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第六章──霊戦

霊戦(れいせん)




     Ⅰ


夜九時──龍門は自宅でくつろいでいた。電話の音に少し(まゆ)をひそめ、ゆっくりと受話器(じゅわき)を取って耳にあてた。龍門はやっと来たかと小さくため息を()いた。

「龍門先生…川手です。長らくお待たせしてすみません…。仕事が立て込んでいたもので…」尻込(しりご)みしていたとは言えなくて、仕事のせいにしてごまかした。「それで例の件、調べてまいりました。近々お時間いただけますか?」

「調べられたならそれで結構(けっこう)。忙しいでしょうから、わざわざそのために時間を()くのはやめましょう」龍門はそう言うと、要点(ようてん)だけを伝えて電話を切った。


「目に見えない憑物を龍門先生はどうやって退治(たいじ)するんだろう?」川手は、もし間違って自分が取り憑かれたらと思うと、恐ろしくて血の気が引いた。けれどその気持ちと裏腹(うらはら)に、龍門と憑物が一戦(まじ)える場に、どうしても立ち会いたかった。




    Ⅱ


「スン、お邪魔(じゃま)するねぇ」(ほこり)をかぶっていた二つの写真立てを()きあげた頃、部屋に浩子が入ってきた。

 「呼び出してごめんね」

「いいのよぉ。家は(さわ)がしくて、いいかげんうんざりだったから…」

「そう言ってもらうと気が楽だわ」錫はほっとして二つの写真立てを机の上に置いた。浩子は好奇心(こうきしん)あり気に写真立てに目を()った。

「あっ、これ?…古い写真を見つけたの」錫はもう一度写真立てを手に取って浩子に差し出した。

「もしかして…スンのおじいさま?」錫は目線だけ浩子に向けて笑って(うなず)いた。「優しそうなおじいさま……想像(そうぞう)していたとおりよ…」

「でしょ?…実はね浩子………ううん…なんでもない…」一瞬浩子に打ち明けようとしたが、それは思い(とど)めた。向こうの世界の〝自称(じしょう)神様(かみさま)〟から『誰にも言ってはいけない』と(くぎ)()された言葉が脳裏(のうり)()ぎったからだ。

「それはそうと写真は?」錫は素早(すばや)く話題を()えた。

「あっそうだったわね、まだ印刷してなくて…データだけどゴメンね!」

「オーサンキューヒロコォ!ナイスバディ」意味不明(いみふめい)だ。錫はデジタルカメラを受け取ると、そそくさと自分の部屋に移動(いどう)した。早速(さっそく)部屋のパソコンの電源(でんげん)を入れたものの、起動(きどう)するわずかな時間が待ちきれず、そわそわと落ち着きがない。

「スン、気にしないで行っていいのよ」浩子は錫がトイレを我慢していると思っているようだ。

「あっうん。だ、大丈夫大丈夫…むふふ…」やっとパソコンが起動してデジタルカメラをUSBケーブルに(つな)ぐと、錫は最終日に撮った写真をモニターいっぱいに拡大(かくだい)した。マウスをクリックしながら一枚一枚順番に送っていく。そうしてある一枚にたどり着くと、錫の指先が〝ぴたっ〟と止まった。

──「あった!しかも最高のアングル」その一枚は大仏殿(だいぶつでん)の柱の穴を正面から撮ったものだった。穴をとおして向こうの背景(はいけい)も写し出されている。錫は写真を凝視(ぎょうし)すると、閉ざしていたチャクラを少し開いた。

──「()()()()…。写真は真実(しんじつ)(うつ)し出す…」錫は胸いっぱいに空気を吸い込み、それをゆっくりと吐き出して気を静めた。

──「ずっと引っかかっていたんだ…」錫は向こうの世界に三十分は居た気がしていたが、信枝も浩子も錫が寝ていたのは一分くらいだったと言う。だったら夢で話を聞き霊力を手にしたのだろうかとも考えた。けれど、チャクラを開いて見た柱の穴の写真は真っ白で向こう側の背景が見えなかった。つまり夢ではなく現実だったという(あかし)だ。


錫は親友の二人にだけは話をするべきだと考えた。二人なら単純(T)・天然(T)・臆病(O)な自分の支えになってくれるはずだと。

「あのね浩子…大事な話があるの」

「なぁに?さっきから変よ…。落ち着きがないし、かと思ったら写真を食い入るように見たり、今度は(かしこ)まったり…」

「うん…。私…柱の中で寝てたでしょ?それでね…」

ちょうどその時だった──。

「おーい、ちょっといいか?」タイミングが良いのか悪いのか父親が大声で()って入ってきた。浩子がその声に驚いて振り向いた拍子(ひょうし)に、持っていた写真立ての一つを手元(てもと)から落としてしまった。〝グシャン〟表のガラスが不規則(ふきそく)に割れ、破片(はへん)がダーク色のフローリングの床に飛び散った。

「あっ!ごめんなさい……大事な写真立てが…」

「大丈夫よ浩子」錫はニッコリ笑って浩子の肩を撫でてやった。

「すまんすまん…ドアが開いていたから、いきなり声かけてしまって…。今度の金曜日にお前を現場に連れて行こうと思ってな…」父親はオロオロしている。

「はいはい!必ず()けておきます」ちょっとご立腹(りっぷく)様子(ようす)だ。

邪魔(じゃま)して悪かったなぁ」父親は背を丸めて部屋をすごすごと出て行った。


「ねぇ…さっき何を言いかけたの?」二人で飛び散ったガラスの破片を(ひろ)っていると、浩子がさりげなく尋ねた。錫は即答(そくとう)せず、(しばら)く考えてから口を開いた。

「うん……(たい)したことじゃないのよ。柱の穴を(くぐ)ったとき、どこかに頭をぶつけたのかどうか聞きたかったの…」錫は話をごまかした。あのタイミングで父親が割り込んできたことで、やはり話してはいけないのだと解釈(かいしゃく)したからだ。浩子は錫の答えにしっくりこない顔をしていたが、それでも本当のことは言えなかった。

