨念(おんねん)が憑物となって今回の怪奇現象を引き起こした…ということだ。川手に伊村のことを調べさせて、パパが言ってたとおり伊村に黒心(きたなきこころ)があったと裏づけできれば、川手は〝さすが龍門先生〟と称賛(しょうさん)し、聖霊師 天登龍門の名はさらに(とどろ)くだろ!?」錫はだんだん龍門のカラクリが読めてきた。

「つまりあれ?すべては知名度(ちめいど)を高めるためのパフォーマンス?」

「おいおい、人聞きの悪い…すべてではないぞ。たしかに祭壇(さいだん)などは(かざ)りにすぎないし、大麻(おおぬさ)だってパフォーマンスにほかならない。神霊界の上層から集めた塩と(しょう)して、実は特売(とくばい)で買ってきた〝(うま)赤穂(あこう)の塩〟だったのも事実だ。それに…()()()()()()()()()()()()()()()()()。だが結果として役目は果たしているぞ。憑物は間違いなく聖霊されたんだからな!」龍門の説明を聞いて錫は心の中で(うなず)いた。

──「わが()()たりだわ!──やっぱりパパには憑物が見えていなかった…」

錫が龍門から聞き出したかったのは、まさにそのことだった。チャクラを閉じる前に錫が龍門を見て驚いたのは、龍門の(ひたい)にチャクラが無かったことだったのだ。

「だがな…予想外(よそうがい)だったのは伊村の奥さんがあんな凶暴(きょうぼう)な憑物に化けたことだ。相当たくさんの邪心や怨念(おんねん)を取り込んだんだろうなぁ…」

──「それは違うわパパ…。あれは伊村の奥さんの霊なんかじゃないのよ。アレは…狡狗は…伊村に(うら)(つら)みを持っている奥さんの霊に、言わば寄生(きせい)したようなものだった。人の(みにく)い心をエサにするためにね…。パパはたしかに伊村の奥さんの霊は聖霊したけど、霊力の強い狡狗までは聖霊できなかった…。でも私が狡狗を退治しちゃった──もちろんナイショだけどね…」




     Ⅲ


自宅に帰った錫はとりあえずお風呂に入りたかった。(かか)えている謎は(やま)()みだ。一朝一夕(いっちょういっせき)に解決できるものではないことはよく分かっていた。


「あぁ~、やっぱりお風呂は最高よねぇ!」至福(しふく)のひとときだ。

──「とにかくパパには驚かされたわ。川手さんには気の毒だったけど、なぜパパが川手さんに憑物を取り憑かせたのか、本当の理由がよく分かった。パパは最初の説明で、家に取り憑いた憑物が動き回らないように川手さんに媒介(ばいかい)させると言っていた。おかしな表現(ひょうげん)だったけど、それこそいきなり〝悪霊を取り憑かせる〟なんて言い方をしたら、川手さんはもっとビビっていたに違いない…。そして、いったん人間に取り憑いた憑物はなかなか抜け出さないから、それを利用して聖霊するとちゃんと伝えていたわ。なるほどよくできた説明よね…あながち(うそ)ではなかったわ。けど…でも…だけど…パパがそうする本当の理由は(まった)く違っていた。川手さんに憑物を取り憑かせた本当の理由は…」錫は湯船(ゆぶね)の中で寝そべったまま、閉じていた目を大きく開いた。「…そう、パパには憑物が見えないからよ!」今度は大きな目をくりくりさせてゆっくりと深呼吸をした。「つまりパパは理由を完全にすり替えていた…本当は家に取り憑いた憑物が、どの部屋の、どの場所に居座(いすわ)っているのか──憑物が見えないパパには見当もつかなかったんだ。そこで集鬼鈴(しゅうきりん)を使って、いったん川手さんの体に憑物を取り込んでやれば、容易(ようい)に憑物の位置を知ることができる。あとは川手さんに憑いた憑物に晶晶(しょうしょう)白露(びゃくろ)を突き立てるだけでよかったんだ。集鬼鈴と晶晶白露…この二つの力を借りれば霊力の無いパパでも聖霊ができるのよ。逆にこの方法でしかパパには聖霊ができない…そういうことだったのね。パパは完全なインチキ霊能者だ!スゴいわ…あの演技力──さっすが元カリスマ演劇部員……脱帽(だつぼう)よ!」錫はパパ龍門をますます好きになった。

  

錫がお風呂から上がると、龍門は今日の自分の活躍(かつやく)満足(まんぞく)して、ビールを片手にのんびりテレビを観ていた。錫は()れた髪の毛をバスタオルで(かわ)かしながら龍門に尋ねた。

「ねぇパパ…素朴(そぼく)な質問なんだけど、集鬼鈴と晶晶白露をどうやって手に入れたの?」龍門はチラっと錫を見て口元だけ笑ってみせた。

「あれは借り物なんだ──そうだ、今度の日曜日お前が返しに行ってくれ」

「ダ、ダメよ!絶対にダメ。今度の日曜日は信枝と会うんだから。それだけはいくらパパの(たの)みでもぜぇ~っったいに(ゆず)れない!」

「そうかぁ…苦手(にがて)なんだなぁ……あの気障(きざわ)りの(ばあ)さんは…」

「…………え!?パパ…今なんて言った?ねぇねぇ今なんて?」

「………?気障りの婆さんは苦手って言ったんだが…」

「きざわりのばぁ…………行くわよぉ~パパァ…絶対行くってぇ!本当はパパの頼みだから行ってあげてもいいかなぁって思ってたんだ!」錫の気の変わりように、龍門はわけが分からない様子だ。「でもパパ…そのお婆さんは青森県にいるんじゃないの?」

