白の国編
第三章──驚愕
Ⅰ
「こわ~い! 出口がない…どうなってるのぉ?」大仏殿の柱の穴を簡単に通り抜けるはずだった錫は、恐怖のあまり思考回路が膠着していた。さっきまで聞こえていた信枝や浩子の声も途絶えてしまっている。恐る恐る前に進んでみると、先に行くほど穴がだんだん広がっているようだ。腹這いから四つん這いで進めるようになり、やがて直立で歩けるようになった。錫は〝だいじょうぶ!だいじょうぶ!〟と自分に言い聞かせながら先に進んだ。
──「お願いだから何も出てこないでね…」お化け屋敷を歩いているような気分だ。それから暫く進むと、突然見渡す限り真っ白い世界が広がった。足下を白い霧がゆっくりと滑ってゆく。わたがしの空間に包まれているような感覚だ。音もなく温度も感じない不思議な世界だった。
「きっと私は死んだんだ…ここは天国に違いない」落ち着きを取り戻したくて、ぐるりと四方を見渡した錫は、自分で自分を見ていることに気づいた。真っ白い絹の装束を身に纏い、長い髪を後ろで束ねている。足は素足だったが、これが高下駄でも履いていればまるで牛若丸だ。
「涼しい目にきれいな富士額…スゴくイイおとこ…」自分だということも忘れてウットリしてしまいそうだ。
その時だった──
「待っておりましたよ」物静かな女性の声に、錫は〝ぎくっ〟として我に返った。
「誰?どこ?」錫は思い切って尋ねてみた。
「この日を待っておりました。私はこの世界を司る者。わかりにくいなら……そう〝神さま〟と呼んで構いません」
「神さま?…やっぱり私は死んだのね…」
「死んではいません。今あなたが見ている姿は、生まれてくる前のあなたです。私がちょっと細工をして見せているのです」
「生まれてくる前の…?ややこしいなぁ…。分かるように話してもらえない?」
「あなたの本来の名は〈錫雅美妙王尊〉。この世界では高い位の霊神です」
「…しゃくれうま…?余計ややこしいわ。もっとサルでも錫でも分かるように説明してよ」錫は捲くし立てて噛みついた。
「あなたは本来この世界の乱れを治める役人のような存在なのです」
「えっ!?そ、そうなの……役人の幽霊?」。
「この世界を治める者たちは、とても強い霊力を持っています」
「霊力…。私には全く無縁の力ね…」
「…錫よくお聞きなさい!本来あなたは人間界に行くような霊神ではありません。人間界では約三百年に一度、満年を迎え完成する秘宝があるのです。あなたが人間界に行ったのは、その秘宝を手中にするためです」錫はだんだんと空想の物語を聞かされているような気がしてきた。
「どうして私が?他の人…じぁなくて、他の霊神ではダメだったの?」
「人間界に降りて行き、秘宝を守れる者はそうそうおりません。霊力の弱い者が秘宝を持つと、強いものがそれを奪おうとします。あなたなら秘宝を手にして、なおかつ人間の命を全うできると思ったのです。それに霊力の弱い者が秘宝を持っていても宝の持ち腐れなのです。秘宝は主の霊力に合わせてその力を増します」
「だったら霊力のない私が持っていても、それこそ宝の持ち腐れじゃない?」
「いい質問です。人間として生まれたあなたは、本来の力を完全に抑制されています。ただしそれも今日まで──やっとこの日が訪れたのです。あなたをここに呼んだのは、抑えていた霊力を解放するためです。肉体の成長と、精神のコントロールが可能になる年齢…人間でいう十八歳まで待ちました」錫は映画のストーリーを聞かされているようだった。「精神力を高めれば、霊力もそれだけ解放されます。眠っているあなたの霊力は尋常ではありません。それゆえあなたが秘宝を手にしている限り、霊力の弱いモノはそうそう奪うことはできないでしょう。あなたを人間として送り出したのは、攻守とも適していたからです」錫は〝単純(T)・天然(T)・臆病(O)〟の性格を考えると、人まちがいだと思えてならなかった。