床が片づくと、錫はコーヒーを()れにキッチンまで下りていった。お湯を()かしながら、〝やはりこのことは秘密にしておいて正解だ〟──そんな気がしてならなかった。

錫がコーヒーを持って部屋まで戻ってくると、浩子は割れた写真立てから写真を取り出してくれていた。

「スン…ホントにごめんね…大切な写真立てを…」

「大丈夫だって。大事なのは、ほら…こっちの中身の方だから…」そう言って写真を(つま)み上げると、ペラペラと振ってみせた。

「あらっ!?(うら)に何か書いてあるわ」浩子が言うと、錫は(あわ)てて写真の裏を見た。


境内地(けいだいち) 愛犬〝いし〟と遊ぶ孫

母のひと声〝いし〟は生き生き


神社で撮った写真の裏側に、短歌(たんか)を書き残していたようだ。

「おじいちゃんの字だわ。サインペンで書いてある──()せないようにかな…?」錫はコーヒーそっちのけで何度も短歌に目をとおした。「この短歌…どう思う?」

(おもて)の写真を歌に()んでいるだけじゃないのかな?」何も知らない浩子に答えを求めても仕方がないと、錫は心の中で自分の頭を叩いた。「それとも…おじいさまは何か大事な秘密をこの歌に隠したとか…?」

──「そうよ、浩子の言うとおり。おじいちゃんの夢からこの写真にたどり着いた。だったらこれが意味のないただの短歌だと決めつけるのは(あさ)はかだわ」

それから(しばら)く短歌と格闘(かくとう)してみた錫だったが、これといった答えは見つからなかった。唯一(ゆいいつ)(みちび)き出せたのは〝自分の思考回路(しこうかいろ)では手に()えない〟という(みじ)めな現実だった。


夜中になっても、錫は短歌のことが気になって眠れなかった。浩子とは、あれから冷めかけたコーヒーを飲みながら旅行の思い出話に()いた。このまま泊まっていけばと誘ったが、〝今夜は帰る〟と満足そうな顔で帰っていった。

「…う~ん…ダメだ眠れない。よしっ、気分転換(きぶんてんかん)しよう!」またパソコンの電源を入た錫は、大仏殿の柱の穴の写真をモニターに(うつ)し出すと、チャクラを開いてジッと見入(みい)った。

「…私ってば、気分転換といって、またあっちの世界のこと考えてるし…」錫は自分の性格に辟易(へきえき)しながら、次の写真にスライドさせた。その写真の左端(ひだりはし)には、柱の穴から頭を出してこっちを見ている信枝が写っている。写真の中央に写っている浩子は、カメラに顔を近づけて、右手で信枝を指さして笑っていた。見た目はなんの変哲(へんてつ)もない楽し()な一枚だ。だが──錫は驚くものを見つけてしまった。「えぇ~~!なんなのよこの写真……うっそでしょ!?」マウスをクリックして、他の写真もモニターに出してみた。「…やっぱり見間違(みまちが)いじゃない」気分転換するつもりが、余計に頭が混乱した。

写真に写っている信枝の(ひたい)には、くっきりと()()()()があった。そしてそのチャクラは────大きく開いていた。





     Ⅲ


免許を取って錫は初めてハンドルを(にぎ)った。助手席の父親は時折(ときおり)足先に力を入れて、ありもしないブレーキを()んでいる。運転しろといった手前、文句(もんく)を言えないのがつらい。

そんな父親を余所(よそ)に、錫の頭は信枝のチャクラのことでいっぱいだった。実はあの夜、()(たて)もたまらず信枝に電話をかけた。信枝に次の日曜日まで会えないと言われ、今はただただその日を待っているのだった。

いったん気になり出すと、頭からそのことが離れない性格だが、今の錫にとっては、この性格も〝(きち)〟と出たのかもしれない。

──「あの子はいったいどんなモノを見ているんだろう?…私よりもっとおかしなモノが見えているんだろうか?何しろあんなにパッチリとチャクラが開いているんだもの…」錫は気も(そぞ)ろに運転していた。

「う、運転…本当に大丈夫か?」

「大丈夫だってパパ…卒検(そつけん)一発合格の錫ちゃんなんだから」

「…そ、そうかぁ?」父親は気の毒なほど身体中の筋肉が(こわ)ばっている。

「それからなぁ…現場ではパパはいかんぞ、パパは」

「わかってますってパパ…ちゃんと名前でお呼びいたします!」


   ☆


智信枝栄(ちしんえさか)()(みこと)よ……その後は順調ですか?」

「はい天甦霊主(あまのそれいぬし)様。ご存知のとおり人間として生まれ変わりますと、どのような性格になるのか()()にはわかりません」

「ふふっ…そなたも言うようになりましたねぇ!」

「ありがとうございます天甦霊主様。人間となった錫雅(しゃくが)様は、人一倍恐がりなので(きも)を焼きますが、気になり出すとやたらと追求(ついきゅう)したくなる性格なのが(すく)いです」

「秘宝を見つけだすには好都合(こうつごう)ということですか…」

「はい天甦霊主様。ですが()()()()は秘宝の気を完全に消し去っております。見つけだすのは容易(ようい)ではないでしょう」

今更(いまさら)何を…。どうあっても探し出してもらわねばならぬのです」

「はい天甦霊主様。今はすべてを錫雅様に…いや、香神錫に(たく)しましょう」

智信枝栄(ちしんえさか)よ…いちいち律儀(りちぎ)に私の名前を呼ばないでくれませんか…なんとなく耳に付いてうっとうしいのです」

「はい。(もう)(わけ)ございません天甦霊主様」

「……………」




     Ⅳ


「お待ちしておりました龍門先生。さぁ、どうぞお上がりください。今日は少しばかり掃除をしたんですが…」川手は龍門を玄関から台所に通してお茶を出した。龍門はやっぱり(ほこり)だらけだと思って顔を(しか)めた。

「憑物を(はら)う前にまず話を聞きましょう。今日は助手(じょしゅ)がいるので、その間に準備も(ととの)うでしょう」

「はい。この家の最初の家主は伊村良蔵(いむらりょうぞう)といいまして、四十年近くここに住んでいた人物です。私は伊村が実家に越していることを知っていましたから、そちらに連絡を取ってみました。ところが電話には伊村の妹さんが出られて、『兄は一年以上前に亡くなった』と言われるんでさぁ。それで私もどうしようかと考えたのですが、お兄さんのことで気になることをお尋ねしたいと話しましたら、(こころよ)く『はい』と承諾(しょうだく)してくれましてね。こちらの質問に嫌がりもせず、すんなり話してくれました。なんでも伊村は亡くなる前、自分の(おか)した(ばち)が当たったのだろうから、それを(つぐな)うつもりで、お前に自分の(つみ)を話しておくと、妹さんにはそう言っていたそうです。先生の(おっしゃ)っていたとおり、黒心(きたなきこころ)は最初の家の持ち主、伊村のものでしたよ。さすがですなぁ!」川手はそこまで話して龍門の顔色を(うかが)った。