「そうなんだよ……って、お前どうしてそんなことを知ってるんだ?」

 「あっうん……地獄(じごく)(みみ)なもんでね…てへへへ」

「おかしなヤツだな…。たしかにあの婆さんは青森にいた。でも今はこっちで暮らしているんだ。理由は謎だが、亡くなった義父(おとう)さんの知り合いだったから、何か関係があるのかどうなのか…」

「えっ、おじいちゃんと!?それじゃ…」

「ア~眠い眠い…さすがに今日は疲れたな。じゃ今度の日曜日頼んだぞ。返却(へんきゃく)が遅れるとあの婆さんうるさいから…」龍門は目を(こす)り擦り寝室(しんしつ)に入っていった。錫は龍門にはぐらかされた気がしたが、祖父と気障りの婆に接点(せってん)があったことが分かっただけでも、大きな収穫(しゅうかく)だと満足した。




     Ⅳ


日曜日の朝、錫はまるで遠足の日の朝のように、目覚まし時計が鳴る一時間も前にベッドから飛び起きた。信枝と会う約束と、気障りの婆の家を(たず)ねるダブルハッピーデーなのだ。朝食を終えて、部屋で待機(たいき)すること二時間──ようやく玄関(げんかん)のチャイムが鳴った。

「オッス!ごめんね…遅くなって」待ちかねていた信枝の登場だ。

「お邪魔(じゃま)します。私も来ちゃった」浩子がひょっこり顔をのぞかせた。

「ちょうど家を出る前にこの子から電話がかかってきたのよ。今からスンの家に行くって話したら、一緒に来たいって」

「ごめんねスン…連絡もしないで」

大歓迎(だいかんげい)だよ!さあ、上がった上がったぁ」



「ねえスン、この前は本当にごめんね──大事な写真立てを…。それでね…同じ物ではないんだけど、良かったらこれ…使ってもらえるかな?」浩子はきれいにラッピングされた写真立てを、そっと錫に差し出した。錫が(つつ)みを開けてみると、(いた)ってシンプルな木枠(きわく)の写真立てが二つ入っていた。

「わ~ステキ!ありがとう浩子…。ごめんね気を使わせて…」錫はすぐに二枚の写真を祖父の部屋から持ってきた。信枝はむき出しの一枚を興味(きょうみ)深そうに見入った。

「ここに来る途中で浩子から聞いたわよ。…ふ~ん…これが神社で撮った写真ね?」三歳の錫と愛犬いしが(たわむ)れているのを、母鈴子(りんこ)が見守っている写真だ。信枝はそれをしっかり目に焼き付けると、こんどは裏返して短歌に目をとおした。


境内地(けいだいち) 愛犬〝いし〟と遊ぶ孫

母のひと声〝いし〟は生き生き


「その短歌どう思う?」錫は古い写真立ての裏にある四ヶ所の()()をづらしながら信枝に尋ねた。 

「どう思うって言われてもねぇ…。写真を短歌にしただけじゃないの?」

「…信枝でもそれ以上のものは何も感じない?」信枝は錫の深意(しんい)が分からず怪訝(けげん)な顔をした。錫もチャクラのことをストレートには聞き出せない。どうしたものかと考えながら、写真を押さえている裏板(うらいた)をはずした時だ。「あっっっ!」錫の叫び声に驚いた二人は、錫の視線の先に目をやった。なんと、もう一枚の写真の裏にも短歌が書かれていた。


()いたる身 (ささ)えし足は頼りなく

孫と娘で力みなぎる


錫の祖父が右手で杖を持ち、左手は錫が手を()えている写真だ。

「これはお母さんが撮った写真よ…。おじいちゃんも私もかしこまってカメラを見てる。ねぇ、どう信枝…何か感じる…?」信枝はやはり錫の深意が分からず顔を(しか)めた。

「さっきから私に何か期待してる?…(たと)えばこれが心霊写真だとか?」

「えっ?これが心霊写真に見えるの!?」過敏(かびん)に反応してしまう錫だ。

「見えないわよ…(たと)えばよ…例えば。まぁ、たしかに霊感は強いけどね」

「そ、そうなの?…初めて聞いた!」錫の口調は(みょう)に力がこもっていて不自然だ。

「わざわざ言うことでもないでしょ!?」信枝はさらりと返した。

 「霊感が強いって、どんなふうに?」錫が聞く前に浩子がこわごわと尋ねた。

「そうねぇ、よく(れい)を見るかな…。特に体調の悪い時なんか…」

──「やっぱりね。体調不良の時はチャクラのコントロールがしにくいんだ…」

「他には?おでこに何かあるとか…手から何か出てくるとか…?」

「はぁ?…おでこが何?…手から何か出てくるって…スパイダーマンのアレ?」信枝は手のひらを上に向けて中指を手前に折り曲げると、スパイダーマンがクモの糸を出すマネをしてみせた。

