#6 『黒の鎧を身に纏う』
「に、錦野さん。大丈夫?」
「……ぃ……ぃ……ぁぃ……ぁい」
錦野さんは目の前で何かを呟いている。口をあまり動かしていないけど、なんとなくはわかる。
「何かをしてはいけない」と連呼しているみたいだ。
私は錦野さんを追い詰め過ぎたのかもしれない。
彼女の外傷は明らかに他から受けたものだ。それを突き止めるために何度か教えてもらおうとしたけど、恐怖によって縛り付けられている彼女はなかなか口を割らなかった。
だから私はそれをこじ開けてしまおうと思ってしまった。
そうでもしなければ彼女はもうすぐ壊れてしまう。そう考えたから。
私なら必ず力になることができる。絶対に助けられる。でも、その考えが裏目に出てしまった。
私は傲慢だ。
私自身が彼女の助けになるのかなんて話を聞いてみないとわからないのに、今までがそうだったからという理由で自信を持ち過ぎていた。
今ならまだ間に合うはず。
謝って済む問題じゃないけれど、それでも「無理して言わなくていい」と、そう言えばこの症状は少し良くなるかもしれない。
そう思った私はすぐに実行に移した。もう、時間はない。
「ごめんなさい、錦野さん。私、別に錦野さんを責めているわけじゃないの。だから無理して――」
刹那、私たちの進行方向から人の叫び声が聞こえた。
私は錦野さんに向けていた視線を進行方向へと移す。
すると、大通りのわき道から慌てるように人々が私たちの後ろ側にある商店街へと走っていく。
その人たちは私たち二人を必死に横切って行った。
「化け物だ、みんな逃げろ!」
男性だろうか。そんな声がどこかから聞こえる。
それと同時に妙な音が耳を震わせた。
ギィィィィィィィ、ジリジリジリジリ……
まるで重い金属を石で軽く擦るような不快な音だ。
そして化け物と言われている正体が私の目の前に現れた。
そこに居たのは、中世風の白い甲冑を着た大柄の騎士だ。
耳から入ってくる金属音とは裏腹に、見た目はまるで石膏のように柔らかい質感にも見える。
滑らかな曲線と、すらっとしながらも長い脚、そして現実ではまず見ることができない巨大な剣を確認することができた。
巨大な剣は騎士の身長の半分ほどの刀身を有しており、それを振り回す彼の筋肉量や強さは人間離れしていることが伺える。
だが、私はそれを知っている。この騎士のことを、『白騎士』のことを私は知っている。
「でも、どうしてここに」
――バタリ
隣で何かが倒れる音がした。
そちらを見ると、今度は先ほどまで立っていた錦野さんが意識を失って倒れていた。
私のせいだ。私はよく、人に無意識に圧をかけている時がある。おそらく錦野さんも、それに当てたられて気を。
「そんなことを気にしている場合じゃない」
私は気を失っている錦野さんを抱え、道の端へと置いた。
抱えている途中も何か痛みに苦しむような様子が顔から伝わってくる。
「だけど今は、命が最優先」
私は錦野さんを道の端に置き終わると、少し小走りで大通りの中心に立った。
そして私は少し目を閉じる。
あの時、言われたこと。不思議な空間でもらった『力』のこと。改めてすべてを思い出す。
――――――
――――
――
「お前に授けた力、それが行使できる時間は約10分間だ。それ以上は使うな」
――それはどうしてですか?
「今は言えない。だが、お前がそれを破れば、お前自身も、お前の大事な人もみんな犠牲になると覚えておけ」
――わ、分かりました。あと、力を使うときはどうすれば?