「それでここからが本題なんですが、この伊村は(くせ)の悪い男でして、〝飲む打つ買う〟がきちんと(そろ)っている男だったそうで…。二十年程前、ある女性と恋仲(こいなか)になった伊村は奥さんが邪魔(じゃま)になって家から追い出します。それでも奥さんは離婚もせず、十年近く一人でひっそりと暮らしていたそうです。もともと奥さんの実家はとても裕福(ゆうふく)で、(たよ)れば助けてもくれたようですが、奥さんの気質(きしつ)なのか一人で頑張っていたということです。やがて、奥さんの親が亡くなると、かなりの財産が転がり込むのですが、伊村がそれを()ぎつけて、また奥さんと()りを戻そうと近づきます。…よせばいいのに奥さんも伊村のところに戻るんですよ。どこが良いんでしょうかねぇ…こんな男の…。それにどうしてこの手の話はお約束のようにこういう展開になるんでしょうかねぇ?…あっ、まぁそれは私の勝手な感情ですが…」川手は小さく咳払(せきばら)いをして続きを話し始めた。

「それで、結局奥さんはお金だけ(むし)り取られてまた追い出されます。伊村にとっては泡銭(あぶくぜに)同然(どうぜん)の金ですから、(れい)の〝飲む打つ買う〟で、たちまち底を突きまさぁ。金の切れ目が縁の切れ目、やがて愛人も伊村を見限(みかぎ)ってとっとと()ってしまいます。一人残った伊村は、〝つけ〟で飲み歩き、金を借りては博打(ばくち)に走り、とうとう借金まみれになってこの家を売りに出したってわけでさぁ…。話が後先(あとさき)になりますが、奥さんは伊村に追い出された後……自殺してます。それも薬物自殺。睡眠薬ですよ…」川手はブルブルッと体を(ふる)わせた。

「そして伊村はというと、家を売り払って実家に帰ってからというもの、あまり食事も()れなくなり、だんだん体が衰弱(すいじゃく)して、最後は突然心臓発作で亡くなったそうです…。亡くなる数日前、死期を悟っていたかのように、妹さんにこの話をしたんだそうですよ…」川手は一頻(ひとしき)(しゃべ)ってやっと一息(ひといき)ついた。龍門は相変わらず黙って聞いている。

「これが私が聞いた伊村良蔵の過去です。龍門先生…なんとなく不気味(ぶきみ)じゃないですか?こじつけるつもりはありませんが、伊村の後に入居してきた三家族の悲劇にあまりにも似ていませんか?これは偶然(ぐうぜん)でしょうか?いえいえ、これが憑物の(たた)りというやつなんでしょう!?とにかく私はますますもって恐くなりました。先生どうかどうかよろしくお願いします…」川手は目に見えない憑物に(おび)えワナワナと(ふる)えていた。




     Ⅴ


錫は現場に向かう運転中に一度アレと遭遇(そうぐう)した。助手席には父親が座っていたので、なるべく(さと)られないよう平常(へいじょう)(しん)(よそお)っていたが、内心は叫びたいほど恐かった。幽霊を見たという話など人ごとだった錫だが、今や(おど)かされるか分からないお化け屋敷で生活しているような感覚だった。


昨夜のことだ──錫は一人でゴールデンタイムのテレビ番組〝誰も知らない霊の世界〟を()た。サブタイトルは〝恐い映像スペシャル!今夜あなたはどこまで()えられるか!?失神(しっしん)続出(ぞくしゅつ)!心臓の弱い方は裏番組へお回りください!失禁(しっきん)(おそれ)あり──オムツの用意お忘れなく〟だ。今までこの(たぐい)の番組を()ると、本当に失神しそうだった。内緒(ないしょ)だがチビったこともある。

昨夜この番組を観たのは〝恐いもの見たさ〟からではない。本来(ほんらい)ならこんな番組ご(めん)(こうむ)りたい。それでも観てしまったのは、ゲスト出演する霊能力者達のチャクラが見たかったからだ。結果から話せば、霊能力者達はみんなインチキ臭かった。昨夜ゲスト出演した霊能力者は四人だったが、そのうちチャクラを持っていたのは〝陰田(いんだ)智鬼(ともき)〟という霊能力者たった一人だけだった。しかしそのチャクラはピタリと閉じたままで、錫には粗末(そまつ)(かざ)りのように見えた。今の段階で、チャクラの有無(うむ)と霊力とが本当に関係あるのかどうかは謎だが、チャクラがどうであれ、昨日の霊能者はやっぱりインチキ臭かった。

たとえば幽霊の顔に見える心霊写真が本物かどうかを判定(はんてい)するコーナーで、一人の霊能力者が『これは明らかに心霊写真です。ここに写っているのは殺されて(うら)みをもった霊です』ときっぱり言い切っていたが、錫には背景の岩の模様(もよう)がたまたま人の顔に見えるだけで、霊気は全く感じられなかった。

逆に見た目は(まった)く何もない写真でも、錫には鳥肌(とりはだ)が立つようなモノが写っている写真もあった。

番組の終盤(しゅうばん)は、陰田智鬼が幽霊(ゆうれい)屋敷(やしき)潜入(せんにゅう)するというコーナーだった。過大(かだい)期待(きたい)はしていなかったが、それでも唯一(ゆいいつ)チャクラを持った霊能力者なので、他の三人とは違うかもしれない、と(あわ)い期待も残していた。だがその期待はあっさり裏切(うらぎ)られた。陰田智鬼は『柱の下に女性の自縛(じばく)(れい)がいます』などといい加減(かげん)な説明をしていて、見ているのがばかばかしくなってきた。錫には、柱の下と違う場所に、もっとたくさんのソレが見えていたからだ。

結局出演していた霊能力者は参考(さんこう)にならず、観ていても気持ち悪いだけなのでテレビを消した。それゆえ錫はなんとしても信枝を被験者(ひけんしゃ)として(むか)えたいと思っていた──。