「ち、違うわよ!手の先からオーラが出て病気を治したりできるのかなぁ…なんて思って…ヒャヒャヒャ…」

「はぁ…!?またスンが意味不明なことを…。そんな奇妙(きみょう)なことできないわよ」

──「信枝のチャクラはパッチリ開いていた…。なのに霊力は強くない…?もしかして何か隠してる?…もう…解決どころか疑問が増えちゃった。かくなる上は〝気障りのお婆さん〟が頼みの(つな)だわ」




     Ⅴ


天登龍門(あまのぼりりゅうもん)こと香神(いち)から預かった二つの〈神霊界(しんれいかい)賜尊具(しそんぐ)〉を車のトランクに乗せ、錫は栗原信枝、幅下浩子と共に気障りの婆の元へと向かっていた。

「どうして二人とも後部(こうぶ)座席(ざせき)なの?どっちが助手席に座ってよ──卒検一発合格の錫ちゃんの運転なのに」

「卒検が一発合格だからって安心できないわよ」信枝が言った。

「それにまだ無事故無違反だよ」

「はぁ…?だってあんたまだ一、二回しか運転してないんでしょ?浩子もなんか言ってやりなよ」

「私はなにも…。保険に入ってくれていればそれで…うふっ!」

「あぁ、キツ~い!…今の浩子の一言、私よりキツいわよね?」

「はいはい、キツいキツい。普段からきゃんきゃん()えてる犬より、黙っていきなり()みつく犬の方がキツく感じるのよ」

「ちょっと…それどういう意味!?」ムッとして信枝が突っ込んだ。

(くや)しかったら隣りに乗ってごらん」おチャラケながら錫が返した。

「それだけはご(めん)(こうむ)るわ…」信枝は断固(だんこ)助手席には座らないようだ。

「むふふふっ!」浩子は二人のやり取りを楽しんでいた。


三人を乗せた車が快適(かいてき)な国道を(はず)田舎道(いなかみち)へと入ると、(あた)りは田んぼだらけの(のど)景色(けしき)へと姿(すがた)を変えた。

「あっ、ねぇ牛よ牛…にしてもクッサいねぇ」鼻を(つま)みながら信枝が言った。

「私、こういう昔話(むかしばなし)に出てくるような景色…とっても好きよ」浩子はニコニコしながら窓の外を見た。

「私も(きら)いじゃないけど…この田舎の香水(こうすい)だけは勘弁(かんべん)してほしいわ…」錫も鼻を(つま)んでそう言った。

田舎の雰囲気(ふんいき)満喫(まんきつ)しながら、さらに車を走らせると、トタン屋根(やね)の古いあばら家が見えてきた。田んぼに(かこ)まれたその家は、(へい)もなく、みすぼらしさが丸見えだった。

錫の胸は(おど)っていた。暗中(あんちゅう)模索(もさく)状態(じょうたい)も気障りの婆に会うことで視界(しかい)が一気に開かれるかもしれない。なんといっても〝自称神様〟が『会いなさい』と言った人物なのだ。

家の近くまで来ると、それがまだ道なのか、もう屋敷なのかよく分からない場所に車を止めた。そこから玄関まで歩いていると、いきなり女のしわがれ声に呼び止められた。

「ブーブーブーブーでぇっっかい車の音させてぇ…。排気(はいき)ガスのクッサい臭いまき()らして…。どこの礼儀(れいぎ)知らずが来やがったんじゃ?あっ?」家の裏手(うらて)から、小汚(こぎたな)老婆(ろうば)が頭ごなしに小言(こごと)をいいながら(あらわ)れた。三人はポカンと口を開けたまま返答(へんとう)もできなかった。「けっ、挨拶(あいさつ)もろくろくせんと…最近の若いもんはなっとらんな」その老婆の顔面(がんめん)左半分には、(ひたい)から(ほお)にかけて(みにく)いケロイドがあった。彼女はそれを隠そうともせず三人を(にら)みつけた。

「あのぉ…気障りのお婆さんにお会いしたくて…」錫が恐る恐る尋ねてみた。

「ん?気障りの……あーあー〝ゴミソの(ひめ)(さま)〟のことか」

「えっ?気障りのお婆さんって、ゴミソの姫様っていうのですか?」

「そうじゃ!ゴミソとは同じ青森県でもイタコとは系統(けいとう)の違う民間(みんかん)巫者(ふしゃ)のことじゃ。過酷(かこく)な修行により神と一体化して天啓(てんけい)を得たりする。ゴミソの姫様は、そうした過酷な修行をなされたそれはそれはお(うつく)し~いお方じゃ!」