「今から言う言葉を叫べ、――と。今の人間は恥ずかしがり屋が多いと聞くが、それを言ってもらわないと我々、黒の因子はお前を守れない」
――わかりました。私は白石明日香、白石の名に懸けて必ずあいつらを……
――
――――
――――――
ギィィィィィィィ、ジリジリジリジリ……
目の前は住宅街に入る前の大通り。夕暮れがまぶしいくらいに照り付けてくる夕刻。
真正面にいるのは白の西洋風の甲冑を着た騎士。持っている白色の大剣をアスファルトに引きずってこちらに進んでくる。
人は周りにそこまでいない。それならよかった、被害は出しずらい。
私、白石明日香は残念ながらある日から普通の高校生じゃなくなった。
そして同時に、普通の生活を送ることができなくなった。
「白騎士さん。引っ込んでくれれば私は何もしません。できれば何もしたくない、言葉が分かるなら元の主に引っ込んで」
私はなるべく、白騎士に聞こえる声で注意を呼びかけた。
私の言葉には反応していない。体の動かし方からして聞く耳すら持っていないようだ。
私は錦野さんを見る。今も苦しそうな表情をして目を瞑っている。
錦野さん、巻き込んでしまってごめんなさい。でも絶対に傷つけさせないから。
私なら、それができる。
「さて、白騎士さん。目的は何か知らないけれど、私に会ったことが運の尽きでしたね」
私は謎の存在、『黒の因子』に期待された。
期待されたからには、それに応えなければいけない。
それが、私。白石明日香なのだから!
『――世界に漂う黒の因子よ。』
私がそう言うと、体の周りで黒い何かが渦を巻いていく。
この瞬間だけ、私は周りを把握することができなくなる。
恐怖はない。むしろ、今は守られているのだから。
『――白の因子を打ち滅ぼさんとする黒の因子よ。聞こえるというなら私を覆え、私を満たせ』
次の瞬間には体が黒い何かで覆われる。
ライダースーツのように肌にくっつくが、全く着ている心地はしない。まるで空気のようだ。
『――漆黒の奥に眠る慈愛の心を、闇を許す勇気の印を。今こそ見せつけよ』
足から動体、手から腕、首、頭の順で守りを強くするアーマーが付けられる。
瞬間、締め付けられるような感覚に襲われる。
『――変身』
この時、私は生成された大剣を手に取り、その剣で空を切る。
黒い渦は晴れ、私の体は完成する。すべてを守ろうとする戦士、『黒騎士』がそこに現れた。
姿は白騎士と対照的で、似て非なるもの。全身は漆黒のように黒く、鎧の隙間からは紫の光が漏れ出している。
夕日の光すらも吸収し、自らの光へと変換して神々しく輝くその姿はまさに力の権化と呼ぶにふさわしい見た目をしていた。
――ちょっといいかな、アスカ。
黒騎士の状態。私が全身に黒の因子を纏っている時のみ、契約している黒の因子、『クロ』と会話をすることができる。
「あれ、クロさん。どうかしましたか?」
――確かに戦ってくれることはありがたいんだが、変身前のあの語りは必要なのだろうか。『黒の因子がなんちゃら』みたいな部分だ。
「あれ、でもクロさん。変身前には空気中に漂っている黒の因子たちに示すサインが必要だとおっしゃっていませんでしたか?」
――そのサインが「変身」の掛け声なの忘れてないか? 変身だけで大丈夫なんだぞ?
「それだけだと気が入らないので」
――そ、そうか。まあそれでいいのならそれで……
その瞬間、私に攻撃を加えるため、白騎士が剣を振りかぶる。
私はそれに対応するため、自らが持っている大剣を横向きに構え、その攻撃に対して防御の姿勢をとる。
この黒騎士の状態では、通常の人間ではできないような行動が可能になる。
普通の一般男性位なら20メートルほど上まで『たかいたかい』ができる。車だって持ち上げることができる。
そのため、自分の身長の半分ほど刀身がある大剣ですら軽々と扱うことができるのだ。
カキンッ
高い金属音と共に、私の剣が白騎士の剣をはじく。
その反動により、白騎士は体の後ろに体重が傾きよろめいている。
私はそのすきを突き、自らの姿勢を中腰に変え、白騎士の腹部に突きの攻撃を与えた。
ガンッ
ハンマーで板を叩いたような鈍い音があたりに響くと、白騎士は少し飛ばされて私との距離が長くなったと同時に尻餅をついた。
「クロさん。戦闘が始まってしまったので、その話はまた後でお願いします」
――そんなことはわかっている。まずは戦いに集中だ。
白騎士は尻餅をついた態勢から復帰をするために剣を地面に刺し、剣に体重を乗っけるように膝立ちになっている。