    〇


「錫、作業(さぎょう)()に着替えたら、さっき話した手はずどおりに頼む。すべて準備(じゅんび)(ととの)ったらパパを呼びなさい」三十分前に現場に到着(とうちゃく)した錫は、父親からそう言いつけられて一人頑張っていた。

「もうパパったら…人使(ひとづか)いが荒いんだから…。まぁ、私は新入社員みたいなもんだから仕方ないけど…」運転から解放(かいほう)されたもののホッとする間もない錫は、大急ぎで着替えを()ませると、父親に言われたとおりに段取(だんど)りを終えた。

「これでよしっ!と…。もたもたしてるとパパに(しか)られるもんね」錫は父親が待機(たいき)している部屋までせかせかと移動した。

「パ……」

──「いけない、いけない──〝パパ〟は禁物(きんもつ)だった…それこそ大目玉(おおめだま)だわ」錫は一度大きく深呼吸をして気を落ち着かせてから(ふすま)をガラッと開けた──。

聖霊(せいれい)()龍門(りゅうもん)様──準備(じゅんび)(ととの)いました!」




     Ⅵ


当時(とうじ)高校一年生だった香神(かがみ)鈴子(りんこ)は、演劇部(えんげきぶ)人気(にんき)を集めていた二年生の田中一(たなかいち)告白(こくはく)された。もともと演劇好きだった鈴子は、田中の舞台(ぶたい)を何度か観劇(かんげき)したことがあった。一旦(いったん)舞台に上がった田中が観客(かんきゃく)魅了(みりょう)する演技力(えんぎりょく)には驚かされた。どんな役でも(なん)なく(こな)す田中の演技を、鈴子も感服(かんぷく)したものだ。

はじめ鈴子は、田中の告白にどうしていいのか分らなかった。舞台上の田中のことはよく知っていたが、素顔(すがお)の田中のことは全く知らなかったからだ。

田中が鈴子に愛の告白をするのに使用したアイテムは一通のラブレターだった。そのたった一通のラブレターを渡すのでさえも、田中は顔を真っ赤にして言葉をもごつかせていた。結局鈴子に伝えた言葉は「これ…自分の気持ちです」たったそれだけだった。

鈴子はラブレターを受け取るには受け取ったが、しばらく(ふう)を切らずにそのまま家の机の引き出しに仕舞(しま)い込んでいた。

それからまた田中の舞台を観る機会(きかい)があって、鈴子は役柄(やくがら)(てっ)している時の田中と素顔(すがお)の田中とがあまりにもかけ離れているのが可笑(おか)しくなってきた。

「ラブレターを渡す時にも、舞台のつもりでプレイボーイ役に徹すればよさそうなものなのに…、それができない田中さんは不器用(ぶきよう)正直(しょうじき)な人なのかも…」そう思った鈴子は、やっと田中から渡されたラブレターの封を切った。


香神さんが大好きです。

世界で一番大好きです。                    

      田中一(たなかいち)


こんな化石(かせき)のような田中の純情(じゅんじょう)ぶりに、鈴子は心を動かされたのだった。鈴子が交際(こうさい)(みと)めた時の田中の喜びようは面白(おもしろ)かった。

「あっ!そっ、そうですか!どうも…やりました!これからもよろしく…頑張ります…」あとは〝もごもご〟と何を言っているのか分らなかったが、喜んでいるのか引きつっているのか判断(はんだん)のつかない表情(ひょうじょう)で頭をかいていた。

交際(こうさい)してからの二人は、時折(まち)に出て映画を観たり、田中の演劇に使う小道具(こどうぐ)(さが)しに行ったりすることが多かった。急接近するようなこともなかったが、お互い一緒にいて退屈(たいくつ)しなかったし、不仲(ふなか)になることもなく二人の交際は続いた。やがて二人は自然の成り行きのまま結婚した。鈴子二十二歳の時だった。


結婚してから鈴子が(いち)にラブレターの話を持ち出すと「あれこそが鈴子を落とすための(おれ)巧妙(こうみょう)な演技だったんだ。さすがの鈴子さまも俺の絶妙(ぜつみょう)な演技力に見事に〝ハマった〟というわけだ!」一は顔をきりりとさせて飄々(ひょうひょう)と答えた。それを聞いた鈴子も負けてはいなかった。

「そうだとしたら…舞台でもあんな迫真(はくしん)の演技を見てみたかったわ」一は鈴子の言葉が聞こえていない(てい)で、(だま)って新聞を読んでいる()()をしていた。

鈴子と一の結婚には一つだけ条件(じょうけん)があった──一が婿養子(むこようし)になることだ。高校を卒業した一が大学へと進んだ頃から、鈴子の父からこの条件が出されていた。けれども三男だった一にとって、これはなんの問題もなかった。そのためかどうかは分からないが、鈴子の父は一をとても可愛がっていて、いつでも遊びに来いと一を家に誘うのだった。

大学でも演劇でブイブイいわしていた一だったが、その道に進む気はなかった。そのことを知っていた鈴子の父は、就職(しゅうしょく)間近(まぢか)になると一に自分の跡継(あとつ)ぎになれと、しきりに〝青田(あおた)()い〟をしていた。鈴子もさすがに〝そこまで言うな〟と父に()みついていたが、一はある時「はい!喜んで(あと)()がせていただきます!」と、その要望(ようぼう)(こた)えてしまったのだ。

この瞬間(しゅんかん)──〈聖霊師(せいれいし) 天登(あまのぼり)龍門(りゅうもん)〉の誕生が決まった。



      

    Ⅶ


聖霊(せいれい)()龍門(りゅうもん)様──準備(じゅんび)(ととの)いました!」助手を(つと)める錫の言葉に、龍門はゆっくりと立ち上がった。

「さて…では参りましょうか」龍門は錫が(しつら)えた大部屋に移動した。

大部屋の(とこ)()正面(しょうめん)には、神社(じんじゃ)などで神様に(そな)え物をする時に使用する〝八足台(はっそくだい)〟と呼ばれる祭壇(さいだん)(しつら)えてあった。上下(じょうげ)段違(だんちが)いになった半間(はんげん)の長さの檜板(ひのきいた)だ。八足台のそれぞれの段には、三宝(さんぼう)が二台ずつ均等(きんとう)に置いてある。この三宝の上に供え物を置くのが通常(つうじょう)だ。上の段の三宝には神酒(みき)塩水(えんすい)が。下の段の三宝には、龍門が用意したと思われる〝代物(しろもの)〟が(きり)の箱に収められて、それぞれ一台に一つずつ供えられていた。そして八足台の正面には、木串(きぐし)紙垂(しで)(あさ)をつけた〝大麻(おおぬさ)〟とよばれる()(けが)れを(はら)神具(しんぐ)が設えてあった。