「その美しいゴミソの姫様にお会いしたいのですが…」

「ワシを(かい)さねば姫様は誰とも会わん」

「だったらおばあさんからお願いして!」錫が大きな目で(うった)えた。

「うむ…。ところで金は用意しておるんじゃろうなぁ?」

「お金がいるの?」驚いた錫は大きな目が(さら)に大きくなった。

「当然じぁ。尊いお方に会うのにお金は必要じゃ」

「でも私、借りた物を返しに来ただけなんですよ?」

「あん?ならワシがそれを返しておいてやろう…ほら渡しな」

「あっ…で、でも本当は少し気障りのお婆さんと話もしないといけないので…」

「ほぉ~れ見てみぃ…()()を出しよったな。なぁ~にが〝借りた物を返しに来ただけぇ〟じゃ…。ただで姫様と話をしようとしてからに…。油断ならんヤツじゃ」ムカムカしていた信枝がとうとう口を(はさ)んだ。

「ちょっと婆さん!言い過ぎじゃないの?」信枝は半分けんか腰だ。

「ま~た血の気の多そうなのが出てきたのぉ?でもこういうキャンキャンとよく()えるヤツほど大したことないんじゃ…これが」

「な…なんでこんな婆さんにまで()()()()言われなきゃいけないのよ」信枝がカッカして二人の方を向くと、錫と浩子は下を向いて笑うのを(こら)えていた。「何がおかしいのよ!」信枝は目を三角にして(おこ)った。

「ごめんごめん!あんまりタイムリーだったんで…つい…」錫は笑いたいのを我慢(がまん)して、老婆の方へ向きをかえた。「お金は払います。いくらですか?」払うと聞くと老婆はホクホク顔になった。

「そうかそうかぁ、まいど~!一人三千円…三人じゃから九千円じゃ」

「高~い!気障りのお婆さんには私だけ会うから三千円でいいでしょ?」

「そうはいかんのじゃなぁ…これが。ここでは全員に拝謁(はいえつ)料金を払ってもらう()()()()になっておるのじゃ」

「え~そんなぁ…」

「な~にが〝え~そんなぁ〟じゃ…カワイコちゃんぶりよって。考えてみぃ…お前がゴミソの姫様に会って話した内容を、後でこの二人にも聞かすじゃろう?」

「そりゃ…少しくらいは…」

「それみろ!一人だけが話を聞いて、後で仲間に聞かせる…典型的(てんけいてき)犯罪(はんざい)行為(こうい)じゃ」

「なんで犯罪なのよ~!?」

「そりゃそうじゃろう。映画館でも勝手に録画したら犯罪じゃ!」

「それは(ぬす)()りの場合でしょ?映画の内容を話すくらいは犯罪なんかじゃないわよ。…じゃあ、分かりました。一切口(いっさいこう)(がい)しません…黙ってます」

「そんなやつほど(あや)しい。飲み放題でもそうじゃ…料金を払ってないヤツが必ず〝ひとくち…ひとくち…〟とか言いだすんじゃ。お前たちもどうせ我慢できずに『チョッとだけ聞かせて』とか言い出すんじゃろ?」舌先三寸(したさきさんずん)──この婆さんに三人はたじたじだ。

「ムカつくけど言いくるめられちゃうわ…。分りました…三人分払います」錫は(あきら)めて、しぶしぶ自分の財布(さいふ)から九千円支払った。「信枝も浩子も気にしなくていいからね。このお金は経費(けいひ)としてパパに請求(せいきゅう)してやるんだから…」老婆は悪びれたようすも見せず、お(さつ)を数えて嬉しそうに()()()のポケットに仕舞(しま)い込んだ。

「確かに確かに…。ではこの玄関から入って(しばら)く待っとれ」


(たて)()けの悪い玄関の引き戸を〝ガタビシャ〟と開けると、十二畳敷きの部屋がいきなり現れた。

「ねぇ、この部屋…スンの家の大きな部屋に似てない?」浩子がキョロキョロしながら錫に言った。信枝も黙って相槌(あいづち)を打ったが、一番それを感じていたのは錫自身だった。

錫の家も、玄関を開けたらすぐ聖霊の儀式ができる畳の間になっている。玄関の正面には神前(しんぜん)(しつら)えてあるが、なんの神さまが(まつ)ってあるのかは知らない。全体的に部屋は薄暗(うすぐら)く、霊が近寄って来そうな雰囲気(ふんいき)だ。この部屋はそういうところまでよく似ていた。あえて違うところを指摘(してき)するなら、錫の家の玄関の入り口には看板(かんばん)()かっていることだ。


 

 奇怪(きかい)現象(げんしょう)すべてお(まか)

 どんな憑物も聖霊します

電話 010(れいわ)-509(こわく)-7171(ないない)


龍門が手書きした汚い看板だが、この汚なさが、かえって奇々怪々(ききかいかい)な雰囲気を(かも)し出していた。



三人が無言のまま畳に座って待っていると、神前(しんぜん)に向かって右手にある(ふすま)が静かに開いて人が入ってきた。ずきんの付いたねずみ色のボロボロのマントを(まと)っている。そのずきんを頭からすっぽりと(かぶ)っているので性別(せいべつ)さえ分らないが、小柄(こがら)な体型からすると女性のような気がした。神前の右手側に()いてあるせんべいのような座布団(ざぶとん)まで小股(こまた)で歩いてくると、神前側に向いて正座(せいざ)し、即座(そくざ)に口を開いた。