「人間界は最も苛酷な修行の場です。自ら身を投じる者など滅多におりません。あなたは、そんな人間界に行くことを自ら望んでくれました。こちらとすれば願ったり叶ったりでした」理解しようとすればするほど、頭から煙が出そうだった。
「さぁ、最後に…これが最も重要なのですが、あなたは自分自身で一から秘宝を探さねばなりません。もし前もってあなたに秘宝の在処に関する知識を植え付けておくと、その知識を善からぬモノが嗅ぎつけて、あなたの命を狙い、先回りして秘宝を奪われることが必至だからです。ゆえにまだあなたに話せない秘密がいくつもあります。それはまだ未熟なあなたを守るためでもあるのです。ですから今まで私が話したことをむやみに人に話してはなりません。うかつに口にすると自らの首を絞めることになりかねませんからね。けれど秘宝を探す過程で嫌でも解ってくることもありましょう。それに附随して避けられない危険なことが起こり来るやも知れません…。その時は────戦いなさい!」
「た、戦いなさいって…。い、いったいどうやって戦うのよ!?」
「そのうち分かりますよ……うふふっ」
「うふふっ…って…」
「あなたはまず青森県岩木山に住む〝気障りの婆〟に会いに行くのです。よいですね?」〝よいですね?〟と言われて嫌とも言えず、錫は金魚のように、ただ口をパクパクさせていた。
「ではもう行きなさい…錫雅尊…いいえ錫。無事を祈っていますよ」
「ちょ、ちょっと待って!まだ聞きたいことがあるの!もう少しだけ…もうす…」錫はそのまま深い眠りに落ちた──。
Ⅱ
「も…もうすこしだけ話を………婆さんが…秘宝が…」
「スン…スン……起きなさいってば!」遠くから名前を呼ばれて、錫はゆっくりと目を開いた。
「あっ…神さま…」
「何わけの分らないこと言ってるの…信枝と浩子よ」
「ん?あっ、信枝と浩子…」
「だからそう言ってるでしょ。あんたってホントにもう…」信枝は錫の両手を掴んで穴から引っ張り出した。
「私帰って来たんだね…?」
「はぁ…!?あんたはここで寝てたのよ…前代未聞よ」
「えっ…?じゃ、あっちの世界は?」
「あっちもこっちもないわよ…あんたおかしな夢でも見てたんでしょ?」信枝はからかい半分に錫のおでこを手のひらで軽く叩いた。〝パシッ!〟という軽快な音に、今まで心配していた浩子も笑ってしまった。
「いたっ…夢?そうかぁ、夢かぁ~!ねえ、私どれくらい寝てた?」
「そうねぇ…せいぜい一分くらいってとこかしら」
「そんなにちょっと!?三十分は経ってるはずなのに…。まっ、夢なんてそんなもんよね…うんうん、何はともあれ夢で良かったぁ!」
「おかしな子ねぇ…一人で納得して喜んで…。とにかくあんまりビックリさせないでね」〝ピシッ!〟信枝がもう一発錫のおでこを叩いた。
「いてぃ!もうやめてよ…」三人は和やかに笑い合った。それから信枝も浩子も大仏さまの鼻の穴くぐりに挑戦した。
こうして錫たち三人の楽しい卒業旅行も幕を閉じようとしていた──
☆
「なんとか錫雅尊に伝えはしましたが…。あんなにも変わってしまうとは…」。
「天甦霊主様…。人間として生まれ変わったのですから、どんな人格になるかは誰にもわかりません。そのことはあなた様が一番よくご存じのはず…」
「それはそうだが…。とにかくこの後のこと──くれぐれも頼みましたよ智信枝栄之命」
「承知いたしました天甦霊主様。この智信枝栄…できる限りのことは…」
「それはそうと気をつけなさい。先ほど錫を呼び寄せたわずかな時間に、奴らは嗅ぎつけておるかもしれません」
「はい、気をつけておきます。天甦霊主様…」