#1 『今日も世界は平和でした』
小さいころ、テレビにかじりついて必死にヒーローの活躍を見ていた。
悪役がひどい悪さをすると、ヒーローが現れて悪役を退治する。
私はその姿を見て憧れに近い何かを持った。
私もあんな様に悪役を退治できれば、誰かの助けになれれば。
いつもそんなつまらない妄想をしていた。
けれど、現実はやはりそんなにうまくいかない。
実際は、誰が正義で誰が悪かなんて誰にも決められない。
いじめをするのは良くないことだけど、いじめっ子が悪とは言えない。
逆に、いじめられっ子が正義とも言えない。
悪口を言うのは良くないことだけど、彼らが悪人とは限らない。
反対に、悪口を言われている人が善人というわけじゃない。
どこに行ってもそれは変わらなくて。
正しいとも間違っているとも言えない。
そんな白黒しない世界が、そんな現実が私はどうしようもなく嫌いだ。
だから高校生になった今でも、ヒーロー番組を欠かさず見る。
でも、最近のヒーロー番組を見ると、ヒーローと悪役は立場が違うだけのような作品が多くなった。
悪役には悪役の成し遂げたい願いがあって、ただその方法がひねくれてしまっただけ。
私はそんな作品を求めているんじゃない。
悪役はただ人の迷惑しそうなことをやって、ヒーローがそれを退治するような作品が見たいのに……。
――私が望むような物語はもう出てこないのかな。
「うわっ、またあの子ぶつぶつ言ってるよ」
「え、キモ。ほんとあの子、いつまで教室にいるのさ。もう放課後なのに。」
「薄気味悪い。早く帰ってくれないかなぁ」
放課後の教室、窓側の一番後ろの席に座っている私の耳に、女子生徒三人の小声が入ってくる。
でもこれはいつものこと。私は雰囲気が暗くて、辛気臭い。
いつも何を考えているかわからないから気持ちが悪い。そう思われている。
私はそれを理解している。だからこうやって言われるのは仕方がないんだ。
私は横にかけてあったスクールバックを右手でつかみ、スタスタと女子生徒を横切って教室を出ようとする。
するとすれ違いざまに彼女たちは心にもない謝罪を口にした。
「あれ、聞こえてた? ごめんね、あたしたち別に錦野さんのこと悪く言ったつもりはないんだけど」
私はそれに対して反射的に「いいよ別に」と答えて、教室の扉をくぐった。
廊下に出るともうそこには少人数の生徒しかいなかった。
ほとんどの生徒は下校し、残っているのは一部の人と部活動をしている人たちだけだ。
でも、部活動も何もしていない私は本当に学校にいる理由がない。
それでも、家に帰りたくなかった。まだ一人で居られる時間が欲しいから。
階段を何階か降りて、生徒が靴を収納する下駄箱がある場所へと向かう。
自分の下駄箱の前まで行き、自分のくつを引き抜いた。
「……ネカフェ行こ」
私がそう呟くと、背後から声が聞こえてきた。
「学校帰りに寄道とは、感心しませんね」
それは驚くほど聞き覚えのある女子生徒の声だった。でも、知り合いというわけではない。
彼女はこの学校ではあまりにも有名だ。
「白石風紀委員長……」
「初めまして。私は風紀委員長の白石。学校帰りに寄道をしようとするあなたを見過ごすわけにはいきません」
彼女は白石明日香先輩。私の1年上の高校三年生の先輩。
彼女は、容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能とどこから見てもすべてを持っている才色兼備の女性だ。
そんな人が現実に存在するわけがないと思っていたが、実際に目の当たりにすればその存在を認めざる負えなくなった。
彼女が有名な理由は、その秀でた才能を用いて様々な賞を受賞していたり、集会や文化祭と言った行事で積極的に前へ出てくるからだ。
どんな不良生徒でも学校に通っていれば嫌というほど目に入る、それが彼女だ。
「わ、私……寄道しようだなんて考えていません」
「考えている人はみんなそう言います」
そう言って白石先輩は私の体を見てくる。
おそらくは制服を着崩していないかを確認しているのだろう。
そして何かに気が付いたようなそぶりをして、白石先輩は私の首に手を持ってきた。
怖い。胸ぐらをつかまれるのだろうか。わたしが風紀委員から取り調べを受けるのは初めてのことだった。
それに私は手を目の前に出されると体が勝手にこわばってしまう。
何をされるかわからない恐怖を覚えながら、私は目をぎゅっと瞑る。
「校章が曲がっていますよ」
白石先輩は、優しく触れるような手つきで胸元についている校章の角度を調整する。
そんな先輩を前にしても、私は手が服に触れている間は恐怖をぬぐい切れなかった。
「は、はい……」
先輩の手が制服の校章からゆっくりと離れると、少し安心して力を入れていた肩をなでおろした。
「きちんとわが校の生徒である自覚を持ってください。くれぐれも寄道はしないようにお願いしますね」
そう言うと白石先輩は私に何もすることなく、その場を去った。
私は慌てるように一例をし、すぐに靴を履き、少し俯きながら昇降口を出る。
恐怖はあったが、先輩の前に立つだけで何か別の、上位の生き物と対峙しているような気持ちになった。
放つオーラは一般生徒のそれとは比べ物にならないほど凄まじい。
でもこれで、私は家に帰らなくてはいけなくなった。
そう思えば思うほど、私の気持ちは徐々に沈んでいった。