「お前たちか?ワシに会いたいのは…」しわがれ声だがやはり女性のようだ。

「あなたが気障りのお婆さんですか?」念願(ねんがん)の人物に会えて錫は目を輝かせた。

初対面(しょたいめん)でいきなり気障りの婆さんとは無礼(ぶれい)な女じゃ…お前みたいにションベン臭い女に言われとうないわ」(ひど)い言われようだ。

「あっ、ご、ごめんなさい。ゴミソのお姫様でしたね?」さすがに内心ムッとした錫だったが、ここは(こら)えて対応(たいおう)した。

「まあ、ええわ…ヒッヒッヒ。ところでお前はなんという名じゃ?」気障りの婆は下を向いたままくるりと向きを変え、錫を(ゆび)さして尋ねた。

「香神錫といいます」

「お前が錫かぁ…。もう少し(かしこ)(つら)をしているのかと思っておったが、案外(あんがい)つまらん顔をしておるのぉ?」〝ブチッ〟っと錫の頭の血管(けっかん)が音を立てた。

「ちょっとお婆さん、人がおとなしくしてたら何よ…さっきから乙女(おとめ)の心を傷つけるようなことばっかり言って」錫は()まらず言い返した。

「あー?最近の若いもんはそんなことくらいで(おこ)るんか?辛抱(しんぼう)()らんのぉ…」気障りの婆は、わざとらしく首を左右に振った。その時だ──信枝が突然大声で叫んだ。

「あ~~っ、この婆さん、さっきの意地悪(いじわる)婆さんよ!」驚いた錫と浩子も少し角度を変えてずきんの隙間(すきま)から顔を(のぞ)くと、たしかに左半分にケロイドがあった。

「ほんとだ…」錫が細目(ほそめ)でシラっと(つぶや)く。浩子も(あき)れている。

「なぁ~にが〝ゴミソの姫様〟よぉ。すっかり(だま)されたわ。なんとか言いなさいよ!」錫はお金が(から)んでるだけに余計(よけい)腹立(はらだ)たしい。

気障りの婆は黙って座布団から立ち上がると、さっき入ってきた襖から出て行ったが、(しばら)くするとお(ぼん)(さかずき)を三つのせて戻ってきた。

「まぁ…これを飲め。実はのぉ…さっきの老婆はワシの双子(ふたご)の妹じゃ」

「ふ、双子?口数の()らない婆さんね」信枝が呆れながら言った。

「とにかくありがたい神酒(みき)じゃ。特別に飲ましてやるから飲め、ほれ飲め!」気障りの婆は一人一人に杯を手渡した。

「私たちを(だま)した(つぐな)いのつもり?」

「誰も騙しとらんわ…ほれ飲め」あまりの強引さに三人は仕方なく神酒を飲み干した。気障りの婆はほくそ笑んでいたが、それには三人とも気づかなかった。

「で?ワシに何の用じゃ?」

「あっ、これです。父から返すように言われて…」錫は二つの桐の箱を渡した。

「集鬼鈴に晶晶白露か…。龍門も大したことないのぉ…。こんな玩具(おもちゃ)に頼らねば聖霊ができんとは。その龍門の娘もションベン臭い頼りなさそうな奴じゃし…」かなり嫌みったらしい口調(くちょう)だ。

「もう~、またションベン臭いって言ったわね。乙女に対して失礼もいいとこよ」

「まだまだお子ちゃまじゃからションベン臭いと言ったんじゃ!」

「もう十八歳ですぅ~。だよねぇ、信枝に浩子…って寝てる!?…二人に何かしたの?」

「ぐほほほほ。よく寝むっとるのぉ。お前と話をするのに、この二人は邪魔(じゃま)だったんでのぉ。お前さん、いろいろと知りたいことがあるんじゃろうが?」

「えっ?お婆さん私がここに来た理由を知ってるの?」

「そのくらい分かるわい。それにワシはお前をわざと怒らせて平常心(へいじょうしん)をなくさせていたんじゃ。目を開かせるためになぁ」

「えっ!?目って…チャ、チャクラのこと?」

「そうじゃ。じゃがお前はまだ少ししか目が開かんのぉ…。だから言ったんじゃ…ションベン臭いとなぁ」錫は何も反論(はんろん)できなかった。「まぁ、こっちへ来い」気障りの婆はゆっくり立ち上がると出入りしていた襖を開けて、錫を神前裏の畳部屋へと(いざな)った。

「最初のお婆さんは()()()()だったんでしょ?」

「さあなぁ…。でも金は返さんぞ。もらったものは返さん主義じゃ」

──「やっぱりね…。〝私だ〟って素直に言えないのかしら…このお婆さん…」錫はお金はどうでもいいので、知っていることを教えてほしいと頼んだ。

「ワシはこれでも若い頃は本当に美人じゃった!ゴミソの修行中もいろんな男が言い寄って来たもんじゃ。ハエのように鬱陶(うっとう)しいから(かた)(ぱし)から追い払ってやったがのぉ。…ただ一人の男を(のぞ)いて…」。