「川手さんの言うとおり、この(たび)のことは偶然(ぐうぜん)ではありません。先だって話しました黒心(きたなきこころ)怪奇(かいき)の原因です。そして今のあなたの話で、その黒心の(みなもと)が伊村良蔵の私利(しり)私欲(しよく)だとはっきりしました。その心によって伊村の奥さんは自殺を(はか)り、怨念(おんねん)(かか)えることになったのです。奥さんの伊村への(うら)みは次第(しだい)に大きくなり、()かばれることなくこの家に取り憑き、次々と周囲(しゅうい)の邪悪な心を取り込んでいった…。その結果、邪悪の(かたまり)を持った〈邪塊霊(じゃかいれい)〉にその姿を変えてしまったのです」まばたきも忘れるほど、川手は龍門の話に吸い込まれていった。

「さて…そこで聖霊の方法(ほうほう)だが…。川手さん、あなたの体を()していただきたい」今まで龍門の話を心地(ここち)よく聞いていた川手の顔から、みるみる血の気が引いていった。

「わ、私の体って、どういうことでしょうか?」声が上擦(うわず)っている。

「あなたに媒介者(ばいかいしゃ)になってもらいたい」

「わ…私に…です…か!?」聞きっ(ぱな)は驚いていた川手だったが、少し考えて、丸めていた背筋(せすじ)をピンと伸ばして言った。「いやぁ~龍門先生、折角(せっかく)ですが私にはそんなイタコみたいな霊媒(れいばい)能力(のうりょく)はありませんから…」川手は(なん)(まぬがれ)れたと安堵(あんど)の顔を見せた。

「そんなことは最初から分かっています」龍門にあっさりと切り返され、川手はまた血の気が引いた。

「で、では…なんですか!?何か方法があるんで?」

「あるから言ってるんですよ」川手はたじたじだ。錫はだんだん川手が気の毒になってきた。

──「媒介者なんて川手さんには死活(しかつ)問題ね」二人の会話を黙って聞いていた錫だったが、実は錫自身も、おかしなモノが見えたらどうしようかと不安でならなかった。今日この場所では絶対にチャクラは開くまいと(かた)決意(けつい)していたのだ。

「とにかく私を信じてください」龍門は恐がる川手を()()せにかかった。

「わっ、わかりました。先生を信じます」信じろと言われたら信じるしかないが、腰は引けている。      

結構(けっこう)です!では、早速(さっそく)始めるとしましょう」


龍門はまず、設えてある八足台の前に川手を仰向(あおむ)けに寝かせると、正面に用意してあった大麻(おおぬさ)(くし)の部分を持ち、寝ている川手に向かって左右左と大きく三回振り(はら)った。それが()むと川手に聖霊の方法を説明し始めた。

「今あなたの心身(しんしん)(けが)れを大麻(おおぬさ)(はら)(きよ)め、憑物が体に入りやすいようにしました。そもそも聖霊(せいれい)()悪霊(あくりょう)を追い払う除霊(じょれい)とは違い、悪に(おか)された(れい)(すなわ)(じゃ)(かい)(れい)を、元の(けが)れなき御霊(みたま)に戻してやることを生業(なりわい)としています。一つだけ厄介(やっかい)なのは、この(たび)の憑物は人にではなく家に取り憑いていることです。こうしている間にも、あちこちを動き回っているのが私には分ります。そこで今回は一旦(いったん)あなたの体に憑物を取り憑かせたいのです。憑物は一度人の体内に入り込むと今度はなかなか出て行こうとしない習性(しゅうせい)があります。そこを逆手(さかて)に取って、動きの取れなくなった憑物を聖霊します…よいですな?」今更(いまさら)〝イヤです〟とは言えない川手だが、龍門の話を聞く(たび)(きも)(ちぢ)み上がる思だ。

「ですが……その…」往生際(おうじょうぎわ)の悪い川手に、龍門は素知(そし)らぬ顔で話を続けた。

「さて…聖霊の方法ですが、〈神霊界(しんれいかい)賜尊具(しそんぐ)〉という神霊界の力を()め込んだ特殊(とくしゅ)な道具を使います。これから川手さんには、その音色(ねいろ)(かな)でれば鬼でさえも魅了(みりょう)され引き寄せられるという〈集鬼鈴(しゅうきりん)〉という鈴を鳴らしてもらいます」龍門は向かって左側の(きり)の箱を(ゆび)さしてそう言った。

「鈴を鳴らして、あなたに憑物が憑いたことを確認できたら、いよいよ聖霊師の本領(ほんりょう)発揮(はっき)となります」今度は向かって右側の桐の箱を指さした。

 「そっちの桐の箱には〈晶晶(しょうしょう)白露(びゃくろ)〉という短刀(たんとう)が収めてあります。邪塊霊にその(やいば)を突き刺すと、悪しきモノは(はら)われ、本来の御霊(みたま)が姿を現します。そうなればもう憑物ではありません。善の心を取り戻した御霊は聖霊(せいれい)…心配せずともあなたの体から(すみ)やかに抜け出してくれるでしょう。(もっと)もその(たましい)根本(こんぽん)から悪ならば御霊にはなれず、抜け出してもまた悪さを繰り返すか……最悪その体から抜け出さずに、(のろ)い殺されることになりましょうが…」ついに川手は笑いだし、目がラリラリと泳ぎ始めた。

「しかし…今回の場合、伊村の奥さんの御霊が邪塊霊だということはあまりにもはっきりしているので、その心配はないでしょう」

「そっそうですかぁ…それは何より。で、ですがその…晶晶なんとかっていう短刀を私に刺して痛くはないんで?」川手はすべてが不安でならない。

「短刀といってもレプリカです。(やいば)は肉体ではなく邪塊霊に突き刺すのです」

「レプリ…玩具(おもちゃ)じゃないですか…」川手にとって、それはそれで不安なのだ。

「邪塊霊には効果絶大(こうかぜつだい)ですから」

「………。…龍門先生を信じます」往生際(おうじょうぎわ)の悪い川手がやっと観念(かんねん)したので、龍門は錫に目配(めくば)せした。錫は(すみ)やかに左の三宝に供えてある桐の箱を両手で(ささ)げ持ち、龍門の前に差し出した。