私がその態勢を許すわけがなく、白騎士の傍まで近寄り剣を振りかぶる。
だが、そう簡単には白騎士を倒すことはできない。
白騎士もまた戦っているのだから、白騎士には白騎士の戦術があるのだ。
彼はあの態勢から、私が先ほど剣をはじいたのと同じように、私の剣をはじいた。
今度は私が後ろによろめいた。この行動は先ほど私が行ったことの鏡映しだと思った私は、かすかに地につけていた足で地面を蹴り、倒れそうになっていた体が地面を擦るように地面と平行移動することで突きの攻撃を回避した。
思った通り、私の目の前に白騎士の剣が通った。この白騎士は私が先ほど行った攻撃パターンを学習し、行動に移している。
距離を取りながら態勢を戻す。地面を擦ったことによる体力消費もあるが、それはほんの些細でしかないため、気にすることはない。
そして、改めて白騎士の体に目線をやると私と同じように鎧の隙間から光が漏れている。
だけどその光は私の色とは違い、紫色ではなく緑色をしていた。
先ほどの攻撃より前には光っていなかったはずだ。
――あのタイプはこちらに対する異常状態を付与する攻撃を最も得意としている。一つの攻撃でも当たればそれが戦況を左右する要因になりかねないぞ。
クロさんが私にそう言った。私は今まで何度か白騎士と戦ってきたが、光を発している個体を見たのは初めてだった。
どうやら色で得意なことが違う様だ。
ではもしかして、私にも得意なことがあるのだろうか。そこで私はクロさんに聞くことにした。
「クロさん。もしかして、私も特殊な攻撃ができたりするのですか?」
私がそう聞くと、先ほどと変わらない声色で返答をしてくれた。
――アスカの場合、紫は自己強化をすることができる。瞬間的に体の動きを早くしたり、力を強くしたりすることができる。意識をすれば簡単にできるはずだ。というより、先の蹴りでも使っていたではないか。
どうやら先ほど回避のために使った蹴りは、瞬間的に力を強くしたことによる産物だったようだ。
だけれど、話によればこれは瞬間的な能力。攻撃する瞬間や回避の瞬間しか使えない。
そんなことを思っていると、相手の白騎士はグイっと距離を詰めてきている。未だに白騎士から漏れる光は発光を続けている。
今の攻撃を受けてしまえば私は負けに近づいてしまう。そう思うとなかなか攻める事ができず、白騎士からの攻撃を受けるだけとなっていた。
切りつけてくる攻撃をどうにかして大剣で守り、よけられなさそうな攻撃は体の速さを速めて回避をする。
そんなにっちもさっちもいかない膠着状態が続いていた。
とりあえず、私は体の速さをあげて距離を取った後、クロさんに質問をした。
「一瞬しか強化ができないのは……どうにかなりませんか?」
クロさんはそんな問いに対して、「うーん」と唸っていた。
――あるにはあるが、使えば使うほど黒騎士を行使できる時間が短くなる。だから短期決戦になってしまうぞ。
「もともと10分しかないのですから短期決戦です。使います」
――なら、分かった。我のほうで調整を行う、だがタイムリミットが短くなるのも忘れるな。
クロさんは少し嫌そうに私の考えを了承してくれた。
すると、体の隙間から
プシュー
と言った空気が抜ける音と共に、少しの煙が出てきた。
さらに鎧のいたるところが角度調節や可動域の確認のようなことを行っている。
そしてすべての工程が終わったとき、私は自分の体温が上昇していることに気が付いた。
これが強化を無制限にしたということなのだろうか。
確かに、体の感覚として先ほどより軽くなったような気がしていた。
鳥の羽とはまでとは言わないが、小学校低学年くらいまで体重が減ったような体感だった。
強化が無制限に使えるようになることによって、少しは戦闘の幅が広がった。
そして、そんな私を誘うように白騎士はまた地面に剣を突き刺し、膝立ちの状態になっている。
だが、これは先ほどと同じだ。考えなしに隙だと思って攻撃をすると痛い目を見る。
白騎士が理由もなしにこんな行動をするはずがない。私は周囲に何かが起きていないかを注意深く見た。
白騎士の周囲には何も起きていない。白騎士から漏れる光の色は変わらず緑を示している。
何かが変わっているはずなのに、視認することはできなかった。
ならばと思い、私は聴覚を強化した。
聴覚を強化したことで少し遠くにいる錦野さんの息すらくっきりと聞こえる。
何かに変化があるはず。何か……
シュル……シュル……
ゴボゴボゴボゴボ……
何かが潜っている音、いや、穴をあけている?