「あのぉ~、お婆さん…私の聞きたい話はそういう恋愛の話じゃなくて…」気障りの婆は、げんなりしている錫を無視して話を続けた。

「そのただ一人の男の名は…………香神(かがみ)(とら)と言った…」

「だから…私はそんな話は聞きたくない…………って香神とらぁ!?」

「そうかそうか…もうやめじゃ!聞きたくないらしいからのぉ」

「ウソですウソですぅ…。本当は聞きたかったんですぅ。ゴミソのお(きさき)さま」

「…まぁ…。そこまでいうなら話してやってもいい」

──「あまのじゃくね…。人が興味(きょうみ)(しめ)した途端(とたん)にわざと意地悪言うんだからぁ」

「ワシがまだ二十五歳の時じゃった。神のお()げを得るために、女だてらに火の行に(いそ)しんでおってのぉ。その時は炭火(すみび)を敷き詰めた火の道を裸足(はだし)で渡ろうとしていたんじゃ。ところがいざ渡りかけた時、これも神のお指図(さしず)だったのか…理由もなく突然意識を失ってしもうた。体は前のめりに倒れ、ワシの顔半分は炭火の中に突っ込んだ。…そうしてこの(みにく)火傷(やけど)(あと)が残った。まだ若かったワシはこの傷痕(あざ)が嫌でたまらなんだ。人に会うのも抵抗を感じて、たまに外に出るときは、今も愛用しているこのずきんですっぽりと顔を隠しておったもんじゃ。それに誰彼(だれかれ)かまわず皮肉(ひにく)を言うたり、嫌がらせをしたりと散々(さんざん)じゃった。〝気障りの婆〟と呼ばれるようになったんもそんなことが理由じゃ。もっとも若い頃は〝気障りのハル〟と呼ばれておったがのぉ。ワシも最初から〝婆さん〟ではないからのぉ」

「ハルというのはお婆さんの名前?」

「あぁそうじゃ。〝高宮(たかみや)ハル〟それがワシの名じゃ」錫は話を聞いているうちに気障りの婆が気の毒になった。「それに当然こんな顔では言い寄って来る男もいなくなったわい。それはそれで(わずら)わしさが(かい)(しょう)されて良かったがのぉ。…ところがじゃ。一人だけ…初対面(しょたいめん)の男がそんなワシに声をかけて来たんじゃ」

「それが私のおじいちゃんだったの…?」

「そうじゃ。お前のじいさんはこう言った…『君の火傷(やけど)(あと)はこの先ずっと残るかもしれない。でも君の本当の美しさはその内面にあることを僕は知っている。だから人を傷つけることで自分の心にまで傷痕(きずあと)を残さないでほしい』とな…」

「なんて優しいのぉ…おじいちゃんは…」

「ワシは自分を美しいと思ったことはなかった。外見に(とら)われるような人間にはなりたくないとも思っとった。じゃがあの若さで顔にこんな傷痕(あざ)ができてしまったことは、女にとってやはり(つら)いことじゃった。自暴(じぼう)自棄(じき)になっていたワシに手を差しのべてくれたのが香神虎じゃった──一瞬で恋に落ちた」

「おじいちゃんもお婆さんのことを愛していたの?」

「それはなかろう…。あの男は純粋(じゅんすい)にワシを助けてくれようとしていただけじゃ。かなわぬ恋じゃ。まぁ恋愛話はどうでもよいわ。とにかくワシはあの男に助けられ、お互い神と一体になるための修行に(はげ)んだ」

「じゃ、おじいちゃんもゴミソだったってこと?」

「そうじゃ…あの男もゴミソじゃった。ところが修行に励んでいたある日、あの男は突然神から天啓(てんけい)を受けたのじゃ。そしてすぐに山を下りて聖霊をすると言いだした…。それが自分に与えられた使命(しめい)だと言い残して、とっとと山を下りてしまったんじゃ」

「お婆さんは追いかけなかったの?」

「あの男の心の中にワシはおらん…追いかけても(むな)しいだけじゃ…。ワシにはゴミソとして生きる道しかなかったんじゃ」気障りの婆は(かぶ)っていたずきんをあっさり取った。「今ではこの顔をどこにでも(さら)せる…決して年のせいではないぞ。あの男のおかげなんじゃ…」錫は気障りの婆が今でも祖父を愛していると気づいた。「その後あの男と再会したのは一度だけじゃ。あの男が死ぬ直前のこと…岩木山のワシの家を訪ねて来たんじゃ」

「…おじいちゃんは、なんの目的で会いに来たの?」

「うむ…。その時ワシはたった一人、山奥で三十日間の修行に入っていたのじゃ。修行を終えて戻った時、置き手紙がしてあった。〝あの時の突然の天啓が何を意味していたのかを君にすべて話したい。なるべく早いうちに私の自宅を訪ねてくれ〟と書かれてあった。そして手紙と一緒に(あず)かり物が置いてあってな…〝この二つをいつも霊気で()たしておいてくれ〟と書き残してあった」

「もしかして集鬼鈴と晶晶白露!?」気障りの婆は黙って頷いた。

「あの男は自分の死を知っていたんじゃ。それであんな物を(たく)したのじゃろう。ワシももう少し早く修行が終わっておれば、あの男に会えたのにと後悔(こうかい)しとる…」