「開けなさい」錫は言われるまま桐の箱を(おもむろ)に開けた。収まっていたのは全長三十五㌢の金色に光るの美しい鈴だった。

集鬼鈴(しゅうきりん)には金属製(きんぞくせい)(しん)様々(さまざま)な大きさの鈴が数十個付いていた──まさに鈴生(すずな)りだ。持ち手は木製(もくせい)になっていて、両端(りょうたん)より中央に向かうほど(ふく)みを()びて(にぎ)りやすくなっている。錫は事前(じぜん)に教わっていたとおり集鬼鈴を手に取り、音を立てないように注意しながら龍門に手渡(てわた)した。龍門は仰向(あおむ)けに寝ている川手にその鈴をそっと持たせて言った。

「さぁ、(ひと)()りで結構(けっこう)。あなたがその鈴を鳴らすのです」小刻(こきざ)みに(ふる)える川手の手を伝わって、集鬼鈴もシャリシャリと震えていた。

「あぁ、どうにでもなれぃ!」川手はやけくそに一振りした。〝シャシャーン〟集鬼鈴は心地(ここち)よい音色(ねいろ)(かも)し出し部屋中に(ひび)き渡った。何か異変(いへん)()こらないかと三人とも(しば)沈黙(ちんもく)したままだ。

「あっ!」錫がいきなり大声をあげた。

「どうした()!?」驚いた龍門は一瞬パパに戻った。川手は錫の声に〝ビクッ〟と驚いて半泣(はんな)きだ。錫はこのタイミングで、鈴子が教えてくれた祖父の言葉を思い出してしまったのだった。

──「ひょっとしてコレがおじいちゃんの言ってた鈴?…私が鳴らすとビックリするようなことが起こるのよね…」またまた錫の好奇心(こうきしん)(おど)り出した。

「な、何も起こらないようですね…」落ち着きを取り戻した川手は、(ひたい)にうっすらと汗を(にじ)ませて笑った。 

その途端──。「ぐあぁ~~っ!」突然川手が白目(しろめ)()いて硬直(こうちょく)した。

「錫、そっちの箱だ」龍門はそれだけ言うと、仰向けの川手に(うま)()りになった。

錫はもう一つの桐箱を、今度は手荒(てあら)(つか)むと急いで(ふた)を開けた。そこには、その名の(ごと)(やいば)に白い(つゆ)(したた)り、目を()るような(まばゆ)い光を放つ短刀〈晶晶(しょうしょう)白露(びゃくろ)〉が収まっていた。錫は今までに何度の巫女(みこ)の手伝いでこの短刀を目にしている。刃長(はちょう)七寸(ななすん)四分(よんぷ)──約二十二㌢。(さや)は無く、刃はむき出しのままだ。(つか)白木(しらき)仕上(しあ)げられていて柄糸(つかいと)は巻いていない。金具など装飾品(そうしょくひん)(ほどこ)しも一切(いっさい)ないシンプルなものだ。錫はその短刀を手に取り龍門に渡した。

「では聖霊に戻してやろうか…」龍門は静かな口調(くちょう)でそう言うと、短刀を逆手(さかて)に持ち大きく振り上げた。その途端(とたん)(のろ)ってやる!」川手の顔が鬼の形相(ぎょうそう)に変わり、大きな口を開けて龍門を威嚇(いかく)した。

「あぁ、そうしてみるがいい!」龍門はそう言うと躊躇(ためら)うことなく川手の胸元に刃を突き立て、()()(へそ)の方へと下ろしていった。「ぐあぁ!きさまぁ~やめろぉ…呪い殺してやるぞぉ」龍門は川手の言葉を無視して、もう一回、また一回と胸に刃を突き刺した。川手の首筋(くびすじ)にはくっきりと青い血管(けっかん)が浮き出し、苦しそうに胸を()(むし)った。錫は恐さのあまり()()()そうだった。

「こんなしつこい(やつ)は初めてだ…」龍門はそう言って、今度は頭の方へと短刀を(すべ)らせた。川手は(ゆみ)なりに体を硬直(こうちょく)させ、白目を()いて意味(いみ)不明(ふめい)奇声(きせい)を発していたが、一気(いっき)に身体の力が抜けて意識を失った。

 「終わったの…?」錫が恐る恐る川手の顔を(のぞ)き込みながら龍門に聞いた。

 「伊村の奥さんに取り憑いた邪気を(はら)って、本来の心に戻した。これで奥さんも成仏(じょうぶつ)するだろう」龍門の(ひたい)にも油汗(あぶらあせ)(にじ)んでいる。「それにしてもこんなに手こずったのは初めてだ…。起きなさい川手さん…」龍門が川手の(ほお)を軽く叩くと、川手はゆっくりと目を開け、二人の方へギロリと気味の悪い視線を向けた。

「あっ!川手さん大丈夫ですか?」心配した錫が静かに声をかけた。

 「サイコウにイイ気持ちさ!」さっきの川手とは明らかに違う。錫は不審(ふしん)に思って龍門の顔を見た。龍門も顔を(くも)らせている。

 「川手さん…気分は?」今度は龍門が(たず)ねた。

「だからサイコウにイイ気持ちさ…キキッ!オマエが余計(よけい)なことをしてくれたから、オレサマはオマエを殺して取り込みたくなった。このニクしみ…サイコウだ」

「誰だお前は?」龍門はありきたりの質問を投げかけた。錫はもうダメだった。血の気が引いてしまってその場にへたり込んだ。

「オレサマか?キッキ……オレサマはオレサマよ」

「パパ、これは想定(そうてい)範囲内(はんいない)?」錫が(のぞ)んでいる答えは〝はい〟か〝イエス〟だ。だが龍門は無言だった。「ねぇパパってば……想定の範囲内?」目を泳がせながらもう一度尋ねた。

「…いいや、こんなのは初めてだ」それを聞いて錫はへらへらと笑い出した。川手と同じだ。どうやら恐さ極限(きょくげん)(たっ)したようだ。

「オマエを殺す前に少しイジめやろう…キキッ」言うが早いか川手は驚くほどの腕力(わんりょく)で龍門の胸ぐらを(つか)むと、あっという間に龍門を投げ倒して(またが)り、両手でじわじわと首を()め始めた。