地面の下……音がどんどん大きくなって……もうすぐ来る!
私はとっさに強化していた聴覚を解除し、脚力を強化して跳躍を行った。
強化状態では思った以上の飛距離を出し、ここから少し遠くにある学校まで見えるほどの高さにまで及んでいた。
自分が先ほどまでいた場所を見てみると、コンクリートの地面から植物のような太い茎が何本も生えてきており、うねうねとうねっている。
あれで、私の体を拘束する気だったのだろうか。
どうやら異常状態を付与する条件は攻撃だけではないようだ。
「早く倒さないと」
私は剣を下に向けたまま体重をかけて地面へと落下し、風圧や剣の先で植物を一掃する。
植物はきれいにいなくなり、また白騎士はこちらに対して攻撃をしようと迫ってきている。
今の私なら強化を使ってアイツを倒すことができるはずだ。
私なら、必ずできる。
だって、それが白石明日香という人間なのだから。
絶対に失敗はしない。
そんな心のけじめをつけている時、クロさんから慌てた連絡が入った。
――アスカ。残念だが、もう時間だ。あと残り1分しかない。
「ど、どうして。そんなに強化は使っていないのに」
――先まではいわば歩合制、使えば使った分だけ消費されていたが、一瞬だけであれば黒騎士として行使できる時間はさほど減らなかった。だが、今のアスカの状態は固定制。使っても使わなくても行使できる時間がじわじわと減っていたんだ。
「そんな」
もう黒騎士で居られる時間は1分を切っている。あとは一撃にすべてをかけるしかない。
白騎士は変わらずイノシシのようにこちらに走って向かっている。
私は剣の柄を両手で握りしめた。一撃で最大級の攻撃を打つしかなくなった今では、もうこれしかなかった。
力が全身を伝わり、腕に、手の平に、そして剣に移っていくのが伝わった。
もっと、もっと……
――あと30秒だ。
クロのその声すら聞こえないほど、私は集中していた。
白騎士との距離を計算し、あと20秒で白騎士から攻撃が来ることを予想する。
絶対に白騎士は無防備な私に対して、頭を攻撃しようとする。
剣を交わしている最中、白騎士は人間の弱点を探っていた。
そして私が必要に頭を守っていたことを読み取ったはずだ。
動かなくなった私の隙をみて、必ず剣で攻撃をする。
だからその時まで力をためる。
もっと、もっと。
――あと20秒。
もっと、もっと。
気が付けば、剣の模様が変化している。刀身には今までなかった樹形図のような紫色の線が何本も通っていた。
その線はまるで生きているかのように光が波打っている、生き物の血管の様だった。
もっと力をためて、必ず倒す。
――残り10秒。
私は力を入れる関係か、知らず知らずのうちに目を瞑っていた。
だがもうやるしかない。
残りカウントが10秒となったとき、私は何も考えなかった。
「うおおおおおおおおおおおお」
力を大剣に集中させているからか、とてつもなく剣が重い。
私はそれを持ち上げて何とか振りかぶり、全身全霊の攻撃を放つ――
「ぁ……ぃのせ……ぁい……をぉ……き……ぃれ!」
だけど、私の目の前に居たのは、闘志をむき出しにした白騎士ではなく、両手を広げて涙を流していた錦野亜美だった。
でも、もう私には止めることができない。
「——ぐっ」
力をため込んだせいか振りかぶった剣を止めることができず、私は目の前の錦野亜美を斬った。
白騎士は錦野亜美の少し後ろにいた。どうやら私が攻撃することが読まれていたようだ。
完敗だった。
だが、私が放った攻撃は剣先を離れ、遠くまで紫の光線のように伸びていった。
私にも読めていなかったその攻撃のおかげで白騎士はその攻撃が読めず、真っ二つに分かれて白の粒子となり空を舞った。
一瞬、何が起こったかわからなかった。
白騎士は倒した。それでよかったはずなんだ。それなのに……。
私は初めての失敗を抱きながら、自動で変身を解除されると同時に膝から崩れ落ちた。
「『私の先輩を斬らないで』……どうして?」