「あれっ?でもお婆さんはおじいちゃんと再会したんでしょ?」

「本当に会えたわけではない。あの男が亡くなる直前、ワシの枕元(まくらもと)に立ったんじゃ。…そしてこう言った『すまないがすべてを話せなくなりそうだ。私の孫がいつか必ず君を訪ねて来る──そのときは君の修行の成果(せいか)をもって助けてやってくれ。それが君まで危険に巻き込むことになっても(ゆる)してほしい…』とな。ワシももう山に未練(みれん)はなかった。それを()に長年住み()れた岩木山の修行場を離れてこの場所にやって来たというわけじゃ」

「じゃ、私のためにここに来てくれたの?」錫は感激(かんげき)して尋ねた。

「バ~カ!あの男の頼みだからに決まっとるじゃろうが!」

──「可愛い気のない婆さん…」錫はムッとして気障りの婆を(にら)みつけた。

「でもねお婆さん、おじいちゃんは突然死だったんだよ。さっきのお婆さんの話だと、おじいちゃんは突然死を予測(よそく)していたってこと?」

「…あの男は殺されたんじゃとワシは思うておる」寝耳(ねみみ)に水だった。いくらなんでも突拍子(とっぴょうし)もない話だと錫は思った。

「お婆さん…おじいちゃんが殺されたと思う根拠(こんきょ)はなんなの?」

「まず突然死がそれじゃ。お前が言うように突然死を予測するなどありえんわ。死を告知(こくち)されるような病気か、あるいは誰かに命を(ねら)われるか…死を予感するならどちらかじゃろ?しかしあの男は(やまい)などなかった。そうすると殺されたと見るのが自然じゃ」

「でも、それはあくまでもお婆さんの憶測(おくそく)でしょ?」

「お前は(にぶ)いのぉ…さっき話したじゃろうが…。あの男がワシの枕元に立った時こう言ったんじゃ『すまないがすべてを話せなくなりそうだ…』とな。死を(さと)っていたような話ぶりじゃ。それから『()()()危険に巻き込むことになっても許してほしい』とも言った。〝君まで…〟つまり、すでにあの男の身にも何かが起こっていたということじゃ…。この二つの話を合わせると、香神虎は何かに巻き込まれ、人間ではない何者かに殺された……そう取れんか?」

「あっ、そういえば、母さんもおじいちゃんが死期(しき)(さと)っていたようだったと言っていた…。でもそれが人間の仕業(しわざ)じゃないとどうして言い切れるの?」

「頼りないオナゴじゃなぁ…。人間が作為的(さくいてき)に突然死に見せかけるなどそうそうできんじゃろ?それにわざわざワシを頼って来たということは、()()()()()()のことしかないわ」言われてみればそのとおりだと錫は納得(なっとく)した。「ほんにお前はまだまだションベン臭い小娘(こむすめ)じゃのぉ。先が思いやられるわ…」

「こんな小娘ですみませんねぇ~っ。それはそうとお婆さん…私には今お婆さんのチャクラが見える。あまり開いてないけど、しっかりしたチャクラが…。それにお婆さんのオーラは、黄色と赤色の斑模様(まだらもよう)よね?」

「ほう、そのくらいは分かるんじゃのぅ?もともとワシのオーラは黄色じゃが、霊力が高まっていくうちに赤い色がだんだんと増えてきたんじゃ」

「ということはオーラと霊力には深い関係が?」

「ワシが見るところ、オーラは血液型みたいなもんで、どの色でも別段大きな違いはない。ただ赤色のオーラだけは別じゃ。お前のように真紅(しんく)のオーラを(まと)ったヤツは(きわ)めて(めずら)しい。そしてチャクラじゃが…」気障りの婆は自分の(ひたい)を軽く叩きながら言った。「こいつは霊力をコントロールしているに過ぎない。霊力には個人差があってのう…車で例えれば、排気量(はいきりょう)の小さな車のアクセルを踏み込んでも大したスピードにはならんが、排気量の大きな車のアクセルを踏み込めば暴走するようなものじゃ。つまりこのアクセルの役目をしているのがチャクラといってよい」気障りの婆の(たと)えは年齢に合わないと錫は思った。 

「んじゃ、チャクラがパッチリ開いていても、もともとその人に(そな)わっている霊力が弱ければ大した力はないということですか?」

「そういうことじゃ。きゃんきゃん吠えてたお前の友人のチャクラはよく開いておったが、(まれ)にあんなのもおる。奴はチャクラの存在さえ知らんはずじゃから、霊力のコントロールなど無理だと思うぞ」謎だったチャクラの秘密が分かった途端(とたん)、錫はショートケーキをワンホール食べたくなった。「ついでにもう一つ教えておいてやる。チャクラのある人間に必ず霊力があるとは限らんが、チャクラのない人間には絶対に霊力はない」