「オマエあんな短刀(もの)でオレサマを追い払ったつもりか?イイ気になるなよキッキッ…」じわりじわりと龍門の(のど)に川手の指が食い込んでいく──。やがて龍門が意識を失いかけると、川手はわざと両手を離した。龍門が一気に息を吸い込み、どうにか意識を(たも)つと、川手はまた首をじわじわと絞めだした。

「やめてぇ!お願いやめてぇ!」さすがの錫もこの状況(じょうきょう)で〝恐い〟などと言っていられない。川手は錫の顔を見てニヤニヤ笑っている。

「オマエもしっかり見ておけ!オレサマへのニクしみをたっぷりと()めておくのだ。あとでオレサマがそのニクしみを取り込んやる。そうやってオレサマはツヨクなる作戦(さくせん)……キキキ」にやけた顔があまりにも不気味で思わず視線(しせん)(そむ)けると、足元に転がっている集鬼鈴が錫の目に飛び込んできた。

──「(いち)(ばち)か…私が鳴らしたらどうなるのか…」錫は集鬼鈴を左手で(ひろ)い上げ大きく一振りした。〝シャシャーン〟耳に心地(ここち)よい()きとおった音色だ──けれどそれだけだった。

「キッキ!オマエなにやってる?オレサマを引きずり出したいならもっと霊力を高めてこい」そう言いながら、また川手は龍門の首から手を離した。「ユックリと苦しめて殺せば怨念(おんねん)が残る…キキ!オレサマはそれをエサにして、さらに強くなる作戦!」川手は不敵(ふてき)に笑ってまた龍門の首を絞めた。

「パパを殺させはしないわ………よう!」錫は川手の真左から力いっぱい体当たりをくらわした。不意(ふい)を突かれた川手は転がりながら柱にぶつかった──鈴を鳴らすよりずっと効果的(こうかてき)だった。

自由になった龍門は首をさすって大きく息をし、すぐさま立ち上がると、(かん)(はつ)()れず川手に飛びかかった。一瞬川手が(ひる)んだ(すき)に、龍門は右手に体重を乗せ、川手の顔面めがけて(こぶし)を繰り出した。同時にすぐ体勢(たいせい)(ととの)えた川手も右手で龍門の顔を()り飛ばした。もはや人間の力とは思えない川手の腕力に龍門は(かべ)まで吹っ飛び、頭を打ち付けて気を失った。「キ~キキッ!」川手は平然(へいぜん)として首をコキコキ鳴らすと、また龍門を(にら)みつけて近寄(ちかよ)っていった。

この状況を回避(かいひ)できない錫が咄嗟(とっさ)に取った行動は、川手にどんなモノが憑依(ひょうい)しているのかを確かめることだった。今日は絶対(ぜったい)にチャクラを開かないと(ちか)ったことも忘れ、錫はチャクラを使った。そうして川手に取り憑いたモノの姿を見て錫は(こお)りついた。「コレなに!?」今まで錫が遭遇(そうぐう)したソレは、恐いなりにも人間だった──しかし今見ているモノは違う。その目は()えた(おおかみ)のごとくギラギラと赤く燃え、口は獲物(えもの)を食いちぎる(とら)(きば)を持ち、体つきは人間に近いが、その肩幅(かたはば)はあまりにも大きすぎる。太い手足を持つ全身は真っ黒い毛に(おお)われ、どう見ても(けもの)だ。さらにそいつの(はな)つ、どす黒いオーラが(おぞま)しすぎて、錫は足を踏ん張って立っているのがやっとだった。

「キッ!?…オマエさっきと違うな?」チャクラを開いた錫の霊力を感じ取ったらしい。「…オマエを取り込んだらオレサマはツヨクなれそうだ…キッキッ!」錫は口から心臓が飛び出そうになった。

「あ、あんた人間じゃないんでしょ?」

「あれっ?オマエ見えるのか?なら教えてやろう…オレサマは狡狗(こうく)だ!」

「コーク?名前は(さわ)やかそうだけど姿は鬱陶(うっとう)しいわね!」恐いなりにも錫の精一杯(せいいっぱい)抵抗(ていこう)だ。

「……?とにかくオマエ気に入った。取り込んでやるキキッ!」

「ちょっと待ってよ!あんたはどうしてあの短刀が平気なの?」

「キッキ、あんなのはオレサマの力と比べれば…ほれ、なんだ…月とゼニガメだ」

「ハァ~!?……あんた私より天然ね」

「あんな短刀(もの)低級(ていきゅう)なニンゲンどもの(たましい)には効果があっても、気高(けだか)き狡狗のオレサマには(まった)()かんな。オレサマは怨念(おんねん)邪心(じゃしん)が大好きだ。伊村のオンナは良かった。次々に人に取り憑いて悪さをしてくれたからなぁ。そこから(しょう)じた(うら)みつらみを取り込んでオレサマは少しツヨクなった…キッキッ!オマエは普通のニンゲンにはない特別なチカラがありそうだから、オマエを取り込んでオレサマはもっとツヨクなる作戦!」

「あんた作戦が好きねぇ!?でもそんな作戦上手(うま)くかしら?」

「やってみれば分かるサクセ~ン!」いきなり飛びかかってきた狡狗に身をかわすこともできず、錫は無抵抗のまま倒れこんだ。狡狗は馬乗りになると、錫の首をゆっくりと絞め始めた。

「ぐっ!乙女(おとめ)に馬乗りになるなんて…イヤらしいわねぇ…」必死(ひっし)で体を()じらせてみたが狡狗の力には(かな)わない。それでも足をバタつかせて体を(よじ)らせていたら、左の(こし)に何かが当たって心地よい音色が響いた。

──「集鬼鈴…」錫は手を伸ばしてそれを掴むと狡狗に見せつけた。

「キッキキキ!オマエやっぱりバカ。そんなのオレサマに効かないと言っただろ?」

「分かってるわ…だからこう使うの!」錫は強く握った集鬼鈴の()の先を川手の(ひたい)めがけて(なぐ)りつけた。錫の首を絞めていた指の感覚が一瞬(ゆる)み、川手の額からじんわりと血が(にじ)み出た。