「ふんふん。ありがとうお婆さん。とても勉強になりましたぁ~」お金を払っただけの価値(かち)あったと錫は満足した。

「それにしてもお前の体には()()()()()()()()気が()もっておるのぉ?」

「え~!どこどこ」錫は気味悪がって自分の体をキョロキョロ見回した。

「見てわかるわけないわい!お前の体内から感じるんじゃ…」

「……イヤだぁ~…お婆さん取ってぇ~!」

「情けない声じゃのぉ…。ええか、気を一点に集中させるんじゃ。一番集中させやすいのは手じゃ。そこに気を集中させて、異物(いぶつ)が出てくるように(ねん)じてみい。今ならお前のチャクラはちぃーとばかり大きく開いておるから、たやすく出せるはずじゃ」錫は半べそのまま(うなず)いて、手のひらに気を集中させてみた──何も起こらない。

「ダメじゃダメじゃ!集中力もまるでなっとらん。このままお前の中に異物が残っておったら、おそらくあと三日もすればお前の魂は(のろ)われるぞ!」

「げぇ~っ…そんなのイヤだぁ~!」呪われると聞いて(あわ)てた錫は、再度手のひらに気を集中して念じてみた。

「なんじゃそれは?誰がそんな物を出せと言うた…」錫の手のひらから出てきた物は(はす)の花だった。

「ごめんなさい。いつも最初にこれが出るんです」

「蓮は()()()に咲いている花じゃと聞くが…。だいたいそんな物を出すのは幼稚(ようち)な気しか扱えんからじゃ!やっぱりションベン臭いオナゴじゃ」

「ま~たそれを…分かりました。もう一度やりますって…」今度はできるだけチャクラが開くようにイメージして〝気味の悪い異物〟が出てくるよう念じてみた。錫の真紅のオーラは手のひらの上でゆっくりと(うず)を巻きながら大きくなり、リンゴほどの大きさになると、一旦(いったん)手のひらに吸い込まれるように収まり、すぐまたガラス状の玉を引き連れて浮き上がってきた。「あっ、こいつは狡狗(こうく)!すっかり忘れてた…。白衣の(たもと)仕舞(しま)ったはずなのにどうして?」

「バカかお前は!何が袂に仕舞ったじゃ。この玉は物体ではないのだぞ。お前がどこに仕舞おうが忘れようが、自分の霊力を(ふさ)げば居場所を失った玉は(おの)ずと持ち主の体内に取り込まれるんじゃ。それにしてもこんな気持ち悪いモノをしまい込んだまま平気でいられるとは…どんだけションベン臭いオナゴなんじゃ!」

「ま、またそれを…。でもこれで呪われないでしょ?」

「あぁ、あれか…あれはウソじゃ。危機感(ききかん)があった方が集中できるじゃろ。(げん)にほれ…ちゃ~んと出てきたわい。キシシシ」

「ウソって!…恐かったのにぃ」錫に睨みつけられても、気障りの婆はどこ吹く風だ。

「ところで狡狗とはなんじゃ?」錫はそれを気障りの婆に話すべきか(いな)か悩んだ。「無理に話さんでもえぇ。聞きたいわけでもない。ただこんなえげつないモノを退治できるお前には、とんでもない力が(そな)わっておるのは確かじゃ」

──「お婆さんを訪ねろと言ったのは誰あろう自称神様だ。それを考えると、やはりお婆さんには話すべきよね…」

「お婆さん、すべて話します…」錫は十八歳を迎えたあの日からのことを話し始めた。


     ★


醜長(しゅうちょう)様からのご命令だ。いいかオマエ達、今(ただ)っている気味の悪い霊気を放っている(やつ)を一刻も早く見つけ出して捕まえろ。我々を(おびや)かす(おぞ)ましい存在だからな」

「クンクン…阿仁(あに)(じゃ)様、コイツを捕まえてどうするんで?喰っちまってもええですか?」

「いかん!お前らよーく聞け。今人間界では、とてつもなく恐ろしい代物(しろもの)出現(しゅつげん)しているのよ。だがそれがどこにあるかは不明だ。そしてその代物を見つけ出す鍵が、実はこの気味の悪い霊気を持った奴なのだ。そ奴が先にその代物を手にすると厄介(やっかい)なんで、醜長様は躍起(やっき)になって探しておられるってわけだ」

「うへ~!だったらなおのこと、さっさとそいつを見つけ出して喰っちまいましょう?」

「いか~ん!確かに向こうに渡れば脅威(きょうい)だが、逆にこちらが手にすれば我々の時代がやってくる。もしその人間を喰っちまってみろ、永遠に在処(ありか)がわからんようになる……醜長様の野望(やぼう)もパァだ。そうなったらお前らが醜長様に喰われるぞ」

「お~(こわ)っ。そいつはよろしくねぇや。…にしても阿仁邪様は(かしこ)いですな?」

「オマエらがおバカすぎるんだ。オレサマとオマエらでは…あれだ……まるで〝月とトッポン〟だ」

「阿仁邪様〝月とトッポン〟ってどういう意味で?」

「これだからバカ者どもは困る。月は綺麗(きれい)だがトッポン便所(べんじょ)は臭くて汚いだろうが…。つまりオレサマとオマエたちとでは違いがあり過ぎるという意味よ」

「オ~!さすが阿仁邪様は物知(ものし)りよなぁ!(むずか)しいことをよう知っとる」

「ふっふ、いまごろ分かったのか?さぁ、この(おぞ)ましい霊気が消えてしまわんうちに早う奴を探しだせ」


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