「このオトコを攻めてもオレサマには効かんぞ」狡狗は笑っている。

「ダメか…」徒労(とろう)に終わった錫を待っていたのは死への秒読みだった。。だんだん意識が遠くなってゆくが、不思議に恐怖は感じなかった──。途端(とたん)狡狗は手を離した。

「何度も苦しめ。オレサマを(にく)んで死んでゆくがいい…キキ」

「一気に()りなさいよ…(うら)めしい(やつ)…」錫は狡狗の術中(じゅっちゅう)にまんまと(はま)っていく。また川手の指先に力が加わった。(あせ)る錫が頭を振ると、今度は晶晶白露が目が入った。

──「あれも…役には立たないだろうなぁ…」そう思いながらも体を捩じり、精一杯手を伸ばしてみた。まだ二十㌢も()りない。──「お願い…この手においで…」そう念じたとき、手のひらに何かが(あらわ)れた。──「これは…?」それは、いつぞや錫が手のひらに出した(はす)の花だった。しかし錫が意識を失いかけると蓮の花も()れるように消えていった。それとほぼ同時に狡狗の指先の力がまた(ゆる)んだ。(つぶ)されていた気管(きかん)開放(かいほう)され、一気に吸い込む空気の音があまりにも残酷(ざんこく)すぎた。

「キッキッキ…これで最後だ!安心しろ、取り込んだらオマエは特別大事にしてやるからな」そう言うと三度(みたび)狡狗が首を絞めつけ始めた。

「このまま犬死(いぬじ)にはごめんよ…。お願い…この手に…お…おいで晶晶白露…この手に…」筋肉がちぎれんばかりに手を伸ばしてみた。「さぁ…早く…この手に…………おい…でよ…」と、その瞬間──〝すー〟っと錫の手に()()()()と何かが(おさ)まった。レプリカの短刀はそのまま転がっている。だがもう一本()()()()が錫の手の中にしっかりと握られていた。

──「これは…晶晶白露!?間違いない晶晶白露だ!」それはレプリカと同じ形をした短刀〈晶晶白露〉だった。だがその(やいば)はレプリカより(はる)かに目もあやに(きよ)らかな光に(あふ)れ、朝露(あさつゆ)(したた)るかのごとく()み切った水滴(すいてき)(やいば)全体に呼んでいた。

錫の霊力に()って現れた晶晶白露は、その姿を誰にでも(さら)代物(しろもの)ではない。肉眼では絶対に(おが)むことができない一振(ひとふ)りだ。それが今なぜ現れたのかは謎だが、錫の手に握られているそれと、レプリカとは霊力に雲泥(うんでい)の差があるということだけは確かだった。

「キキ?オマエいまナニを手に持った?…ナニかスゴいチカラ感じるぞ」

「そうよ!あんたとは……月と…()()()()よぉ!」錫は正しく言えた。

「ナニする気か?オレサマにナニする気か?」

「教えてあげるわ。コレで…あんたをやっつける………()()()()()!」錫は刃に過度(かど)な力を加えずゆっくりと狡狗の胸元に晶晶白露を突き刺した──それで充分(じゅうぶん)だった。

「ギッギャァー!熱い……焼けるよぉ…」狡狗に突き刺した刃から、(まばゆ)い光が放射(ほうしゃ)線状(せんじょう)に広がった。やがて光が狡狗の(みにく)い体を(おお)()くすと、今度は風船(ふうせん)(しぼ)むようにゆっくりと(ちぢ)まっていった。光は小さくなると同時にその(まばゆ)さも(うしな)われ、最後にテニスボール(だい)のガラス状の玉と()し、仰向けになっている錫のお腹の上に転がった。そのガラス状の玉の中で黒い(かたまり)がモゴモゴと(うごめ)いている。

「狡狗の奴こんなになっちゃった…キモちワル。…どうしようコレ?」錫はとりあえず白衣の(そで)(たもと)に玉を放り込んだ。

「川手のおじさん…もういいでしょ!?とっても重いのよ…」錫は意識のない川手を両手で押し()け、首をさすりながら上半身を起こした。「…恐かったぁ~」今頃になって恐怖心が襲った錫の目頭(めがしら)に涙が()まった。あとは龍門の安否(あんぴ)が気になる。「パパ…パパ大丈夫!?」急いで(たお)れていた龍門に()けよると、両肩(りょうかた)小刻(こきざ)みに()すった。龍門は(うな)りながらうっすらと目を開けた。「良かった…生きてた…」

「ん~っ、あぁ…錫かぁ。…やっ、奴はどこだ?」

「大丈夫、やっつけたわよ」

「…そうか、相打(あいう)ちになったんだった。川手がここに倒れてるということは、どうやら俺の勝ちだったんだな…()()

「えっ…!?」錫は持っていた龍門の肩をパッと離すと飛んで退(しりぞ)いた。

「はははっ、冗談だ」

「もぅ…冗談になってないわよ!パパ大っキライ…」錫は本気で泣き出した。

「あやや…すまんすまん」龍門は悪ふざけが()ぎたと頭をかいた。そうこうしているうちに川手も意識を取り戻した。

「あっ、先生…憑物は?──あっ、見事に追い払ってくれたのですね!?さすが聖霊師龍門先生だぁ」川手も龍門が退治(たいじ)したと思い込んでいる。

──「ゲーッ!私のお手柄(てがら)なのに…」錫が二人を不満(ふまん)げに(にら)んでいると、川手が顔を(しか)めて(ひたい)()でた。

「それにしても私……なんでこんなにおでこが痛いんだろ?」

──「あ~…川手さんごめんなさい」錫は心の中で舌をペロッと出した。


その後、無造作(むぞうさ)に転がっていた集鬼鈴と晶晶白露を回収(かいしゅう)しつつ、錫はその二つの霊具(れいぐ)に強い力を感じた──チャクラがまだ開きっぱなしだったからだ。これ以上おかしなモノはご(めん)なので、急いでチャクラを閉じようとしたその時──錫は何気(なにげ)なく龍門を見た。

──「ゲゲッ!パパったら…!?」


   ★


「おぉ、今しがた(おぞま)しい霊力を感じたぞ」

「ようやく動き始めたのかもしれません」

「この()(のが)すな。早くこの霊力を追いかけるのだ。絶対に突きとめろ!」

「お任せください醜長(しゅうちょう)様。所詮(しょせん)は人間でございます(ゆえ)

「おお…(たの)もしいわい。(われ)らの存続(そんぞく)のためぞ」



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